モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第47話 守るべき日々

 悠久の時を刻むように砂の上に風が模様を描き、そして消え、また別の模様が刻まれる。その繰り返しが永遠に続く灼熱の地――レディーナ砂漠。

 そんな今日もまた永遠の時が刻まれる砂漠で、新たな戦いが幕を開けた。

「いたッ!」

 バサルシリーズに身を包んだクリュウはそう叫ぶと砂を蹴って走り出した。ちゃんと頭部まで装備し、完全防備だ。

 クリュウが駆ける先には砂の海を威風堂々と翔ける黒い巨大なヒレがあった。ガレオスの親玉――ドスガレオスだ。姿形はガレオスをふたまわり以上大きくした巨体にガレオスよりずっと硬く黒い鱗に包んだモンスター。大きなものはイャンクックをも超え、ドス系では最も手ごわい相手だ。

 人が走るよりずっと速いガレオスよりもさらに速いドスガレオスの砂中の泳ぎ。ガレオスと同じく決まった回遊ルートを泳ぐので、クリュウはこの砂地でずっと待ち伏せをしていたのだ。そして、ついに現れた。

 クリュウは腰の道具袋(ポーチ)に手を突っ込んで音爆弾を掴む。聴覚が敏感なのはガレオスもドスガレオスも同じ事だ。

 すさまじい勢いで迫って来るドスガレオスに向かって、クリュウは音爆弾を構える。と、

 バンッ! ババンッ!

 銃声と共に突如ドスガレオスのヒレに風穴が開き、ドスガレオスが悲鳴を上げて砂中から飛び上がって来た。突然の事にクリュウは慌てて後退する。

 ドスガレオスは砂の上で激しく暴れるとその巨体を二本足で立ち、目の前にいるクリュウを敵と判断して襲い掛かって来た。

「ガアアアァァァッ!」

 ドスガレオスはクリュウに向かって砂ブレスを吐いてきた。だが、クリュウはそれを冷静に見極めて避ける。ドスガレオスはガレオスより全ての能力が高いが、行動パターンは基本的には同じである。ガレオスを狩り慣れているクリュウならばこれくらい造作なかった。

「クリュウ様!」

 振り返らなくてもわかる。フィーリアだ。

「もうッ! 砂中から引きずり出すのは私の役目だって言っておきましたのに!」

「ごめん、忘れてた。でもまぁ、無事に引きずり出せたし問題ないでしょ」

「もうッ!」

 フィーリアはそう怒りながらもすぐにヴァリキリーブレイズを構える。クリュウもオデッセイを構え、ドスガレオスを見詰める。黒い巨体に退化した濁った瞳。正面から見詰めるとかなりの迫力だ。そして何よりすさまじい生命力を感じる。その圧倒的なまでに強い力に、クリュウは一瞬呑まれそうになるが、首を横に振って邪念を捨てる。

 今自分がすべき事はただ一つ。目の前にいるドスガレオスを倒す事だ。

 目線でフィーリアに合図を送ると、フィーリアは一度うなずき通常弾LV2を装填し、すぐさま連続して撃ち放った。

「ガアアアァァァッ!?」

 ドスガレオスは突然のすさまじい集中砲火に悲鳴を上げて仰け反る。そこへすかさずクリュウが懐に潜って斬り掛かる。

「うりゃあッ!」

 太い木のような脚に剣を叩き込むと、肉が裂けて血が噴き出す。連続して剣を叩き込まれ、ドスガレオスは悲鳴を上げてその場で暴れる。盾で蹴りを受け、舌打ちして一度距離を取る。そこへすかさずフィーリアの銃撃が襲う。

「ガアアアァァァッ!」

 すさまじい銃撃の嵐にドスガレオスはフィーリアに向かって砂ブレスを吐く。だが、フィーリアはそれをあっさりと避け、その間に再装填した通常弾LV2を連続して撃ち込む。

 悲鳴を上げて仰け反るドスガレオスに、クリュウは後ろから斬り掛かる。が、

「クリュウ様!」

 その声にとっさに右に跳んだ。どうしてかはわからない。とにかく右へ跳んだ。それは完全な勘だったが、その行動が彼の命運を分けた。

 クリュウがとにかく右へと跳んだ刹那、そこへガレオスが突っ込んで来た。危なかった。もし少しでも考えるのに躊躇していたりでもしたら、きっと今頃はガレオスの鋭い牙と巨体に潰されていただろう。

