モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第195話 過去に犯した大罪に苦しみ続けて来た少女の涙

 ハンターズギルド本部が置かれる施設は一階部分が大衆酒場として解放されており、さらに地下には大衆浴場が備えれている。そして二階から上にはハンターが泊まれる宿泊施設となっているが、どの部屋に泊まれるかは自分の実力次第となる。

 ハンターの世界は実力によって階級がしっかりと区切られている。武具の製造や強化から酒場での食事のメニュー。はたまた宿に至るまでが全てが実力に見合ったものしか提供されない。ちなみに新人や初心者で構成されるポーンクラスというのは新人やかけだしハンターなどが借りる事ができる宿のレベル。室内には装飾品らしいものはほとんどなく、必要最低限のものしかない簡素なものだ。だが同時にかけだしハンターには嬉しい安価でもある。ギルドが認定した昇級クエストをクリアすれば次のランクへと進め、よりランクアップした待遇を受けられる。

 ハンターのランクは大まかに下位、上位、G級と分けられるが、これはあくまでギルドが用いる基礎的なランク分けでしかない。なので一般のハンターはドンドルマで泊まれる宿泊施設のグレードで自らのランクを付けており、下からポーン、ルーク、ビショップ、ナイト、クイーン、キング、エンペラーとなる。簡単に言えばポーンからビショップまでが下位、ナイトからキングが上位、そして最上位のエンペラーがG級となる。当然、これらのグレードによって宿泊できる施設の泊まり心地の良さが変わっていくが、当然価格も変わっていく。新装備を作ったばかりで金欠のハンターならナイトクラスであってもポーンクラスの部屋を利用したりするし、中には貧乏性がすっかり着いてしまって実力に見合わぬ質素な部屋を好む者もいる。認められたランクより下のグレードの部屋は自由に選べるのだ。

 二階は主に下位と呼ばれるルークからビショップまで、三階はナイトからキングまでの上位、そして四階が唯一G級と認定されるエンペラークラスの部屋がある。ビショップクラスの部屋から上には個人風呂が備えられており、クイーンクラス以上になるとルームサービスを受けられる。

 こうしたランクによる待遇の違いをつける事で、下克上を促しているのだ。衣食住は人間の基礎であり、これを刺激すれば努力の度合いも変わって来る。ハンターズギルドの優れたハンター育成計画の一環だ。

 

 クリュウとシルフィードはそれぞれビショップクラスとナイトクラスであり、当然借りられる部屋のグレードは違うし、ちょうど下位と上位を分ける境界線の為に階層も異なる。なのでいつもと同じようにシルフィードがビショップクラスの部屋を借りている。クリュウ達のチームはクリュウとサクラがビショップクラスで、フィーリアとシルフィードがナイトクラスの為だ。サクラが実力に見合わぬランクなのは護衛依頼ばかり受けている為に昇級クエストを受けていないし、そもそも昇級クエストを受ける為に必要な大型モンスターの討伐数を満たしていない為だ。サクラ曰く「……自分の実力は自分で決める」との事。

 今回は二人旅な為、並んだ部屋を取った。しかし今、二人の姿はシルフィードの部屋にあった。

 ベッドに腰掛けたままうなだれているシルフィード。先程から一言もしゃべらずに沈黙を続けている。そんな彼女を不安そうに見ながら、クリュウは一人小さな台所でお茶の用意をしている。お湯を沸かして、家から持って来たレヴェリ産の紅茶を淹れる。レヴェリを訪れてからというもの、時々茶葉の差し入れがあるので重宝している。

 紅茶を淹れ終えると、クリュウはティーセットを持って彼女の下に寄る。テーブルの上に置き、カップに紅茶を注ぐとシルフィードに手渡す。小さく「すまんな……」とだけ返してカップを受け取ったシルフィードだが、一口も飲む事なく持ったままぼーっとしている。

 自分の分を淹れたクリュウは一口飲んで味を確認。そして勇気を出してこの状況の打破を試みる。 

「あ、あのさシルフィ。早く飲まないと、冷めちゃうよ?」

 本当はさっきの事を訊きたかったが、そんな勇気はなかった。せめてもの問い掛けがそれだった。するとシルフィードは「あ、あぁ……」と短く答え、ようやく紅茶を一口飲む。それを見てクリュウは少しだけ安堵した。

