モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第159話 勝利を信じての全力戦 希望の光に掛かる暗雲

「ギャアアアアアァァァァァッ!?」

 再び轟く魔竜ディアブロスの悲鳴。後ろ倒しになるような勢いで首を持ち上げ、天を仰ぐ。その頭の先に生える角竜としての誇りの双槍。だが、そのうちの一本が根元付近から先を失っていた。

 剣を振り下ろした彼女の足下に、その残骸が転がっていた。根元から叩き折られた角は無残に砂の上に転がっている。

 シルフィードはその感触や感動を味わう暇もなく、間髪入れずにディアブロスの懐に突っ込む。苦しむディアブロスの真下で勢い良く剣を振り上げてディアブロスの肉を抉る。

 口から怒りの黒煙を噴きながらディアブロスは足下のシルフィードを撒こうと片方だけになった角を地面に突き刺して潜り始める。シルフィードは追撃を断念してバックステップで距離を置くが、怒り状態のディアブロスは潜る際の速度も素早い。完全な安全圏に脱する事はできなかった。

 砂の中へ消えたディアブロス。通常時ならこれは音爆弾を投げる絶好の機会だが、怒り状態ではそれは通用しない。

 そして、怒り状態のディアブロスは自身の尻尾はおろか誇りの角までへし折ったシルフィードに襲い掛かる。

 あと一歩である程度安全な間合いとなる寸前、シルフィードは目の前の地面が揺れるのを見過ごさなかった。反射的にキリサキでガードの構えをとった瞬間、突如地面が割れてディアブロスが飛び出してきた。

「なッ!?」

 ディアブロスは首も使って勢い良く残った一本の角でシルフィードのキリサキの峰をぶち抜く。その勢いは壮絶で、質量の差で圧倒的に劣る彼女の体はまるでボールのように簡単に吹き飛ばされる。

 砂の上に頭から突っ込み、それだけでは勢いを殺せずに二転三転と転がり、うつ伏せに倒れた。

「くそぉ……ッ」

 全身を強く地面に叩きつけられた激痛に表情を苦しげに歪めるシルフィード。それでも何とか痛みを堪えて立ち上がる。

「シルフィッ!」

 クリュウの焦る声に顔を上げた瞬間、彼女の表情が凍りついた。

「何だと……ッ!?」

 正面を向くと、目の前にまで怒り狂うディアブロスの角が迫っていた。

 再びキリサキでガードするが、またしても角で貫き飛ばされる。再度跳ね飛ばされた彼女の体だが、運の悪い事にその先は中央に突き出た巨大な岩。フィーリアが悲鳴を上げると同時に、彼女の体は背中から激しく岩に叩きつけられた。

「がは……ッ!?」

 背中を叩きつけられた瞬間、彼女の口から真っ赤な血が吐き出される。叩きつけられた彼女の体はそのまま岩の根元に横倒しに倒れた。

「シルフィード様ッ!」

 フィーリアが慌てて彼女に駆け寄ると同時に、クリュウはディアブロスの眼前に向かって閃光玉を投擲した。夜の闇を消し飛ばす光の嵐が、執拗にシルフィードを狙おうと再び突進の構えを見せていたディアブロスの瞳を焼く。

 視界を潰され、激痛に悶え苦しむディアブロスを無視し、クリュウとサクラも先行しているフィーリアと共に倒れたシルフィードに駆け寄る。

「シルフィッ! だ、大丈夫ッ!?」

「あ、あぁ……」

 上半身を起こしたシルフィードは口の端の血を拳で拭い取ると、道具袋(ポーチ)から巾着袋を取り出した。手の上でひっくり返すと、粒状の薬が出て来る。彼女はそれを口に入れて噛み砕くと、フィーリアが用意した水筒の水と一緒に一気に喉の奥へと押し込んだ。

「秘薬を呑んだ。しばらくすれば、元通り体も動く」

 そう言って彼女は立ち上がるが、その足取りは少しフラついている。先程までのような勇ましい動きは、彼女の言う通りしばらくはできないだろう。

 間もなく、ディアブロスの視界も復活する。クリュウ達はこのまま継戦するか、撤退するかの二択に迫られていた。

 フィーリア自身は撤退案を考えていた。その案を出そうと口を開く寸前、全く別の意見を唱える者がいた。

「――僕に作戦がある」

 その言葉に、三人は一斉に振り返った。そこにはヘルムを取って自信満々な表情で立つクリュウの姿があった。

 

 視界が回復すると同時にもう一度サクラが閃光玉を投げてディアブロスを足止めしている間に、クリュウは皆に自分の作戦内容を手早く説明した。作戦と言っても、そんな細かい内容はないので説明は簡単に終わる。だが、三人の表情は半信半疑という感じのものだった。

「た、確かにディアブロスは先程私が狙撃している最中、そのような行動を見せていましたが。だからと言って必ずしもそうなるとは限りませんし、何よりどの岩でもいいという訳ではないようですよ」