 うかつだった。ボスであるドスガレオスが配下のガレオスを従えているよくある事だったが、すっかり忘れていた。

 クリュウはフィーリアに感謝する。と、

「ガアアアァァァッ!」

 背後からの不気味な声と共に背中にすさまじい衝撃が走り、クリュウは吹き飛ばされた。フィーリアの悲鳴が聞こえた後、クリュウは砂の上に叩き付けられる。後ろに突如砂中からガレオスが姿を現し、砂ブレスを吐いて来たのだ。

「くそぉッ!」

 クリュウは立ち上がったが、そこへ別のガレオスが鋭い鳴き声と共に滑空して来た。盾で防ぐが、人間の何倍も大きく重い攻撃に、クリュウは簡単に吹き飛ばされる。

 何とか起き上がって周りを確認すると、ドスガレオスのまわりを回遊する三匹のガレオスがいた。そのうちに一匹のヒレが自分に向かって突進して来る。鋭利なガレオスのヒレにでも当たってしまったら、大怪我は免れない。最悪の場合は死という現実が待っているのだ。

 クリュウは砂中を自在に翔けるガレオスのヒレ攻撃をギリギリで回避し、剣をそのヒレに叩き込むが、ヒレは硬く逆にクリュウの腕に痛みが走る。

「くぅッ!」

 クリュウは慌てて追おうとしたが、振り返った時にはすでにガレオスは遠くに行ってしまっている。なんていう速さだろうか。

 だが、そんなクリュウに別のガレオスが砂中から姿を現して砂ブレスを吐いて来た。慌てて盾で防ぐ。と、今度は横からドスガレオスの砂ブレスが飛んで来る。これは間一髪で何とかかわした。

 神出鬼没なガレオスとドスガレオスの攻撃に、クリュウは援護役のフィーリアとすっかり距離が開いてしまっていた。

 フィーリアはガレオスに襲われるクリュウを一瞥し、散弾LV1をドスガレオスに叩き込む。せめて、ドスガレオスだけはこっちに留めておきたかった。

 ドスガレオスはちょこまか動き回って攻撃して来るフィーリアに激怒し、砂ブレスを吐く。だが、もちろんその程度の攻撃ではフィーリアには当たらない。すると、ドスガレオスは再び砂の中に潜った。

 フィーリアは慌ててさらに動き回る。生物最大の死角とも言うべき足元から襲われない為だ。すると、少し離れた所に黒い巨大なヒレが砂から飛び出たかと思うと、そのまま突進して来た。圧倒的な速さでフィーリアを追い掛ける。だが、フィーリアは冷静に道具袋(ポーチ)から音爆弾を取り出すと後ろに放る。刹那、音爆弾が炸裂して心地良い音が炸裂。聴覚に敏感なドスガレオスはたまらず砂の上に飛び出してのた打ち回る。

 フィーリアは急停止して拡散弾LV1を装填し、もがき苦しむドスガレオスに撃ち込む。弾はドスガレオスに着弾寸前で爆散し、その黒い体を火で包み込んだ。

「ガアアアァァァッ!?」

 悲鳴を上げるドスガレオス。フィーリアはその間にクリュウに走る。

 クリュウは砂の中から飛び出て来たガレオスに剣を叩き込む。首を斬り裂かれ、その一撃でガレオスは沈黙した。そこへ仲間の仇と背後からガレオスが砂ブレスを吐こうと飛び出して来た。だが、撃ち出す寸前でフィーリアの銃撃がガレオスの頭を粉砕。一撃で倒した。

「クリュウ様!」

 フィーリアは銃口から煙が出るヴァルキリーブレイズを構えながらクリュウに駆け寄る。どうやらクリュウは怪我はないらしい。

「大丈夫ですか?」

「うん。ありがとう」

 クリュウはそう言って微笑むが、バサルヘルムのせいでその笑顔はフィーリアには見えない。ちょっぴり寂しいフィーリア。

 その時、クリュウは剣を構えた。その視線を追うと、ドスガレオスが起き上がっていた。フィーリアはすぐにクリュウの後方に移動すると後ろから迫っていたガレオスを撃ち殺す。

 クリュウはこちらを向いたドスガレオスに向かって突貫した。そしてそのまま脚に剣を叩き込む。

「ゴアアアァァァッ!」

 ドスガレオスは体を回転させてヒレのついた尻尾で群がる敵を一掃しようとするが、クリュウはそれを盾で防ぐと再び突貫。大きな動きには必ずある隙に飛び込むと、ドスガレオスの下腹部を斬り裂く。真っ赤な血が噴き出し、砂の上に落ちてジュッと蒸発する音が聞こえた。クリュウは構わずその傷口に腰に下げていた小タル爆弾を捻じ込んでピンを抜き、急いで離れる。

 ドオォンッ!

