第2水雷戦隊旗艦、シュヴァルツァー級軽巡洋艦1番艦、軽巡洋艦『シュヴァルツァー』に座乗する第2水雷戦隊司令官、《水雷の神様》ことカール・ルドルファー少将は司令官席に深く腰掛ける大柄な男だった。愛用しているタバコを吸いながら迫り来るクシャルダオラを睨みつけていた。
「長い海上生活でも、さすがに古龍を相手に戦うのは初めてだなぁ」
五〇代の白髪交じりの髪に彫りの深い顔立ちのカールはそう言って不敵に微笑んだ。彼は王国時代からの海軍軍人であり、あのローレライの悲劇の最中で攻め入って来たガリア・東シュレイド連合艦隊に対して津波で主力艦隊の大半を失いながらも奮闘した大洋艦隊に参加した一隻の駆逐艦の艦長だった男だ。艦長と言っても臨時編成の為に繰り上げで艦長となり、艦も警備艦に引き下げられていた旧式の駆逐艦。乗組員も津波で損失した艦艇の生き残りの寄せ集め。参加艦艇の大多数が同じような状況でコンディションとしては最悪に等しい状況だった。だが大洋艦隊の奮闘ぶりは凄まじかった。祖国を守る大戦という事で慣れない艦、見知らぬ仲間達という状況でも兵士達の士気は極めて高く、最終決戦自体はエルバーフェルド王国海軍は敗北するものの、数倍の戦力で挑み掛かって来たガリア・東シュレイド連合艦隊の半数を撃沈または撃破する程の打撃を与え、参加艦艇のほとんどが撃沈または自沈するという壮絶なものだった。彼はその戦いで圧倒的に不利な状況で敵艦五隻を撃沈するという偉業を成し遂げた。その腕を買われ、現在のエルバーフェルド国防海軍では最高練度を誇り水雷科を目指す若者全てが憧れる精鋭水雷戦隊、第2水雷戦隊の司令官としてその腕を振るっていた。
余談ではあるが、第1水雷戦隊は本国艦隊にて第3水雷戦隊と共に主力部隊の護衛役としてその真価を発揮しているのに対し、外洋艦隊所属の第2、第4水雷戦隊。特に第2水雷戦隊は水雷戦の主力として位置づけられている為に訓練も厳しく、水雷戦隊の中では極めて高い練度が必要とされる。故に第1ではなく第2水雷戦隊が最強の水雷戦隊として語り継がれているのである。
ローレライの悲劇で起きた大海戦以来初の本格的な実戦。それも歴史上初艦隊による古龍を迎え撃つという戦いの一番槍。カールは武者震いに震えていた。
「クシャルダオラ、物凄い速度で我が隊に近づいてきますッ! 距離二〇〇〇ッ!」
主力部隊のレーヴェンツァーン砲撃を無視して迫るクシャルダオラ。見張り兵の震え声を合図に、身長二メートルに迫る大男カールが立ち上がる。吸っていたタバコを捨て、軍帽を深く被りながら命令を下す。
「『シュヴァルツァー』はこのまま鋼龍に単艦にて突撃ッ! 3隊と4隊は左右に分かれて奴を包囲だッ! 鶴翼の陣で奴を迎え撃つッ!」
カールの指示に従い、第2水雷戦隊の全艦が最大速度にて航行しながら陣形を形成する。一糸乱れぬ動き、それも最高速度にての陣形転換。神懸かり的な練度を誇る第2水雷戦隊だからこそできる神業だ。
鶴翼の陣。総大将を中心に三日月型の陣形を形成するこの陣は鶴が翼を広げた形に似ている事からこの名がついた。総大将に向けて突撃して来る敵を左右から包囲してこれを全方位から殲滅する為の陣形であり、特に全部隊の連携が重要視される陣形だ。だが最高練度の第2水雷戦隊なら、これくらい造作も無い。
右先頭を走る駆逐艦『Z9』と左先頭を走る『Z13』の間をクシャルダオラが通り抜けた瞬間、両艦がそれぞれ舵を切った。『Z9』は取舵、『Z13』は面舵を。それぞれの後方を走る残り三隻の駆逐艦もその動きに合わせて舵を切り、クシャルダオラの退路を断つ。
迫り来る怒り狂うクシャルダオラを前に将兵達が恐れ慄く中、カールは不敵な笑みを崩さぬまま窓際にてクシャルダオラを迎え撃つ。
「舵そのままぁッ! 後進全速ッ!」
「司令ッ!? そのような無茶すれば、スクリューが破損しますッ!」
カールの度肝を抜くような指示に対し副長が悲鳴にも似た声を上げる。だがそんな彼の肩にそっと手を置く男が居た。彼は何も言わず、無言で首を横に振る。
「……あいつの言う通りにしろ。艦が破損しても、責任は俺が取る」
「艦長……」
カールとは戦隊司令と戦隊旗艦艦長。階級もひとつ違うが、海軍兵学校同期のハラルド・ヴェイサー大佐の言葉に副長も覚悟を決めた。ハラルドと目が合ったカールは不敵な笑みを浮かべる。
「舵そのままぁッ! 両舷後進ぜんそぉ~くッ!」
副長の怒号にも似た指令が伝声管を通じて機関室へと届く。機関兵達はまた司令官の無茶苦茶な指示かと笑いながらも、その指示に従う――俺達の司令官は無茶苦茶でも、世界最強の水雷戦隊を率いる水雷の神様なのだから。
