モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第177話 ロレーヌの真実 二人の想い交差する夜空の軌跡

 美しい満月が光り輝く夜の空。星々の煌きが瞬く中を、数隻の飛行船が大地に降り注ぐ星々の煌きを反射しながらゆっくりとした速度で航行していた。そのうちの一隻は全長実に三〇〇メートルを超え、鈍色の船体からは無数の大砲が迫り出している。

 王軍艦隊第一戦隊所属、飛行戦艦『ドレッドノート』。王軍艦隊旗艦である『プリンセス・オブ・アルトリア』の姉妹艦であり、プリンセス・オブ・アルトリア級飛行戦艦二番艦。王軍艦隊の主力戦艦の一隻だ。

 船体側面や硬式気嚢の側面からは大小様々な無数の大砲が顔を覗かせており、最大片舷で三〇門を超える大砲を一斉掃射できる。他にも対地攻撃用の投下爆弾も無数に搭載しており、この一隻だけで中規模国家なら数日で攻略できるとまで言われる、アルトリア王政軍国の象徴とも謳われる一隻だ。

 飛行戦艦『ドレッドノート』を中心に三隻の飛行駆逐艦が護衛する形で航行している。『ドレッドノート』に比べれば小さく感じるが、これでも八〇メートルはある。諸外国では十分大型艦として通じるような船だ。

 彼らは首都近辺の夜間偵察艦隊だ。敵対国家がアルステェリアまで来るとは思えないが、それでもこうして毎日首都近辺は王軍艦隊の艦艇が警備の為哨戒している。ただし普通はこういう役目は駆逐艦が担うのだが、今回はここ一ヶ月内燃機関の調子が悪かった『ドレッドノート』の修理が終わったので、そのテスト航海も兼ねている為、滅多に見られない戦艦による哨戒活動が行われているのだ。

 

 戦艦『ドレッドノート』第一艦橋。艦の頭脳とも言うべきここは航海から戦闘に至るまでの全指揮を行う場所。戦艦ともなればここに艦隊司令長官がおり、艦隊全てを指揮する場所にもなる所だ。

 戦艦『ドレッドノート』艦長はヘルガー・ウォースパイト少将が任命されている。同期達が皆艦隊司令官や参謀長、空軍参謀本部や王軍参謀本部などの幹部、空軍大学校の校長など重役に就いている中、一貫して現場での艦長を貫く初老の軍人。戦艦クラスの艦長は通常大佐が任命されるのだが、彼は特例として少将ながら艦長を務めている。それも、王軍艦隊の象徴とも言うべきプリンセス・オブ・アルトリア級飛行戦艦の一隻、飛行戦艦『ドレッドノート』の艦長を。

 穏やかな人柄でありながら、時に厳しく兵士達を統率するその様から兵士達の信頼も厚く、皆から王軍艦隊の父親的存在として現場での指揮官を貫いている男だ。

 ヘルガーはいつもと変わらぬ順調な航海に満足そうに穏やかな表情を浮かべながら司令官席に腰掛けて優雅に紅茶を嗜んでいた。

「艦長。我が艦隊の後方七時の方向に所属不明艦を発見しました」

 そんな彼の優雅なティータイムを妨げたのは兵士からの報告であった。ヘルガーは怪訝そうな表情のままたくわえた白髪混じりのヒゲを撫でる。

「所属不明艦? 軍の輸送艦か、それとも別の哨戒艦隊ではないのか?」

「いえ、今日の飛行航路表にはこの付近を我々以外の艦はいません」

 飛行航路表とは、一日にアルトリアを飛行する飛行艦の飛行スケジュールが全て記載されたものだ。アルトリアには一日に何隻もの飛行船が飛んでおり、それらが接触事故などを起こさないように、何らかの事故で不時着したなどの場合にはすぐに救助に迎えるよう、さらには敵対勢力の侵入を迅速に察知する為に設けられたものだ。

 兵士の報告にヘルガーはしばし考える。そんな彼を艦橋にいる兵士達が彼の判断を待っていた。

 時間にして数秒。戦場において司令官に許される決断の時間はそのわずか数秒だ。

「全艦反転一八〇度。所属不明艦との接触を行う。『エンデバー』へ発光信号。先行して所属不明艦に警戒信号を送れ」

 ヘルガーの命令に兵士達が一斉に慌ただしく動く。それを見ながらヘルガーは紅茶を一気に飲み干し、軍帽を深く被った。鍔の奥で輝く瞳は、まさに軍人の目だ。

「……テティルが軍縮条約に違法して飛行船を建造しているという噂もある。平和に呆けていられる時代は、そろそろ終わりなのかもしれないな」

 大陸との最後の戦争を少年兵の頃に経験したヘルガー。その言葉が、不気味に艦橋へと響く。

 四隻の艦は先頭を走る駆逐艦『エンデバー』を先頭に順次回頭。謎の飛行船を目指して全艦速力を上げる。缶焚(かまた)きと呼ばれる兵士達も忙しく燃石炭を火に放り込んではボイラーの出力を上げていく。それに比例するように各艦の煙突からはより濃い黒煙が噴き出す。