「ガアアアアアァァァァァッ!?」

 ドスガレオスは絶叫して倒れた。そしてそのままジタバタと激しく体を動かす。悶え苦しむドスガレオスにクリュウは剣を叩き込む。フィーリアも連続して銃撃を叩き込む。たまらず、ドスガレオスはさらに激しく暴れ、クリュウはやむを得ず離れる。すると、ドスガレオスは体を激しく動かしてその反動で立ち上がると、前に向かって飛び込み、砂の中に潜ってしまった。

「しまった!」

 クリュウが慌てて音爆弾を取ろうと道具袋(ポーチ)に手を伸ばす。と、突然目の前で砂が爆発したかのように砂が吹き飛び、ドスガレオスが飛び出して来た。クリュウは砂に吹き飛ばされて尻餅をついてしまった。そこへドスガレオスは砂ブレスを放つ。クリュウはそれを盾で防ぐも、吹き飛ばされた。

「クリュウ様!」

 しかしバサルシリーズの防御力はすばらしく、ほとんど痛みもなくすぐに立ち上がった。だが、すでにその時にはドスガレオスは砂の中に潜り、穴の開いた黒いヒレを出しながら逃げていく。慌てて二人は追うが、ものすごい勢いで引き離される。フィーリアは走りながらペイント弾を装填するが、ドスガレオスはどんどん離れて行く。その時、

「あ……」

 一番最初に気づいたのはクリュウ。

 ドスガレオスの針路先に、人影が見えた。黒く艶やかな長髪を風に美しく靡かせるどこか異国風の鎧を身に纏った隻眼の少女。それは別行動をしていたサクラだった。驚きもせずに迫るドスガレオスに向かってサクラは背中に挿した太刀、飛竜刀【紅葉】を構える。そして、ドスガレオスとのすれ違いざま、一瞬で剣を振るった。

 ――ドスガレオスの強靭なヒレが、横一直線に斬り飛ばされた。

「ガアアアァァァッ!?」

 たまらずドスガレオスは悲鳴を上げて砂上へ飛び出して来た。あまりの激痛にか、体を倒したままジタバタともがき苦しむ。そんなドスガレオスに、サクラは無言のまま飛竜刀【紅葉】を構え、一撃を入れる。それは見事に首を裂き、致命傷を受けたドスガレオスは一度ビクンと大きく痙攣すると、そのまま動かなくなった。

 そこへクリュウとフィーリアがやっと追いついて来た。だが、すでに戦いは終わっていた。

「サクラ! ドスガレオスは!?」

「……片付けた」

 そう言ってサクラは剣を振るって刃に付いた血を吹き飛ばすと、背中の鞘に華麗に戻す。そして安堵するクリュウをじっと見詰める。

「……クリュウ、怪我は?」

「大丈夫だよ。でも疲れたぁ……」

 そう言ってクリュウは砂の上に腰を下ろすと、バサルヘルムを外す。春の若々しい木々の葉のような柔らかな緑色の髪が現れ、砂がサラサラと落ちる。その顔は汗でいっぱいだった。

 広大な砂漠で動き回るドスガレオスを発見するのはかなり難しく、仕方なく奴の回遊ルートに二時間も待ち伏せしていたのだ。疲れて当然だ。

 クリュウは腰にぶら下げている水筒の中の水を飲む。砂漠に長時間いても大丈夫なように氷結晶が入っている水筒の中の水は冷たくてのどを潤す。

 そんなクリュウに微笑むと、フィーリアは一度手を合わせてから解体に掛かる。二人も続いて解体に入る。

 十分な解体を終えると、クリュウは素材を素材袋の中に入れてバサルヘルムを被って立ち上がる。

「さぁて、依頼は完遂したし、帰ろっか」

「はい」

「……わかった」

 周りにはゲネポスが数匹こちらの様子を窺っている。クリュウ達が倒したドスガレオスやガレオスの死体を狙っているのだ。その為、こちらから攻撃をしなければ向こうも攻撃はして来ないだろう。獲物があるのにわざわざ危険を冒すほど、ゲネポスはバカではない。