進む為に回転していたスクリューが一斉に停止し、すかさず全力で反転する。全速前進からの全速後進。スクリュー周辺の水流は乱れ狂い、スクリューが嫌な音を立てて震える。機関も想定外の圧力に悲鳴を上げるが、エンジンを知り尽くした男達はそんなじゃじゃ馬をうまく操作する。
急速に速度を失い、減速していく『シュヴァルツァー』。しかし舵はそのままなので、迫り来るクシャルダオラは相変わらず真正面から豪速で迫って来る。そして、クシャルダオラが『シュヴァルツァー』の艦橋に向かってその鋭い爪を振り上げる――その瞬間、第2水雷戦隊の本領が発揮される。
第3、第4駆逐隊それぞれの三番艦『Z11』『Z15』が舷側に備えられた大砲から放った拘束弾がクシャルダオラに命中した。クシャルダオラの鉄の鎧を超える硬度の鏃と頑丈なロープが備えられた拘束弾。鏃が鉄の鎧に突き刺さり、抜けないように返し刃がしっかりと喰い込む。頑丈なロープが限界まで伸び切った瞬間、クシャルダオラの動きが封じられた。振り下ろした鉄の爪が、艦橋にあと一歩の所で届かない。
「残念だったなぁ、クシャルダオラさんよぉ」
軽巡洋艦『シュヴァルツァー』は爪が触れる寸前で停止し、すかさず後進を開始する。
ある程度の距離が開くと、暴れ狂うクシャルダオラに向けて前部二基の主砲が狙いを定める。仰角を取り、弾薬室から砲弾が装填され、二基の主砲から「いつでも撃てますッ!」という勇ましい声が伝声管を通じて艦橋へと響く。それを聞いたカールは不敵な笑みを浮かべながら、瞳を勇ましく煌めかせ、開口する。
「キツイの一発ブチかましてやれぇッ!」
「撃ち方始めぇッ! 撃てぇッ!」
ハラルドの命令と同時に『シュヴァルツァー』の前部主砲が一斉に火を噴いた。放たれたのは敵艦を打ち砕く為に硬い弾頭を備えた徹甲弾。レーヴェンツァーンの爆竹とは違う、重い槍の一撃だ。
旗艦に続いて第3、第4駆逐隊も一斉に通常弾にての砲撃を開始する。全方位からの一斉攻撃。クシャルダオラは悲鳴を上げながらのたうち回るが、拘束されている為に脱出できず、ただただ砲撃を受け続ける。
遅れてやって来た軽巡洋艦『シュトゥルム』率いる第4水雷戦隊も砲撃に加わり、十八隻の軍艦から一瞬の隙もない濃密な砲撃が加えられる。
だがクシャルダオラもただやられているばかりではない。風の鎧を最大にして叩き込まれる砲弾をうまく逸らしていた。戦艦級の砲弾ではなく、比較的軽い軽巡洋艦や駆逐艦の砲弾が災いし、命中弾がなかなか生まれない。更に守るだけではなくクシャルダオラの反撃も凄まじかった。小さな嵐にも等しい風ブレスを次々に撃ち放ち、包囲する二個水雷戦隊を攻撃していく。
拘束してから三分後、ついにその包囲網が崩れる瞬間がやって来た。
クシャルダオラが放った風ブレスが『Z11』に命中。強烈な風の刃の直撃を受けた『Z11』は煙突やマストが薙ぎ倒される。拘束弾と艦を繋いでいたロープの牽引機も同時に破壊され、拘束していた二本のうちの一本が消失する。
火災が発生し、甲板に兵士達が次々に現れて消火活動を開始する。その間に被害状況を整理した『Z11』の艦長は戦闘継続不可能と判断。発光信号で旗艦である『シュヴァルツァー』にその旨を伝え、撤退を開始する。
「『Z11』大破ッ! 戦線を離脱しますッ!」
「構うなッ! それよりも急いで拘束し直せッ!」
カールの怒号が響く艦橋に、更なる衝撃の光景が飛び込んで来た。残る一本のロープを結わえていた『Z15』は砲撃を中止し、『Z11』の分を補うように機関出力を最大にしてクシャルダオラとの壮絶な力比べを展開していた。だが風の鎧の一部を推進力に変えて対抗するクシャルダオラ。守りの風が薄くなり、砲弾が命中しても尚その力比べをやめようとしない。文字通り身を削りながら引っ張るクシャルダオラに対して前進全速しているはずなのに徐々に後退していく――直後、『Z15』の艦中部に爆発が起きた。
「『Z15』機関爆発ッ! 航行不能ッ!」
「拘束弾を準備できた艦から構わず撃ち込めッ! 奴を絶対に逃すなぁッ!」
カールの怒号の直後、残る艦が次々に拘束弾を放つが、いずれもクシャルダオラは器用に避けてこれを回避。機関が爆発した影響で牽引機も壊れた『Z15』のロープが外れたのはその瞬間だった。
「包囲網を緩めるなぁッ! 撃てる砲は全て撃ちまくれッ!」
十六隻となった二個水雷戦隊は再び猛烈な砲撃を浴びせる。だが、クシャルダオラは脅威の空中浮遊力でこれを回避しながら、反撃を開始した。