「その点は大丈夫。シルフィ、この岩は硬かった?」

「うん? まぁ、気を失いかけるくらいには硬かったぞ」

「……シュールな答えですね」

「この岩さ、さっきエリア3の高台の岩と同じ構成物質でできてる岩みたいなんだ。たぶん、この岩もあの高台の岩と同じ現象を起こせると思うんだ」

 そう言ってクリュウは背後にある、先程シルフィードが叩きつけられたエリアの中央部に突出した岩を拳で小突く。

「とにかく、ディアブロスにこの岩に向かって突進させるんだ。そうすれば、確実に戦況はこちらに傾く――どうかな?」

 皆に意見を求めるクリュウだが、フィーリアはとシルフィードは作戦のリスクも考慮に入れている為に難色を示している。だが、

「……私はクリュウを信じる」

 一人サクラだけはクリュウの作戦を支持した。彼女の場合、二人のように頭で深くは考えていないだろう。その言葉通り、心から彼の事を信用しているが故に、彼の賭けに等しい作戦も何の疑いもなく信じられる。

 理論的ではなく、あまりにも幼稚な考え方だ――だが、今はそんな彼女の真っ直ぐさが何よりも効力を発揮した。

「……そうだな。元々も作戦らしいものがない戦いだ。試す価値はある」

「そうですね。実際私がその行動を目撃しているんですから、可能性は決してゼロじゃありません」

 サクラの本能むき出しの発言はもちろん根拠も何もない。だが、彼女の自信満々さや元来の挑発的な物言いは、冷静に考えるが故に躊躇してしまう二人の決意に火を灯した。それは彼女の計算なのか――たぶんそんな事はないだろうが、彼女のおかげで作戦方針が決まったのは紛れも無い事実だ。

「それじゃ、行くよッ」

 クリュウが作戦の開始を告げるのと同時に、ディアブロスの視界が復活して怒りの怒号(バインドボイス)が鳴り響く。当然三人は耳を塞ぐが、そんな彼らの頭をシルフィードが小突く。ちょっとした外的衝撃で本能的な恐怖はかき消す事ができるのだ。

 シルフィードのおかげで素早く動けるようになった三人。呆然とするクリュウの頭に、シルフィードはガボッとレウスヘルムを被せる。

「呆けている暇はないぞ。作戦はもう開始しているんだろ?」

「そ、そうだね。三人とも岩の陰に隠れてッ。フィーリアは岩陰からディアブロスを攻撃してッ」

 クリュウの指示に三人はうなずくと、彼の指示通りに三人は岩陰に隠れた。フィーリアは一人通常弾LV2を装填し、ハートヴァルキリー改を構える。そしてクリュウは――単独でディアブロスに向かって突撃した。

「危ないぞクリュウッ!」

 背後からのシルフィードの声を無視し、クリュウは構わずディアブロスに突進する。振り返るディアブロスに向かって、クリュウは構えたペイントボールを投げつけた。

「こっちだディアブロスッ! ついて来いッ!」

 ディアブロスを挑発すると同時にクリュウは反転し走り出す。折れた角の根元にペイントボールが付着したディアブロスはさらなる怒りの炎を燃え滾らせ、彼を殺そうと大地を蹴って突進を仕掛ける。

 圧倒的な速度で迫るディアブロスに対し、クリュウの速度はあまりにも遅い。サクラのような俊足を持たない彼とディアブロスの距離は一気に縮まる。だが、事前にディアブロスが動くよりも先に走っていたクリュウは、角が自分の背中を貫くギリギリの瞬間で横へと跳んだ。そこはちょうど、三人が隠れる岩の直前だ。

 地面に倒れた瞬間、背後で激しい衝突音が響いた。その音に、顔を上げたクリュウの口元に笑みが浮かぶ。

 起き上がり、振り返ると、そこには自分が思い描いていた光景がそこに広がっていた。

 クリュウの思い通り、ディアブロスは岩に向かって突っ込み、そして――岩に角を突き刺し、抜けなくなっている姿が。

 ディアブロスが衝突した岩は密度が濃く硬い。そんなものを貫けば、ギッチリと角は刺さり抜け辛くなる。彼の予想した通りの行動、光景だ。

「まったく、彼には本当に驚かされるよ」

 そうつぶやきながら岩の前面に出たシルフィードの眼前には必死になって角を抜こうと藻掻くディアブロス。

「――さぁて、さっきはよくもやってくれたな。借りはキッチリ返させてもらうぞッ!」

 キリサキを振り抜き、構える。そこは暴れるディアブロスの頭部のすぐ横。彼女は躊躇なくその首に向かって剣を叩き落とした。その一撃はディアブロスの首の横を斬り裂き、血飛沫を踊らせる。

