モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第210話 安居楽業 少女が勝ち取った幸せに満ちた心の拠所

 数日後、無事に村へと戻った一行は村長にティガレックスの討伐を報告。村長は「これで逃げちゃったポポが戻ってくればいいんだけど」と少しほっとした様子。正確にはティガレックスを倒したとはいえ逃げてしまったポポが戻って来た訳ではないのだが、ひとまず安心といった所か。

 村長への報告を済ませ、疲れた体を早く休ませようと家に戻った四人。すると、

「クー君、ご無事で何よりなのです」

 玄関を開けると、待っていたキティが早速クリュウを抱き締めて頭を撫で撫でするという暴挙を決行。背後から抱き締められたクリュウは顔を赤らめて「や、やめてよ恥ずかしい……ッ」と抵抗してみせるが、あまりその抵抗は強くはなく、実は満更でもない様子。一方のキティはクリュウの頭を優しく撫でながら「いい子いい子、なのですよぉ」と微笑む。

 何て仲睦まじい姉弟なのだろうか。その光景は実に微笑ましくもあり――同時に並々なる怒りを抱く者達もいる訳であって……

「い、いくらクリュウ様の姉代わりの方でも、このような横暴は許されませんッ」

 まず最初に反旗を翻したのはフィーリア。クリュウの右腕にしがみつくと、健気にキティを睨みつける。だがキティはまるで気にした様子もなくクリュウにもっとくっ付いてみせる。顔を真っ赤にして慌てる彼を見て苛立ちながらもっと言ってやろうと口を開いた時――見えてしまった。クリュウの背中に押しつけられる宿敵シルフィードにも勝る大きな胸を。

「……世の中、とてもとても不公平なのですよ」

 フィーリア・レヴェリ、撃沈。

 彼我の戦力差が圧倒的であると悟ると、もはや抵抗する気力すらも削がれてしまったようだ。部屋の隅に移動すると、その場でこちらに背を向けて座り込んでしまう。近づく事すらできないようなどんよりとした空気が、彼女の周りに満ちていた。

「……立ちなさい、フィーリア」

 そんな彼女の肩にそっと添えられた優しい手。振り返ると、そこには凛々しく立つサクラの姿があった。落ち込む彼女に向かってサクラは「……あんな脂肪の塊、恐るるに足らないわ」と堂々と言い放つ。

「で、ですが、殿方は大きな胸を好むものだと……」

「……貴様の覚悟は、そんなものなの?」

 まるでバカにするように嘲笑しながら言い放った彼女の言葉に、フィーリアは思わずカチンとなる。ゆっくりと立ち上がり「どういう意味でしょうか?」と固い声で尋ねる。妙な雰囲気が、二人を包む。

「……貴様は世の野蛮な雄に好かれたい訳? それとも、クリュウにただ一人に好かれたい訳?」

「そ、そんなのクリュウ様にだけ好かれたいですッ」

 頬赤らめ、照れながらも一生懸命叫ぶフィーリア。そんな彼女の言葉にサクラは口元に不敵な笑みを浮かべると「……なら問題ない」とハッキリと言い切った。

「どうして、ですか?」

「……クリュウは小さい方が好み」

「そのネタまだ続いてたのッ!?」

 キティに抱き締められながら叫ぶクリュウのツッコミなど耳を貸さない二人。サクラの言葉にハッとその事実を思い出したフィーリア。そんな彼女の反応を見てサクラは小さく微笑むと、

「……あんな後に垂れる脂肪の塊なんて、こちらから願い下げだわ」

 とてもとても素敵な笑みと共に堂々と言い放つ――その発言に約二名程が相当なダメージを負った。

 無言で固い握手を交わすフィーリアとサクラ。その表情は実に晴れ晴れとしていて、清々しい。青春という言葉は、彼女達のような表情にこそ相応しいに違いない。

 一方、先程のフィーリア同様に部屋の隅で落ち込むシルフィードに掛けるべき言葉が見つからず狼狽するクリュウ。そんな彼の背中に抱きつきながらキティは「クー君は、お胸の小さい女の子の方が好きなのですか?」といつになく暗いトーンで尋ねる。エンペラークラスの凄腕ハンターとはいえ、まだまだうら若き二〇代の乙女なのだ。

「い、いや、僕は別に胸の大きさとかはあまり気にしないんだけど」

 そんな姉を気遣うように、尚且つフィーリアとサクラも傷つけないような言葉を慎重に選んだ末に放った言葉に、キティはほっとしたように「そうなのですか」と笑みを浮かべる――すかさずそこへエレナの跳び蹴りが決まった。

