鬱蒼と木々が生い茂る森の中を進むクリュウ。双眼鏡を片手に辺りを警戒しながら進む彼の後ろをフィーリアが荷車を引きながら続く。
結局、クリュウ一人だけで行かせる訳にもいかず、フィーリアはとぼとぼとついて来たのだ。
合流してからの二人はどちらも言葉を発さず、不気味な沈黙が漂う。
クリュウはイャンクックを捜す事に集中していて何も話そうとしないが、フィーリアは先程から口を開けては閉じてうつむき、開けては閉じてうつむくという動作を繰り返している。何か話そうとするが、何もできずにいるのだ。
クリュウはきっとまだ怒っている。そして自分は彼からの信頼を失った。なのについて来た自分を彼は快く思っていないはず。後を追いかけたのに、彼は「ありがとう」とか「一緒に行ってくれるの?」とかそういう言葉はなく、無言だった。せめて「ついて来るな」とかなら良かった。無視されるのははっきり拒否されるよりも辛い。
そんな感じで全く会話なく進む二人。前方から漂う嗅ぎ慣れた匂いを追いながら進む。
そして、匂いがかなり近くなって来た時、クリュウはようやく口を開いた。
「フィーリア」
「は、はいッ!」
いきなり話し掛けられ、フィーリアは慌てて返事する。そんな彼女にクリュウは背を向けたまま指示をする。
「まず落とし穴を設置するから、その間イャンクックを引き付けてくれない?」
「え? ですが私は……」
そこで初めてクリュウは振り返った。瞳を揺らして動揺するフィーリアに、彼は優しく微笑んだ。その笑顔に、フィーリアは目を見開く。そして、
「信じてるから」
その短くも温かな言葉に、フィーリアの大きな瞳から涙が零れた。
彼はまだ、自分の事を信じてくれている。それが嬉しくて堪らない。
だから、信じてもらっている自分は、ただその想いを無駄にしない為に、全力で戦うだけだ。
「はいッ!」
涙を拭いて笑顔で言うフィーリアに、クリュウはうなずくと再び前を向いて歩き出す。そんな彼の背中を見詰め、フィーリアは満面の笑みを浮かべた。
匂いはこの奥からする。この奥は確か川が横に流れていて反対側は岩壁なので細長い地形のエリアだ。
岩の陰から覗くと、濃い緑に包まれた木々の中に鮮やかな桃色の巨体がゆっくりと動いているのが見えた――イャンクックだ。
クリュウは緊張に身を引き締めるとグッと腰に挿したドスバイトダガーの柄を握る。
「いくよ」
「はい」
それを合図に二人は岩から飛び出すとそれぞれの行動に移った。クリュウが荷車を引いて岩壁の方にそれを停止させて落とし穴を構える間に、フィーリアが突撃した。
物音に怪訝そうに首を回すイャンクック。大きく張られた耳は小石ひとつの微かな音も逃さない。すぐに自分に向かって突っ込んで来る人間を発見し、戦闘モードへ移行する。
「クア、クア、クア、クワアアアァァァッ!」
威嚇(いかく)するように鳴くイャンクックに、フィーリアは道具袋(ポーチ)の中から取り出した物を投げ付けた。だが、瞳は閉じずに彼女は突進した。
刹那、投げられた玉が破裂し、キンッという心地良い音が響いた。人間の聴覚には心地良い音に聞こえるが、聴覚が発達したガレオスやイャンクックなどには至近距離で爆弾が起爆したかのような強烈な爆音のように聞こえる。そして、そんなすさまじい音を受けたイャンクックはめまいを起こして体を天に向けてフラフラと揺れる。
すぐさまフィーリアはボウガンを構えて弾を装填し連射を開始する。発射された弾は散弾LV1。炸裂した弾丸が無数の小さな弾丸を撃ち放ちイャンクックの体を血に染める。一発でもかなりのものだが、フィーリアは容赦なく弾倉の中の全弾を発射。すぐさま再装填し再び連続して撃ち込み、イャンクックを血まみれにしていく。