距離を縮めて至近距離から砲撃しようとしていた『Z9』が風ブレスの直撃を受けて戦闘能力を失うと、続けて『Z12』がクシャルダオラの爪で煙突を切り倒されて炎上。この混乱の中で『Z28』と『Z30』が衝突するなど、次々に被害が拡大していった。
だがその中でも気丈に戦う艦があった。カールの乗る軽巡『シュヴァルツァー』だ。暴れるクシャルダオラに突撃すると、拘束弾を撃ってこれを拘束。一発では足らず、続けて三発発射。計四本のロープでクシャルダオラを捕らえた。
「主砲撃てぇッ!」
カールの怒鳴り声と砲声が重なる。『シュヴァルツァー』の主砲が連続して撃ち、クシャルダオラを攻撃する。だが、クシャルダオラは怒りの声を上げながら更に強力な風を纏う。目で見える程に濃密な風の鎧は襲い掛かる砲弾を次々に吹き飛ばし、絶叫にも似た怒号は兵士達を怯えさせる。
「これが古龍……ッ!」
「無茶苦茶じゃねぇか……ッ!」
動揺する兵士達を横目に、カールは更なる命令を下す。
「2水戦残存艦艇全艦、拘束弾で奴を縛り上げろッ! ユーリに発光信号ッ!『全火力ヲ以ッテ敵ヲ砲撃セヨ』ッ!」
乱れていた隊列はすぐに整い、第2水雷戦隊の残存兵力である旗艦『シュヴァルツァー』の他『Z10』『Z13』『Z14』『Z16』は次々に拘束弾を放ち、クシャルダオラを縛り上げた。全艦機関全速の証の濃密な黒煙を煙突から噴かせて奮闘する。
第2水雷戦隊の奮闘を前に、クシャルダオラの前方に横並びに隊列を整える第4水雷戦隊。衝突事故を起こした二隻を除いた七隻の戦隊は全ての主砲と半分の副砲をクシャルダオラに向ける。第4水雷戦隊旗艦、シュヴァルツァー級軽巡洋艦2番艦、軽巡洋艦『シュトゥルム』に乗るのはユーリ・ヴェネティア少将。知的なメガネと氷海のような美しい透き通った蒼色の長い髪を流した美しい女声司令官だ。年はもう三〇代後半だが、小柄な体格の為に二〇代と言っても通じてしまう――もしかしたら十代と言っても問題なし?――幼い外見をしているが、一個水雷戦隊を率いる長だ。
「……はぁ、先輩は相変わらず無茶苦茶ですねぇ」
呆れつつも、その表情はどこか嬉しそう。同じ水雷畑として、カールの事はやはり尊敬しているのだ。例え性格が無茶苦茶で、艦や戦隊の運用が少し雑でも、その実績と決断力の凄まじさは買っている。あれが水雷の神様と謳われる男の戦い方なのだから。
「格上の2水戦が拘束役で、格下の私達4水戦が砲撃役。普通は逆なんですけど――実にあなたらしい」
くすくすと笑う戦隊司令の姿に困惑する部下達に対し、ユーリは静かに振り返る。その時にはすでに第4水雷戦隊司令官、《水雷の姫巫女》と称されるユーリ・ヴェネティア少将の顔となっていた。
「全艦、右砲戦撃ち方始めなさいッ!」
ユーリの砲撃命令に従い、旗艦『シュトゥルム』が砲撃を開始する。続けて他の駆逐艦も次々に砲撃を浴びせる。連続して放たれる砲撃にクシャルダオラもまた負けじと風ブレスで反撃を試みる。だがそれを妨げるように拘束する第2水雷戦隊が巧みな操艦でロープを引っ張り、風ブレスの軌道を変えたり、ブレスそのものを封じたりする。
再び一方的な戦いとなったが、やはりクシャルダオラは常軌を逸したモンスターだった。風を巧みに操り姿勢を制御しながら、その鋭い爪で次々にロープを切断していく。強力な繊維を何十層にも織り込んだ強力なロープも、クシャルダオラの鋼の爪の前では無力だった。
切断されるロープの変わりに新たに拘束弾を発射するも、風の鎧がそれを防ぐ。そして、最後のロープが切断される。
「グオオオオオォォォォォッ!」
天地を震わせるような激しい怒号が響き渡る。荒れ狂う風は更にその濃密さと荒々しさを増していく。怒り狂うクシャルダオラはもはや体内の制御もできない程怒り狂っているのだろう。口から白い風を漏らしながら激しい憎悪と共に睨みつけたのは、散々自らを攻撃した第4水雷戦隊。
怒号と共に第4水雷戦隊に向かって突撃するクシャルダオラ。慌てて第8駆逐隊がレーヴェンツァーンで弾幕を張って接近を阻むが、怒りの風ブレスを受けて一瞬で『Z29』『Z31』が吹き飛ばされる。煙突とマストが薙ぎ倒され、辺りに破片を撒き散らせながら機関停止に陥る。
追撃しようとするクシャルダオラに対し、旗艦『シュトゥルム』が立ち塞がる。主砲を連射して徹甲弾を次々にクシャルダオラに浴びせるが、風の鎧を巧みに操って弾道を逸らすクシャルダオラにはなかなか致命打を与えられない。それでも構わず『シュトゥルム』は攻撃を続ける。
「面舵いっぱいッ! 左砲戦速射砲群撃ち方用意ッ!」
ユーリの命令に従い、『シュトゥルム』は面舵を回す。急激に右へと曲がっていく『シュトゥルム』。高速でいきなりの面舵全開に艦は大きく左へと傾く。艦内の兵士達は皆大きく傾く床に耐えながら配置へと着く。左舷速射砲群には次々に兵士達が集まり、自慢の大砲を次々に構える。
