モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第162話 覚悟を決めた少女の夜襲 二人の絆を妨げる溝

 ディアブロスの狩猟を終えたクリュウ達は再び『イレーネ』に乗り込むと、そこでシャワーを浴びて汗を流した後に食事を摂り、部屋に戻って休む事になった。

 女性陣三人は同じ部屋だが、一応区別するという事でクリュウだけは個室を宛がわれていた。個室と言っても、狭い軍艦の中のものなので当然狭い。が、今の彼にとっては寝る場所であるベッドがあるだけで十分であった。

 クリュウはフラフラと部屋へと戻ると、そのままベッドに倒れ込んだ。全身を包む布団の柔らかさが、痛いくらいの疲労を心地良く癒してくれる。

 そのうち、次第に眠気がやって来た。別に逆らう理由もないので、クリュウはそのままその睡魔に身を任せ、泥のように眠りについた。

 

 疲れのあまり、夢すら見る気力もなく爆睡していたクリュウ。相当な疲れが溜まっていたのだろう。まだ太陽が空の頂点にすら到達していなかった頃に寝始めたが、今ではその太陽は大地の下へと消え、それに代わって月が静かに闇を照らす夜へと移り変わっていた。

 そんな夜。彼の部屋のドアが、ゆっくりと開かれて何者かが侵入してきた。

 暗闇の中、その侵入者はベッドの上で眠っている彼に気づくと、ゆっくりと近付く。そしてそのままベッドの上に乗ると彼を跨ぎ、そして彼の上で覆い被さるように四つん這いになる。

「お、起きなさい」

 侵入者は静かに彼の耳元でそう囁いた。だが、完全に眠り込んでいるクリュウはその程度の声では起きやしない。その証拠に、今も気持ち良さそうな寝息を立てながらぐっすりと眠っている。

「お、起きなさいってば……」

 そっと優しく彼の胸の上に手を起き、揺らし起こす影。だが、そんな事で泥のように眠っている彼を起こす事など、できやしない。

 気持ち良さそうに眠っている彼の姿は実に愛らしくはあるが、その影の人物にとってはむしろ自分の中の葛藤や羞恥心の元凶であるが故に、何の悩みもなく気持ちよく眠っている彼の姿は、腹立たしさすら覚える。

「起きなさいって……言ってるでしょうがッ」

「ごふぅッ!?」

 突如影は怒りに任せて握り締めた拳を眠っている彼の腹部に叩き落とした。その激痛にぐっすりと眠っていたはずのクリュウが飛び起きる。

 激しく咳き込みながら閉じていた瞳を開くと、その光景に彼は絶句した。

 月明かりが静かに照らす部屋の中、横になっていた彼の上に覆い被さるように四つん這いになっているのは一人の少女であった。月明かりの下でもわかる程に頬を赤らめ、瞳はキラキラと輝かせて、覆い被さる少女。

 いつもならこんな事をするのはサクラかリリア辺り。百歩譲ってフィーリアかエレナ辺りだろう。だがそんな彼の予想に反して、自分の寝込みを襲ってきたのは予想だにしない人物であった。

「で、デーニッツ……?」

 目の前にいたのは月の光を浴びて神々しく煌く黒髪の少女。碧色のいつもは凛とした瞳を、今はどこか柔らかげに揺らしている。見ると、彼女のトレードマークとも言うべき知的気な銀縁のメガネが外されている。それが余計にいつもの姿とのギャップとして、今の彼女を輝かせていた。

「やっと起きたのね」

 デーニッツは不機嫌そうにつぶやいた。だが、クリュウは目の前の光景を理解できずにいた。そんな彼の困惑ぶりなど露知らず、カレンは身を起こして乱れた髪を整える。だが相変わらず彼の上に跨るのはやめない。

「え、えっと……何事でしょうか?」

 困惑しながらも、とりあえず状況の説明を願うクリュウ。だが、そんな彼の問い掛けを無視してカレンはしきりに髪を撫でて整えながら、彼の方をチラチラと見詰める。

「あの、デーニッツさん?」

「な、何よ――あ、あなた」

「……はい?」

 寝起きで頭が回っていないせいか、彼女が何を言っているのか理解できなかった。今自分は、おかしな呼び方で呼ばれなかったか? というか、それ以前に出撃前までは敬語を使っていなかったか?