 先頭を走る『エンデバー』が速力を上げて所属不明艦へ接近。発光信号で警戒信号を発した。

『我、第一哨戒隊所属駆逐艦『エンデバー』。貴艦ノ艦名及ビ所属隊名ヲ述ベヨ』

 発光信号で何度も問い掛ける。するとその所属不明艦は何の返答もなく、次第に速力を落としてついには停止してしまった。『エンデバー』がすぐに並行するように停止し、遅れて本隊こと『ドレッドノート』も現場に到着した。

 突然停止した艦を見て不思議がっていたヘルガーだったが、探哨灯で照らし出された艦を見た途端その表情が驚きに変わった。

「シェフィールド級軽巡だと? 何でそんなものがこんな所を……」

 軍人たるもの、末端の兵士まで全てが自国の艦級を暗記している。見ただけで艦名まではさすがにわからなくても、何級かまでは把握できるものだ。

 ヘルガーが怪訝そうにしながらも兵士にシェフィールド級軽巡への横付けを命令した。横付けとはその名の通り二隻の艦を密着させ、簡易的な橋などを用いて互いに行き来できるようにする事だ。海軍の軍艦ならそうでもないが、王軍艦隊の軍艦は空を飛んでいるので、新米兵士は眼下を見ては動けなくなってしまう事は少なくない。これに慣れると、空軍軍人として認められると言っても過言ではない。

 ヘルガーは上着を来て外へ出る。向かうは横付けされた橋の所だ。

 ゆっくりとした歩みで進むと、すでにシェフィールド級からこちらに乗り渡って来た者達がいた。だがそれを見て兵士達は困惑している様子。ヘルガーを見つけると助けを呼ぶように「艦長ッ!」と叫ぶ。

「何だ。騒々しい連中だな」

「そ、それが……」

「狼狽えるな愚か者が。シェフィールド級の責任者は誰だ?」

「――妾じゃ」

 情けない兵士を叱責しながらこちらに渡って来た相手を見定めていたヘルガーだったが、その先頭に立つ者の姿と声に鍔の奥の目を大きく見開いた。

「へ、陛下ッ!?」

「うぬ。夜間の哨戒活動お疲れ様じゃ、艦長殿よ」

 ニッコリと笑って彼らを激励したのは、彼ら軍人が忠誠を誓うべき対象。軍の最高司令官であり、この国の最高責任者――アルトリア王政軍国女王、イリス・アルトリア・フランチェスカだ。

「陛下から預かりし大切な戦艦『ドレッドノート』の艦長を務めさせていただいております、ヘルガー・ウォースパイト少将でありますッ」

 先程までの厳しい司令官という顔から一転して、今度は二等兵顔負けなくらいの見事な兵魂で最上敬礼をしてみせるヘルガー。周りの兵士達も慌てて敬礼を行う。銃剣を持っている兵士達は捧げ銃の構えだ。

 兵士達の出迎えに満足そうにうなずくと、イリスは改めて艦長のヘルガーに向き合う。

「お主の噂は聞いておるぞウォースパイト艦長。母上の代からこの王軍艦隊の創設に尽力してくれたばかりか、現場で兵士の育成にも力を入れていると。王軍艦隊の練度が高いのは、お主のおかげと言っても過言ではないな」

「そのようなお褒めのお言葉、ありがたき幸せであります陛下」

「妾はこれからちぃとお忍びで出かける所なのじゃ。急な事で貴艦への連絡が遅れてしまったせいで余計な手間を掛けさせたのぉ。すまなかった」

「いえッ、こちらこそ陛下の貴重なお時間を削いでしまい誠に申し訳ありませんでしたッ」

「良い。ちゃんと警備の仕事をがんばっている証拠じゃ。それがわかっただけでも僥倖(ぎょうこう)。引き続き付近の警備を頼むぞ――それと、もう夏に差し掛かるとはいえまだ肌寒い。風邪を引かぬよう気をつけるのじゃよ」