「お菓子も一応持って来てるんだ。どれがいいかなぁ」

 クリュウは努めて明るく振る舞いながらお菓子を用意する。そんな彼の真摯な姿にシルフィードは少しだけ笑みを取り戻した。同時に彼にそんな気遣いをさせている自分がひどく惨めで、許せなくて。だから――

「……あれが、私がかつて与していたチームの面々だ」

 ――勇気を出して、話す事にした。

 突然彼女の方から話の核心を切り出した事にクリュウは驚いたが、すぐに手を止めて姿勢を正す。

「剣聖ソードラント。まぁ、君の昔の仲間の事を悪く言うつもりはないけど、その、噂通りな人達だったね」

「……別に奴らの事を仲間などと思った事は一度たりともない。あくまで、利害の一致で共に行動していたに過ぎないからな」

 紅茶を一口飲み、喉を潤わせ、シルフィードはゆっくりと語り始めた。

「先程の男がアイン・ヴォルフガング。サントロワの亡霊との異名を持つエンペラークラスのハンターで、剣聖ソードラントのリーダーだ。その隣にいた銀レウス装備の女はアインの妹のツヴァイ・ヴォルフガング。サントロワの死神と呼ばれる、同じくエンペラークラスのハンターだよ」

「……ツヴァイさんって、シルフィと同じくらいの年だよね? なのに、エンペラークラスなんだ」

「言っただろ? 世の中には私以上の実力者は五万と居るとな。奴はその中でも性格は抜きにしてもハンターとしての実力や才能という面では天才だ。昔から、気にくわない奴だったよ」

 思い出すだけでも嫌なのだろう。険しい表情のまま語る彼女の心中はわからないが、何となくそんな雰囲気だけはひどくよく伝わって来た。するとシルフィードは「それと、ずっと黙っていたグラビドS装備の男がいただろ?」と問い掛ける。

「うん」

「あいつの名はチェルミナートル・バグラチオン。詳しくは知らないが、アクラ地方の出身で無駄な事はしゃべらない、キングクラスのハンターだ」

 アクラ地方とは中央大陸北方に浮かぶ小大陸の事。極寒の地で雪と氷に閉ざされた世界と言われている。大陸北方に位置するイージス村とは比較的地理的に近いが、海流の関係で常に沿岸は流氷が道を閉ざし、不凍港はわずかしかない為、中央大陸との交流は最低限なものしかない。

 詳しい事はあまりわからないが、アクラにはかなり古くから続く王政国家が存在した。しかしシュレイド国の分裂で生じた戦乱の時代にエルバーフェルド王国(当時)と戦争状態となり、実質敗戦。講和条約でエルバーフェルドとアクラが面する北海の八割をエルバーフェルドが握った為、当時大陸西方にあった不凍港の機能が著しく制限され、元々作物が育ちにくいアクラはさらに衰退してしまった。現在は十年程前に革命が起きて複数の共和国が構成する連邦国家、アクラ共生主義共和国連邦という巨大な国が全土を統治していると言われている。

 共生主義という独特な理想を掲げているが、この共生主義とは中央集権化を意味し、全ての国民の私財を禁止。土地も財も食糧も全て国家が有し、それを均等に国民に分配する。つまり一つの国を皆で平等に分けあって共に生きるという理想。これを基本理念にしてるのがアクラ共生主義共和国連邦、通称ア連である。貧しかった国で人々が共に肩を寄せ合って生きていたアクラの人達らしい理念だ。

 エルバーフェルド共和国の衰退時期に北海の本来の領海権を取り戻し、現在は西竜洋諸国とわずかだが国交を結んでいる。エルバーフェルド帝国とは領海権問題から依然国交断絶の状態が続いており、カレン率いる国防海軍の仮想敵国は実質ア連となり、定期的な巡視が行われている。

 だが国交を結んでいる西シュレイド王国、東シュレイド共和国、エスパニア王国の各政府では共生主義はアテネ神教と同様な異質で危険な主義とし、一般国民が感化されかねない理想である事から警戒。必要以上な交流は行なってはいない。

 だが皮肉な事にこの危険思想を持つア連が、アクラの氷の地の下にある膨大なエネルギー源を西竜洋諸国に輸出し始めた為にエネルギー問題が解決。結果的に資源戦争を何度も繰り広げて来た西竜洋諸国は薄氷の上とはいえ平和を維持しているのだ。