 様々な疑問が頭の中で渦巻いて困惑しているクリュウに対し、カレンは彼の上に乗ったまま何やらもじもじとしている。そんな彼女の姿を見て首を傾げながら視線を落とし――絶句する。

 今まで驚きのあまりずっと彼女の顔を凝視していたクリュウ。だが、ここで初めて視線を落として彼女の全体の姿を見てしまった。そして、その光景にクリュウは顔を真っ赤にして言葉を失ってしまう。

 ――カレンはなぜか、エプロン姿だった。それも、ただのエプロン姿ではなく、それ以外何も身につけていないという、衝撃の格好だ。

 絶句し、見惚れている訳ではなくただ単に衝撃の光景に硬直しているクリュウ。そんな彼の視線を受け、カレンの顔が真っ赤に染まる。

「じ、ジロジロ見るな……ッ」

 そう怒って、カレンはクリュウの首を締めようとする。が、そう簡単に寝込みを襲われて暗殺される訳にもいかず、クリュウは逃げるように跳び起きた。が、

「キャッ!?」

 当然、彼の上に跨っていたカレンを布団ごと吹き飛ばしてしまう。ベッドの上に腰から落ちたカレン。起き上がった事と、バランスを崩した事で余計にエプロンが乱れて素肌の面積が広がってしまい、結果的にクリュウは月明かりの下で彼女のあられもない姿をまじまじと見てすまう結果になる訳で……

「あ……」

「……うぅ」

 双方共に言葉を失い、ただただ顔を真っ赤に染めて見詰め合う。お互いに恥ずかしくて仕方が無いのだ。

 最初に視線を逸らしたのはクリュウの方だ。今しがた自分に掛かっていた毛布をスッと彼女の方へと差し出す。

「と、とにかくこれを巻いて。そんな格好じゃ、まともに話もできない」

「う、うん……」

 カレンは小さな声で従い、彼の言う通り毛布を体に巻く。これでようやく向き合えたのだが、これはこれで何だかいけない格好に見えて困る。が、裸にエプロン一枚という暴挙よりはマシだろう。クリュウはわざとらしく咳払いしてから、起きてからずっと抱いていた疑問をぶつけてみる。

「えっと、僕に何か用かな?」

 いきなり夜襲を受けたのだ。何かしらの理由があると考えるのが妥当だろう。

 理由を求める彼の問い掛けに対し、カレンは視線を逸らす。言いづらそうに口を何度も小さくパクパクとさせるが、明確な言葉は一向に出て来る気配はない。仕方なく、今度は別の質問をぶつけてみる。だがそれはむしろより双方にダメージがある問い掛けであった。

「そ、それと――な、何でそんな格好をしてるの?」

 口に出すのも恥ずかしそうに問い掛けると、カレンはビクッと体を震わせて明らかに動揺する。先程の質問以上に言いづらそうに視線を逸らしたまま、顔を真っ赤にさせている。

 少しの間待ってみたが、それでもやはり彼女の口からは何も語られない。どうしたもんかとため息を零し、頭の中で逡巡していると、それまで視線を逸らしていたカレンがしっかりとこちらを見詰め返してきた。そして、ゆっくりと口を開く。

「――わ、私と結婚しなさい」

 待ちに待った彼女からの返答はあまりにも突拍子がなさ過ぎて、クリュウは思わず「……え?」と素で聞き返してしまう。すると、そんな彼の反応に腹が立ったのか今度はより大きなハッキリとした声で「私と結婚しなさい」と再度宣言する。

「け、結婚……?」

「そ、そうよ」

 恥ずかしいには恥ずかしいのだが、それ以上に困惑が勝っているクリュウは頭を抱えながらもう一度確認してみる。だが、カレンからの返答は変わらなかった。顔を真っ赤にしたまま、なぜか上から目線で求婚してくる。

「ど、どうして僕なの? それに、僕君に嫌われるような事はしたけど、好きになられるような事をした覚えはないんだけど……」

 自分で言ってて情けなくなってくるが、それは紛れもない事実だ。

 彼女と出会って一週間、自分が彼女にした事と言えば少し相談にのってもらったのと――事故ではあるが彼女のファーストキスを無理やり奪ってしまった事。とてもじゃないが、嫌われても結婚を申し出られるような好意を抱かれる事は一切ない。

「な、何かの冗談……とかじゃないよね?」

「冗談で結婚を申し出たりしないわよ」

 ピシャリと怒られ「だよねぇ~」とクリュウは苦笑を浮かべる。だが、結果的に余計に混乱に拍車がかかる。だとすれば、一体何が彼女にそういう決意をさせたのか。微塵もその理由に思い当たりがないクリュウは必死に考えるが、当然答えなど見つかるはずもなく。