そして、クシャルダオラに対して艦が完全に立ち塞がる形になった瞬間、ユーリの号令が下る。
「撃ち方始めッ!」
ユーリの号令に合わせ、攻撃開始のラッパが鳴り響く。待ってましたとばかりに兵士達は次々に大砲を撃ち放つ。大小様々な砲弾が発射され、クシャルダオラへと襲い掛かる。無数の砲弾を受けて防戦一方となるクシャルダオラ。風の鎧を前方へと展開し、砲弾の嵐を防ぎ切る。
「さすが、風の鎧はなかなか打ち壊せない」
この光景に動揺する部下達を前に、ユーリは笑みを崩さない。メガネの奥の瞳を煌めかせ、罠にかかった獲物を見るように不敵に微笑む。
「――でも、そんなに前ばっかりに気を張ってていいのかしら?」
直後、クシャルダオラの背中が爆発した。悲鳴を上げて仰け反るクシャルダオラ。風の鎧が一瞬緩んだその隙を、ユーリは見逃さない。
「今よッ! 全砲門フォイアーッ!」
軽巡洋艦『シュトゥルム』の左舷全砲門と主砲が一斉に火を噴く。風の鎧が緩んだ一瞬の隙に浴びせられた砲弾はすさまじい爆発を起こしてクシャルダオラの姿を火炎と黒煙の中に消す。
散々砲弾を叩き込んだ末、ユーリは砲撃中止の命令を下す。煙が晴れるのを待つ為だ。
なぜ風の鎧を纏うクシャルダオラに一撃を加えられたか。実はこの『シュトゥルム』の攻撃自体が囮であり、且つ主力であった。実はあの時、クシャルダオラに対して防戦を強いる為に『シュトゥルム』はあえて目立つ形となり、一斉砲撃を加えた。当然クシャルダオラは風の鎧を展開するが、前方からの攻撃に対しどうしても防壁も前方へと展開してしまう。そこへ事前にユーリから命令を受けていた『Z32』が背後へと回り込み、そこから砲撃を加えた。駆逐艦程度の砲撃とはいえ、直撃を受ければクシャルダオラも怯む。その一瞬の怯みが風の鎧の崩壊を意味し、その一瞬が『シュトゥルム』の全火力を集中させる時でもあった。
見事クシャルダオラに総攻撃を浴びせたユーリ率いる旗艦『シュトゥルム』。ユーリ自身、あれ程の砲弾を浴びせたのだからクシャルダオラも無傷ではいまいという判断だった――だがその判断は呆気無く覆された。
怒号と共に辺りに風が荒々しく吹き荒れると、煙を一瞬で吹き飛ばした。現れたのは全身に傷を負ったクシャルダオラ。確かに『シュトゥルム』の攻撃は効いていた。だがクシャルダオラを戦意喪失させる程ではなかった。
「ギャアアアアアァァァァァッ!」
憎悪に満ちた怒号と同時に放たれたのは、これまでとは明らかに威力も大きさも異なる風ブレス。全力全開の風ブレスは自らに打撃を与えた第4水雷戦隊旗艦――軽巡洋艦『シュトゥルム』に襲い掛かる。
「た、退避ぃ――ッ!?」
艦橋からこの光景を見ていたユーリはすぐに退避命令を出したが、遅かった。猛烈な風の塊の直撃を受けた『シュトゥルム』は艦上構造物を尽く破壊され、爆発炎上。航行不能に陥った。
「『シュトゥルム』被弾ッ!」
言われなくてもわかっている。さすがのカールも焦りの表情を見せた。
目の前で爆発炎上した第4水雷戦隊旗艦、軽巡洋艦『シュトゥルム』。旗艦を守るように隷下の残存駆逐艦『Z25』『Z26』『Z27』『Z32』がその周囲を取り囲むように展開。煙突から猛烈な黒煙を上げながら周囲を周回し、漆黒のカーテンで旗艦『シュトゥルム』を隠していく。
煙突から排出される黒煙でカーテンを作り上げ、旗艦を隠す第4水雷戦隊。しかし相手が悪かった。クシャルダオラは構う事なく風ブレスを横薙ぎに放ち、せっかく駆逐隊が作り上げた黒のカーテンを一瞬で消し飛ばす。顕になったのは、炎上する『シュトゥルム』と、カーテンがある間にロープを繋ぎ、今まさに曳航して撤退しようと止まっている四隻の駆逐艦の姿だった。
「まずいッ! 全艦突撃ッ!」
第4水雷戦隊の危機に、第2水雷戦隊が慌てて突撃を掛けるが、間に合わない。
鋼鉄のアギトを開き、暴れる風を無理やり集め、更に風を集め、塊を濃密にしていく。駆逐艦程度なら一撃で艦上構造物を吹き飛ばさる程の、強力な風ブレスだ。
四隻の駆逐艦の艦長が慌てて前進の命令を下すも、間に合わない。
濃密な風ブレスが、怒号と共に放たれる――はずだった。
空に突如、まるで太陽が現れたかのような強烈な光の爆発が起きた。一瞬に過ぎない眩し過ぎる光の爆発。だがそれはクシャルダオラの視界を塞ぐのには十分な一撃だった。
悲鳴を上げ、風ブレスが不発となるクシャルダオラ。そのまま姿勢制御を失い、海へと落下した。
水柱を上げて海中へ没したクシャルダオラ。