 床に叩きつけられたクリュウは当然「何するのさッ!?」と怒る。すると、そこにはピキピキとこめかみを震わせながらエレナが仁王立ちしていた。貧乳とも巨乳とも言えない見事な中間点、普乳とも言うべき胸を張りながら、怒りの炎を激しく燃えたぎらせる。

「要するにそれって、女なら何でもオッケーって事でしょッ!?」

「どうしてそういう意味になるかなッ!?」

 見事な汚名を着せられ、慌てて反論するクリュウ。だが、時すでに遅しという訳であって……

「クリュウ様……」

「……クリュウ」

「クリュウ……」

「クー君……」

 ――見渡せば、見事に周りの女子達の目線は冷たいものに変わっていた。

「あ、いや、違うんだよ? ねぇ……」

 涙目になりながら必死に誤解を解こうとするが、常日頃の彼の行動はそう思われても仕方がない程に女の子に甘いのが仇になった。妙に信憑性がある為、誤解が誤解で終わらない。

 数分後、フィーリア、シルフィードと悩める若者を迎え入れた心優しい部屋の隅は新たに少年を一人優しく包み込んだのは、言うまでもない……

 

「まぁ、冗談はその辺にしておくのです」

「いや、冗談では済んでいないのだが……」

 まるで何事も無かったかのように場の空気を改めるキティ。他の面々も同意見らしく話題転換に舵を切っている。そういう点ではどうにも薄情になれないシルフィードは部屋の隅で落ち込むクリュウの方を見るが、先程から彼は微動だせずにどんよりとした空気を纏いながら座り込んでいる。どうやらしばらくは再起不能のようだ。

 シルフィード一人残して見事に話題転換を成し遂げた面々。その話題は早速轟竜ティガレックスのそれに変わっていた。

「しかし、未知のモンスターを相手に見事な勝利を成し遂げるとは。すごいのです。感動したのです。感銘を受けたのです」

 エンペラークラスのハンターから絶賛を受け、フィーリアは照れ笑いを浮かべる。一方のサクラまるで当然の事をしたまでと表情を一切崩さない。彼女の場合、クリュウ以外の誉め言葉など微塵も嬉しくはないのだろう。

「死体はあとでアルフレアのギルド支部に回収を申し込んでおくのです。一ヶ月以内にはギルド本部から専門家などが訪れて解剖し、生態などの詳しい調査結果がギルド本部に届くのです。あなた達は、ギルドに見事貢献したのです」

「えへへ、ギルドに貢献ですかぁ。嬉しいですねサクラ様」

「……興味ない」

「んもう、もしかしたらご褒美を貰えるかもしれないですよ?」

「……クリュウ以外に、私が欲するものは何もないわ」

「ったく、あんたらしいわね」

 欲がないというか、純粋というか、不器用なくらい真っ直ぐというか。何とも彼女らしい発言にフィーリアとエレナは思わず苦笑を浮かべた。すると、ようやく諦めてシルフィードが話題に入るのを確認してから、キティは切り出す。

「――君達、ギルドナイトになる気はあるのです?」

 突然の問いかけに、三人は面食らう。誘われたのは他の三人であって直接は関係ないとはいえ、エレナも突拍子もないキティの誘いに慌てる。

「ぎ、ギルドナイト? な、何でよキー姉ぇ」

「何でも何もないのです。この三人はとても優秀なのですよ? 二つ名は程度は違えど、世間にある程度通じているものばかり」

 そう言いながら、キティは静かに三人の顔を見定めていく。

「ガンナー界のうら若きルーキーにして、実はこっそりファンクラブがあったりする、《桜花姫》ことフィーリア・レヴェリ」

「ふぁ、ファンクラブッ!? そ、そんなの初耳ですよッ!?」

「ちなみに会長は《悪魔のサイレン》ことルーデル・シュトゥーカなのです」

「ルウウウウウゥゥゥゥゥッ!!!!!」

 自分がいない場所でとんでもない事をしでかしている親友の情報を知ったフィーリアは顔を真っ赤にして空に向かって叫ぶ。当然その声は今も積極的に布教活動に勤しんでいる親友には届く事はない。

 恥ずかしさで泣きそうになるフィーリアを横目に、キティは今度はサクラを見やる。

「護衛の女神とも謳われ、大陸通商連合会長から最も信頼されるハンターとして商人の間で有名な、《隻眼の人形姫》ことサクラ・ハルカゼ」

「……老いぼれに好かれても、嬉しくも何ともないわ」

 大陸通商連合とは、文字通り中央大陸で商いを行う商人のほとんどが加盟している行商人組合のようなものだ。ここに未加入だと大都市では営業できないし、そもそも闇商人という扱いになる。この組合があるからこそ商人は自分で現地のハンターを雇う他に組合経由で優秀なハンターを雇う事も可能なのだ。危険地帯の通過や重要品目の運搬の際にはこの後者が選ばれる。何より、組合に加盟する商人間で商品の購買も行われる、一種の卸売業と流通業の役割を担っている。この組合があるからこそ、辺境の村でも最低限度の商品の販売が可能となるのだ。