「と、とにかくあんたと私は夫婦なのッ。ふ、夫婦なら夜は共にするのが常識じゃない」

「ま、間違ってはないけど唐突過ぎるでしょッ! 色々な過程を飛ばし過ぎだよッ!」

 話がまるで見えない上に跳躍し過ぎてもはやついて行くだけで必死のクリュウ。寝起きでこれほどまでに頭をフル回転させたのは初めてだ。

「そ、それでその格好の意図は?」

 頭を抱えながら指を挿して問うのは彼女の格好。なぜ、エプロン一枚以外何も身につけていないのか。彼の問いかけに対し、カレンは顔を真っ赤にしたまま小声で答える。

「こ、こういうのを男の人は喜ぶって、宣伝大臣が……」

 頭の中で、あの妖艶な笑みを浮かべる大臣の顔が思い起こされる。明らかにこういう事柄に耐性のない彼女に間違った知識を教えているらしい。と、会って間もないというのに何となくの流れが想像ついてしまう。

「いや、まぁそういうのを喜ぶ人もいるにはいるけど、僕はあまり……」

「大臣の言う通り、ちゃんとニーソックスも着用してるし……」

「……もうどこからツッコミを入れるべきなのやら」

 彼女のように真面目な人間ほど、こういった間違った知識を信じ込んでしまいやすい。本気でそう思っているからこそ余計に正すのが面倒だし――的確に似合っていたりすると余計に厄介だ。

「あ、あのさ。どうしてまた突然結婚しようなんて言い出したの? そういうのに発展する程、僕達はまだ全然親密になった訳じゃないと思うけど」

 とにかく、まずは一番の疑問がそこであった。告白されるにしても、あまりにも自分達は接点がなさ過ぎる。自分にそんな魅力があるかどうかわからないが、一目惚れという可能性もあるだろう。だが、それにしては出発時までの態度が説明できないし、そもそも今とではまるで態度が違い過ぎる。一体、自分達がディアブロスと戦っている間に何があったのか。

 そんな風な考えと共に彼女に尋ねると、カレンは驚いたような表情になって彼を見詰める。

「な、何言ってんのよ――き、キスしたじゃない……ッ」

「……ッ!?」

 口に出して言うのも恥ずかしいのだろう。顔を真っ赤にして目を合わせられずにいながらも小声で叫ぶ彼女の言葉に、その光景を思い出してしまったクリュウも顔を真っ赤にして押し黙ってしまう。

「いや、だからあれは事故だった訳で……」

「じ、事故だろうと奪ったじゃない――大切な、ファーストキスを……」

 恥ずかしそうに顔を赤らめながら言う彼女の言葉にクリュウは言い返す事ができない。事故だったとはいえ、彼女にキスしてしまった事は事実に変わりはないのだから。

 言い返せずに押し黙る彼を見詰めながら、カレンは静かに言う。

「――キスは婚姻の証。キスしてしまった以上、私達は結婚しなくちゃいけないでしょ」

 彼女の言葉を聞いてようやく状況を理解した。どうやらエルバーフェルドにはキスしてしまったら絶対結婚しなくてはならないという法律か風習でもあるのだろう。だからこそ彼女は覚悟を決めてここに来た。

「いやいやいや……」

 だが理解はできたとはいえ、とてもじゃないが許容できるものではない。事故とはいえキスしてしまった事は事実だが、だからといってまだ会って間もない、しかもほとんどお互いの事を話した事もない女の子といきなり結婚しようだなんて無理な話だ。例え、カレンが美少女だとしてもだ。

「何迷ってんのよ。婚姻の証をしてしまった以上、私達の結婚は絶対なのよ。本人の望む望まずに関係なく。常識でしょ?」

「……いや、少なくともドンドルマ方面の中央地方付近ではそんな常識は聞いた事ないよ」

「え……?」

 頬を掻きながら困ったように言う彼の言葉に、カレンは目を見張る。彼女の言動や今の反応を見る限り、どうやらその風習がとても局地的なものだと知らなかったらしい。まぁ、気持ちはわからなくもない。自分の地元の常識が、一般常識とは違っている事など地方出身者ならよくある事だ。国によって風習や文化が違うのもまた同じだ。

「僕も、村の常識がドンドルマで通じなくて苦労したもんなぁ……」

 苦笑しながら思い起こされたのは、雪国である為に豊富な水源を持っていたイージス村と上下水道が整ってはいるが水の制限が厳しいドンドルマでの使用できる水の差だ。今でこそ新たな水源から水を引いたおかげで難なく生活できるが、ちょうど自分がドンドルマに渡った頃はまだその工事中だったので水の制限が厳しかった。そこで普通に水をジャブジャブ使っていてフリードに激しく怒られてしまった。後にも先にも、教官にあれほど怒られたのはあの時だけだ。