 同時にサクラも角を抜く為に踏ん張らなければならない脚に向かって襲い掛かり、フィーリアも通常弾LV2による速射攻撃でディアブロスを集中砲火。

 そして、クリュウもディアブロスの頭に向かって攻撃する。

 四人が一斉に襲い掛かり、動けないディアブロスを一方的に束縛する。だが、その時間は決して長くはなかった。

「そろそろ角が抜ける頃合いですッ! 離れてくださいッ!」

 フィーリアの声にクリュウとシルフィードは一斉に離れる。彼女と共にディアブロスの角が刺さって動けない状態を目撃していたサクラはフィーリアの声を無視して自分のタイミングで撤退する。そして、全員が岩陰に隠れたと同時にディアブロスの角が岩から抜けた。すぐさまクリュウは岩の横へ飛び出しディアブロスを挑発。ディアブロスは再び突進を仕掛けるが、寸前でクリュウは岩の後ろに隠れ、ディアブロスは突進。再び角を深々と突き刺して動けなくなる。そこをまたしても四人が一斉に攻め込む。

 クリュウの策は見事に成功していた。これまで翻弄されるばかりだったディアブロス相手を、完全に自分達の流れに引きずり込んでいた。

 突撃だけではなく、一度砂の中に潜って砂中から突進して来た時には足下から現れるのではないかと警戒したが、どうやらこの岩は地中深くにまで到達しているらしく、ディアブロスの侵攻を阻んでくれた。

 足下の安全を確保すると、不安は一切なくなる。つまりそれは攻撃に全てを集中できる証拠だ。クリュウ達の攻勢はより激しさを増す。

 それから三度程、ディアブロスの動きを止めての攻撃が繰り返された。だが、ここで思わぬ事態が発生した。

 それはディアブロスが四度目の突進を仕掛けた際の事。角が突き刺さった瞬間――岩が粉々に砕け散ったのだ。

「なッ!?」

 これにはクリュウだけではなく四人が驚く。すぐに飛来する岩の破片から避けるように岩から離れる。人間の身長よりも高い硬い岩は粉々に砕け散り、その奥ではディアブロスが激怒に燃える瞳をギラギラと燃え滾らせている。その姿を見て、クリュウは苦笑を浮かべるがその頬を嫌な汗が流れる。

「さすがに、そう何度も同じ手には引っかかってはくれないか」

「だが、おかげで私も十分に回復できた。それに、与えたダメージは相当なはずだ。策を失ったとはいえ、確実に状況は好転したはず」

 シルフィードの言葉にうなずき、四人は一斉に散開する。ディアブロスは怒り狂いながら突進する。狙うは、正面に捉えたクリュウだ。

「僕ッ!?」

 クリュウは慌てて速度を上げて一気に走り抜ける。それでも足りないと判断するやいなや、すぐさま身を投げ出すように前に飛び込む。砂の上に無様に倒れるが、間一髪ギリギリ背後をディアブロスが恐ろしい速度で通り過ぎる。

 立ち上がると同時に、ディアブロスは砂の中へ素早く潜行。怒り状態では音爆弾が通用しない為、無力化できないクリュウ達は逃げ回るしかない。次に狙われたのは、

「私かッ!」

 地中から迫るディアブロスに対してシルフィードはディアブロスの針路とは直角方向へ逃げる。その動きは確かに先程までのような機敏さが幾分か戻っているように見える。

 逃げるシルフィードが寸前までいた場所の地面が砕け、砂を巻き上げながらディアブロスが片角を振り上げて現れる。何も獲物を貫く事ができずに終わるディアブロスに、シルフィードは反転攻勢に出る。だが、まるでそれから逃れるようにディアブロスは再び砂中へと潜る。足を止めたシルフィードは逃した事に舌打ちするが、その直後ディアブロスは突然潜った同じ場所から姿を現した。

「何ぃッ!?」

 慌ててキリサキを構えてガードするが、簡単に弾き飛ばされてしまった。

 シルフィードが大きく後退すると同時に、代わるようにサクラが無防備となったディアブロスの背後から襲い掛かる。勢い良く突き出した一撃はディアブロスの甲殻を砕き、刃先吸い込まれるようにディアブロスの肉を抉る。その瞬間、ディアブロスは再び毒状態となった。

 間髪入れずに怒涛の連続攻撃。流れるように刀を振るい、旋回斬りとバックステップを同時に放つ回避攻撃で距離を開けた瞬間、ディアブロスは振り返って彼女に向かって角を振り上げて襲い掛かる。が、寸前で距離を開けたサクラはこの攻撃を避け、構わず再び前進してディアブロスに斬り掛かる。

 サクラが攻撃している間にクリュウが追いつき、フィーリアが援護射撃を再開し、シルフィードはガードのし過ぎですっかり刃毀れを起こしたキリサキに携帯砥石を当てて切れ味を回復させる。切れ味を回復させると、すぐに立ち上がりキリサキを背負って走る。

 剣士組が奮戦を見せている間、ガンナーであるフィーリアも目立たないながらも確実な攻撃の積み重ねで仲間を援護している。弾を貫通弾LV2に変更し、比較的遠距離からの攻撃。通常時でも厄介な素早さを持つディアブロス。怒り状態ともなればその速さはより厄介なものに変わる。それに対応するには、当然より間合いを取らなければならない。その為に有効射程距離の長い貫通弾LV2を選んだのだ。