一方フィーリアがイャンクックを引き付けている間に、クリュウは落とし穴をフィーリアから少し離れた後ろに設置する。地面に置き、ピンを抜くと特殊な溶液と共に強力なネットが展開される。この溶液には土を一時的に泥化させる事ができる。そしてネットは強力な粘着性を持っていて、どんな飛竜も逃げる事はできない。しかし溶液もネットも空気に触れると急激にその効力を失うので、飛竜が掛かって中で暴れると泥の中やネットの繊維の中に空気が入ってしまうので、飛竜を捕まえていられる時間は十数秒ほどだ。だが、その十数秒こそが狩りでは重要なのだ。
「フィーリアッ!」
クリュウの呼び掛けにフィーリアが連射しながら後退する。クリュウが再び荷車に戻った時にはもうイャンクックはしっかりとフィーリアを睨みつけていた。しかも口からは火炎液が溢れ出し空気に触れて発火している。激しく首を上下に振りながら体も激しく動かす。理性を吹き飛ばして暴走するそれは、怒り状態であった。
「クワアアアァァァッ!」
怒号と共にイャンクックは火炎液を吐いて来る。だがフィーリアはそれを後ろへ跳んでかわした。そしてそのまま下がって止まった場所は、落とし穴の後ろ。すぐさまボウガンで連射攻撃を再開する。
遠くに離れた上に執拗に攻撃してくる格下の相手にイャンクックは容赦なく突撃して来る。だが、それこそこっちの思うツボだ。
クリュウは突撃するイャンクックを一瞥してすぐに大タル爆弾を二つ両手に持つ。ズシリと重いのを耐えてフラフラになりながら歩く。その間にイャンクックは突如その高さが半分ほどに沈んだ。落とし穴に掛かったのだ。
「クアクアッ!? クワアアアァァァッ!?」
突如動けなくなった己が体に怒りと困惑が混ざったような声を上げるイャンクック。その間にフィーリアがクリュウに駆け寄って片方の大タル爆弾を受け取る。起爆は彼女がこの作戦の為に岩陰で腰に下げた小タル爆弾だ。今考えればかなりハイリスクな持ち方だが、速さが何よりも重要なこの作戦では最も有効的なやり方だ。
フィーリアはすぐにもがくイャンクックの首の付け根辺りに爆弾を設置する。あんなに至近距離に置くなんて、さすがフィーリアだ。クリュウも負けじとその横へ設置しようと走る。
ふらつく足は大タル爆弾の重さや疲れだけではない。
恐怖。それがクリュウの心に潜んでいる。
今から自分が駆け寄るのは飛竜。もがき苦しむ巨体がその威風を堂々と輝かせている。
嫌な汗が背中を流れる。
怖い。すごく怖い。
だけど、その恐怖を無理やり押し込んで、クリュウは走った。
そして、フィーリアの置いた大タル爆弾の横へ置く。そして、横に待機していたフィーリアが小タル爆弾を仕掛けてピンを抜いた。後は走って逃げるだけ。だけど、そこで見てしまった――イャンクックの恐ろしい目を。
瞬間、身体が硬直した。まるで何か見えないものに掴まれたように、自分の体なのに言う事を聞かない。
足が、まるで別の人の足のように言う事を聞かない。
視界の隅に、導火線が短くなる小タル爆弾が見えた。危ないと頭では理解してても、体は動かない。頭に《爆死》という単語が流れた。
「クリュウ様ぁッ!」
フィーリアの悲鳴のような声と共に、彼女が突っ込んで来た。二人の体は宙に浮かび、一気にイャンクックとの距離が離れた。彼女の体でイャンクックの姿が消えた瞬間、
ドガアアアアアァァァァァンッ!