「そ、そんな……夢のない世界ね」

「夢かどうかわからないけど、とりあえずキスすれば結婚できるって考える強硬手段というか既成事実を作ろうとする輩は生まれないだろうね」

「……ッ!? あ、あんたまさか……ッ」

「僕は違うよッ! あれは明らかに事故だったでしょッ!?」

 明らかに引いているカレンの誤解を解こうとクリュウは必死になるが、そんな必死になる彼を前に「それはまず置いとくわよ」とクールにカレンは話を切り替えてしまう。

「……いや、できれば無造作に置いといてほしくないんだけど」

「とにかく、私はエルバーフェルド人なの。郷に入れば郷に従って」

「いや、でもさ……」

「――キスしたのに結婚しないなんて、女性にとってはこれ以上ない屈辱なのよ」

 涙目になってつぶやく彼女の言葉に、クリュウは返す言葉も無く黙ってしまう。そりゃ、好きでもない相手と結婚する覚悟をするくらいなのだから、その風習とやらの強さ、そしてそれを破棄された時の屈辱というのも本物なのだろう。一人の少女にそれほどの覚悟をさせる事を、自分はしてしまったのだ。

「……あんたが覚悟を決めてくれなきゃ、私一人が道化になるじゃない」

「……デーニッツ」

 自分のせいで一人の少女をここまで追い詰めてしまっている。その光景は彼の心を痛めさせるが、だからといって他の解決策は思いつかない。あるのは、彼女と結ばれる他はないのだ。

 涙目になって自分を見詰めてくるカレンを凝視しながら、クリュウは必死に考える。おそらく、無かった事にしようという提案は却下されるだろう。そんな事が可能ならとっくに実行に移しているだろうし、女性はファーストキスを無かった事にきっとできないだろうから。

 だが、幸か不幸か周りに女子が多い為に普通の男子よりもこういう事に対する経験が多いクリュウ。その思考力がフルに発揮された時、とても解決策とは言えないが、とりあえずの応急処置というか、延命策が思いついた――だがこれは自分にとっては最大級の打撃であり、しかし最大級の必殺技でもある一撃。

 言葉にするのに躊躇はある。だが、これがお互いにとって最も平和的で、そして今自分ができる最善の策だった。

 この際、プライドなんて捨ててしまおう。そもそも最近は本当に失いつつある身だ。ある意味、これ以上失う事はないだろう。

「デーニッツ。聞いて」

 覚悟を決め、伏せている彼女の名を呼ぶ。彼女の瞳が自分に向けられると同時に深呼吸し、そしてその必殺技を口にする。

「……じ、実は僕――本当は女なんだ」

「……はぁ?」

 ――言ってしまったぁ。これでもう後には引けない。

 自分の最大級のコンプレックスである、少女じみた顔立ち。周りからかわいいとか言われ、学生時代には文化祭で女装をさせられ、先日のヴィルマでは女装したままアイドルの真似事をやったりと、自分にとってはまさに男の尊厳を破壊し尽くしたトラウマ。だが、今はこの女っぽい顔立ちが、自分と、そして彼女を救う唯一の手段だ。

 クリュウが考えた策。それは自分が女であるとウソを貫き通し、女同士ならノーカンとする、まぁ彼女を騙す逃走策。これなら結婚話はなくなり、彼女もこれから出会うであろう本当の運命の人と幸せになれる道が残される。今の自分にできる、最善の策だ。

 退路は経たれた。ならば、前進あるのみ。

「あ、あんた何言ってる訳?」

 困惑しながらも呆れている様子のカレン。そりゃ、さっきまで男として認識していた相手をいきなり女として見ろと言っているのだ。信用なんてできないだろうし、そもそも大胆というか無茶苦茶なウソだ。

「いやさ、ハンターって職業は職業柄男所帯みたいな所が強くて……。女ってだけで弾かれたり無能扱いされる事もあるんだ。だから、男と偽れば対等になれるかなぁって」

 これはある意味事実だ。ハンターの世界は結局は力押しの世界であり、力がある者が強者となる。すると、どうしても単純に女性よりも力のある男の方が全体としては優位になる。結局は男性が主力となってしまう。

 一部の、エルバーフェルドやアルトリアのような女性権力者が実権を握る国を除き、全世界的にはまだ男尊女卑の風習は残っている。最近はずいぶんと男女平等を目指してそのような女性差別は緩和されたが、それでも一部では根強く残っている部分もある。

 クリュウの説明に対し、カレンは半信半疑という感じだ。まぁ、半分信じてくれているだけありがたいと言うか、悲しいと言うか。とにかく、彼女自身もそういう経験があるのだろう。軍隊という組織は基本的にはどこの国もハンター以上に男性主流の世界。実力はあっても権力を持つレベルになるのはそう簡単な事ではない。

