モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第82話 不憫なフィーリアの小さな幸せ

 テティル沼地の拠点(ベースキャンプ)は三ヶ所の道から行けるが、どれも人間が通れる程しか幅がないのでモンスターは入って来れない。その奥の小さな湖のほとりに拠点(ベースキャンプ)の天幕(テント)はある。

 クリュウが戻って来ると、湖の水を飲んでいたアニエスが「キュイッ♪」とかわいらしい声を上げてドタドタと駆け寄って来た。

「キュイィッ!」

「こ、コラ舐めるなってッ」

 スリスリと頬ずりしてベロベロとクリュウを舐め回すアニエス。甘えん坊で寂しがり屋の彼女にとってクリュウに拠点(ベースキャンプ)に一匹(ひとり)置いて行かれるのはすごく不安なのだろう。だからクリュウを見ると甘えずにはいられないのだ。

 まぁ、寂しくても決してクリュウの命令を破る事はないので、クリュウとしては安心してロープで繋ぐ事もせずにアニエスを拠点(ベースキャンプ)に置いて行けるのだが。

「あれ? 二人とも帰って来てないよ?」

 アニエスに散々甘えられた後、天幕(テント)の中や辺りを確認したクリュウは二人の姿がない事に首を傾げた。

「おかしいですね。イャンクックの死体はあったから討伐は終わっているはずなんですが……」

 ここに戻る途中でイャンクックの剥ぎ取りを行った二人。今回の依頼はテティル沼地に現れたイャンクックとイャンクック亜種の討伐。これで依頼されたモンスターは全て討伐を終えた訳なのだが、サクラとシルフィードが戻って来ない。

「でもまぁ、そのうち帰って来るよ」

「そうですね。お二方はどちらもお強いですから、それこそ火竜の番(つがい)が現れても撃破してしまうような実力の持ち主ですし」

 フィーリアの言葉に、クリュウは苦笑いしながら改めて二人はすごいなぁと思った。自分では彼女達と力を合わせて辛勝するのがやっとの相手。それを二体同時に相手にできるとなると、やっぱり自分との差は大きい。

「僕はどこまで行けるんだろ……」

「え? 何か言いましたかクリュウ様?」

「ううん、何でもないよ」

 クリュウはそう言うと不思議そうにこちらを見詰めているフィーリアの横を通り過ぎ、支給品を道具箱の方へ戻しておく。支給品はあくまで支給なので、依頼が終わった後余った物は道具箱に戻しておくのが掟だ。まぁ、ハンターという職業柄生活苦になっている人も少なからずいるので、実際は守られていない事も多いが、もちろんクリュウはそういう事をするようなタイプではない律儀な性格をしている。

「お腹空いたなぁ」

 道具箱の支給品の整理をしながら何気なく呟いたクリュウの言葉を、フィーリアはしっかりと聞き取った。これはチャンスだ。

「あ、あのッ! お肉焼きましょうかッ?」

「え? あ、でももうすぐ二人も帰って来るし」

「大丈夫ですよ。それにお二人もきっと小腹くらいは減っている頃合ですし、ちょうどいいじゃないですか」

「そ、そっかな? じゃあお願いできる?」

「はいッ!」

 フィーリアは満面の笑みを浮かべてうなずくと、早速メンバーで唯一彼女だけが持っている高級肉焼きセットの準備する。その間にクリュウはアニエスにエサを与える。

 鼻歌を歌いながらご機嫌で準備を進めるフィーリア。火薬がこの気候の湿気でダメになっていないかと一瞬心配したが、そんなトラブルもなく順調に準備が進んでいく。

 土台をセットし、火薬を石皿の上に引き、アニエスの干草を少し分けてもらってそこに加え、準備完了。両手に持った火打石を何度も火薬の上で叩いて火花を散らせる。五回目でようやく火花が火薬に引火し、干草と共に炎を立ち上らせる。

 フィーリアは火の勢いが一定になるのを見計らって生肉を固定する。そしてすぐにハンドルをゆっくりと、一定のリズムで回し始める。

 肉焼きのうたを口ずさみながら嬉しそうに肉を焼くフィーリアを見て、クリュウは小さく微笑んだ。

 一方フィーリアはこの千載一遇のチャンスにすっかり有頂天気分。これでクリュウに喜んでもらえば今までの遅れを少しでも取り返せるかもしれない。

 クリュウと二人っきり。そしてクリュウの為に肉を焼く。フィーリアにとって今はまさに夢見心地である。

 うっとりと、クリュウの横顔をじっと見詰めるフィーリア。すると、クリュウが突然振り返った。

「ふぃ、フィリーアッ!? なんか肉から黒い煙が出てるよッ!」

「えへへ――ふぇッ? うにゃあッ!?」

 フィーリアは慌てて黒煙を噴く肉を取り上げたが、時すでに遅し。生肉はすっかり黒ずんでしまい、焦げ臭い匂いが辺りに広まる。

「肉を焼いている時に余所見しちゃダメだよ」

「うぅ、すみません」

 初歩の初歩でミスったフィーリアは恥ずかしさで真っ赤に染まった顔を上げられない。しかし耳まで真っ赤になっているのでクリュウにはバレバレである。

「あぁ、うん。生肉はまだあるから、今度はちゃんとお願いね」

「は、はいぃッ!」

 クリュウのありがたいお言葉に、フィーリアは薄っすらと涙を浮かべながら喜ぶ。こういう優しさに、彼女は惹かれているのだ。

 気を取り直してもう一度肉焼きにチャレンジするフィーリア。今度こそはと意気込み、しっかりと肉の焼き加減を見詰めながらゆっくりと回す。肉焼きのうたを口ずさむのも忘れない。

 勢いの強い火にあぶられてどんどん焼けていく肉。ベストの瞬間は一瞬のみ。その瞬間を逃がすまいとフィーリアは真剣に焼けていく肉を見詰める。そして、

(ここッ!)