驚くカールが振り返った先には遅れてやって来た第5、第6戦隊――重巡洋艦部隊の姿があった。
「間に合ったか……」
安堵の息を漏らすのは、第6戦隊司令官――ヴェルダント・ツェッペリン大将。年の頃はもう六〇代前半で白髪交じりの灰色の髪に同色のカイゼル髭が特徴的な年配の軍人。別名《海軍の長老》とも称される最年長の軍人でもある。
前年までは外洋艦隊司令長官を務めていたが、現在は後輩にその役職を譲り渡し、自らは現場指揮官としてあとわずかな軍人生活を送っていた男だ。第2水雷戦隊の司令官も勤めていた事もあり、ローレライの悲劇の最中の大海戦ではカールが乗艦していた駆逐艦が所属する水雷戦隊を率いていた男でもある。まさに、水雷の大御所とも言うべき男だ。
現場の指揮官として、まだ若い兵士が多い海軍の中で自らの技術や知識を教え伝えている最中で起きた今回の出撃。カレンは彼の身を案じて別の者に司令官を引き継がせようとしたが「突然隊の長が別の者に代わったら、下の者が困惑する。なぁに、ワシをあまり年寄り扱いするでない」とこれを拒否した。
後輩達の奮戦を見守っていたが、さすがに窮地だと知るや否や艦隊司令長官であるカレンの命令を待たず突撃。この行動にカレンはすぐに第5戦隊にも突撃命令を下した。
第5戦隊と隷下の第6戦隊の重巡洋艦六隻を従えたヴェルダント。炎上する『シュトゥルム』の背後から迫ると、主砲に装填しておいた閃光弾を発射した。
照明弾は夜戦において闇夜に隠れる敵艦をあぶり出す為に使われる砲弾で、発射後に上空で炸裂。パラシュートで降下しながら数分間燃え続ける事で辺りを照らすものだ。それに対し閃光弾は一瞬で燃え尽きる変わりに膨大な光を一瞬で放つ砲弾。主に敵の目を潰す事が目的の砲弾である。陸軍では比較的メジャーな砲弾だが、海軍では艦内に居る敵兵士にはあまり意味がなく、上陸作戦支援時等に使われるマイナーな砲弾として知られている。しかし今回相手が古龍と知ったヴェルダントは事前に輜重部隊に手配し、これを受け取っていたのだ。ハンターがモンスターに対して同様の道具、閃光玉という物を使っている事を知っていたヴェルダントは、古龍であるクシャルダオラにもこれが有効なのではと判断したのだ。結果、彼の判断は当たった。目を潰されたクシャルダオラは墜落し、海中へと姿を消した。
「カールに送れ。『第二及ビ第四水雷戦隊ハ現時点ヲ以ッテ戦闘海域ヨリ離脱。後続戦ハ我ガ引キ継グ』」
ヴェルダントの命令文を聞いた通信兵はすぐに艦橋を飛び出して行った。それを横目にヴェルダントは小さくため息を零すと、やれやれとばかりに肩を揺らす。
「この老いぼれ、もう二度と戦闘は経験しないと思っていたが――まさか古龍と相まみえるとは。世の中全くもっておかしなものよ」
可笑しそうに短く笑うヴェルダント。彼の指示に従い撤退を開始する第2及び第4水雷戦隊を見送る。その間に再び海に巨大な水柱が上がった。巻き上がった海水の柱の中から、風の鎧を纏ったクシャルダオラが姿を現す。激しい戦闘の後を物語るように全身に傷を負ってはいるが、まだ健在だ。
逃げていく第2及び第4水雷戦隊を追いかけようとするが、迫り来るヴェルダント率いる第5、第6戦隊の姿を見て矛先を変える。怒りの声を上げるクシャルダオラに全艦の前部主砲が動き、狙いを定める。
先頭を走るのだ第6戦隊旗艦、重巡洋艦『ローレライ』。悲劇の大災害の名を冠したこの艦には、あの惨劇の悲惨さと、敵国に祖国を陵辱された事を永久に忘れないという意味を込めて名付けられた。当時としては様々な新技術が使われた為、故障や誤作動も多く、周りからは「不吉な名前をつけたせい」「死神に取り憑かれている」と揶揄され、忌み嫌われた艦でもある。
だが今、仲間を救う為に古龍へと突撃しているのは、その死神艦だ。
「ローレライよ。貴様の底力、ワシに見せてくれよ――全艦撃ち方始めぇッ!」
軽巡洋艦よりも重々しい砲撃音と共に砲弾が撃ち出される。主砲口径も砲弾も、軽巡洋艦よりも一回り大きな砲を載せている重巡洋艦。撃ち出された砲弾にクシャルダオラは風の鎧で防ごうとするが、今まで防いで来たいずれの砲弾よりも重い一撃。完全回避とはいかず、砲弾の先端が鋼の鎧を掠っていく。背後に炸裂した砲弾は、次々に巨大な水柱を上げていった。
間髪入れず連続砲撃する六隻の重巡洋艦に対し、クシャルダオラは唸り声を上げながら接近。圧倒的な機動力で先頭を走る第6戦隊旗艦、ヴェルダントの乗る重巡『ローレライ』に襲い掛かる。
怒りの声と共に撃ち出されたのは風ブレス。今まで駆逐艦や軽巡洋艦を一撃で戦闘不能に追い込んだ強力な攻撃だ。艦内の兵士達も思わず悲鳴を上げるが、その中でヴェルダントは無言でその光景を見詰めていた。