「だから、男と偽ってこの世界に入ったんだ」

「……一理はあるわね。でもだからって、今まで男と認識していた相手を女と改めるだけの証拠能力はないわ」

 そりゃそうだろう。普通は信憑性もない話だ。というか普通は外見でそんな大ウソはバレるものだ。だが、悲しい事に自分にはその常識を打ち破るだけの実力がある。

「証拠だったら僕の容姿で説明できないかな――こんなかわいい男が、いると思う?」

 自分で言ってみて、情けなくて泣きそうになった。本気で男としての尊厳を失いそうだ。

 聞きようによっては自信過剰にも聞こえる発言だが、残念な事に彼の容姿は本気で女装を目指せば壮絶美少女になれる要素満載なので、不思議とそういう風には聞こえない。

 心の中で泣きながら、クリュウは精一杯の女の子らしい、かわいらしい笑顔を浮かべる。フィーリアやサクラ辺りが見たら鼻血を出して倒れそうな、そんな破壊力抜群の笑顔。だがカレンはそれをジッと見詰めたまま無言を貫いている。

 やっぱり、無茶な話だったらしい。そもそも、男性に見てほしいから男装をしている設定なのに、「こんなかわいい男が、いると思う?」という問いかけは、そんな設定を見事に無視したものだという事にも、彼は気づいていない。

 設定に無茶がある上に、突拍子もなさ過ぎる。どうやら、自分で自分を傷つけただけに過ぎなかったらしい。それだけでも、心の中では号泣ものだ。

「ご、ごめんッ。今のはウソッ」と慌てて謝ろうとした時だった。

「プッ……、アハハハハハッ」

 突然、カレンが声を上げて笑い出した。なぜ笑われるのか、その理由の見当がつかないクリュウは困惑しながら黙って笑っている彼女を見詰めるしかない。しばらくそうして見ていると、浮かんだ涙を拭いながら「ごめんごめん」と彼女が謝る。

「いや、おかしいなぁとは思ってたのよねぇ」

「な、何が?」

「男にしてはずいぶんとかわいい容姿をしてるからさ。でもそういう男も中にはいるのかなぁとは思ってたけど。そっかそっか――あんた女だったんだ。それなら納得ね」

 うんうん、となぜか納得したようにうなずく彼女をポカンと見詰めるクリュウ。どうやら、自分のこんな無茶苦茶なウソを信じてくれたらしい。信じられないような展開だが、事実のようだ――心の中で、また泣きそうになるが。

「あ、あははは、そ、そうなんだよねぇ」

「なぁんだ。女同士ならキスは婚姻の証にはならないわよね。それならそうと早く言ってくれればいいのに」

「ご、ごめん。やっぱりそう簡単に女だってバラす訳にはいかなくてさ」

「まぁ、そりゃそうよね。なぁんだ、知らないも同然の男なんかと結婚する覚悟まで決めたのに、損しちゃったわよ」

「ご、ごめんねぇ」

「――まぁ、あんたのお嫁さんになるんだったら、いいかなぁって思ってたけどね」

「……へ?」

 ほっとしたのも束の間。突然彼女の口から飛び出した言葉にクリュウは思わず目を見張る。すると、そんな彼の反応を見てカレンが頬を赤らめながら照れたように言葉を続ける。

「そりゃ、最初はあんたの事を認めてなかったし、恨んだ事もあったわよ? でもさ、実はずっとあんたの活躍をこの船から見てたの。見た目はすごく頼りなさ気だけど、ディアブロスと戦うあんたすっごくかっこ良かったわ」

 笑顔で言う彼女の言葉に、クリュウはカァッと顔を真っ赤にさせ慌てて顔を伏せた。そんな風な事を真正面から言われると、嬉しいやら恥ずかしいやらで顔を上げていられない。

 自分の発言でどう反応したらよいやら困っているクリュウの様子に気づく事なく、カレンは続ける。

「だから、あんただったらお嫁さんになってもいいかなぁって。優しそうだから、不幸になる事はないかなぁって思ってさ。でもそっか、女の子だったんだ。ちょっとガッカリ」

 そう言って肩を竦ませる彼女を見て、騙している事に多少の罪悪感は感じる。でも、きっとこれが最善の策だったのだろう。そう信じる他はない。

「でも、むしろ良かったわ」

 清々しい笑顔を浮かべて言う彼女の言葉に、クリュウは「何が?」と首を傾げた。すると、カレンは静かに彼を見詰める――だが次の瞬間、その瞳の色が変わったのをクリュウは見逃さなかった。