「ハッ、ありがたいお言葉で感謝しますッ。陛下もお気をつけて」

 ヘルガーや兵士達に笑顔で激励すると、イリスは護衛の為に引き連れて来た兵士達と共に自艦へと戻った。それを見て両艦から橋が取り外され、シェフィールド級軽巡の機関が再び息を吹き返す。勢い良く黒煙を煙突から噴かせて『ドレッドノート』から離れると、巡航速度を維持したまま四隻から離れていく。

 闇夜に消え去る軽巡を見詰めながら敬礼するヘルガー。その姿が闇の中へと消えるのを見てゆっくりと上げていた手を下ろす。

「……全員持ち場に戻れ。それと、誰一人風邪を引くなよ。我らの陛下のお心遣いを無駄にしない為にもな」

 軍帽を深く被り直し、ヘルガーは副官と共に艦橋へと戻る。

 十分後、『ドレッドノート』は護衛艦三隻を引き連れて本来の軌道へと戻る。予定コースを外れた為に申請していた飛行航路時間に遅れが生じてしまった。通過地点にある基地から何事かを尋ねる発光信号が送られて来た。

 ヘルガーは通信兵に対してこう返すように指示をした。

『時期尚早ノ夏風回避ノ為減速航行。予定時間超過スルモ異常ナシ』

 本来なら一国の長が無断で軍艦を用いて航行中という異常事態は艦隊司令部へ当然報告が必要な事だが、ヘルガーはイリスの言った『お忍び』という部分を厳守すべく、報告を偽った。本来なら懲戒免職ものだが、この事を知っているのはこの四隻の兵士達だけ。そして――誰もヘルガーの虚偽報告を非難する事はなかった。

 

 後方で待機したままこちらを見送る『ドレッドノート』率いる四隻の艦隊を甲板の上から見詰めるイリス。その隣にまるで副官のように佇むクリュウの姿が。

「あれって……」

「うぬ。あれが我がアルトリア王軍艦隊が誇る最新鋭主力戦艦、プリンセス・オブ・アルトリア級戦艦二番艦、『ドレッドノート』じゃ。機関の調子が悪くてドック入りしてると聞いておったが、修理が完了していたようじゃな」

「この艦も大きくて驚いたけど、比べ物にならないくらい大きいんだね」

「我がアルトリアの造船技術の粋が結集した艦じゃからのぉ」

 まるで自分の事のように自慢気に話すイリスを見てクリュウは思わず微笑んだ。何というか、こういう子供らしい所を見ていると和んでしまう。女王としてではなく、女の子としての一面を隠さずに見せれくれる彼女の姿が嬉しいのだ。

「それにしても、またこの艦に乗るなんて」

「まぁ、ある意味当然かのぉ。この『シェフィールド』は妾の直轄艦である御召艦じゃからのぉ。妾のわがままが通じる艦は逆に言えばこれしかないのじゃ」

 そう言いながらイリスは振り返って自分が乗る軽巡洋艦『シェフィールド』を見詰める。クリュウ達にとってはこのアルトリアへ来る際に乗った艦であり、懐かしいと思える程には時間は経っていない。

「ほれ、何をしておる。艦内へ戻るぞ」

「う、うん」

「それと、今のうちに休んでおけ。アーク・ロイヤル城へは数時間の道のりじゃ。母上に会う時にうつらうつらされても困るからのぉ」

「そ、そうだね。うん、じゃあ、ちょっと休もうかな」

「うぬ」

 クリュウの返答に満足そうにうなずくと、イリスはゆっくりと艦内へと戻る。そんな彼女のご機嫌な背中を一瞥し、クリュウは静かに星空を見上げた。南国だけあって、イージス村とはまた違った星々の煌きがそこにある。そのどこかに、もしかしたらアメリアの星があるかもしれない。そんな子供だましな事を考えながら、クリュウは困惑げに言葉を零す。

「ロレーヌさんが、生きていたなんて……」

 

「先代女王にして妾の母、ロレーヌ・アルトリア・ティターニアは生きておるのじゃ」

 数時間前、イリスはジェイドに黙って『シェフィールド』を用意させると、クリュウを連れて勝手に城を飛び出してしまった。さすがにまずいのではと焦るクリュウを前にしてもイリスは「なぁに、これくらいのスリルがなくてはのぉ」と、むしろ楽しんでいるような様子だった。