 ロングレンジ攻撃となると確かにより安全圏になる訳だが、当然遠くの獲物を狙うとなると弾丸を命中させる技術は並大抵のものではない。しかしフィーリアはそれをやってのける。かわいい顔してその技術は一流の狩人だ。

「私だってやる時はやるんですよッ!」

 激しい集中砲火で剣士組へのディアブロスの攻撃をできるだけ逸らすフィーリア。当然、振り向いたディアブロスは彼女を狙って怒涛の突進を見せるが、距離を十分に開けていただけあってフィーリアはそれを幾分か余裕を残して避けると、再び距離を取って狙撃を再開する。

 切れ味を正したサクラと前線に復帰したシルフィードがディアブロスに襲い掛かる頃、クリュウは一人前線から離れていた。彼はエリアの入口付近の岩陰に隠した荷車に駆け寄ると、そこから必要な物を取り出す。ディアブロスから少し遠い場所、荷車に程近い場所にシビレ罠を設置した。

 クリュウはすぐに同じく荷車から取り出した角笛を手に取ると、それを構える。一瞬、あのディアブロスに狙われるという恐怖に身を震わせるが、奮戦する仲間達の姿を見て気合を鼓舞すると、大きく息を吸い込み、一気に角笛を吹く。

 エリア全体に響く角笛の音色に、戦闘中の三人が一斉に振り返った。その視線の先にはエリアの端で角笛を吹くクリュウの姿がある。その足下に見える電撃を見てすぐに彼の策を察すると、すぐさま散開してディアブロスに道を開ける。

 角笛の音色に彼を見たのは三人だけではない。鬱陶しく肉薄乱舞していたサクラに向けていた敵意を、ディアブロスは視線と共に角笛を吹くクリュウに向ける。

「ゴォアッ!」

 低い唸り声を上げ、ディアブロスが素早く身構えて走り出す。怒涛の速度で突進するディアブロスに対し、クリュウはバックステップで安全な距離にまで後退しながら奴をシビレ罠へと誘導する。

 すさまじい勢いで迫るディアブロス。その怒り狂った瞳を前にしてクリュウは身を震わせるが、自分の前にはある意味最強の盾が存在する。奴の角は、決して自分を貫けない。

 そして、ディアブロスの脚がシビレ罠を踏み抜いた――その瞬間、ヘルムに隠されたクリュウの口元に笑みが浮かぶ。

「ゴアァッ!?」

 シビレ罠を踏み抜いた事で、ディアブロスの体を麻痺毒が縛りつけた。怒涛の突進は硬直した筋肉はそれまでの勢いを全て妨げる杭となる。当然、突進の勢いは失われ、彼を貫くつもりで突き出した角は、クリュウの眼前で止まる。

 シビレ罠に拘束され、痺れて動けないディアブロスに対し、クリュウはすぐに行動を起こす。荷車へと走り、そこに残っていた大タル爆弾Gを引っ張り出すと、それを痺れて動けないでいるディアブロスの頭の横へと設置。そのまま小タル爆弾Gも設置してピンを抜くと、急いで離脱。荷車を隠してある岩陰へと身を隠した瞬間、起爆。すさまじい爆音と爆風が辺りを突き抜ける。爆風は最も近くにいたクリュウを襲うが、幸い岩がそれを妨げてくれたので飛ばされずに済む。

 吹き荒れる風と砂の中、クリュウは岩陰から顔を少し出してディアブロスの様子を確認する。

 ディアブロスは悲鳴を上げながら天高く首をもたげそのまま横倒しに倒れた。重々しい地響き音を立てて砂の上に崩れたディアブロス。その角は最後の一本も砕け落ち、角竜と言われる所以の二本の角は、そのどちらもが失われていた。

「ディアブロスの角が……ッ」

「……フッ、やってくれる」

「……クリュウ、かっこいい」

 驚愕するフィーリア、嬉しそうに笑みを浮かべるシルフィード、ポッと頬を赤らめて彼を見詰めるサクラ。三者三様ながら、三人はクリュウの見事な攻撃に感嘆する。だがすぐに彼が作った隙を無駄にしまいと攻め込む。

 動き出した三人に対し、クリュウはこの機会に携帯砥石でデスパライズの刃を正す。付加効果のある武器は切れ味が悪くなると毒の出が悪くなってしまうからだ。それに、デスパライズでは切れ味が少し落ちただけでも簡単にディアブロスの甲殻に弾かれてしまう。

 切れ味を回復させ、携帯食料を水を一緒に一気に流し込んで小腹を満たす。準備を全て済ませてから、三人に多少遅れるも突撃するクリュウ。

 すでに倒れているディアブロスに対して俊足のサクラが到達して必殺の気刃斬りで襲い掛かっている。同時に距離が開いていても攻撃可能なライトボウガンのフィーリアの攻撃も再開され、距離が近かったが出だしが遅れたクリュウと逆に出だしは早かったが距離が開いていたシルフィードは同時に剣を叩き込む。