そして、風ブレスが猛烈な暴風となって『ローレライ』の艦橋を襲った。だが、その手応えは今までとは明らかに異なっていた。
風ブレスを受けた艦橋は窓が割れるなどの被害が出たが、風が晴れた時、そこには強力な装甲がしっかりと残っていた。これにはさすがのクシャルダオラも驚愕する。その姿を見て、ヴェルダントは静かに微笑んだ。
「……戦艦に次ぐ強力な装甲を持つのが、この重巡洋艦だ。貴様の攻撃は確かにすごいが、所詮は風。分厚い装甲板を貫く程ではない」
そう、クシャルダオラの風ブレスは確かに強力だが、その威力の大半は吹き飛ばす事に重点が置かれている。貫通力は低く、軽装備の駆逐艦や軽巡洋艦程度なら撃破する事はできても、より強力な装甲を持つ重巡洋艦などとは相性が悪い。それもまたヴェルダントの計算の範囲内だった。
「残念だったな風翔龍よ。悪いが、カレンの頼みだ。貴様にはこの地域から出て行ってもらおう」
軍帽を深く被り、ヴェルダントはゆっくりと振り返る。そして、その背後で彼の指示を待つ将兵達に向かって静かに命令を下す。
「全艦、砲撃を続けながら前進――奴を押し切るぞ」
第6戦隊旗艦、重巡『ローレライ』を先頭に六隻の重巡洋艦が砲撃を続けながらクシャルダオラへと迫る。風の鎧で何とかこの砲撃を防ぐ鋼龍だが、重巡の放つ重い砲弾を完全に回避する事はできず、かすり傷を次々に負っていく。
このままでは危険だと判断したのか、それとも本能的なものなのか。クシャルダオラは突如翼を大きく羽ばたかせると、上空へと離脱する。それを追って各艦の主砲の仰角が上がるが、その途中で動かなくなってしまう。軍艦の大砲は水上の上の敵艦に向けるものであり、自らの上空に撃つ事はできない。最大仰角以上の高さまで逃げられてしまえば、軍艦はこれを攻撃する事はできない。対空兵装という概念がそもそもない、軍艦最大の弱点が露呈した瞬間だ。
これには第6戦隊司令部や軍艦に乗る将兵達にも動揺が走る。ただ一人ヴェルダントだけは慌てる事なく、冷静にクシャルダオラの次なる動きを待ち構えていた。
六隻の重巡の直上へと移ったクシャルダオラ。そこから怒号と共にクシャルダオラは一気に垂直降下。真下にいた重巡『ケーニヒスベルク』の後甲板へと着艦した。それを追って各艦が一斉に主砲を向けるが、まさか味方艦もろとも撃つ訳にはいかず、どの艦の砲も沈黙する他ない。
一方、着艦された『ケーニヒスベルク』は小型の速射砲数門でこれを迎え撃つが、それこそ風の鎧で阻まれてしまう。艦長は乗組員に対し白兵戦でこれを迎え撃つよう命令を下した。武装した兵士達が次々に現れ、クシャルダオラに挑みかかる。ある者は銃で、ある者は剣を持って。しかしそれではハンターとの戦いと何ら変わる事はなく、風の鎧で近づく事はできず、風ブレスで吹き飛ばされるばかり。鋼龍を振り落とそうと艦長は艦を左右へと急速旋回を繰り返すが、効果はなかった。むしろ『ケーニヒスベルク』の独断行動で隊列が乱れる結果となり、『ケーニヒスベルク』は他の重巡から孤立してしまう。
白兵戦が開始されて十分程が経過した時、これまで防戦に徹していたクシャルダオラが動いた。ゆっくりとした足取りで進むと、華麗なステップで甲板から主砲の上、そして艦橋へと登る。そして振り返ったクシャルダオラの振り上げた爪が、煙突を切り裂いた。
確かに軍艦は硬い装甲板で守られている。しかし全てが守られている訳ではない。煙突などももちろん装甲を張っているとはいえ、艦側面の装甲板などに比べてしまえば脆いもの。こればっかりはクシャルダオラの爪の方が硬度は優っていた。
煙突を破られたとはいえ、艦自体のダメージは大した事はない。だが、クシャルダオラは予想外の行動に出た。
破った煙突に体を突っ込むと、その中で大暴れしたのだ。爪を振り回し、風ブレスを次々に撃ち放つ。艦内はそれこそ装甲など張られてはいない。次々に様々な部分が破壊される。爪は壁を斬り裂き、風は瓦礫を吹き飛ばす。更に運の悪い事に電線が切れ、艦内は停電。伝声管も千切れた上に、艦中央部の艦内が破壊された事で前後の行き来ができなくなった『ケーニヒスベルク』。結果的に航行不能となり、『ケーニヒスベルク』は沈黙した。
沈黙した『ケーニヒスベルク』を放棄し、クシャルダオラは再び上空へと舞い上がる。残る五隻がこれを撃ち落とそうとするが、すぐに最大仰角の上へと逃げられる。『ケーニヒスベルク』は復旧作業に入ったが、瓦礫や変形したドアに行く手を阻まえれ思うように復旧ができず、結局戦列に再び加わる事はなかった。