 そして、彼を艦内にある御召室へと連れて行き、席に腰掛けた所でイリスは突然そう切り出した。

 用意された紅茶を飲み始めたばかりのクリュウはその突然の爆弾発言に激しく咳き込んだ。

「大丈夫かクリュウ?」

「ゲホゴホッ、だ、大丈夫。えっと、話を続けて?」

 咳き込む彼を心配しつつも、イリスは紅茶を飲みながら彼が促す通りに話を進める。

「もう一年以上の前の事じゃ。病弱な母上は女王としての激務を続けた結果、ついに国を統治する事もできない程に衰弱してしまったのじゃ。そこで母上の王位を妾へと引き継ぎ、母上は隠居する事になったのじゃが――そこで母上が待ったをかけた」

「どうして? 女王を続けられないから娘に王位を引き継がせる事って普通じゃないの?」

「普通の事じゃ。じゃが、母上はあまりにも強引な政をし過ぎた為に民の信頼を失っておった。妾が王位を引き継いでも、裏から操って結局は傀儡女王とイメージが国民に植えつけられる事を心配したのじゃ」

 ロレーヌ政権は重税政策を課して税金を集め、福祉や公共サービスを次々に廃止してそこで捻出した資金の全てを軍拡化の為の国防費に当てていた。ロレーヌが政権を取ってから国防費は五倍に膨れ上がったと言われている。

 そんな国民の反対を押し切って軍拡化を進めた結果、アルトリアは西竜洋諸国全てが束になっても勝てないような巨大軍事国家へと変貌した。だが同時に基礎科学力もまた飛躍的に向上し、工業大国になったのも事実だ。

「母上が隠居して妾が王位を引き継いでも、結局は母上の操り人形に過ぎない。そう国民が思い込んでおったのじゃよ。実際は、母上は本当に国政から手を引くつもりじゃった」

「それが、何で死んだってウソをつく事になるの?」

「わからんか? 母上が死んだ事で妾が王位を引き継げば、《ロレーヌ女王の操り人形のイリス女王》という根底が崩れ、国民は《アルトリアの新女王、イリス》として妾を見てくれる。つまり、国民は新政権に対して希望を抱く事ができるのじゃ」

 つまり、ロレーヌの操り人形としてのイメージはロレーヌが生きているからこそ成り立つ幻想だ。ならば、ロレーヌが死んだ事にすればその幻想は消え、イリスの事をアルトリアの新女王として国民は迎え入れる。

 最初から壁を作られるよりも、最初から期待されている方が国は運営しやすいものだ。

「母上は、妾が女王として立派に政をできるように自らを殺した。しかも、母上は妾が政をしやすいように自らを愚王とまで陥れた」

「どういう事?」

「――母上は、妾が女王になった時に国民の不満が重責にならないよう、わざと自分の代の時に国民を虐げておったのじゃ」

「……反面教師って事?」

「そうじゃ。自分が国民を痛めつけるだけ痛めつけてから妾に王位を渡せば、妾が多少国民を犠牲にする政策を取っても「ロレーヌ女王の時はもっとひどかった」というイメージから妾への不満は最小限に留められると踏んでおったのじゃろ――本当に、自分を犠牲にして娘を守ろうとするなんて、柄にもない事をしおって」

 そう言いながらも、イリスの表情は明るかった。母親の愛を直に感じ、嬉しかったのだろう。薄っすらと浮かぶ涙は、そんな彼女の感動の表れ。その姿を見ていると、クリュウの中でロレーヌ女王という一人の女性の姿がわからなくなる。

 図書館や噂を聞く限り、ロレーヌ女王は人の心がわからないと非難され、愚王とも暴君とも悪評名高い女王だ。だがイリスの話を聞いている限りでは、国と娘を守る為に自身を犠牲にしながら奮闘した良き女王であり、良き母親でもあるように思えた。

「母上は、ただ単にこの国を守ろうとしただけじゃ。祖国を、姉上との思い出の地を守る為に、自らを殺してでも」

「……すごい人、なんだね」

「当然じゃ。何せ妾の母上にして、妾が最も尊敬する女王なのじゃからな」

 恥じる事なく、屈託の無い笑みを浮かべながら言うイリスの言葉には一切のウソ偽りはない。心から母親を愛し、尊敬しているからこそできる笑顔だ。その笑顔だけで、彼女の母親に対する愛と信頼が見て取れる。まるで、子供の頃に母親の事が大好きだった自分のように、昔の自分と今のイリスの姿が重なる。

「それで、そのロレーヌさんと会うんだよね? 僕が」

「そうじゃ。何せお主は母上が大好きだった伯母上の子供じゃ。母上にとってこれ以上のサプライズもなかろうて」

 まるでイタズラを思いついた子供のように無邪気に笑う彼女を見て、クリュウは苦笑を浮かべた。何というか、すっかり素の彼女を見せてもらえるようになってしまった事に感動半分戸惑い半分という感じだ。