 一部の国家が必要最低限な国交しかしていない為、中央大陸の人々はアクラがどんな場所なのか。ア連とはどんな国家なのか詳しくはわからない。もちろん、アクラ出身の者など見る事は稀だ。その稀な人物が、しかもハンターとして活動している。クリュウとしては驚くには十分過ぎる要素だ。

「そんな人が、どうしてソードラントなんかにいるのさ」

「わからん。バグラチオンはあまり多くは語らない男だったからな。ただ何か大志を抱きながらアインに与していた様子だったな」

「どんな大志を抱けば、ああいう人達と一緒にいようとなんて思うんだろ」

「……まぁ、単純に力だけを追い求めるとかな。私がその代表例だ」

 自虐的に笑うシルフィードの言葉にクリュウは自分の失言に気づく。慌てて謝るがシルフィードは「別に君を責めている訳ではないよ」よ苦笑を浮かべ、 紅茶をまた一口飲む。

「それで、あの、さっきの女の人は……」

 クリュウとしては、最も気になるのはそこだった。シルフィードも覚悟の上だったのか、特に動揺する事なくゆっくりとティーカップをテーブルの上に戻す。不気味な沈黙の中、カチャンという陶器独特の綺麗な音が部屋に響いた。

「……彼女の名はトリィ・マクガイア。ソードラントの前に、私が所属していたチームのメンバーだ。特筆した名前もなく、二つ名持ちもいない、かけだし三人組の新米チームだった」

「って事は、その、シルフィードの村が……」

 言いづらそうに口ごもるクリュウが言う先の言葉を理解した上で、シルフィードは「そうだ。村が壊滅してから一年程経った頃、ネリスの執拗な勧誘を受けて入ったチームだ」と、彼が知りたい情報をしっかりと提示する。

「ネリスって?」

「チームリーダーだった少年だ。年は私やトリィと同じで、トリィの同郷出身。いわゆる幼なじみという奴だった」

 懐かしい話を思い出すように、どこか穏やかな表情で彼女は語り始めた。

 

 村がリオレウスとリオレイアの番に蹂躙され、破滅してから一年。シルフィードはソロハンターとしてあらゆるモンスターを片っ端から殺していた。その残虐非道な戦い方から周りは彼女を畏怖し、遠ざけ、いつのまにか彼女は誰からも声を掛けられないようになっていた。

 だが、もう二度と何も失いたくないと願う彼女にとって、それはむしろ僥倖だった。構わず、ただ力を求めて彼女は剣を振るい続けていた。

 そんな彼女に声を掛けて来たのが、ネリス・アーネストだった。

 彼はシルフィードと同い年で、まだまだかけだしのライトボウガン使いだった。装備もクックDシリーズにショットボウガン・紅という実力に見合ったもの。彼はシルフィードの力に惚れ込み、しつこく一緒にチームを組もうと言って来た。

 当時相棒を務めていた幼なじみのトリィ・マクガイアはそんな彼の姿に不満を感じていた。当時の彼女はイーオスシリーズに鉄刀【禊】という同じく実力に見合った装備だった。

 トリィはなぜ今まで二人でコンビで狩りをして来たのに、シルフィードという、しかもあまり前評判の良くない相手を誘うのか理解できなかった。それ以前に、ネリスが他の女をしつこく誘う姿を嫌っていたとも言える。

 当時のシルフィードはすでにバサルシリーズにカブレライトソードという二人よりも上級の装備を身に纏っていた。ソロを好んでいた上に、格下の相手と組む理由もなかった為、シルフィードは彼からの誘いを断り続け、もとい無視し続けていた。

 だがネリスのしつこい勧誘は一ヶ月近くも続き、彼の諦めの悪さに根負けする形でシルフィードは二人のチームに入る事になった。

 自信過剰で勝気、それでいて自分の考えが絶対正しいと信じ込んでいるトリィと余計な事は言わないし独断行動ばかりするシルフィードは当時から仲が悪く、というか一方的にトリィが毛嫌いにしていた。トリィがケンカをふっかけ、シルフィードが軽くあしらい、トリィが激怒するという構図だ。それを間に入って仲裁していたのがネリスだった。

 すぐにシルフィードが除隊するとばかり思っていたチームだったが、何だかんだ言ってもシルフィードの実力はネリスはもちろんライバル視していたトリィも認めていた。一方でシルフィードもトリィの才能は評価していた。

 シルフィードは当時から叩き上げで実力を磨いていた実力者だったのに対しトリィは天性の才能の持ち主だった。太刀の扱いに長け、まるで踊るように剣を振るう姿はまさに戦姫というに相応しいものだった。