 倒れて藻掻くディアブロス相手に、四人は容赦のない一斉攻撃を仕掛ける。皆これまでの戦いで確かな疲労が蓄積しているはずだが、その動きや表情はそれを思わせない程に勇ましく、峻烈だ。

 すっかり外気は冷え、昼間の暑さとは打って変わって凍えるように寒い。まだエリア7は比較的温かい方なのでホットドリンクを飲むような寒さではないにしても、十分に冷える。そんな中でも四人は汗を飛び散らせながら武器を振るう。むしろ体は熱いくらいだ。

 白い息を吐きながら奮戦する四人の狩人。状況は最初の頃に比べれば劇的にこちら側に有利なものになっている。だがそれはあくまで繊細なバランスの上で成り立っているに過ぎない。こちらは常に神経を尖らせて続けてミスの許されない戦いに対して、ディアブロスは一撃でも敵に与えられればその途端に戦況は一気に傾く。有利には違いないが、それは薄氷の上のギリギリの状況に過ぎない。

 長さにしてきっと十秒もない。クリュウたちの一斉攻撃を蹴散らすようにディアブロスは起き上がると旋回攻撃を放つ。だが、角も尻尾も失われたディアブロスのその攻撃は最初の頃に比べて攻撃範囲は明らかに狭くなっている。それを見切ってサクラはギリギリの動きで回避すると、すぐさま攻撃へと転ずる。

 群がる敵を一掃しようとディアブロスは突進で蹴散らすと共に体勢を立て直す為に距離を開ける。四人が追い掛けると、ディアブロスは砂中へと潜った。急いで散開するが、それを待たずにディアブロスが砂中から突っ込む。狙われたのはクリュウだ。

 眼前にまで迫った砂煙の壁を見てクリュウは逃げられないと悟るととっさに盾を構えた。次の瞬間、足下の砂が割れて怒号と共にディアブロスが突っ込んで来た。貫くはずの角はなくとも、その岩のように硬い頭部で放たれる頭突きは下手すれば一撃で鎧が砕けるような威力。もしも盾を構えていなければクリュウは大怪我を負っていただろう。寸前の所で盾を構えたおかげでディアブロスの頭突きは盾で防いだ。だが、衝撃自体は防ぐ事も逃がす事もできず、彼の体はボールのように吹き飛んだ後、地面の上に落ちる。

 全身を強打して激痛に顔をしかめるが、幸いにも落ちたのは砂の上で大した怪我は負わなかった。だが、背中を強く打った痛みで起き上がるの苦労している彼を見て、すぐにシルフィードとサクラが援護に動く。

 シルフィードは閃光玉を投げてディアブロスの動きを封じ、その隙にサクラが疾風怒濤の勢いで視界を潰されて藻掻くディアブロスに襲い掛かる。

「クリュウ様ッ! ご無事ですかッ!?」

 慌てて駆け寄って来たフィーリアに「だ、大丈夫だよ」と答え、クリュウは立ち上がる。ヘルムを脱ぎ、道具袋(ポーチ)から回復薬グレートを一気に二本飲み干す。口の端に付いた薬を手の甲で拭い取り、再びヘルムを被る。

「あまりご無理はなされないでくださいね」

「わかってる。それより、早く二人の援護に戻ってッ」

「りょ、了解しましたッ」

 すぐさま戦線へと復帰するクリュウを援護するように、フィーリアも走りながら的確な射撃を再開する。クリュウが到達する頃にはディアブロスの視界も回復し、ディアブロスはサクラを狙って突進を仕掛けた。

 黒い煙を口から吹きながら怒りの形相で迫るディアブロスに対してサクラは全速力で横へ移動して回避行動。これを幾分か余裕を残して回避すると、砂の上を滑走して止まるディアブロスに反転して攻撃を仕掛ける。振り返るディアブロスの眼前に突撃し、一瞬の隙を突くように跳躍する。

「……よくもクリュウをッ! この死に損ないがあああああぁぁぁぁぁッ!」

 咆哮と共にジャンプの加速と風を突き抜くような鋭い刺突の一撃。その一撃は吸い込まれるようにディアブロスの左目を貫いた。

「グギャゴオオオオオォォォォォアアアアアァァァァァッ!?」

 すさまじい激痛に悲鳴を上げて大きく仰け反るディアブロス。その衝撃でサクラの体が吹き飛ばされて地面の上に二転三転する。刀を引き抜かれた眼窩(がんか)から夥(おびただ)しい量の血を噴き出して暴れるディアブロス。

 悶えるディアブロスを前にして立ち上がったサクラは、口の中を切ったのか唇の端に血が垂れる。彼女はそれを唾を一緒に吐き出すと、口元に不気味な笑みを浮かべる。

「……たかが片目を失ったくらいで情けない。泣き叫ぶなら、もっと多くのものを失ってからにしなさい愚竜が」

 ディアブロスの片目を潰し、不気味な笑みを浮かべて血に濡れた刀を構えるサクラの姿に一瞬三人は戦闘中だという事を忘れて、その夜叉のような姿に身を震わせた。

 サクラは常日頃から、クリュウが絡むと一切容赦がなくなる。そんなサクラの、本気の怒り。一切の躊躇なくディアブロスの眼球を抉り、不気味に微笑む。大切な人を傷つけられた事に怒り狂う、恋姫。サクラの本気の姿だ。