 クリュウ達が十分離れると、一斉にドスガレオスやガレオスの死体に群がってその肉を食べ始める。これが自然の摂理なのだ。

 クリュウ達は拠点(ベースキャンプ)に戻ると荷物を纏め、イージス村に戻った。

 陽気に歩くシルキーが引く竜車の中、クリュウはいつの間にか眠ってしまっていた。砂漠に長時間いるのは、どんなハンターでも疲れるのだ。

 すやすやと眠るクリュウの寝顔を見詰め、フィーリアとサクラは互いに小さく微笑んだ。

 

 イージス村に戻った三人はクリュウが酒場へエレナに報告に行き、フィーリアとサクラは荷物を持って先に癒えに帰ってもらった。

 エレナに報告+跳び蹴り一発を受け、クリュウは自分の家こと三人共同の家に向かう。その途中、道を歩く村人とすれ違う。

「あ、クリュウくんお帰り。怪我はなかった?」

 野菜のいっぱい入ったかごを持った女性が声を掛けて来た。いつも野菜や果物を分けてくれるお姉さんだ。クリュウは笑顔で頭を下げる。

「はい。何とか無事に帰ってきました」

「今回はレディーナ砂漠だっけ? 遠いわね」

「はい。片道竜車に揺られて三日ですね」

「そっか、じゃあ一週間ぶりね」

「はい。早く家に帰って体を洗いたいですよ」

「ふふふ、そうね。お疲れ様。あ、これ持ってって」

 そう言って女性は野菜がたっぷり入ったかごをクリュウに渡す。

「いつもすみません」

「いいのよ。クリュウくん達のおかげで村は平和なんだから」

 そう言ってお姉さんは笑顔で手を振ると去って行った。いつもいつもこうして健康でいられるのは、彼女の手作りの野菜のおかげだ。感謝しなくては。

「おぉ、クリュウおかえり。今回はまたずいぶんと汚れてるな」

 男の人が声を掛けて来た。小さな村なのでみんな顔見知りである。

「はい。砂漠でしたから、もう砂だらけで」

「そうか。砂漠は暑いしな。お疲れさん。今度一緒に一杯どうだ?」

「あ、はい。でも、僕はジュースでお願いします」

「ははは! そうかお前お酒が苦手だったな。わかったわかった。いいジュースを用意しておくよ」

「ありがとうございます」

 ただ家に帰るだけなのに、色々な人に声を掛けられる。小さな村であるから顔が知れるのは当然だが、ハンターであるクリュウは村の平和を守っているので皆から慕われる。だからこそ、これほどまでに皆に愛されているのだ。まぁ、彼の人を呼ぶ性格も加わっているが。

 その時、道の分かれ道の真ん中に大きな大きな、自分の身長よりも大きな荷物を背負った青髪の青年が立っていた。クリュウはそれを見て笑顔になると彼に駆け出す。

「アルト兄さん!」

 クリュウの声に、青年は振り返ると笑みを浮かべた。

「おぉ、クリュウ。久しぶりだな」

 青年はクリュウが前に立つとその頭をよしよしと撫でてやる。クリュウはそれを笑顔で受けると手に持つかごとヘルムをギュッと握り締めた。

 彼の名前はアルト・フューリアス。こういう小さな辺境の村や街を回って商品を売買する行商人の青年だ。このイージス村にも定期的に訪れる。クリュウも彼の常連であり、今では彼を兄と慕うまでに二人は仲がいい。