 そんな大陸通商連合は利権争いでハンターズギルドと対立する事は少なくない。特にヴィルマ崩壊後はドンドルマの重要物流拠点度合いが増し、ハンターズギルドが関税を荒稼ぎしている事も対立の原因となっている。その為現場の商人はともかく、組合幹部は基本的にハンターズギルド、そしてハンターを快く思わない者も少なくはない。あくまで利益の為に護衛を依頼しているに過ぎないという、嫌いな相手でも利益になるなら付き合う。まさに商人魂というべきものだ。

 そんな大陸通商連合において、唯一無二で信頼を得ているハンターがいる。それがサクラなのだ。

 単純なハンターとしての実力なら、彼女に勝る者など大勢いる。彼女はまだビショップクラス。それより上の階級のハンターは数多い。だが彼女程大陸通商連合、強いては商人に対する功績が目覚ましいハンターは存在しない。彼女の働きで多くの商人がその命や物資を守られ、無事に目的地に出向いている。そんな功績と彼女の命懸けの護衛、そして何より彼女の素っ気なさがむしろ仕事人という風合いを持ち、商人達から絶大な信頼を得るようになった。

 大陸通商連合会長自ら表彰をしたり、組合側が専属のハンターになる事を依頼するなど手厚い施しを受けるも、サクラはそれらを全て拒否。フリーで居続ける事を選んだ。彼女曰く「……馴れ合いは嫌いだ」という事だが、実際は誰かに従属しては自らの意思で行動できなくなる事を嫌ったからである。自らにどれほどの利があっても、己が信念に背く道は選ばない。例えその道が茨の道だとしても、彼女はその道を貫く。そういう娘なのだ。

 実はサクラはこういう経緯もあって、意外かもしれないがメンバーの中では最も顔が広い。実際、クリュウ達と狩猟などで色々な街や村を訪れても、そこで声を掛けられるのはほとんどがサクラだ。大概の場合はサクラの方は相手を忘れている事が多いが、これはそれだけの数の商人を守って来た証拠だ。

 中央大陸の大陸総生産は世界中の他大陸の中でもずば抜けて高い。それを支えているのが大陸通商連合であり、そこに絶大な信頼を得ているサクラ。身体能力だけではなく、そういった点でももはや常人の域を脱している。ハンターとしての実力はもちろん、こうした人脈という点での潜在能力に関して言えば、彼女は言い過ぎではなくちょっとした国の国家元首程の発言力、影響力を持っているのだ。

 そして最後にキティは腕を組んで座っているシルフィードを見やる。

「《砂漠の狼》と称される伝説のハンター、エルディン・ロンメルの唯一無二の弟子にして元ソードラント所属。経歴だけでも注目すべきものなのですが、実力ももちろんなのですが、何よりも先日発表された『かけだしハンターが守ってもらいたい先輩ハンターランキング』で上位入賞を果たした事から巷で人気急上昇中な《蒼銀の烈風》ことシルフィード・エア」

「な、何だそのランキングは?」

「ドンドルマハンターズギルド本部ギルド嬢長、ライザ・フリーシアが時折企画推進するイベントの一環として行われたものなのです」

「あ、あの阿呆が……」

「そのランキングにおいて見事8位に入ったのです。見事なのです」

「……なるほど、道理で最近年下のハンターに声を掛けられたりしてた訳だ」

 呆れたようにため息を零すシルフィード。実は一週間程前までドンドルマに出張していたのだが、その際やたらと新米ハンターに声を掛けられていた。何事かと思いつつクールに無視していたのだが……いくらクールを装っても根がいい人なので結局根負けして色々とアドバイスをしたりしていたのだ。

 先日の怪奇現象の理由が判明し、シルフィードは頭を抱える。

 キティの説明にて二人の少女がお天道様の下を歩けない状態となってしまうが、本人は至って平然と話を進めてしまう。

「君達がギルドナイトになれば、実力はもちろん話題性という点でも朗報なのです。如何なのです?」

 ギルドナイトは単純な実力社会という訳ではない。そこには政治的な意味合いもあり、複雑な事情を孕んでいる。実力者がギルドナイトという訳ではない。ギルドナイトに必要なのは、どれだけ周りに影響力を与えられるかなのだ。もちろん、それに見合うだけの実力がある事は大前提だ――そして、三人はその素質が十分にある。特にサクラが与すれば、大陸通商連合との溝を埋める橋渡し役としての存在も大きい。