 ネリスとトリィはテティル連邦共和国の小さな村の出身で、互いの両親が四人チームを組んでいた家族ぐるみの付き合い。まさにハンターのサラブレットとも言うべきものだった。いつも一緒で、まるで姉弟のように育って来た。だからこそ村を出て、ドンドルマでハンター生活を送るのも、二人一緒だったのだ。そこにシルフィードが無理やり引きづられた関係だ。

 二人との付き合いは半年程続いた。だが、とりあえずある種仲良くとも言える三人の関係性が壊れ始めたのは、まさにこの頃だった。

 ある日、シルフィードはネリスに呼び出され――そして告白を受けた。一目見た時から好きだった、いわゆる一目惚れという奴だった。

 突然の事に驚いたシルフィードだったが、彼女はトリィの気持ちも理解していた。彼女がネリスの事を好きだという事に。

 だからこそ、シルフィードは彼の告白を断った。元々ただのチームメイトとしか思っていなかったし、トリィとネリスがくっ付く事が一番だと考えたからだ。

 ネリスは「そっか……」と悲しげな笑みを浮かべて立ち去った。以後、何もなかったように三人の関係は続いたが、その実は次第にヒビが入り始めていた。

 トリィもまたネリスの気持ちを気づいていた。だからこそ、自分が辛くても好きな人に幸せになってほしいとの願いからシルフィードにネリスと付き合うよう頼み込んだ。だがシルフィードはネリスの事を好きでもないし、二人が結ばれるべきだと主張してこれを断った。

 もはや三人の絆は、崩壊寸前だった。

 そんな折に、三人はフラヒヤ山脈にてブランゴの討伐依頼を受けて出撃した。ドドブランゴが現れた訳でもないのに、なぜかブランゴが麓の方まで降りて来た為、そこを通る障害となっていた為だ。麓付近でブランゴを相当数倒したが、そこへ今度はギアノスが麓に下りて来る始末。このままでは埒があかないとシルフィードは単独で山頂を目指す事にした。ネリスの反対の声も聞かず、一人で行ってしまう彼女に付き合う形で二人も山頂へ向かった。

 

「……そこで、ラージャンと遭遇してしまったんだ」

「ら、ラージャン……?」

 彼女の口から飛び出したモンスターの名前に、クリュウは息を呑んだ。

 別名《金獅子》とも呼ばれる牙獣種最強のモンスター、ラージャン。その戦闘能力は古龍にも匹敵すると言われ、銀火竜リオレウス、金火竜リオレイアと同じく準古龍として扱われるような強力にして凶暴なモンスターだ。牙獣種の得意な四本足を用いた脚力を駆使した機動力と、大木のように太い両腕を使った拳の一撃は岩をも砕くと言われる。さらに怒り状態になると金色の毛を逆立て、黄金に輝きながら圧倒的なスピードとパワーで周りの全てを粉砕する、まさに最強の牙獣種モンスターである。

 クイーンクラス以上でなければ討伐依頼は受けられないし、そもそもクイーンクラスであっても互角に戦えるのはわずかな程、強力にして凶悪なモンスターだ。当然、当時のシルフィード達が敵うような相手ではない。

「そ、それで?」

「当然、敵うような相手じゃない。すぐに何もかもをかなぐり捨てて逃げるべきだったんだ――だが私は愚かだった」

 そこでシルフィードは目を伏せ、その先の言葉を言い淀む。しばしの沈黙の後、再び顔を上げたシルフィードの表情は悲痛に歪められていた。

「……全てのモンスターを憎んでいた私にとっては、ラージャンも憎しみの対象だ。頭では勝てぬ相手だとわかっていても、憤怒がその思考を止め、気がつけば私はラージャンに斬り掛かっていた。そして私はラージャンの拳を直撃こそ避けたものの弾き飛ばされ倒れた。動けぬ私の目の前で、私を助けようとネリスが立ち塞がり――私の目の前でネリスは殺された」

 殺された。彼女の口から出た言葉はあまりにも重く、そして暗いものだった。自然とクリュウの表情も暗いものに変わっていく。自分もモンスターに両親を殺された身だ。だが、シルフィードやサクラのように目の前で殺された訳ではない。その残酷なシーンを、瞳に焼き付けている二人の苦しみは、想像すらできない。