「ねぇ、今日はどんなのがあるの?」

 彼が持ってくるのはいつもすばらしいものばかり。自然とクリュウも期待が膨らむ。だが、アルトはごめんと小さく謝る。

「もう出発なんだ。一昨日この村に来たんだけど、クリュウ達は狩りに出てていなくて」

「そ、そっか、残念だな」

「ごめんね。また来るから、それまで待っててよ。今度はもっといい品を持って来るから」

「うん。わかった」

 笑顔でうなずくと、アルトはまたよしよしと撫でる。すると、ふとアルトはクリュウを周りを見回す。

「おや、そういえばフィーリアとサクラは?」

「もう先に家に戻ってる」

「そっか、一目見たかったけど仕方がない。それじゃあ、もう行くね」

 そう言ってアルトは荷物を全て持つと村の外に向かって歩き出す。クリュウはそんな彼に大きく手を振って見送る。

「じゃあね! また来てよ!」

「おうよッ! お前もあんまりフィーリアとサクラを困らせるなよ! そろそろどっちか決めたらどうだッ!」

「え? 何ッ!? 何それどういう事ッ!? ねぇアルト兄さんッ!」

 アルトはクリュウの問いを無視し、笑いながら村の出口の向こう、下まで降りる長い階段へ消えて行った。クリュウは首を傾げながらも家に向かって歩き出す。

 家に戻ったクリュウは裏庭で鎧を脱ぐ。すると砂がサラサラと落ちた。どうやらかなりの砂が入り込んでいたらしい。

「うわぁ、インナーの中まで砂でいっぱいだぁ……」

 砂漠から帰って来るといつもこれだ。鎧の繋ぎ部分にまで砂が入り込んでくるし、インナーの中も砂だらけになるので後片付けが厄介極まりない。

 できるだけ防具やインナーの中の砂を取り除いた後、クリュウは体の砂を落とそうと風呂場に向かう。日時さえ指定しておけば、エレナが三人が帰って来る頃には風呂を沸かしててくれるのだ。こういう時こそ幼なじみのエレナには感謝する……まぁ、その報酬が毎回のように受けるバイオレンスな必殺技の数々では吊り合いは取れないが。

(まぁ、それでも感謝してるけどね)

 クリュウはそんな事を思いながら脱衣所の扉を開く――

「え?」

 扉を開いた瞬間、クリュウは目の前の光景に硬直する。

 そこには今湯船から上がったばかりであろうフィーリアが、湯気に包まれながら一糸纏わぬ姿で立っていた。

「え?」

 フィーリアもそこでクリュウの存在に気づいた。

 お互いあまりの出来事に脳が理解するのを拒んでいるのか、どちらも硬直し続ける。だが、徐々に二人の顔は真っ赤に染まり――

「キャアアアァァァッ!」

 フィーリアは悲鳴を上げると慌ててしゃがみ込んで体を隠す。クリュウも顔を真っ赤にしてあわあわと大慌て。

「ご、ごめん! 悪気はなかったんだ! 入ってるなんて思わなくて……ッ!」

「い、いえッ! どうぞご自由(?)にッ!」

「とにかくごめんッ!」

 クリュウは悲鳴に近い声でそう叫ぶと、転びそうな勢いで脱衣所から逃げた。

 遠ざかる足音と転倒音に薄っすらと涙さえ浮かべるフィーリアは顔を上げた。そこには先程までいたクリュウの姿はなく、安堵の息を漏らす。だが、どこか不満そうに唇を尖らせた。

「そ、そんなに必死に逃げなくても……」

 どこか寂しげな表情をするフィーリア。その頬はいつになく赤く染まって熱を帯びている。その熱を冷まそうと、フィーリアは再び風呂場に戻って今度は水を浴びるのであった。

 

 一方、フィーリアの裸を目撃してしまったクリュウは頭を抱えていた。

 今まで着替え中の姿を間違って見た事はフィーリアとサクラで一回ずつやらかしてしまった。さらには以前イャンクックを倒した後に遠目ながら月明かりの下で彼女の裸体を見た事はあった。だが、今回は目の前で見てしまったのでそれを超えるくらい極めてまずい。いくら湯気が見事に大事な部分を隠していたので一応ギリギリセーフだとしても、世間一般的には完全にアウト。もはや犯罪の領域である。

 エレナだったらきっと今頃は自分は生きていないだろう。だが相手はフィーリア。暴力的な事はしない子だ。どうせだったら一発くらいビンタを受けた方がまだ楽だったが、フィーリアはそれをしなかった。

 しかし、裸を見られて嫌な女の子がいないなんて事はなく……

「……き、嫌われた。……確実に、嫌われた……」

 がっくりと肩を落としてうな垂れるクリュウ。今回は圧倒的に自分が悪い。嫌われても仕方がないだろう。

 クリュウはどうしようどうしようと必死に解決策を模索しながら歩く。いつの間にか皆で食事や会話をするリビングに来ていた。中央に置かれたテーブルはいつもみんなで食事や会話をする大切なものである。