 キティの申し出に、三人は互いを見合う。そんな彼女達の背中を、不安そうにクリュウが見詰めていると――三人は彼の方へ振り返り、一斉に笑みを浮かべた。

「悪いが、私達は現場で活躍していたいんだ。君みたいに縛られる事なく、自由にな」

「……なかなか手厳しいのですね」

 エンペラークラスの自由度のなさを非難するような物言いに、キティは苦笑を浮かべる。自らは自由に世界を旅していたいのに、それを許されない立場。何て歯がゆいのだろうか。そう、世の中には自分がすべき事と自分しかできない事が違う者がいるのだ。その間で、その者達はジレンマに陥ってしまう。

「私達は別に偉くなりたい訳じゃありません。偉くなりたいだけなら、国に戻ればいいだけです」

 西竜洋諸国の中でも特筆して軍事力が高く、実質大陸最強の軍事大国と化したエルバーフェルド帝国。その帝国内の名門であり、政府に対しても物言いができる貴族のレヴェリ家出身のフィーリア。本当に権力が欲しいなら、そこに戻ればいい。彼女には、ある種簡単に権力を手に入れるだけの環境が整っているのだから。でも、

「私はただ、クリュウ様のお側にお遣いしたいだけなのです」

 彼女がここにいる理由。それは大好きな彼の傍にいたいから。彼女がここにいる理由はたったそれだけで、そして、たったそれだけでいいのだ。愛する人の傍にいたい。ただそれだけなのだから。

「……私も、馴れ合いは御免だわ。それに、私が貴様らに屈したら私を信じて護衛を依頼してくれる商人達を裏切る事になる――何よりも、私はクリュウ以外に屈するつもりはない」

 隻眼を鋭く煌めかせ、堂々と言い放つ。凛々しく立ち振舞い、颯爽と黒髪をはためかせ、仁王立ちするサクラ。その腕には何百という商隊と、そこにいる何千人もの商人の信頼が込められている。その信頼を裏切らない為にも、そして大好きな彼の傍にいる為にも、彼女はここを離れるつもりはない。

 三人にとってイージス村はもう一つの故郷であり、クリュウは心の拠り所なのだから。

 乙女三人の決意と返答をもらったキティは静かに口元に浮かべると、「残念なのです。でも、ちょっぴり嬉しいのです」と言葉を零す。そしてクリュウを見て、

「本当に、クー君はとても良いお友達に恵まれたのですね」

「うん、最高の仲間(パートナー)だよ」

 笑顔で答える彼の言葉に安心したように微笑み、キティは小さくうなずく。

「――安心したのです」

 ただ短く、ほっとしたように彼女はそうつぶやいた。

 

「え? もう行っちゃうの?」

 村長やキティへの報告を済ませ、エレナの酒場に舞台を移してようやくほっと息をついたばかりの頃、突然キティの口から告げられた。

「はいなのです。私は今回の事を早急にギルドに報告する為にも、そろそろお暇(いとま)させていただくのです」

 ショックを受けるクリュウとエレナを前に、キティもまた残念そうに話す。だが彼女は本来この地域にはティガレックスの生態を調べる為に派遣された。その任務が終わった以上、報告を済ます為にも早く戻らなければならないのだ。

「そっか、残念だな」

 ショックではあるが、仕事なら仕方がない。残念ではあるが、自分達のわがままで彼女に迷惑は掛けたくはない。弟として、姉に負担を掛けてはならないのだ。

「でもさ、また来てくれるよね。今度はちゃんと、仕事じゃなくて里帰りって形で」

 クリュウのがんばって浮かべた笑顔を前に、キティもまたぎこちなくも小さな笑みを浮かべて応える。

「約束するのですよ」

 キティの言葉に、クリュウは笑みを浮かべながらゆっくりとうなずいた。精一杯の笑顔は、傍から見ているとどこか痛々しく、でもどこか仲睦まじくて。そんな二人の関係が近くて、眩しくて、羨ましくて、フィーリア達は何も言えなかった。

「皆さん」

 そんな時、そっとキティがこちらへと振り返り、声を掛けた。身構えていなかった四人は一瞬慌てるがすぐに平静を装い、彼女の視線に向かい合う。ジッと見詰める彼女の瞳を前にしながら、四人は息を呑む。そんな緊張が長いように感じられるも、ほんのわずかな時。フッと彼女の口元に笑みが浮かぶ。