「――だって私、男よりも女の子の方が好きなんだもん」

「……へ?」

「という事で、あんたは私の嫁決定ッ! 改めて結婚を申し付けるわ」

 ビシッと自分を指差して高らかに宣言するカレンの言葉。クリュウがその意味がわからず困惑していると、カレンは突然クリュウに勢い良く抱きついてきた。

「ちょ……ッ!?」

「んぅ~、男装を決起するだけあって平らな胸ねぇ。でも、そんな所も愛らしいわね」

 胸元で気持ち良さそうに頬擦りするカレンに、クリュウは顔を真っ赤にして固まる。忘れていたが、今の彼女は布切れ一枚しか身に纏っていない。先程まで纏っていた毛布は見事に跳ね飛ばしてしまっている。

「ちょッ!? そんな格好で抱きつかないでよッ!」

「何でよ。女同士なんだから別に構わないじゃない」

「そ、それとこれは話が別だよ……ッ」

 慌ててカレンを引き剥がそうとするが、ガッチリと抱きつかれてしまっていて逃れられない。そればかりか、無理に抵抗すれば自分が男であると疑われてしまう可能性もあり、下手に抵抗出来ず本気で引き剥がせない。つまり、されるがままという訳だ。

「あんたみたいな嫁をゲットできるなんて。私ってはやっぱり運がいい?」

「ちょ、ちょっと待ってッ! 結婚の話は女同士だから無かった事になったんじゃないのッ!?」

「うーん、まぁ女同士だからノーカンってのはその通りだけど。やっぱり、それでもあんたは私の初めての人だし」

「そ、それはそうかもしれないけど……そもそも、女同士じゃ結婚出来ないでしょッ!?」

「別に書面に縛られる必要はないじゃない。同棲って形でも私は構わないし」

「僕は構うのッ!」

 もはやこっちの話などまるで聞いていないかのように次々に話を進めてしまうカレン。瞳はすっかり本気の色に染まっていて、冗談ではなさそうだ。というか、初めて会った時とずいぶんキャラが違うように見えるが。

「ちょ、ちょっと待ってッ! そうだとしたら君がそういう感情を抱く矛先は総統陛下じゃないのッ!?」

 思い出したようにクリュウは叫ぶ。確かに、彼女はずいぶんとフリードリッヒに陶酔していた。むしろそういう感情を抱くのは彼女に対してではないのか。

 すると、そんな彼の発言にカレンは呆れたような表情を浮かべた。

「そりゃ、総統陛下の美しさはすばらしいわ。人徳もあるし、カリスマ性もすごい。才色兼備、まさに最高の美少女よ――でも、私には高嶺の花過ぎるわ。アイドルってものは、神格化の対象であって、敬愛し、崇拝すべきもの。決して、パートナーにはなれないわ」

 ため息混じりに言う彼女の言葉は、どこか淋しげだ。どんなに努力して、尊敬する人の傍にいても、結局は自分とは住む世界が違う。距離を、壁を感じてしまう。見上げるのには眩くても、平等に見詰めるには恐れ多過ぎる。結局、対等な関係には決してなれない。そう、彼女は気づいているのだ。

「でも、あんたなら平等でしょ? 私、女の子を見てかっこいいと思ったのは総統陛下とあんただけ。だから、私はあんたを嫁にするって決めたの」

 そう言って楽しそうに笑う彼女は、実に少女らしい。その姿に、一国の軍最高司令官という重みはない。ただ単純に、楽しくて仕方がない、そんな印象を受ける。その笑顔はまさしく《可憐》。一瞬そんな彼女の笑顔に見惚れてしまう。すると、そんな彼の反応を見てカレンはニッと笑う。

「それにあんたは私と同じでしょ?」

「お、同じって?」

「瞳を見ればわかる――あんたも私と同じ、女好きなんでしょ?」

 ……そりゃ、男ですから。女の子が好きというか、気になるのは当然です。ただ女()好きと、間に一文字を入れてくれないと、単純に節操のない人間に聞こえてしまうが。

「なるほどねぇ。だからあんた達って珍しい女の子だけのチームなんだ。何それ、両手に華? 食べ放題じゃない」

「……卑猥な発言しないで。そういう目で僕は仲間を見てないし」

「またまたぁ、満更でもないんでしょ?」

「……う、うるさい」

「――でも、あんたはこれから私の嫁になるんだから、私以外の女を見るのはダメ」

 そう言ってカレンはクリュウの両頬を両手で掴むと、そのまま彼の唇に自身の唇を当て押し倒す。

 今度は事故ではない。クリュウは何が起きたのかわからず硬直するが、そんなのお構いなしにキスを続けたままカレンは彼の体を抱き締める。

 長い事そうして口を封じた後、ゆっくりと離し、微笑む。

「――あんたって不思議ね。あんたと話していると、何だか自然と本音をしゃべれちゃう。何でだろうね?」

「し、知らないよッ。というか、そろそろ離れてッ」

「んもう、冷たいわね。今時ツンデレって古くない?」

「いつ僕がデレたッ!?」

 クリュウは思わず頭を抱えた。状況打破の為に苦手なウソをついて難を逃れたと思ったら、むしろ余計におかしな方向へと状況が暴走してしまっている。何だか、自分のやった事が尽く裏目に出てしまっているようだ。