「……どちらが人外の存在か、あれじゃわからんな」

 あまりにも容赦のない恐ろしい彼女の姿に、引きつった笑みを浮かべながら言うシルフィードの言葉に、隣で銃を構えていたフィーリアが「そ、そうですね……」と顔を引きつらせながら答える。

 左目を失った激痛に苦しみながら、ディアブロスはサクラを睨みつけると、怒りの怒号(バインドボイス)を放つ。この咆哮(バインドボイス)に近づいていた高級耳栓スキルを持つシルフィード以外の三人は耳を塞いで動けなくなる。だが、そんな中でもサクラの隻眼は閉じられる事なくディアブロスを睨みつけ続けていた。

 咆哮(バインドボイス)を終えると、すかさずサクラに向かって突進するディアブロス。だがサクラは体の自由が戻ると同時に走り出す。

 距離的に逃げ切れるものではない。だが、ここで一つの奇跡が起きた。怒り狂いながらずっと全力で戦っていたディアブロスもいよいよスタミナ切れとなったのか、怒り状態が解けて突進の速度が鈍くなっていた。おかげで、ギリギリながらもサクラはこの一撃を回避する事に成功した。

 一撃を回避したサクラだったが、彼女自身も並外れた動きの反動でスタミナが切れかけていた。荒い息を繰り返しながら、いつもなら攻撃に転ずるタイミングでも息を整える事に必死になっている。そんな彼女を横目にシルフィードが単身ディアブロスへ突撃する。

「うおおおおおぉぉぉぉぉッ!」

 勇ましい咆哮を上げて突っ込むシルフィード。ゆっくりと振り返るディアブロスの顔面に向かって、気合裂帛。勢い良く構えたキリサキを力の限り殴りつけるように叩き落とす。

 キリサキの刃がディアブロスの額を割り、血を迸らせ、衝撃で頭が下がる。だが、まるでそれを跳ね返すようにディアブロスは首を勢い良くもたげる。

「ぐわッ!?」

 跳ね飛ばされるシルフィードは情けなく砂の上に腰から落ちる。その背後に、手から零れて跳ね飛ばされたキリサキが突き刺さった。

 シルフィードの一撃を受けたディアブロスは低い唸り声を上げながら脚を砂の上で滑らせ、呼気が黒く染め上がる――その光景に、シルフィードの口元に笑みが浮かぶ。

「ようやく弱ってきたか……」

 ディアブロスは他の飛竜種と違って脚を引きずるなどの弱みを見せない。最後の瞬間まで全力で敵に立ち向かう、そういうモンスターだ。だが、かといって弱っているかどうかを見極める方法がない訳ではない。ディアブロスの場合は、一撃などを入れただけですぐに怒り出した場合がそれに当てはまる。弱っている時こそ自分を強く見せようとする。ディアブロスは、そういうモンスターなのだ。

「ディアブロスは弱っているッ! あと少しだッ!」

 起き上がってキリサキを引き抜くと同時に叫ぶシルフィード。その言葉に三人の表情に希望の光が灯った。

 ――ディアブロスが弱っている。

 それは、これまで必死になって剣を、刀を、銃を振るっていた自分たちの努力が報われる瞬間が近づいている証。この長く苦しい戦いの終焉が、もうじきだというシグナルだ。

 ディアブロスに勝てる。

 圧倒的なその戦闘力を前に一度は絶望しかけた相手。だが、そのディアブロスをあと少しで討伐できる。それは、疲弊していた精神を奮起させるのに十分な起爆剤だ。

「あともう少しですねッ!」

 足場の悪い砂の上を走り回り続けた結果、足は痛いし呼吸は乱れているし、疲れはそろそろ限界に達している。それでもフィーリアはシルフィードの言葉に鼓舞されるように元気を取り戻すと、ハートヴァルキリー改を構える。

「……フン、これくらい余裕よ」

 苦し紛れを言いつつも、チームで最も激しく動き回っていただけあって彼女の疲労はかなりのものだ。乱れた息を整えたとしても、その疲労が消える訳ではない。それでも、あと少しという希望に全てを託し、温存していた最後の力をふり絞るように飛竜刀【翠】を構えた。

「貴様には悪いが、私達が勝たせてもらうぞ」

 弱っているディアブロスを前にしてキリサキを構えるシルフィードの疲れも相当なものだ。慣れない強敵相手に、正直チームの練度としてはディアブロスを相手にするのは少し厳しいものがあった。サクラの奮戦のおかげで当初の予測よりはずいぶん戦況は良かったとはいえ、突破口を作るために何度も危険な立ち回りをしたシルフィードの疲労もまた厳しい。だが、そんな状況下でも勝てる可能性が目前にまで近づいている事実は、気合でそれらをねじ伏せる。