「伯母上の事を知りたいのなら、母上に聞くのが一番じゃろうて。何せ実の妹なのじゃからな」

「それはそうだけど。そんなに容態の悪い人にいきなり会っちゃまずいんじゃない?」

 話を聞く限り、女王としての仕事ができない程に弱っているらしいロレーヌ。そんな状態の彼女にいきなり失踪した姉の息子だと言って会って大丈夫なのか。変な負担になってしまうのではないか。クリュウはそれを心配していた。だが、イリスはそんな彼の疑問に対して小さく首を横に振る。その横顔には、先程までのような笑顔はなかった。

「イリス?」

「――母上の命は、もうそう長くはないそうじゃ」

 彼女からの告白に、クリュウの息が止まった。呼吸音すらも邪魔になるような、そんな不気味な沈黙。イリスは静かに伏せていた顔を上げてクリュウと向き合う。その表情は悲しみに染まり、でも少しだけ安堵の表情も入り混じった複雑なもの。

「……じゃから、このタイミングで伯母上の息子であるお主がこの国へ来たのは、偶然ではないと思う。きっと、母上の最期の気がかりが解決する――お主のおかげで、母上はこの世に未練なく旅立てるかもしれない。じゃから、今しかないのじゃ」

 それを最後に、イリスは沈黙した。クリュウもそんな彼女に何て声を掛ければいいかわからずに黙り込み、二人の間には気まずい沈黙だけが残される。

 そんな沈黙が数分と続いた頃、イリスがその空気に耐え切れなくなったように立ち上がった。

「……日付が変わった。お主と妾、共に後悔しない一日にしよう。クリュウ」

「うん……」

 彼女から差し伸べられた手を、クリュウはしっかりと掴んだ。

 

「……それで、どうしてこういう状況になったのかな?」

「何じゃ。妾はもう眠いのじゃから、つべこべ言わずに寝んか阿呆」

 戦艦『ドレッドノート』と別れてから一時間後。なぜかクリュウとイリスは同じベッドで横になっていた。横になりながら困惑するクリュウの横では、そんな彼の腕枕の心地良さに早くも眠ってしまいそうなイリスが横になっている。それもイリスはわざわざクリュウの方を向いてぴったりと体をくっ付けている。

「いや、確かにもう休もうとは言ったけどさ。何で一緒の部屋? そして何で一緒のベッドなのさ?」

「客室がリフォーム中で使えないと兵が言っていたじゃろうが」

「いや、別に僕はどんな部屋でもいいし」

「客人に対して兵員室を使う訳にはいかんじゃろうが。じゃからこの部屋に二人で寝る事にしたのじゃ」

「なら僕は全然床でも構わないのに……」

「阿呆。床に寝かすくらいなら兵員室を使った方がマシじゃ。男が細かい事をいちいち気にするな」

「……何で僕怒られてるの?」

 取り付く島もないとはまさにこの事だろう。見事に一蹴されてしまい、クリュウも半ば諦めていた。というか、別にそこまで抵抗する気もなかったのが本音だ。何せ相手は一応は血が繋がった従兄弟なのだから、家族のようなものだ。それにフィーリア達と違い、イリスはまだまだ子供。さすがのクリュウも子供相手では妙な感情を抱く事もない。だからこそ、諦めるのも早かった。これがフィーリアやサクラならもう少し抵抗していただろうが。

 だが、クリュウは乙女心というものに実に疎かった。彼は知らないのだろう。乙女心というのは、彼が子供と分類した年齢でもすでに抱いているもの。

 諦めて寝ようと黙ったクリュウの横で、そんな彼の服の裾をギュッとイリスが掴んだ。少しだけ近づいて、額をそっと彼の胸に当てる。

「クリュウ、もう寝たか?」

「ううん。まだ起きてるよ」

「そ、そうか……」

「……」

「……」

「……」

「……寝たか?」

「起きてるってば」

 クリュウはそう答えると顔を彼女の方へ向ける。視線が合った瞬間、イリスはビックリして慌てて視線を逸らすように身を縮めて顔を隠してしまう。そんな彼女の反応にクリュウは首を傾げた。