「クリュウの姉として、皆さんにお願いするのです――どうか、私の弟をよろしくお願いしますなのです」

 そう言って、キティは静かに頭を下げた。それはただひたすらに、可愛い弟を想うが故の行動。自分が傍に居てあげられない弟を、自分の代わりに支えてほしい。そんな、身勝手かもしれないが、それでも言わずにはいられない想い。本当はずっと傍にいてあげたい。でも自分はそれができない。

 キティは決して、ハンターをやめたい訳ではないのだ。やめたいと思っていれば、自由が奪われる選択をするはずがない。ハンターを続けたいからこそ、自由を犠牲にしてでもその道を選んでいる。それはクリュウが相手でも例外ではない。むしろ安易な選択をすれば、それはクリュウをも裏切る結果になる。だからこそ、彼女は選んだのだ――彼を支えるのは自分ではなく、彼女達なのだと。

 頭を下げるキティを前に、クリュウは何も言わなかった。ただ、彼女と同じように自らも四人に向かって頭を下げた。今まで支えてくれたみんなに、どうかこれからも一緒にいてほしい。そんな、想いを込めて……

「……言われなくても、そのつもりよ」

 沈黙を破ってそう宣言したのは、サクラだった。二人が顔を上げると、サクラは腕を組んで憮然と座っていた。二人の視線に対し無表情を貫いていたサクラだったが、その口元にフッと笑みが浮かぶ。

「……旦那に尽くすのは妻の役目よ」

「何を堂々と大ボラ吹き倒してやがりますかッ!」

 すかさずフィーリアが叫ぶ。するとサクラは鬱陶しいものを見るように立ち上がった彼女を見上げ、「……何?」と不服そうに尋ねる。彼女からすれば当然の事を言ったに過ぎない、という事なのだろう。

「どさくさに紛れてとんでもない事を言ってるんですかッ!」

「……事実?」

「虚偽報告ですッ!」

 早速ケンカをおっ始める二人を横目にため息を吐くシルフィードは、呆然としているキティを前に「すまないな。こういう奴らなんだよ」と代表して謝る。だがすぐに口元に笑みを浮かべると、キティに向かって微笑んだ。

「あなたに頼まれるまでもない。我々は、これからも彼と一緒だ――家族なのだからな」

 その言葉に、どれだけの安堵を抱いたか。キティは安心したようにうなずくと、静かに笑みを湛えた。

「どうやら私の願いは、杞憂だったようなのです」

「まぁ、できる事なら私達はあなたとも親しくなりたい。何せあなたは、彼の姉なのだから」

「そうなのです。私はクー君のお姉ちゃんなのです。私が認めた相手ではないと、クー君とのお付き合いは認めないのですよ? えっへんなのです」

 何を威張る必要があるのか。胸を張ってみせるキティの発言に隣に座るクリュウは苦笑を浮かべる。昔からどうにも思考が普通の人のそれと乖離している傾向がある。気にしないで、と言おうと口を開くクリュウだったが、それを阻むようにサクラが動いた。

「……お義姉さん、安心してほしい。クリュウは、私が一生尽くしてみせるから」

 頬を赤らめ、微笑みながら語る彼女の言葉に不意を突かれたクリュウが思わずドキッとした事は内緒だ。彼女の言葉にキティはうむとうなずいてみせる。すると、

「ちょ、ちょっと待って下さいッ!? お義姉さんってどういう意味ですかッ!?」

 すかさずフィーリアが反応を見せる。するとサクラはまたしても当然の事を言っているだけだと言いたげな目で彼女を見詰める。そんな彼女の隻眼から全てを悟ったフィーリアもすぐさま、

「わ、私も一生クリュウ様に奉仕し続けますキティお義姉様ッ!」

 恥ずかしい事を言っているという自覚はあるが、ここでサクラに引けを取ってはならないと大きな声で宣言してみせるフィーリア。もはや二人の目にはキティしか見えておらず、その隣で恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にしながら顔を伏せているクリュウになど気づいてもいない。

 そんな二人の姿に唖然とするエレナの隣で、シルフィードは大きなため息を零す。

「まったく、君達は本当に無茶苦茶だな」

「む、無茶苦茶具合ではサクラ様と対等という事はありえませんッ! 明らかにサクラ様の方が常軌を逸していますッ!」

「……表に出ろ影薄小娘」

「影は薄くないですぅッ!」

 喧嘩する程仲が良いという言葉はきっと彼女達の為にあるようなものなのだろう。懲りる事なく言い争う二人を見て、シルフィードは常々そう思う。何というか、そんな二人を羨ましく思う事もある。