「と、とにかくッ。僕は君とそういう関係にはならないッ!」

 ハッキリと、クリュウは断りの言葉を言う。すると、そんな彼の言葉にカレンの表情が陰る。

「……私じゃ、嫌なの?」

「嫌というか、第一僕達はお互いの事を知らな過ぎるでしょ。僕は君の事を全く知らない。なのに、いきなり好きになるとか無理だよ」

「私はあんたの事が知りたい。あんたが私の事を知りたいなら、全部教えるし捧げる覚悟はできてる」

 さっきまでのどこかふざけた表情ではなく、本気の瞳を向けながらそう断言するカレン。その瞳の光を見るだけで、彼女が冗談じゃない事がわかる。だからこそ、クリュウも真剣に答えた。

「そういうのは、もっと親しくなってからにしようよ。だからさ、まずはその……友達からじゃダメ?」

 言いながら、自分がいかに情けない発言をしているか身に染みる。それは典型的なお断り文句だ――そして、この文句に似た言葉で、自身も傷ついた事もある言葉だ。それを、自分を女と誤解しているとはいえ本気で告白する女の子に向けている。何とも居心地の悪い空気だ。

 しばらくの沈黙。まるで、クリュウの言葉に馴染むようにカレンは沈黙を続ける。問いかけた側であるが故に、クリュウも声を掛けづらく、二人の間に微妙な空気が流れる。

 数分にも感じられた沈黙は、しかし現実には十数秒程。ゆっくりと、うつむかせていた彼女の顔がもたげられた。

「……そうね。友達から、一歩ずつ」

 そう噛み締めるように、彼女は小さく微笑みながらつぶやいた。その笑顔はどことなく淋しげ。彼女にそんな顔をさせてしまった事に罪悪感はあるが、だからと言って半端な気持ちや口先だけで答える方がもっと傷つけてしまう。

 安堵と共に、そんな気持ちが彼の顔を暗く染める。すると、そんな彼の頬をそっとカレンの細い手が撫でた。顔を上げると、そこには微笑む彼女の姿があった。

「でもさ、どっちにしてもあんたは初めての人なのよ」

「どういう意味?」

「……私にとってあんたは――初めての友達だから」

 まるでそう口にするのが恥ずかしくて、でも嬉しくて。そんな様子で照れ笑いを浮かべる彼女の至近距離の笑顔に不覚にも一瞬ドキッとしてしまう。そんな彼の反応を見て、カレンはイタズラっぽい笑みを浮かべた。

「やっぱりあんたも女が好きなのね」

「……否定はしないけどね」

 視線を逸らしながらそう答えておく。ウソではないが、当然はぐらかす他ないのだ。そんないじめ甲斐のある彼の反応を見て嬉しそうに微笑むと、そっと彼の頬に唇を押し当てる。

「と、友達なんじゃないのッ!?」

「そうよ? 友達同士なら頬キスくらい当たり前じゃない」

 当然でしょと言いたげな反応を見せる彼女を見て、ここでも地域の差というものを思い知らされる。そういえば、西竜洋諸国の人間は同性または異性の親友に対して頬に唇を当てるという習慣があるらしい――以前、ガリアの地でシャルルに頬キスをされた際に、その理由を調べた際に見つけた知識だ。ガリアではこれをビズと言うらしい。

 ……ちなみに、その知識のせいで彼女の勇気ある行動を彼が完全に誤解してしまった事は悲しい事故だったりする。

「ぼ、僕の地方ではそういう風習はないからビックリして……」

「不思議な所ね。じゃあ、頬キスに変わるものって何よ?」

「いや、特にはないかな……うぅん、手を繋いだりとか?」

「エルバーフェルドはガリアの人間程ビッチじゃないけど、あんたの所ってずいぶん謙虚なのね」

 異文化と自分の文化の違いに素直に驚いているカレン。だが、そんな彼女の言葉にクリュウから笑顔が消えた。

 わかっていた事とはいえ、やはりエルバーフェルド人はガリア人に対して容赦のない暴言を吐く。それは、ガリア人に大切な後輩や、キャンディを始めとしたアルザス村の人達。さらには村の場所や行き方を教えてくれたブレストの人々、アルザス村までヒッチハイクで乗せてくれた人達など、多くのガリア人に接した事のあるクリュウにとっては正直耐え難いものだった。