「どうしたの? 眠れないの?」

「べ、別にそういう訳ではない。ただ――誰かと寝るのはもう何年ぶりかわからぬ程昔の事じゃから、少し懐かしいのじゃ」

「……そっか。ロレーヌさんが隠居したのは一年以上も前。体を壊していたとすれば、それよりももっと前からイリスは一人で寝てたんだ」

「お主は一人で寝始めたのはいつじゃ?」

「うぅん、僕は母さんが死ぬまではずっと一緒に寝てたな。一人で寝るのと同時に一人暮らしが始まってたし」

「それはいつの事じゃ?」

「僕が十歳の頃だったかな」

「とすれば、お主は妾より親離れが遅かったという事じゃな?」

「……どうしてそういう解釈をするかな」

「妾の事をお姉さんと呼んでもいいのじゃぞ?」

「僕よりも背が高くなったら考えてあげるよ」

「……お主、妾を子供扱いしておるな?」

 ジト目で睨んで来るイリスの視線を苦笑で受け流しながら、クリュウは視線を天井へと向ける。飛行船の上の為に微妙に寝ていても体は揺れを感じるし、何よりエンジン音などが微かに聞こえる。最初こそ苦労していたが、『イレーネ』やアルトリアに来るまでの『シェフィールド』で経験した事もあって今ではほとんど気にならない。人間の慣れとは不思議なものだ。

「お主は……」

「うん? 何か言った?」

「……お主は、近いうちにこの国を出て行くのか?」

 視線を再び彼女の方へ向けると、イリスはジッとこちらを見詰めたまま自分の答えを待っていた。その凛と煌く瞳は一体何を求めているのかはわからないが、それでもクリュウが返せる言葉はこれだけだった。

「……まぁ、僕の故郷はイージス村だから。故郷に帰るのは当然の事だよ」

「ここはお主にとってもう一つの故郷のような場所じゃ。お主の居場所は、ここにもある」

「……嬉しいけど、それはダメだよ」

「なぜじゃ?」

「――総軍師から聞いたよ。何だか君の王政を邪魔しようとしている人がいるんでしょ?」

 クリュウの口から放たれたのは、イリスが予想もしていなかった言葉だった。

 このアーク・ロイヤル城行きの航海。実はコレもジェイドが裏から手を回していたからこそできる事だ。そもそもいくら女王命令とはいえ、こんな大掛かりな事を女王の補佐官である総軍師に一切バレずに行う事はできるはずもない。

 停泊中の『シェフィールド』へ乗り込む前、クリュウはジェイドに捕まった。すでに彼はイリスの考えを読んでおり、不満はあるようだったが納得はしてくれていた。その時、彼の口から語られたのがこの国の一枚岩ではない政権運営だった。

「勘当されている身とはいえ、一応僕は王家の血を引いた人間だからね。形式的にではあるものの、僕にも王位継承権はある。当然僕はそんなもの必要ないから破棄するつもりでいるけど、国を乗っ取りたい人間から見れば僕の存在は君の政権を脅かす存在でしかない。いつまでも、この国にいる訳にはいかないよ」

 ジェイドは言っていた。この国には自身の利権の為だけに国を腐らせようとしている連中がいる。だがそういう連中だからこそ力を持ち、自分達の政権運営を妨害する。今この国はまだ完全にはイリスが女王として国を掌握しているとは言えない状況だ。だからこそ、今ここでイリスの政権運営に足かせになるような出来事は起こしたくはない。そしてクリュウの存在は、イリスにとっては足かせでしかない。

「……妾は、お主を王家に迎え入れる事も考えている」

「僕、平民だよ?」

「お主が言ったのじゃろうが。自分には妾と同じ王家の血が流れておると。それだけで十分王家に戻るだけの理由になる。反対する声があっても、妾が説得するなり潰すなりできる。じゃから……」

「……それは、イリスに負担を強いる事になるでしょ?」

「それくらい、何の問題もない」

「……今の政権運営だって手一杯なのに?」

「……」

 反論する事もできずに沈黙するイリス。敵対勢力との権力の奪い合いはお世辞にも優勢とは言えない。今は女王権限で議会の承認を無視したり強行採決で政権を運営しているが、いつまでもこれでは国民へ不信感を募らせてしまう。ジェイドの奮闘の甲斐あって次第に味方を増やしている事から、そろそろ強行手段を控えようと彼と相談したばかりだ。