 小さい頃は、父と笑いながら食事をしていた思い出の品でもある。

 クリュウはそっとテーブルを撫でる。

 父との思い出の場所は、今では大切な仲間との絆となっている――が、今現在その絆が崩壊の危機に瀕(ひん)している事を思い出し、クリュウは再び頭を抱える。と、

「……クリュウ?」

 その声はサクラのものだった。顔を上げて彼女の姿を確認した時、クリュウは再び硬直した。

 そこにはバスタオル一枚を巻いただけで、後は白い肌という、風呂上り姿のサクラが牛乳の入ったコップを片手に立っていた。

 サクラは先程までフィーリアと一緒に風呂に入っていた。正確にはサクラが入っていた所へ気づかずフィーリアが入ってしまったが、サクラが一緒に入る事を許可して一緒に入り、そして先にサクラが上がったという流れだ。

 もちろんそんな事情を知らないクリュウ。そんな彼の前に立つサクラはあまりにも無防備で、湯気が立つ体を特に隠したりもせず立っている。もしあのバスタオルが落ちたらと思うと、クリュウは耐えられずに視線を外す。

「ご、ごめん! すぐ出て行くから!」

「……なぜ?」

 きょとんとするサクラ。

「な、なぜってそんなの……っていうかサクラ、そんな姿見られても、恥ずかしくないの?」

「……なぜ?」

「いや、なぜって言われても……」

「……小さい頃、私とクリュウは一緒にお風呂に入った。だから、気にしない」

 小さい頃と発育真っ最中の現在とで一緒にされたら困る。どうやらサクラは、こういう事に関しては恐ろしく警戒していないらしい。それはそれである意味フィーリアの時よりも厄介だ。

「と、とにかくごめんッ!」

 それだけ叫び、クリュウは決して後ろには振り返らずに自分の部屋に向かってダッシュした。離れていく彼の背中を見詰め、サクラは不思議そうに首を傾げ、牛乳をクイッと飲む。

「……あ」

 刹那、彼女の体を唯一隠していたバスタオルが落ちた。

 ある意味、命拾いをしたクリュウであった。

 

 数十分後、リビングにあるテーブルを囲むのはそれぞれ私服に着替えたクリュウとフィーリア、そしてサクラの三人だ。

 だが、クリュウはもちろんフィーリアも何も言葉を発しない。基本的にあまりしゃべらないサクラはいつものように無言を貫いている。この時ほど彼女をうらやましく思った事はない。

 先程の事故(?)のせいで、クリュウは二人に対し、フィーリアはクリュウに対しどう話し掛けたらいいか必死に考えを模索させていた。不気味な沈黙の空間に、サクラのお茶をすする音だけが空しく響く。