「……それで、その後はどうなったの?」

「泣き叫ぶトリィを連れて、何とか逃げたよ。私は閃光玉を持っていたからな。それを使って奴の目を潰して、その間にな。後日、腕利きのハンターがラージャンを討伐し、ネリスの亡骸を持ち帰ってくれた。彼の遺体は、彼の故郷に埋葬されたと聞く」

「そっか……」

「当然私はトリィに激しく罵声を浴びた。何発も殴られたし、汚い言葉で罵られたさ。でも、私には返す言葉がなかった。彼女の罵声や暴力を、無抵抗で受け入れる事しかできなかったんだ」

 苦しげに、シルフィードは唇を噛みながら肩を震わせた。その姿はいつもの頼もしい彼女とは思えない程に弱々しく、ちょっとした事でも折れてしまうかのようなひ弱さを感じさせた。握られた拳は真っ白に染まり、小刻みに震えている。

「……程なくして、彼女は私の前から姿を消した。以後、彼女と会った事は一度もなかった。私は再びソロハンターに戻ったが、ちょうどその頃にアインと出会い、彼の強さに惹かれてソードラントへ入ったんだ」

「そんな事が、あったんだ……」

 自分の知らない、シルフィードの過去。狩友を失う、チームを組むハンターなら常に隣にある恐怖。彼女はそれを、今の自分よりもずっと年下の頃に経験したのだ。

 今のシルフィードは冷静沈着で的確な指揮をしながらも、強力な大剣使いとして常に前衛役としてモンスター相手に肉薄し、奮戦する頼もしいハンターだ。だからこそ、昔の彼女の姿と今の彼女の姿の差に困惑する。そしてその差が、そんな悲劇を生んでしまったのだ。

「……まさか、その彼女がソードラントに入っていたなんてな。全て私の責任だ」

 トリィは言っていた。シルフィードを絶対に許さない。シルフィードよりも強いハンターになる、と。だからこそ昔の彼女のように非道な手段でも力を追い求め、今ソードラントに入っている。彼女の人生を狂わせたのは自分の責任だ。シルフィードは強く自分を責め、責任を感じていた。

「――幻滅しただろ?」

 頭を抱えながら沈黙していたシルフィードは、小さな声でクリュウに声を掛けた。同じように目を伏せていたクリュウがその問い掛けに顔を上げると、シルフィードは目の縁に涙を浮かべながら自虐的に笑っていた。

「君にだけは、この話はしたくなかった。君の信頼を裏切り、幻滅させると思っていたからだ。だが私は卑怯だった。彼女の言う通り、自分の醜い過去を隠して君と接していた。君を裏切っていたんだ……幻滅されて当然だ」

 両手で顔を隠すように押さえながら、シルフィードはさめざめと泣き崩れる。

 今まで、約一年程彼と一緒の時を過ごして来た。その中で互いに信頼関係を築き合い、彼はどうかはわからないが自分にとって彼の存在はずいぶんと大きなものになった。つい先日、ようやく自分が彼の事を好きなのだと自覚したばかり。これから、女としての幸せも始まる。そう思っていた矢先に、その全てを壊してしまうような自らの過去が露呈してしまった。

 彼は純粋が故に非道な行いを嫌うタイプだ。そんな彼に幻滅されてしまうような事を、自分は過去に犯してしまったのだ。だからこそ自分は卑怯にも、その事実を隠し通して来た。だがもう遅い。全て彼に知られてしまった。自分の醜い過去の全てが……

 ――あぁ、嫌われたな。

 感情的になる自分の中で、冷静な自分がつぶやいた。

 最も恐れ、最も嫌で、でももうどうしようもない現実。自分は彼の信頼を失い、幻滅された。もう前のように、彼が自分に笑い掛けてくれる事はない――嫌われたのだ。

 悲しくて、寂しくて、情けなくて、笑いが零れる。乾いた、情けない笑い声だ。顔を隠す手のひらは涙に濡れ、彼にこんな惨めな顔を見てほしくないから、離せない――笑えてくる。嫌われたとわかっていても、自分のひどい顔は彼に見てほしくないなんて。何もかも全てが終わったというのに……

「シルフィ……」

 ――だからこそ次の瞬間、そっと彼に抱き締められた事に驚いた。

 後頭部に回された彼の二本の優しい腕と、彼の少し頼りない胸板に挟まれる。まるで、全身を包むような彼の温かさと優しさに、胸いっぱいに安堵が広がる。だが同時に、この状況に彼女は混乱していた。なぜ今、自分は彼に抱き締められているのか。どうして彼は自分に優しく接してくれているのか。それが理解できず、困惑していた。