「仲がいいのです。あの二人は」

 キティの言葉にシルフィードはうなずき、「親友だからな」と口元に笑みを浮かべる。そんな彼女の言葉にキティは「そうなのですか」とうむうむとうなずく。

「君にはそういう子はいないのです?」

「残念ながら、あの二人のような関係の友人は持ち合わせていないな」

「それは残念なのですよ」

 むむぅと残念そうに眉間にシワを寄せるキティの姿に苦笑を浮かべながら、シルフィードはコーヒーをすする。

「――クー君は違うのです?」

「ゲホッゴホッ!?」

 キティの口から突如クリュウの名が出た事に驚いたシルフィードは激しく咳き込む。すぐに彼女に駆け寄って背中を擦るクリュウ。その辺の気遣いはさすがと言える。

 落ち着いた頃を見計らい、シルフィードは「だ、大丈夫だ。すまなかったな」と彼に謝って席に戻すと、腕組みしながらこちらを見詰めているキティに向かって小声で声を掛ける。

「な、なぜそこでクリュウの名前が出るんだ?」

「いえ、君とクー君はいいコンビになりそうだと思ったので。それこそ、あの二人に負けないくらいの親友になれる気がするのですよ」

 うむうむとうなずきながら語る彼女の言葉に苦笑を浮かべるシルフィード。いいコンビと言われる事は嫌ではないが、どうにも自分が求める形とは異なる。

「悪いが、私は彼と親友になるつもりはない」

「むぅ、それは残念なのです。クー君はいい子なのですよ?」

「それは知っているさ。ただ私は彼と親友になるつもりはないと言っているだけさ」

「それは、どういう意味なのです? 親友以外でなりたい関係でもあるのです?」

 ムフフと意味ありげな笑みを浮かべて尋ねる彼女の問い掛けにシルフィードはくぐもる。知っていてあえて尋ねているのだろう。彼女の意地の悪さに一瞬怒りを覚えるが、それも一瞬の事。すぐに諦めたようにため息を吐くと、今はエレナと何かを話している彼の横顔を一瞥し、

「……こ、恋人だ」

 顔を真っ赤にして、小さな小さな声でそう宣言した。恥ずかしそうに顔を赤らめながらブスッとする彼女の横顔を見てキティはニッコリと微笑む。

「初々しいのです」

「う、うるさいぞ」

「……本当に、クー君は幸せ者なのですよ」

 安心したように微笑むキティの笑顔を見て、シルフィードは呆れたようにため息を零す。弟であるクリュウの事を心の底からかわいがっているのだろう。世の中には親バカという言葉があるが、彼女の場合は姉バカと呼称するに相応しいだろう。

「それでキティ殿――」

「おや? 君は私の事をお姉さんと呼ばないのです?」

 ニヤニヤとこれまた意味ありげな意地悪な笑みを浮かべる彼女の言葉に再びシルフィードは口を閉じる。先程と同じように一瞬彼女に怒りを覚えるも、大きな大きなため息を吐いてその怒りを無理やり冷ます。相手はクリュウの姉なのだ、と。

 数回深呼吸した末に何とか平静を取り戻すも、まだその頬は赤い。

 今か今かと待ち望むキティの視線を直視できず、シルフィードは視線を逸らしながら憮然とした態度を取る。そして、

「……あ、義姉上」

 顔を真っ赤にしながらこれまた小さな声で言う彼女の言葉をしかと聞きとめたキティは満足気にうむうむとうなずく。そんな彼女の姿を見て、シルフィードは本日何度目かわからないため息を零す。本当に掴みどころのない人だ。

「クー君」

 いつの間にかフィーリアとサクラの奪い合いに巻き込まれていたクリュウにキティは声を掛ける。二人はキティを威嚇しながら彼を放すまいとしていたが、クリュウに説得されて渋々その腕を放した。呼ばれたクリュウはそのまま彼女の隣の席に腰掛ける。

「君は本当にすばらしい仲間に囲まれているのです」

「うん、僕の自慢の仲間さ」

「……羨ましい限りです」

 心からキティはそう思った。

 エンペラークラスのハンターはその実力から下位のハンターと交流する事がほとんどない。正確にはあるものの、周りからその力を畏怖の目で見られる為、なかなか仲間を作りづらい。それに加えてギルドの密命を帯びる事もあるから安易に情報を漏らさまいと他人との接触を拒む傾向がある為、なかなか仲間を作りづらい環境にあるのだ。

 だからこそ、彼女からすれば素晴らしい仲間に囲まれた生活をしているクリュウが羨ましく思える。同時に、弟が幸せな日々を送っている事を喜ぶ姉としての想いもあった。

「こんな素敵な仲間を、決して失ってはいけないのです」

「もちろん、みんなの事は僕が守ってみせるよ。まだまだ守られてばっかりだけど、いつかきっと……」

 それはクリュウの心からの願いだった。周りにいる仲間は自分よりも優れた力を持つ実力者ばかり。昔に比べればずいぶん近づいたとはいえ、それでもまだまだお互いの差は埋まらない。でもいつか、自分がもっともっと強くなって、彼女達を守れるようになりたい。それが彼の願いであり、ある種の夢となっていた。