この突破法に味をしめたクシャルダオラはその後『ドレスデン』『ザイドリッツ』を襲撃。着艦後に艦上で大暴れし、両艦共に次々に甲板を砕かれ損傷。両艦共に火災を起こしてしまう。
軍艦の大砲は威力はあるが、砲や砲弾の性能からあまり遠距離には撃てない。結果、互いに近距離で砲撃戦を展開する事となる。その場合大砲は水平撃ちとなる為、おのずと被弾する場所は艦側面となる。その為軍艦は艦側面の防御力に重点を置いている。その為、甲板など艦上の装甲板はそれに比べれば劣る上、全ての甲板に必ずしも装甲が張られている訳ではない。張り過ぎれば重みで艦の性能が下がる上に、ひっくり返りやすくなる為だ。クシャルダオラの攻撃は偶然にもそういった軍艦の弱点を露呈した結果となった。
しかしヴェルダントの言う通り重巡洋艦の強力な装甲に助けられ、被害を受けた両艦共に戦闘航行には何ら支障はなかった。だが第5戦隊旗艦である『ケーニヒスベルク』が戦闘不能となった為、座乗する第5戦隊司令官は戦闘指揮を行えなくなってしまった。結果第5戦隊所属の『ドレスデン』『ザイドリッツ』は指揮系統を一時的に失ってしまった。
指揮系統を失った第5戦隊の二隻はすぐに転進し、第6戦隊と合流した。すでに『ケーニヒスベルク』に座乗している第5戦隊司令官からヴェルダントへ指揮権を移譲するよう発光信号が送られており、ヴェルダントはすぐにこの二隻を隷下に加えた。
五隻となった重巡洋艦部隊は応戦を続けながら隊列を整え、再びクシャルダオラに迫る。
壮絶な激闘が繰り広げられる事となった。猛烈な嵐の中、五隻の重巡洋艦は猛烈な砲撃でクシャルダオラを攻撃するも致命打を与えられず、クシャルダオラも再び『ドレスデン』へと乗り込んで攻撃するが、ヴェルダントの命令で白兵戦は厳禁とされた。
先程と違い、敵が姿を現さない事に苛立つクシャルダオラ。そこへ僚艦『ザイドリッツ』が右舷側から急速に接近して来た。何事かと思って振り返ったクシャルダオラに向けて、『ザイドリッツ』が拘束弾を撃ち放った。
再び拘束されたクシャルダオラは大暴れしてこれから逃れようとするが、それこそ駆逐艦や軽巡洋艦よりも重く、何より何倍も出力の出る機関を持った重巡洋艦。さすがのクシャルダオラもパワー勝負では負けてしまう。
拘束されたまま『ドレスデン』の甲板から海上へと叩き落とされ、尚も引きずられるクシャルダオラ。そこへ今度は離れた『ドレスデン』から海に下半身を沈めながら暴れるクシャルダオラに向かって攻撃が開始された。しかも今度はこれまでの砲撃ではなく、甲板に備えられた三連装の筒状の装置が狙いを定め、そこから棒状の物体が次々に撃ち出され、海中へと没した。しばらくすると、半身を海中へと沈めていたクシャルダオラの付近が爆発した。突然の爆発にクシャルダオラは悲鳴を上げる。海中では風が使えなかった事が災いし、爆発の直撃を受けた為だ。
重巡『ドレスデン』が行ったのは雷撃。魚型水雷、通称魚雷と呼ばれる海中を潜行して敵艦の喫水下に命中して爆発するという対艦兵器の一つ。艦を沈めるには水面下に穴を開けて海水を流し込むのが最も効果がある。そこで生まれた兵器であり、通常は対艦戦に用いるが、この時は『ドレスデン』艦長の独断で歴史上初めてモンスターに対して用いられた。
さすがのクシャルダオラも魚雷には驚き、すぐに上昇して海から離れる。しかし拘束具がしっかり稼働しており、逃げられない。暴れているとそれこそ他の重巡の砲撃の対象となった。
戦いは一方的なものとなった――とはいかなかった。クシャルダオラの影響か、辺りは激しい風と雨が吹き荒れる大嵐となっており、海は荒れに荒れていた。波は高く、巻き上げられた海水が甲板を濡らしていた。艦が激しく揺れる上に波が甲板を超えて流れ込む為に兵士達がうまく動けない上に、肝心のクシャルダオラへの狙いが安定しない為に命中弾もなかなか出せずにいた。更にクシャルダオラの反撃もすさまじく、風ブレスが猛威をふるう。重装甲とはいえ、マストが折れたり艦載艇やクレーンが壊れるなどの被害も出た上に、風ブレスで吹き飛ばされる兵士も少なくはなかった。
互いに致命打を与えられない戦いは数十分にも及んだ。その間『ドレスデン』と『ザイドリッツ』が拘束を維持していたが、ここで思わぬ事態となった。風上に向けて進んでいた為に波が激しく、艦は激しく上下に揺れていた重巡部隊。このままでは艦に損傷が出ると判断したヴェルダントは全艦に反転命令を出した。影響を受けづらい風下へと艦首を向ける為だ。