 クリュウが突然黙り込んだのに気づいて、カレンが「どうしたの?」と声を掛けてきた。

 ……頭ではわかっている。エルバーフェルドはかつてガリアの非道な行いに苦しめられて以来、ガリアを敵国として国民に対して憎むように教育してきた。そんな国に暮らしていれば、主体的な理由がなくても憎むようになる。それに加えて彼女は父をガリア軍との海戦によって失っている。他の人にはないような主体的な理由もある。

 彼女がガリアを憎むのはわかっている。でも彼女を始めとしたエルバーフェルドの人々のガリアへの暴言は、どうしてもあの脳天気なかわいい後輩、ガリア人のシャルルをバカにされているように聞こえてしまうのだ。それが、実に腹立たしい。

 今まで、どんなにガリアの暴言を吐かれても我慢してこれた。だが、自分の事を《友達》だと言ってくれたカレン。自分も、彼女の事を友達だと思い始めていた所だ。だからこそ、友達がそういう発言をする事だけは、どうしても耐えられなかったのだ。

「……デーニッツは、ガリアが嫌い?」

 つぶやくように、クリュウは問い掛ける。

「ガリア? そりゃ、この国の人間なら誰もが憎んでいるわ。私自身、父親を奴らに殺されてるし。それに加えて私は軍人。敵性国家を好きになんて思える訳ないじゃない」

 当然の事のように、カレンは答える。エルバーフェルド人にとって、ガリア嫌いはそれだけ普通の事なのだ。だからこそ腹立たしくて――そして悲しい。

「……僕は、ガリアに大切な後輩がいる。それに、幼なじみの両親がガリアで世話になってる身だ」

 クリュウから発せられた、小声でもハッキリとした言葉。それを耳にした途端、カレンの顔からも笑顔が消えた。

 ――明らかになった、自分達が決して相容れない思考。二人の間にあった、巨大な壁。それはまさに、二人の結びかけていた絆の糸を寸断してしまう程、二人の決定的な違い。

「君達エルバーフェルドの人間がガリアを恨む訳はわかる。そういう環境が構築されているという事も知っている。でも、百聞は一見に如かず。ガリア人は決して、君達が思っているような人達じゃない」

 それは、資料や言伝で知る事ができるものではない。自分の経験から断言できる結論だった。百聞は一見に如かず。ガリア人は決して彼女達が思っているような非道な人々ではない。とても陽気で、笑顔に溢れている人々だ。

「……ガリアを擁護するような意見。この国では決して口に出してはいけません。ましてや、軍人の前では」

 先程までとは違う、冷たくて硬質な声。いつの間にか、彼女は最初に会った時のように冷たい軍人の顔に変わっていた。口調も、彼女の本性である明るい女の子のものではなく、冷酷な軍人口調に変わっていた。

「あなたがどのような思考をお持ちであろうと、結局は外部の人間。そこに我々の思想や信念を押し付けるつもりはありません――ですが同時に、あなた方のそれも我々に押し付ける権利はありません」

「カレン……」

「……わかってください。私はエルバーフェルド海軍総司令官。敵性国家を好きになる事などできません。ましてや、私は父を奴ら蛮族に殺され、母はそのせいで体調を崩して病死しました。憎むな、という方が無理な話です」

 カレンの言う通り。彼女は特にガリア人を憎むだけの理由がある。両親共に、ガリアに殺されたようなものだ。それなのに、そのガリアを憎むなという方が無理な話だ。だから、クリュウもあえてそれ以上は何も言わなかった。

 自分には、彼女を止める事はできない。自分は、何も知らな過ぎる。だからせめて、自分の考えだけ言ってみただけだ。それで何かが変わるとは決して思ってはいない。だが、本当に友達になるなら、互いの根幹にある相容れない考えは、隠し通すものではない。

 ――だから、次に彼女が言う言葉も、何となく予想できていた。

「……ごめん。やっぱり、あんたとは友達にはなれないわ」

 悲しげな表情でそう言い残して、彼女はベッドの下に置いてあったマントで体を隠すと部屋を出て行った。ゆっくりと閉まる扉が、ガチャリと完全に閉まると同時に、半身を起こしていたクリュウはそのまま倒れるようにベッドに横になる。

「……話の規模が、大き過ぎるよ」

 暗い天井を見上げながら、クリュウは力なくそうつぶやいた――自分の無力さが、どうしようもなく情けなかった。


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