 自分の両親は優れたハンターだった。その手で多くの人達を救ってきた。そんな二人の背中を見て育ったからこそ、クリュウの夢もまた同じ道を進む。それはどこかサクラと似た道。でも彼女のそれは一人で突き進むものであり、自分の道はそんな彼女や他の仲間達と一緒に進む道。似ているようで、ちょっと違う。でも、結果は同じ――誰かを守れるようになりたい。

 自らの想いを話しながら、決意に燃えるクリュウ。そんな彼をキティは眩しそうに見詰めていた。自分にはない、まだまだ夢と希望に満ち溢れた若者の輝きだ。こんな事を考える自分は、思ったよりも年老いているのだろうか。そんな事も思いながら……

「クー君」

 呼び掛けると、彼は不思議そうな顔で振り返った。そんな彼に向かって立ち上がったキティは、バッとマントを翻す。顕になったのは最強の証であるキリンXシリーズ。肌の露出が多く、実に目のやり場に困る装備でもある。もちろんクリュウも慌てて視線を逸らすが、そんな彼の両頬を押さえて無理やり自らに顔を向けさせたキティは、そっと彼の額に自らの唇を当てた。

 顔を真っ赤にそて驚くクリュウと、その光景に驚愕と共に嫉妬に怒る乙女達の視線を一身に受けながら、キティは静かに微笑んだ。

「――クー君、大好きなのですよ」

 

 翌朝、嵐のように現れ、そして嵐のようにキティはイージス村を去った。

 もう泣かないと決め、笑顔で送り出すエレナと、姉の旅路を笑顔で祝おうとするクリュウ。そんな二人をキティは優しく抱き締めた。我慢しようとしていたのに、エレナは結局我慢できずに泣きだし、クリュウも瞳をわずかに濡らした。

 そんな二人、というかクリュウの姿を複雑そうに見詰めながらも、静かにキティの出発を見送るフィーリア、サクラ、シルフィードの三人。昨夜別件から戻って来たツバメとオリガミや、さっきまで寝ていたアシュアに、忙しい中やって来てくれたリリアや村長など、村人総出での見送りとなった。

 キティはそんな皆の見送りに不器用な笑顔で応えると、颯爽とマントを翻して村を去った。エンペラークラスに相応しい、そして可愛い弟にかっこいい所を見せたいという姉の想いからのものだった。

 森の中へと消えて行ったキティを見送り、ほっとするクリュウ。本当はもっと一緒にいて色々な事を話したかったが、もう自分も子供じゃない。わがままを言ってはいけない事も、わかっているのだ。

 そんな彼の手を、優しく握り締める者がいた。振り返ると、そこにはサクラが立っていた。

「……大丈夫。クリュウには私がいるから」

 彼女らしい、実に真っ直ぐな言葉だった。クリュウは笑顔で彼女の励ましに応えると、その頭を優しく撫でた。忠犬のように、主の手を受け入れるサクラ。その姿は凛々しくはあったが、何だか尻尾を嬉しさのあまりフリフリと振る姿が思い浮かんだ。

 すると今度は反対側の手をフィーリアが掴んだ。屈託なく微笑む彼女の笑顔は実に眩しくて、可憐で、いつも心が温かくなる。暗い気持ちも吹き飛ばしてくれるような、そんな天使の笑顔だった。

 今度はシルフィードが無言で彼に近づくと、その頭の上にポンと手を置いた。彼と目が合うと、頼もしく笑ってみせた。いつもかっこ良く、凛々しくて、でも時々見せる天然さが可愛らしい。頼もしい姉御肌な彼女は、今日も自分を励ましてくれる。そして、

「ったく、本当にしょうがないわね。バカクリュウ……」

 目の前に立ち、腰に手を当てて呆れたように立つエレナ。その表情は呆れつつも、どこか温かさを感じる。他の三人と違って実際にお互いに命を預け合うような関係ではない。でも狩猟に行く際と戻って来た際にいつも温かな料理を振舞ってくれる。彼女の料理と笑顔と、時々暴力があって、やっと村に帰って来れたんだという実感が胸いっぱいに広がる。