「クリュウ……?」

 涙を拭いて顔を上げると、そこには失ったと思っていた彼の笑顔が確かにあった。温かくて、優しくて、かわいくもどこか凛々しい。そんな笑顔に自分はいつもドキドキしてきた。そんな彼の、自分の大好きな彼の笑顔が、そこにあった。

 呆然とするシルフィードを優しく抱き留めながら、クリュウはそっと彼女の目の縁に浮かぶ涙を指先で拭い取る。そうすると、いつもと変わらない、彼女の綺麗な顔がよく輝いて見えた。

「……人には、知られたくない過去の一つや二つあるものだよ。僕にも、シルフィにもね」

「クリュウ……」

「僕は今のシルフィを、僕達の頼もしいリーダーとしてのシルフィード・エアを信じてる。例えその過去に何があったとしても、僕の知っているシルフィード・エアはかっこ良くて、頼もしくて、強くて凛々しい。でも時々ポカやって慌てたり、楽しい事を見つけて嬉しそうに笑ったり、たまに見せる弱々しさが放っておけない。僕にとってのシルフィは、そんな人だよ。過去の事を遡ってまで君を評価はしない――だって僕は、今の君が大好きなんだから」

 そう言って優しくはにかむ彼の笑顔に、心から救われた。そして同時に、改めて理解した。なぜ自分は彼を好きなのか――それは、彼のこの底抜けの優しさが、自分を優しく包み込んでくれるからだ。

 今まで、この優しさに何度も救われて来た。心惹かれててきた。ドキドキしてきた。だからこそ、一緒にいる事が何にも代え難いような幸せに感じたのだ。

 彼の優しい言葉に、心から救われた。だが同時に、そう言ってくれる彼の言葉に感じる負い目が胸の中でくすぶる。

「……君は、こんな私を軽蔑しないのか? 自分の独断行動のせいで、チームメイトを殺してしまった。この私を」

「別に君が直接ネリスさんを殺めた訳じゃないでしょ? こう言っちゃ何だけど、そういう世界に生きてるんだよ僕達ハンターは。常に死と隣り合わせで、そういう覚悟と決意を持って武器を持ち、狩場に踏み入れ、モンスターと対峙する。些細なミスが、命を落とすような、そんな世界なんだよ。だから、ネリスさんの事は悲しい事故としか言えないよ。もちろん、君がそれに負い目を感じているのはわかってるさ。でもさ、その出来事が僕の君に対する信頼を失わせる原因なんかにはなりはしない。だって、僕は君に何度も助けられたから。君の剣に救われ、君の後ろ姿に勇気をもらって、君の指示が僕をここまで成長させてくれた。これもまた事実でしょ? 僕に対する君の今までの功績がある限り、僕は君への信頼を失わないよ――それに、さっきも言ったでしょ? 僕は今の君が好きで、今の君だからこそ自慢の仲間だって思えるんだから」

 彼女を勇気づけるように一つひとつ言葉を選びながら言っているうちに、ずいぶん恥ずかしい事を言っているのだと気づいたのだろう。クリュウは頬を赤らめながら照れ笑いを浮かべた。そんな彼のいじらしい姿や、自分を想っての気持ちが込められた言葉に、シルフィードの胸の奥が温かなものが広がっていく。

「……ほんとに、すごい奴だな。君って奴は」

 彼には聞こえないような小さな声で、つぶやく。

 どうしてこうも絶望に打ちひしがれていた心に的確に元気をくれるのか。どうしてこうも女の子が喜ぶような事を平気で言ってのけるのか。どうしてこうも、胸がドキドキさせてくれるのか――ズルいじゃないか。君のその優しさのせいで、自分はどんどん君を好きになってしまう。想いを止められなくなってしまうじゃないか。

「し、シルフィ……?」

 背中に腕を回されて、今度は彼女の方から抱き締められる。驚くクリュウは困惑しながら彼女に抱き寄せられる。全身を包み込むような彼女の温もりに頬を赤らめながら「し、シルフィ……?」と彼女の名を口にする。顔を上げると、そこには穏やかな笑みを浮かべた彼女の顔がすぐそこにあった。