「……王家は、お主達の存在を抹消した。仕方がなかったとはいえ、今に思えば非道な事だ。だから、せめてお主だけでも居場所を作ってやりたいのじゃ」

「気持ちは嬉しいけど、そもそもは国を飛び出した母さんが悪いんでしょ? って、そんな事言ったら僕は生まれて来なかったんだけどね」

 クリュウの心中は複雑だ。自分の母親が飛び出したせいでロレーヌには迷惑を掛け、その影響は少なからず今のイリスにものしかかっている。それに加えて彼女自身が勘当した自分や母の事を気に病んでいるのだから、アメリアの行動は軽率だったと言わざるを得ない。だが、その行動の末に生まれたのが自分なのだから、こういう時彼女にどういう顔を向ければいいかわからず、彼の表情は微妙だ。

「ならせめて、平民で良い。この国にいるつもりはないか? 何なら、他の娘達と一緒でも構わない。全員分の家はこちらで用意する。じゃから……」

「――それは、ダメだよ。ここは君の居場所であって、僕達の居場所じゃない」

 そう、このアルトリア王政軍国はクリュウの居場所でも故郷でもない。ここは、母親の故郷だ。今回初めて来た国なのだから当然この国に思い出の地も、これまで自分達がいたという痕跡も何もない。それがあるのは、自分が生まれ育ったイージス村だけだ。

「それに、僕には村に残してきた人達に必ず帰るって約束までしちゃったしね。いつまでもこの国にいる訳にはいかないよ」

「……そうか。お主にはお主の、帰る場所があるのじゃな」

「うん……」

 クリュウの返事は、きっとイリスも予想していたのだろう。でも、それを聞いたイリスの表情は悲しみと寂しさが入り混じった、暗いものに変わっていた。先程までは凛としていた瞳も、今はどこか弱々しい。

「せっかく、こうして会う事ができたのにのぉ……」

「別に二度と会えなくなるって訳じゃないでしょ。すごく遠いから、そう簡単には会えないとは思うけど。それでも、これが最初で最後って訳じゃないんだからさ」

「……そうじゃな」

 そう切って、イリスは黙りこんでしまった。

 眠くなったのか、クリュウは特に声を掛ける事もなく天井を見上げる。見慣れない天井、ここが自分の居場所ではないという何よりの証だ。

「……嫌じゃ」

「え?」

「――せっかく会えたのに、また別れるなんて嫌じゃッ!」

 突如イリスは大声でそう叫ぶと布団を跳ね除けて起き上がった。布団を跳ね飛ばされて驚く彼のすぐ横で、イリスは女の子座りをしたまま横になったままの彼を見下ろしていた。窓の外から入る月の光をバックに受けた彼女の表情はよくわからない。それでも、瞳の端に輝くそれは闇夜でもハッキリと見る事ができた。

「イリス……」

「言ったであろう? 妾の親類は皆権力や金に溺れた愚か者ばかりじゃと――お主は、せっかくできた、妾にとって初めて信頼のおける親族じゃ。何より、妾はお主に傍にいてほしい。そう思っておる」

 迷う事なく、真っ直ぐな瞳でそう言う彼女の言葉にクリュウは息を呑んだ。

 ただ、傍にいてほしい。それは誰もが願う、大切な人が近くにいてほしいという願いの根源。クリュウもかつて、母の笑顔を失った際に思い願った気持ちだ。だからこそ、彼女の気持ちがわかる。だからこそ、彼女の本気さもまた、わかる。

「僕とイリスは、まだ会って数日と経っていない間柄だよ? どうして、僕にそこまで……」

 長い時を過ごした、せめて一週間という期間があればそういう感情や気持ちを抱くだけの時間と言えるだろう。だが自分がこの国に来たのはまだ数日と経ってはいない。なのに、どうしてそこまで自分を信頼し、傍にいてほしいと焦がれるのか。

「……わからぬ」

 イリスの答えは、正否のないものだった。

「わからないって……」

「う、うるさいッ! わからぬからわからぬのじゃッ!」

「えぇッ!? ぎゃ、逆切れされても……」

「仕方ないじゃろッ! 初めて会った時からお主の事が妙に気になって、夜の街へ繰り出してからはお主の事ばかり考えてしまうのじゃッ! おかげで政務にも集中できなくて、どうしてくれるのじゃッ!?」

「だ、だから逆切れされても困るってばぁッ!」

 拳を振り上げて突如怒り出すイリスを前にクリュウは困惑しながら上半身を起こす。そんな彼との距離を詰めてイリスはポカポカと彼の胸元に振り上げた拳を何度も振り落とす。

「何なのじゃお主はッ! 妾に一体何をしたのじゃッ!?」

「な、何もしてないって……ッ」

「ウソを言うなッ! ならばなぜ妾は――」

 興奮の余り勢い良く彼の胸倉を引き寄せるイリスだったが、思いの外強く引いてしまって眼前にまで彼の顔が近づいてしまった。視界いっぱいに広がる彼の顔を見て薄暗い中でもハッキリとわかるくらいに彼女の顔が真っ赤に染まっていく。