「あと少し……ッ」

 クリュウも砂漠の過酷な環境での激しい戦闘は確実に彼の体力を蝕んでいる。ディアブロスとの立ち回りは命懸けな上、砂漠の気温の異常さや慣れない不安定な足場での全力疾走の数々は、相当な疲労として彼の体に蓄積している。

 皆、長時間の戦闘と慣れない環境に疲労困憊という状況には違いない。それでも、弱っているディアブロスを見て、今にも緊張の糸が切れてしまいそうなギリギリの状態でも武器を構える。

 あと少し。あと少しで勝てる。その目前にまで迫った、ようやく手が届きかけている勝利。やっと、朧気ながら見えてきた希望が、彼らにボロボロな状態でも闘志を沸き立たせる。

 限界を超えた戦い。それもあと少しでを終わる。

 一瞬、皆の視線が合う。疲れているのは皆一緒だ。誰が一番疲れているだとか、そういう野暮な事は考えない。皆、共に戦った仲間なのだから。ただ、一緒に勝利を掴みたい。その想いが、視線となって重なる。

 唸るディアブロスを前に、四人の気持ちが一つになった――みんな一緒で勝つ。その想いが……一つに。

「いくぞ三人ともッ! 一気に畳み掛けるぞッ!」

 シルフィードの掛け声に答えるように三人は返事を返すと、四人一斉に走り出す。

 襲い掛かる四人の狩人を前にどう動くか思考しているのか、ディアブロスはゆっくりとこちらに歩むだけで攻撃の体勢は取っていない。シルフィードはクリュウに右側から、サクラに左側から突っ込むよう、フィーリアにはクリュウの後ろで攻撃するよう指示し、自分はディアブロスの正面から突っ込む。

 ディアブロスを中心に左右中央から一斉に攻撃を仕掛ける。これでディアブロスは一瞬でも誰を攻撃するか迷うはず。その隙に他の全員が一斉に攻撃を仕掛ける。

 首を左右に動かして狙いを定め切れないディアブロスに突撃する中、シルフィードは勝利を確信した。そして、背負ったキリサキの柄を握り締める。

「これで終わりだあああぁぁぁッ!」

 

 ――その確信は、突如として砕け散ってしまった。

 

 シルフィードの指示に従って攻撃を仕掛ける四人。そんな中、ディアブロスの右側から迫るクリュウ。ちょうどエリアの南側にある湖の横を突き抜ける形で走っていた。手はすでにデスパライズを握り締め、接触と同時に剣を振るう構えを取っていた。

 見ると、サクラとシルフィードも同じように武器に手を当てている。ディアブロスは三方向から迫る自分達の誰を攻撃すべきか迷っているのか動かない。シルフィードの狙い通りだ。

 振り返ると、フィーリアが自分の後方から追い掛けてきていた。ハートヴァルキリー改を構え、走りながら弾倉に弾を全装填すると立ち止まり、ディアブロスに狙いを定める。

 一瞬、彼女と目が合った。するとフィーリアは「任せてください」とばかりに瞳を輝かせた。それを見てうなずき、クリュウは正面へと向き直る。

 ピチャン……

 小さな水音が彼に耳に届いた。騒がしい狩場ではそんな小さな音は普通意識していなければ聞こえない。だが、なぜかその音は自然とクリュウの耳に入った。

 何の変哲もない水音。だが、クリュウの胸がひどく苦しく締め付けられる――すごく、嫌な予感がした。

 もう一度、振り返る。

 何の変哲もない水辺。またしても振り返った自分にフィーリアが信じてくださいと言わんばかりにプンスカと怒っているのが見えた。

 ――気のせい、か。

 不審に思いながらも再び正面を向こうとした時――見えてしまった。

 その瞬間、クリュウは反転していた。

 砂を蹴り上げるようにして前進の勢いを消し、全力で逆走する。

 ディアブロスに照準を合わせていたフィーリアはそんな自分の行動を見て目を丸くして驚いている。その様子を見るに彼女は――気づいていない。

 間に合えッ!

 心の中で必死に叫びながら、クリュウは残っていた力を全部注ぎ込むようにして全力で走った。そして、狼狽するフィーリアを突き飛ばす――次の瞬間、彼の体が消えた。

 

「……え?」

 本当に意味がわからなかった。

 突如彼は反転すると、自分に向かって全速力で迫ってくる。ディアブロスに背を向けて、だ。

 どうしてそんな必死な表情をしているのか。

 どうしてそんなに自分に向かって腕を伸ばしているのか。

 ――そして、どうして自分は彼に突き飛ばされたのか。

 自分の体が一瞬宙を舞っている浮遊感。次の瞬間にはきっと腰から砂の上に落ちているだろう。その時には、何をするんだとばかりに怒ろう。そう決めていた。

 だが、自分の腰が砂に落ちる寸前、彼の体が横へと吹き飛ばされるのが見えた。横から突然人間の腕程の太さの水の槍が現れ、彼の体を撃ち抜いた――理性が動いていたのは、そこまでだった。