「……まったく、君は大した奴だよ。なぜ君の周りには人が集まるのか、身に染みるようだ」

「あの、何を言って……」

「私はどうやら君の事を過小評価していたらしい。それを改めさせてもらうよ――君は私にとって、最高のパートナーだよ。クリュウ」

「あ、うん。僕もシルフィの事は最高のパートナーだって思ってるよ」

「……君の言うパートナーと、私の言うそれは必ずしも一致する訳ではないが。まぁいいだろう」

 頭の上に疑問符を浮かべるクリュウの何もわかっていないのが丸わかりのような顔を見て諦めたようにため息を零すシルフィード。だがその表情はどこか嬉しそうであり、この状況を楽しんでいるように見える。

 彼の鈍感さは今に始まった事じゃない。それを突破するのはまだまだ自分にはできそうにはない。でも悲観する事はない。むしろこの微妙な、くすぐったい感覚を楽しむ事にしたのだ。よく言うではないか――祭は本番よりも事前準備の方が楽しいと。

 彼を振り向かせる事に必死になる他の恋姫達とは違う。大人の余裕をもって、いつの日か必ず彼を籠絡してみせる。そんな桃色の強い決意が、彼女の胸にはしっかりと刻まれていた。

「クリュウ。君が私を信じてくれる限り、私も君を信じ続けよう――だから、これからも同じ道を進み続けよう」

 そう言って、いつもの彼女らしい頼もしい笑みを浮かべながらシルフィードは手を差し伸べる。クリュウも「これからも、ずっと一緒だよシルフィ」と満面の笑みを浮かべながら差し出された手を握り締め、二人は固い握手を交わした。

 思わぬ不幸な出会いで揺らぎかけた二人だったが、シルフィードは改めて彼の優しさと頼もしさを確認し、クリュウも自分が知らぬ彼女の一面を知ってより深く彼女の事を知る事ができたのであった。

 

 ハンターズギルド本部の入る建物の宿泊施設。その最上階にエンペラークラスの宿泊部屋が入っている。これより上の階はハンターズギルド本部となり、一般のハンターは入る事が許されない。だがエンペラークラスともなると、その行き来も可能となる為、こうしてギルド本部のお膝元に部屋が用意されているのだ。

 部屋は豪華な装飾で彩られ、絨毯も最高級品を用いて素足で歩きたくなる心地良さ。小さいながらもワインセラーもあり、一級品のワインが置かれている。ソファも柔らかく、全てが豪勢な部屋。それがエンペラークラスの部屋だ。

 そんな一級品の部屋にいるのが、ソードラントの面々だった。

「……チッ、久しぶりにドンドルマに来たら、見たくもない顔を見るハメになるなんてマジ最悪」

 悪態をつきながら、ガリア産の最高級ワインを味わう事もなく一気にグラスの中身全てを飲み干すのはツヴァイ。アインの前での可愛らしい振る舞いなど微塵も感じられない程の粗暴。テーブルの上に足を乗せ、表情も不機嫌そうに歪めている。先程までのS・ソルZシリーズは脱ぎ捨て、妖艶な紫色のドレス姿なのが余計にその態度の異質さを強調している。

 現在アインと付き添いとしてバグラチオンの二人はハンターズギルド本部に出向いて今回のソードラントの問題行動でギルドマスターに小言を言われている。その為、今この部屋にいるのはツヴァイとトリィだけだ。

「あんたもそう思うでしょトリィ?」

 ツヴァイが視線を向けながら問い掛けた先には、今まさにシャワーを浴び終えてガウン姿で戻って来たトリィが立っていた。まだ少し濡れている髪をタオルで拭いながら「えぇ。気分が悪くして仕方ないわ」と同意する。

 ツヴァイは粗暴な振る舞いと常識の箍が外れた問題行動ばかり起こす為、正直トリィもあまり関わりたくはない。だがその実力は確かなのでその点では尊敬はしているし、何より今回の彼女の問い掛けは自分と全くの同意見だった。珍しく、二人の意見が一致したのだ。

「でしょぉ? 昔から気に食わない奴だったけど、久しぶりに会ったらもっと気に食わないわね。特にあの無駄に大きな胸、思い出すだけで腹が立つ」

 シルフィードは自分自身の正義感を貫くタイプなので、元々ツヴァイとは反りが合わなかった。ツヴァイは決して貧乳という訳ではないが、同い年のシルフィードの胸の大きさに昔から苛立ちを感じていたのだ。トリィとしてはそんな事どうでもいいのだが、シルフィードを毛嫌いにしている事は同意だった。