「い、イリス……?」

「頭が高ぁいのじゃッ!」

「いたぁッ! り、理不尽過ぎるでしょッ!?」

 思いっ切り突き飛ばされ、クリュウは壁に頭を強かに打ち付けてしまった。当然クリュウは抗議するが、イリスは「うるさぁいッ! 妾が頭が高いと言ったら頭が高いのじゃッ!」とわがまま丸出しな発言を大後で叫ぶだけ。とてもじゃないが夜中に出していいような音量ではない。

「ば、バカッ!」

 下手に騒げば兵士達がやって来てしまう。一緒の部屋に寝るのだって秘密なのに、今は一緒のベッドだ。彼女の人気を考えるにもしも兵士にバレれば……おそらく、いや絶対クリュウは極刑に処されるだろう。

「ムガぁッ!? な、何をするか無礼者ッ! むぐぐぅ……ッ!?」

「大声出さないでってばッ! 兵士が来ちゃうでしょッ!?」

 クリュウは慌てて騒ぐイリスを抱き寄せて口を押さえた。耳を澄ませても何の足音もしない。どうやら誰にも気づかれていないようだ。ほっとクリュウは胸を撫で下ろす――だがその瞬間、自分のしている事のまずさに気づいた。

「むぐぐ……ッ!」

 夜中に幼い女の子のベッドで、その少女を無理やり抱き寄せて叫ばれないように口を押さえる――誰がどう見ても、クリュウの今の姿は犯罪者にしか見えない。

「あッ!? ご、ごめんッ!」

「……な、何をするか阿呆」

 すぐに口から手をどけてイリスを解放する。すぐに殴られるか怒られるか覚悟していたクリュウだったが、そんな彼の予想に反してイリスはなぜか大人しかった。小さな声で最低限の抗議の言葉を発すると、その場で全く動かない。

「あ、あの、イリス?」

「……何じゃ?」

「いやその、そろそろどいてくれないかなぁ……なんて」

「お主が無理やり膝の上に乗せたのであろうが。なのに用が済んだたら降りろとな? 実に身勝手な言い分じゃな」

「ご、ごめん……」

 全くもって彼女の言う通りな訳であって、返す言葉もないクリュウは黙って彼女を膝の上に置き続ける。彼が観念したのを見てイリスはそっと彼の胸にしなだれ掛かった。その頬は背後を向けているクリュウからは見えないが、ほんのりと赤く染まっていた。

「……本当に、帰ってしまうのか?」

 背を預けながら不安げに問うイリスの問いかけに、クリュウは言いづらそうに「うん」と小さく小声で返した。それを傍で聞いて、イリスは静かに「そうか……」と弱々しく声を零した。

「寂しく、なるのぉ……」

「そりゃ、僕だってイリスとお別れするのは寂しいさ。何ていうか、まだ短い付き合いだけど、まるで妹ができたみたいだったから」

「妹……」

 クリュウの口から零れ落ちたその単語に、イリスは小さく笑みを浮かべた。彼にそう思われるのが、家族として見てもらえるのが心から嬉しい。嬉しいのだが……胸の奥で一瞬だけチクリと痛みが走った。嬉しさの中にあるその痛さに、イリスは困惑した。だが、背中から感じる兄(クリュウ)の温もりは、全てを包み込むように温かい。

「……いつか」

「え?」

「……いつか。妾がこの国の全てを掌握したら。その時は――お主に会いに行っても良いか?」

 そっと背を預けながら、イリスは顔をもたげて上目遣いでクリュウの顔を覗き込む。不安げに揺れる彼女の瞳。クリュウはその吸い込まれそうな瞳をしばし凝視した後、フッと口元に笑みを浮かべてうなずいた。

「もちろん。大国の女王様を出迎えるには貧相過ぎる村かもしれないけど、小さな村なりに全力で君を歓迎するよ」

「そうか……」

 クリュウの返答に満足そうに、嬉しそうにイリスはうなずく。そっと、シーツの上に置かれている彼の手の上に自分の手を重ねる。自分よりも一回り大きい彼の温かな手を、大事そうに握り締めながら。

「――約束じゃぞ。クリュウ」

「うん。約束だ」

 

 その夜、結局二人はそのまま眠る事なく互いの手を握り合いながら、これまでの時間を埋めるように言葉を交わし続け、二人にとって大切な夜を明かしたのであった。


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