 砂の上に腰から落ちても、目の前で起きた光景が理解できなかった。ただ、水の槍で吹き飛ばされた彼の体は力なく天を舞い、そのまま落ちる。

 鎧をずぶ濡れにして、ぐったりと倒れる彼の体はピクリとも動かない。

「あ……あぁ……ああぁあぁああぁぁぁあ……ッ!」

 ――そして、理解した。

 

 エリア中に響く少女の絶叫。それは声が千切れるような、まるでこの世の絶望を見たかのような断末魔の悲鳴。

 ディアブロスに向かって突撃していたサクラとシルフィードはその絶叫――フィーリアの悲鳴に思わず足を止めた。

 尋常じゃない彼女の悲鳴に目を向けると、頭を抱えて狂ったように言葉にならない叫び声を上げているフィーリアが砂の上に崩れ落ちていた。そして、彼女の見詰める先には――力なく砂の上に倒れているクリュウの姿があった。

 

「な、何事だッ!?」

「……クリュウッ!」

 勝利を確信したと思った瞬間に響いた仲間の絶叫。振り返ると、勝利とは真逆の絶望的な光景が広がっていた。

 自分と共にディアブロスに向かっていたサクラも、倒れているクリュウを見て彼の名前を叫びながら駆け寄っている。

 一瞬の出来事だった。たった一瞬で、あと少しだと思われていた勝利がずっと先に消えてしまった。

 一体何が起こったのか、シルフィードにはわからなかった――だが、こんな光景を前にも見た気がする。

 あれは彼らと初めて一緒に狩りをした、リオレウス戦の時の事。リオレウスの毒爪攻撃を受けて血塗れになった彼を見て、二人は取り乱し、チームの絆はバラバラに砕け散ってしまった。

 あの時の再現かのように、今自分の目の前にはそんな状況が広がっている。

 あの時とは桁違いに強く結ばれたはずの絆が、またあの時のように砕け散ってしまっている。

 一体、どうして……何が起きたのか……

 

 ――その時、空から光が消えた。

 消えたといっても一瞬の出来事だ。まるで、自分の上を何か巨大なものが通過した、そんな影。

 ハッとなって振り返ると、まるで自分達の無様な状況を嘲笑うかのように見詰めているディアブロスの横、巨大な化け物が砂の上を滑っている。そしてそれは突然起き上がった。

 体高はディアブロスよりも高いかもしれない。大きさもおそらく、ディアブロスよりも一回り弱くらい大きい。全身を覆うのはディアブロスのような鎧に例えられる硬い甲殻ではなく、表面抵抗をできるだけ減らしたツルツルの翠色の鱗。巨大な翼は飛ぶ為ではなく、水中でのパドルの役割を担う為のもの。

 ディアブロスとは明らかに体つきも生態も、そもそも種族も違う巨大なモンスター。鋭い歯が無数に並ぶ裂けた口は、闇夜でもわかる程に真っ赤。まるで血に染まっているかのようだ。

 低い唸り声を上げて、奴はこちらに敵意を向ける。その光景に、泣き叫んでいたフィーリアも、クリュウに向かって走っていたサクラも、そして呆然と立ち尽くすシルフィードも我が目を疑った。そこにいるのは、決して今この場にはいてはいけない存在(イレギュラー)。

 ディアブロスの横に立ち、今まさに戦闘態勢になろうとしているもう一頭の竜。

 

「――ガノトトス……亜種……だと……?」

 

 震える声で、シルフィードは奴の名を口にする。

 

 クリュウを襲い、今まさに自分達に攻撃を仕掛けようと動く巨大な水竜――翠水竜ガノトトス亜種。

 

 あと少しで。あと少しで、ディアブロスに勝てる。

 四人がそう希望を抱き、最後の力を振り絞って最終決戦に挑もうとしたまさにその時、招かれざる竜によって、その希望は脆くも打ち砕かれた。

 泣き叫ぶフィーリアの声だけが、不気味にエリア中に響く。

 走っていたサクラも、呆然と立ち尽くしていたシルフィードも、目の前の絶望的な光景に膝を折っていた。

「まさか、そんな事って……ッ」

 皆、目の前の光景が信じられなかった。

 ――だが、その光景は決して夢でも幻でもない。残酷な現実だ。

 

 満身創痍ながら最後の力を振り絞るように怒り状態のディアブロス。

 突如現れ仲間一人を倒し、そして残る三人の希望も闘志も打ち砕いたガノトトス亜種。

 巨大な二頭の竜を前に、四人の狩人に為す術など無かった。

 

 膝を折り、両腕を砂の上に立てて何とか体を支えているシルフィード。だが、その瞳にはもうわずかな希望の光も闘志の炎もなかった。彼女の瞳を支配するのは――絶望。

 震える唇を動かし、彼女は力なく吐いた。

 

「……もう、無理だよ先生」

 

 夜の砂漠を舞台にした戦いは、勝利の希望が砕け散り、絶望に支配されつつあった。 


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