ヴェルダントの命令に従い『ドレスデン』もすぐに転進した。しかしクシャルダオラを『ザイドリッツ』と牽引している為、発光信号でタイミングを合わせながらの転進となった。しかしこの時風雨の影響で『ドレスデン』が放った発光信号を『ザイドリッツ』が見逃すというミスが起きてしまう。結果、『ドレスデン』単独で取舵を切ってしまう。
大きく舵を切った『ドレスデン』の行動に慌てて『ザイドリッツ』も追従して取舵を切った。だが慌てて舵を回した為に必要以上に回してしまい、ゆっくりと回る『ドレスデン』に対し『ザイドリッツ』は急速旋回。この動きを見た『ドレスデン』は拘束機に負担を掛けない為に舵を戻すよう『ザイドリッツ』に信号を送りながら自らも針路を直す為に面舵を回した。この動きに『ザイドリッツ』も急いで面舵を回した。結果、両艦の距離は詰まり、牽引ロープが緩んだ。そこでクシャルダオラが大暴れしてロープを激しく引っ張った。この反抗に両艦の距離は更に縮まってしまい、慌てて左右へと別れようとしたがすでに遅かった。
クシャルダオラに引っ張られ、急速に距離を詰めた両艦は激突。『ドレスデン』の右舷中央部に『ザイドリッツ』が艦首がから激突するという衝突事故を起こしてしまった。
激突された『ドレスデン』の被害もさる事ながら、艦首から激突した『ザイドリッツ』は艦首が変形。大量の海水が艦内へと流れ込み、またたく間に艦前部が沈んでいった。幸い艦長の命令で速やかに水密扉が閉められた為それ以上の浸水は止められ、『ザイドリッツ』は艦の三分の一が沈むも何とか沈没は免れた。だが、とてもじゃないが航行は不能となった。
転進を終えたヴェルダントは後方の二隻の状況を見てすぐに『シャルロッテ』に対しクシャルダオラを拘束するよう命令したが、拘束していた両艦が放った拘束ロープが引きちぎられたのはまさにその時だった。
上空へと離脱したクシャルダオラは怒りに任せて今まで自分を縛り上げていた『ザイドリッツ』へと連続して風ブレスを放った。艦首を破損した『ザイドリッツ』の耐久性は極めて低下しており、風ブレスを受けて様々な箇所が破壊された。
この僚艦の危機に『ドレスデン』が『ザイドリッツ』の盾になるようにクシャルダオラと『ザイドリッツ』の間に割って入ると、速射砲で応戦。しかし『ドレスデン』も運悪く『ザイドリッツ』と激突した箇所に風ブレスを受けて損害が拡大。両艦共に戦闘不能に陥ってしまった。
偶然とはいえ、たった一体のモンスター相手に重巡三隻が戦闘不能に陥った。この異常な光景に残る三隻の将兵には動揺が走る。さすがのヴェルダントもこうも容易く艦三隻を脱落するとは思っていなかった。しかし、彼は冷静だった。
「司令官、このままでは……ッ」
「2水戦と4水戦の状況は?」
「両水雷戦隊共にすでに安全圏に離脱しました」
「……そうか」
助けるべき二つの水雷戦隊の無事を確認したヴェルダントはふぅとため息をつく。その行動を訝しがる艦長に対し、彼はゆっくりと命令を下した。
「全艦、反転離脱せよ」
「逃げるのですかッ!? 誇り高き帝国国防軍が、あのような愚龍を前にしてッ!」
「全艦、左八点一斉回頭」
「司令官ッ!」
「バカ者、老いぼれの役目は終わった――主役のおでましだ」
単縦陣で航行していた重巡三隻が一斉に左へと回頭。全艦が一斉に左へ九〇度向きを変え、単縦陣は一瞬で単横陣へとなる。突如として迫っていた敵が逃げていくのを見て、クシャルダオラは訝しがった。その時、逃げる敵の背後から砲音が轟いた。迫る砲弾の飛翔音に、また敵の小細工かと呆れながら風の鎧を張る。また、敵の小細工をこの自慢の風でいなせばいい。そう彼は考えていた――だが、それは間違いだった。
次々に海面へと着弾する砲弾。その時に上がる水柱はこれまでのものとは比べ物にならないものだった。この光景にクシャルダオラは目を見張ると、危険だと判断して慌てて上空へと逃げようとする。そこへ砲弾が命中した。
反射的に風の鎧を前面へと展開させ、これを回避しようとしたクシャルダオラ。だが風の鎧はまるで効果はなく、鋼の重い一撃が炸裂。すさまじい一撃にクシャルダオラは血を吐き、黒煙を纏いながら海面に叩きつけられ、没した。
再び海の中へと姿を消したクシャルダオラ。その光景にまだ状況が理解できていない将兵達を前に、ヴェルダントは不敵に微笑んだ。
「俺の役目は足の遅い嬢ちゃん達が追いつくまでの時間稼ぎだ。どうだクシャルダオラ――戦艦の一撃はなかなか痺れるだろ?」
一斉回頭した重巡三隻の背後から現れたのは、エルバーフェルド帝国国防海軍総司令官のカレン率いる主力部隊――大洋艦隊旗艦、戦艦『フリードリッヒ・デア・グローセ』と戦艦『ビスマルク』『シャルンホルスト』であった。