「く、クリュウ様……」

 意を決して最初に口火を切ったのはフィーリア。その表情はどこか不安げで、今にも壊れてしまいそうな印象を受ける。

「な、何?」

「あの、その、見られましたよね……?」

 顔を真っ赤にしながら問うフィーリア。そんな彼女にクリュウもボンッと顔を真っ赤にすると目を泳がせて「あう……」とか「その……」とかを繰り返す。

 散々考えた挙句、クリュウはぐったりと頭を下げる。

「ご、ごめん……」

「そ、そんな謝らないでください! クリュウ様は何も悪くありませんから!」

 顔を真っ赤にしたまま必死に自分をかばおうとする彼女は素直に嬉しい。だが、できる事なら今だけは罵ってもらいたい。

 クリュウのわずかにあるプライドは、またしても簡単に壊れた。

 そんな二人の微妙なやり取りを見詰めるサクラ。一応彼女もこの話の中にいるはずだが、彼女は先程の事態を気にしていないらしい。

「……同居状態では起こりうる可能性。いちいち気にしていたらきりがない」

 サクラの言葉はもっともだ。同居になるとわかった時点で最悪これくらいの事態が起きる事は覚悟していたじゃないか――まぁ、覚悟と実際とでは大きく違うのだが。

「そうですよ。それに私、本当に気にしてませんから」

 うそである。本当はかなり気にしているが、クリュウをこれ以上追い詰めたくない。

 だが、クリュウにとってはそんな彼女の気遣いこそが一番追い詰められる。

 お互いに一歩も前に動き出せなくなってしまった二人に、サクラは無言でお茶をすする。

 コンコン……

 そろそろ間が持たなくなってきた頃、玄関がノックされてクリュウはこれ幸いと慌てて走って行った。フィーリアも肩の荷が一時的に降りたからかふぅとため息する。

「……どっちもどっち」

「わかってますよ。でもどうすればいいか私もわかりませんし……」

 困り果てて頭を抱えるフィーリアとそんな彼女を見詰め無言でお茶を飲むサクラ。

 一方、玄関に向かったクリュウはドアを開けた途端、すさまじい跳び蹴りを受けて床に叩き付けられて悶絶する。もはや恒例となってはいるが、やっぱり痛い。

「え、エレナ! たまには暴力なしって方向にはできないのッ!?」

「うるさいわね。これでも手加減してあげてるんだから感謝しなさいよ」

「これ以上威力を上げられたら、たぶん僕は死ぬよ」

「何言ってんのよ。これくらい耐えられなくて何がハンターよ」

「無理言わないでよぉ」

 クリュウは上半身だけ起こして自分を蹴り飛ばしたエレナを見詰める。目の前に仁王立ちして胸を反らすエレナはどこか嬉しそうだ。こうして自分をいじめて楽しむ。昔から彼女は変わっていない。

「ほら、そんな所に座ってないで客にお茶くらい出しなさいよ」

「エレナが蹴り飛ばしたからでしょッ!?」

 あまりにも理不尽な暴力と身勝手なエレナにクリュウはブチギレた。その怒声にフィーリアとサクラが慌てて駆け付けて来る。

「な、何事ですかッ!?」

「……またエレナ」

 慌てて駆け付けた二人はクリュウとエレナの姿に安堵するも、サクラはエレナをじっと睨むように見詰める。

「……クリュウがかわいそう」

「べ、別にサクラには関係ないわよ!」

「……関係ある。クリュウは私の仲間」

 キッと睨むエレナと冷たい瞳を向けるサクラ。そんな二人をあわあわと見詰めるフィーリア。そして、疲れたように立ち上がって呆れたようにため息するクリュウ。いつもの構図である。

「フィーリア、ちょっと手伝って」

「あ、はい!」

 クリュウは睨み合う二人を無視し、フィーリアと一緒に台所へ向かう。

「あ、あのさ、さっきは本当にごめんね」

 唐突に切り出したクリュウにフィーリアはあわあわと手を顔の前でブンブンと振る。

「わ、私は気にしてませんので! クリュウ様もお気になさらずに!」

「そ、そう? でもほんとごめん」

「そんなに謝らないでくださいよぉ」

 エレナの乱入のおかげか、すっかり二人の間にあった微妙な溝は埋まっていた。あれだけひどい目に遭っても、これはかなりの戦果だ。少しだけエレナに感謝。

 台所へ着くと、クリュウは茶葉の入ったビンを取り出す。

「フィーリアはそこの棚に入ってるお茶菓子をお願い。一応茶菓子くらい出さないとまたエレナに蹴られそうだし」

「そうですね。まぁ、これ以上クリュウ様に暴力を振るうのなら、いくらエレナ様とはいえちょっとお灸(きゅう)が必要ですね」

「……フィーリア、目がすごく怖い」

 そんな会話を終え、クリュウはフィーリアと共にリビングに向かう。すると、サクラとエレナはすでに椅子に座っていた。なんとも行動が早い事。

 クリュウとフィーリアは互いの顔を見合って微笑むと、空いている席に座ってお茶菓子を挟んで楽しげな会話を始める。クリュウがさっきアルトに会ったと話すと、フィーリアはとても残念そうな顔をし、サクラは無言でお茶を飲んだ。

 いつもと変わらないクリュウ家の日常。

 何もかもが平和で、幸せな日々の連続。

 こんな平凡なひと時を守る為に、自分は戦っているのだと改めて思う。

 この平和がいつまでも続くなら、必死になって戦うだけだ。

「クリュウ! それ私にちょうだい!」

「え? だ、ダメだよぉ」

「何よ! 別にいいじゃない!」

「まだたくさんあるんだからそっちを食べればいいでしょ!?」

「私の物は私の物! あんたの物も私の物なのよ!」

「無茶苦茶だぁッ!」

「……バカ」

「あ、あの、私のでよろしかったら……」

 こんな平和が、いつまでも続いてほしい。

 そんな想いが、胸を優しく、温かく満たし、明日への希望に繋がっていく……


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