「ずっと一人寂しくソロハンターしてる思ってたら、何だか弱そうなガキを連れていっちょ前にリーダー気取り。ずいぶんと出世したものね、何が蒼銀の烈風よ。お兄様がつけてくださった《血塗られた聖剣》って二つ名を捨てて。ほんとムカつく」

「……ほんと、ムカつくわ。ネリスを殺しておいて、自分は男と一緒にのうのうと暮らしているなんて。絶対に許せない」

「っていうか、アレはあいつの彼氏な訳? どうでもいいけど、ちょっと不釣り合いじゃね?」

「恋人同士という風には見えなかった――でも、あのガキを見ている時のあの女の目。あれは恋してる女の目だったわ」

「……って事は、片想い? あはははははッ、あのシルフィードが片想い? 何それ超ウケるわ~ッ」

 ゲラゲラと下品に笑うツヴァイは心底楽しそう。一方のトリィはギリッと歯軋りしながら、怒りに染まった瞳で床を睨みつける。おそらくシルフィードは今この下のどこかの階の部屋で、あの少年と一緒にいるはず。それを想像するだけで、嫉妬と憎しみが胸の奥で燃え広がる。

「――っていうかさ、あいつ昔ウチにいた頃は何かとお兄様に構われてたのよね。お兄様好みな目をしてたし、そのせいでアタシはいつも除け者にされてた。あの時の気が狂いそうな憎しみ、思い出すだけで頭がおかしくなりそう」

 ガシャンッと砕けるワイングラス。ツヴァイが苛立ちのあまり床に投げつけて粉々に割れてしまったのだ。砕け散ったワイングラスを睨みつけながら、ツヴァイは憎しみの言葉を続ける。

「……やっといなくなって、お兄様を独り占めにできてたのに。またあいつが現れた。またお兄様は、あいつの事を興味津々で見ていた。何でいつもあいつは、アタシのお兄様を奪おうとするのよ……ッ!」

 奇声を上げながら、ツヴァイは怒りに任せて最高級のガリア産のワインの入ったビンを壁に投げつけた。ビンは粉々に砕け、赤紫色のワインが飛び散る。砕けたワインのビンに貼られたラベルには生産地として《アルザス》と書かれていたが、飛び散ったワインが掛かり、今はその文字は虚しく滲んでしまっている。

 床を濡らすワインは、まるで血のように広がっていく。それを睨みつけていたツヴァイだったが、急にその表情が変わった。それは面白い事を思いついた子供のように、やんちゃに、そして不気味に、楽しさ一色に染まった笑顔。

「……ねぇトリィ。あいつの大切なもの、滅茶苦茶にしてやったら、どうなると思う?」

 静かな問い掛けに、服を着ている最中だったトリィは「大切なもの?」と返す。彼女の言う意味がわからずに首を傾げていると、ツヴァイがゆっくりと振り返った。その顔を見て、トリィは背筋が凍った。その邪悪なまでに楽しそうな笑顔。それは村一つを滅ぼした時と同じ、トリィが最も嫌い、そして恐れる彼女の笑顔だった。

 黙るトリィを前に、ツヴァイは口端を不気味に吊り上げながら、シルフィードの大切なものを明かす。

「――あのガキよ。あのガキ、アタシとあんたで滅茶苦茶にしてやんない? ボロボロになったあのガキを見た時のあのクソ女の顔を想像しただけで……あぁ、もう堪らないわぁ」

 ほぉとため息を零し、不気味なまでに妖艶な笑みを浮かべながら、ツヴァイを両腕で自らを抱き締め体を左右に揺らす。頬を紅潮し、淫らな喘ぎ声を時折零す。その姿は艷やかではありつつも不気味だ。そんな彼女のスイッチが入った姿はいつもは軽蔑の眼差しで迎えるトリィだったが、

「……いいわね、それ。あのガキに恨みはないけど、ちょっと壊れてもらおうかしら」

 ツヴァイとはまた違った不気味な笑みを浮かべながら、嬉々とした様子で彼女の提案に賛成する。大事な人をボロボロにされた時、あの女がどんな顔をするか。想像するだけで確かに全身をすさまじい快楽が包み込む。もはや彼女の理性は吹っ飛び、思考の全てがシルフィードに対する邪道な復讐に染まっていく。

 宿泊施設の最上階の一室で、二人の少女の恐ろしい復讐計画が始まろうとしていた。


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