 どれも決して欠けてはならない、クリュウにとって大切な人達。

 そしてもう見えなくなってしまったキティも、彼にとってはそんな人達の一人なのだ。

 そんな事を考えるクリュウの腕にしがみつきなが彼の横顔を見詰めていたサクラ。ふと何かを思い出したように反対側から自分を威嚇するように唸るフィーリアに目を向ける。今まで無視されていたのに、突然視線を向けられて驚くフィーリアは目を瞬かせる。

「な、何でしょうか?」

「……フィーリア、お願いがあるの。聞いてくれる?」

「え? まぁ、私でできる事なら何でもしますけど……」

「……クリュウをください」

「絶対嫌ですッ!」

 ウーッと髪の毛を逆立てて威嚇するフィーリアを前にサクラはフッと口元に笑みを浮かべると「……冗談よ。用件は別にあるわ」と言葉を続ける。冗談だとわかっても何を頼まれるかわかりやしない。警戒を緩めずにいるフィーリアに向かって、サクラは少し恥ずかしそうに頬を赤らめながら、うつむき加減に自らの頼みをつぶやく。

「――また、ポポノタンシチュー作ってくれるかしら?」

 少し上目遣いでの、懇願するような問い掛けに一瞬面食らったフィーリア。だがすぐにその顔に優しげな満面の笑みを浮かべると、

「もちろん、腕によりをかけて作っちゃいますよぉッ!」

 満面の笑みを浮かべて張り切る彼女の姿に、安堵したようにサクラも口元に小さな小さな笑みを浮かべる。そんな二人の姿を見て、クリュウとシルフィード、そしてエレナの三人もまた幸せそうに笑みを浮かべていた。

 イージス村に訪れた轟竜ティガレックスによる危機は、クリュウ、フィーリア、サクラ、シルフィードの四人によって撃破された。一人の少女の暗い過去に一つの終止符が打たれ、辺境にある小さな村の穏やかな一日が、今日も始まろうとしていた……

 

 イージス村から数キロ程南下したキティ。ゆっくりとした歩みで歩いていた彼女はふとその歩みを止めた。振り返り、何かを見詰める。その視線の遥か先にあるのは、クリュウ達がティガレックスを葬ったイルファ雪山。

 無言で山を見詰めていたキティだったが、突然短く舌打ちをした。キリンXホーンの下から覗く表情は先程までクリュウ達に向けていた柔らかなものではなく、迫り来る危機を前に葛藤しているような、そんな厳しいものだった。

 ギリッと鈍い音を立てながら歯軋りするキティ。握り締めた拳は震え、ぶつけようのない怒りに抗うかのようだ。

 瞳は鋭く、遥か先に聳え立つイルファ山脈を見詰めている。吐き捨てるように「くそ……ッ」と短くつぶやくと、再び前に向かって歩き出す。だがそれは先程までのような穏やかな歩みではなく、怒りをぶつけるように地面を蹴るような、そんな乱暴な歩き方。

「何で、あれがあんな所にあるのです……ッ! 何で……ッ!」

 激しい怒りと共に彼女が握りしめたのは、何かの破片だった。長い年月を経て朽ちたように見えるそれは、すっかりサビついた何かの鉄の破片。だがそれは、ある者の手がかりであった。そしてそれがあの山にあったという事は……

「……九年前、引退していた流星の姫巫女が死んだ。引退していても、あのクラスのハンターが命を落とす事などありえないのです……だとすれば、可能性はただひとつ――奴に殺された……ッ」

 鉄片を怒りに任せて握り締めると、気づかないうちに切っていたのだろう。真っ赤な血が流れ出し、腐食した鉄片を赤く染め上げる。だが痛みなど感じない。怒りのあまり、一時的に彼女は痛覚を失っていた。それほどまでに強い憎悪と怒りが、彼女の胸の中で渦巻いているのだ。

「早く本部に報告して対処しないと付近一帯の村や街が――イージス村が滅びる」

 逸る気持ちを抑えられない。キティは走り出す。ここからドンドルマまでは歩きで行くような距離ではない。だとしても、次の村まで走ってそこで馬なりを借りてでも迅速に戻らなければならない。自分が知ってしまった災厄の情報を伝え、何らかの対抗策を練らなければならない。

 自分にとって故郷のような場所を、そして何より――大好きな弟を護る為にも。

 キティは数々のモンスターを葬って来たその自慢の脚力を駆使して、全速力で道を駆ける。その疾さはあのサクラをも上回るものであり、まるで疾風のように木々の間を突き抜ける。時折、クリュウの名をつぶやきながら……

 

 通常五日は掛かる道のり。だが彼女がドンドルマに着いたのはそれから三日後の事であった。

 そしてすぐさま彼女の報告を受けたハンターズギルドは緊急で対策会議を開いた。そして下された決断は――あまりにも非情なものであった。


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