すさまじい爆音と共に爆風が襲う。宙に浮いていた二人の身体は一瞬炎に包まれ、その爆風にさらに勢いを増して吹き飛んだ。
クリュウは勢い良く地面に叩き付けられて転がった。だがほとんど痛みはなくすぐに立ち上がると、さっきまで自分達がいた場所から黒煙が天に向かって伸びていた。そして見つけた。自分から少し離れた場所で体から煙を出しながら横たわる――フィーリアを。
「ふぃ、フィーリアッ!」
クリュウが駆け寄ると、フィーリアは「うぅ……」小さくうめいた。良かった。どうやら生きているらしい。
だが、フィーリアの背中を見て、クリュウは絶句する。
力強い緑の鱗に包まれていた防具が、黒くすす焦げている。焦げているだけで爆風や衝撃にもレイアシリーズは耐えていた。だが、激しい衝撃だけは全てを守り切れなかったのだろう。フィーリアは苦しげに小さな悲鳴を上げる。
「フィーリアッ!」
クリュウが抱き抱えると、フィーリアはゆっくりと目を開けた。
「……よ……良かった……ご無事で……」
自分をかばったフィーリアはぐったりとしている。爆風の衝撃を直撃で受けたらしく相当のダメージを負っているらしい。
「フィーリア……ッ! 僕のせいで……ッ!」
「……これでおあいこですよ……」
そう言って微笑む彼女に、クリュウも無理をして小さく唇だけで笑った。
いつも自分を支えてくれたフィーリアが、今は自分の腕の中でぐったりとしている。その状況にクリュウは焦った。とにかく、早くフィーリアを手当てしないと。そう思って彼女を抱え上げた。
「クア、クア、クア……」
聞こえて来たのは、恐怖だった。
驚いて振り向くと、細くなった黒煙の下に桃色の巨体をしたイャンクックが立っていた。まさかあの爆発を耐えたというのか。まさしく化け物だ。
「そ、そんな……ッ!」
「……クリュウ様……逃げて……ッ!」
フィーリアの小さな悲鳴も聞こえず彼の見詰める先にいるのは間違いなくイャンクック。だがやはり大タル爆弾の威力はすさまじかったのか、鮮やかな桃色の体は所々黒く焦げ、鱗や甲殻が吹き飛んで赤黒い肉が見える。そしてそこからは真っ赤な血が流れ出している。だが、その大きく開かれた耳が、奴はまだ戦えるという事を示していた。
イャンクックはしっかりと二人を睨みつけていた。
殺される。直感的にそう感じた。
彼女を抱えたままでは奴の突進は避けられない。かと言って彼女を見捨てるなんて言語道断だ。だがこのままでは二人とも死ぬ。
唇を噛んで、せめてもと睨み返す。
この腕の中の人は、必ず守る。
一人と一頭の睨み合いは長く続いたように感じたが、実際は十秒もない。
そしてそれは突如として終わりを告げた。
イャンクックは翼を大きく羽ばたかせて飛び立った。そしてそのまま高く昇り、水平飛行に移って飛び去った。それはまるで見逃してくれたように見えた。
だが今はそれより先にする事がある。痛みに苦しむフィーリアを爆弾や罠がなくなって空いた荷車の上に乗せて引く。向かうは拠点(ベースキャンプ)。
クリュウは振動を与えないように慎重に、そして急いで荷車を引いた。
拠点(ベースキャンプ)に戻ったクリュウはフィーリアを備え付けのベッドの上に座らせて彼女の胴と腰の防具を外す。中から出て来たのは彼女の白い肌。以前間違って着替え中の時に目撃した時と同じように真っ白だ。女性ハンター標準のダブレットは別に色っぽいデザインではないはずなのに、彼女が着ると全く別のものに見えるから不思議だ。
だがそんな白い肌は、背中は別世界だった。
広く広がったあざにやけど。そしてにじみ出る血。それらが彼女の白い肌を汚していた。だが見た感じそれほどひどくはない。これも強固なレイアシリーズのおかげだろう。
クリュウはさっきフィーリアがしてくれたように薬草をすり潰して彼女の背中に塗る。痛みで小さくうめく彼女を、クリュウは心配そうに見詰める。
その上から包帯を巻き、彼女の道具袋(ポーチ)の中から応急薬を取り出して飲ませる。その時「……く……口移しで……お願い……できませんか……?」という彼女の小さな声は無視した。どうやら大丈夫そうだ。
ゆっくりと寝かせると、フィーリアの顔色に生気が戻る。
「ありがとうございます……」
「いいって。お互い様だよ」
そう笑顔で答えると、クリュウはフィーリアを見詰める。怪我は大した事はなかった。応急処置もしたし、このまま安静にしていれば問題ないだろう。
クリュウは立ち上がると装備の確認をする。そんな彼を、フィーリアは不安げに見詰める。その翡翠色の瞳は、全てを悟っていた。
「行かれるの……ですか……?」
彼女が訊いているのは、これからクリュウがイャンクックを追い掛けるのかという疑問だ。だが、彼女はすでに彼の答えはわかっている。そしてもちろん答えも、
「うん。決着をつけてくる」
クリュウのうそ偽りのない真っ直ぐな返答に、フィーリアの表情が痛みとは別に若干曇る。
「そうですか……」
「止めたって無駄だよ。もう決めたから」
「――止めません」
「え?」
その予想していた正反対な答えに驚いて彼女の顔を見ると、フィーリアは優しげに微笑んでいた。明るく、優しく、全てを包み込むような、そんな優しい笑顔。
「止め、ないの……?」
驚くクリュウの問いに、フィーリアはそっとうなずく。
「どうして……?」
「――信じてますから。クリュウ様の事」
「フィーリア……」
「がんばってください。私も回復次第追い掛けますから」
そう言うと、フィーリアは微笑む。その笑顔は本当に優しく、柔らかく、温かい。翡翠色の瞳はクリュウを信じるという想いで満たされ、キラキラと輝いている。
「信じてますから」
もう一度、フィーリアは言った。クリュウはそんな彼女の言葉にクリュウはうなずくと、そっとテントを出る。後ろではフィーリアが小さく手を振っていた。それに笑顔で応え、クリュウは用意を整える。砥石で剣の刃を磨き、トラップツールとゲネポスの麻痺牙やネットを使ってシビレ罠と落とし穴をそれぞれ一個ずつ調合する。
万全の用意を整えなければ、奴には勝てない。
必要なものを全て荷車に載せる。爆弾は残り小タル爆弾四個、打ち上げタル爆弾五個。音爆弾と閃光玉はそれぞれまだ未使用。さらに今調合したばかりのシビレ罠と落とし穴。これだけあれば、なんとか戦えるだろう。
そして全ての準備を整えると、クリュウは道具が満載された荷車を引きながら歩き出す。
フィーリアのいるテントを一瞥し、クリュウは再び狩り場へ繰り出す。
太陽はもう真上ではなく斜め上にある。夕暮れまではまだ時間はあるが、結構な時間が経っていた事に気づく。
潮風が流れる海岸にはランポスはいなかった。最初に通った時に狩っておいて正解だった。
荷車を引きながら、クリュウはペイントボールの匂いを探る。そろそろペイントボールの効き目が切れる頃だが、まだ匂いはする。その匂いを追い掛け、クリュウは歩く。
この先に、奴はいる。
ハンターなら必ず通らなければいけない登竜門。勝たなければいけない相手。
「必ず、勝ってみせる」
拳をギュッと強く握り、クリュウは気合を入れると、蒼穹の空を見上げる。
クリュウは初めての飛竜、しかも後半戦は一人という過酷な状況だったが、絶望はしなかった。
必ず勝てる。そんな想いが心を満たしていた。
クリュウは歩き出す。
――イャンクックと、決着をつける為に……