「ウルトラ上手に焼けましたぁッ!」

 バッと天高く掲げられたのはまさに絶妙な火加減で焼かれた最高の肉、こんがり肉Gであった。太陽の光があったらまばゆく光るであろうこんがり肉Gを見上げ、フィーリアは満足そうにうなずくと、ちょうどアニエスにエサを与え終えて戻って来たクリュウに「見てくださいッ! こんがり肉Gですよッ!」と自慢げに見せる。

「おぉ、さすがフィーリア。もう肉焼き名人だね」

「えへへ〜♪」

 クリュウにほめられて大喜びなフィーリア。クネクネと体をクネらせ、顔はもうとろけてしまいそうなくらいニヤけている――それだけ、ずっと寂しかったのだと思うと本当に不憫(ふびん)な子だ。

「どうぞクリュウしゃまぁッ!」

 フィーリアが差し出したこんがり肉Gをクリュウは「ありがとう」と笑顔で受け取る。その笑顔にフィーリアは天を見上げた。その一瞬だけ、霧が晴れて彼女を神々しい太陽の光が照らし上げた。

「……もう死んでも悔いはありましぇん」

 ――本当に、不憫な子だ。

 そんなフィーリアの想いなど知らないクリュウは天幕(テント)の横の腰ほどの高さの岩に腰掛けてこんがり肉Gを頬張った。パリッとした皮と中のジューシーさがまさに最高のハーモニーをかもし出している。適度な塩加減が食欲をそそり、クリュウはおいしそうにこんがり肉Gを食べ進める。

「フィーリア、これすごくおいしいよッ!」

 クリュウの言葉にフィーリアは「それは良かったですッ!」と笑顔で答え、彼に背を向けるとまた天を見上げて「……生まれて来て、本当に良かったぁ」と喜ぶ。

「フィーリア? どうかしたの?」

「い、いいえッ! 何でもありませんよぉ」

 フィーリアは慌てて笑って誤魔化す。クリュウはそんな彼女の反応に違和感を感じつつも彼女が何でもないと言っているのでそれ以上追求する訳にもいかず一応納得してこんがり肉Gにかぶりつく。そんな彼の横に、フィーリアはゆっくりと腰を下ろした。

「……あ、あのさフィーリア。そんなに見詰められると食べるに食べられないんだけど」

 じーっと見詰めて来るフィーリアにクリュウが苦笑いすると、フィーリアは慌てて「す、すみませんッ!」と顔を真っ赤にしながら視線を外す。

「なんか、僕の顔に付いてるの?」

「い、いえ本当に何でもありませんのでッ!」

 すごく気になりつつもそれ以上の追求はせず、クリュウはこんがり肉Gを頬張る。

 数分後、クリュウはこんがり肉Gを全部食べ終えて残った骨を土の中に埋めた。後片付け完了だ。

「ふぅ、おいしかったよフィーリア」

「クリュウ様に喜んでもらえて私も嬉しいです」

 そう言って嬉しそうに笑うフィーリアに、クリュウも小さく笑みを浮かべる。

 ここが湿地帯で沼地でなくて霧がなくて、太陽があって風が吹くと揺れる草花があれば最高なのだが、フィーリアにとってはそれ以上にクリュウと一緒にいられる事自体が最高なのだ。

「なんか、こうしてフィーリアと二人っきりってずいぶん久しぶりな気がするね」

「え? あ、そうですね」

 突然話し掛けられてフィーリアは一瞬驚いたが、すぐに平静を取り戻して答える。そんな彼女に、クリュウは小さく笑みを浮かべながら話しかけ続ける。

「いやぁ、やっぱりフィーリアと一緒ってのが一番落ち着くね」

 そのクリュウの何気ない言葉に、フィーリアの表情がパァッと明るくなる。

「ほ、本当ですかッ!?」

「うん。サクラは一緒にいると色々と無茶して来るし、シルフィは仲がいいと言っても年上だからね。やっぱり付き合いが長いし、話しやすいフィーリアが一番だよ」

「……はうぅ」

 妙に色っぽいため息の後、フィーリアは鼻から赤い液体を垂れ流した――鼻血だった。

「ふぃ、フィーリアッ!? ど、どうしたのさ一体ッ!?」

「だ、大丈夫ですよぉ……ッ!」

 ドボドボドボドボドボッ!

「全然大丈夫じゃなさそうなんだけどッ! すさまじい勢いで血が噴き出てるけどッ!」

 クリュウは慌ててハンカチを取り出してフィーリアの鼻に当てると、ゴシゴシと荒々しくも急いで血を拭う。

「ちょっとッ! 僕ばっかりじゃなくて自分でもやってよぉッ!」

「……ふぇ?」

 クリュウに抱きとめられながら鼻を拭かれるという幸福状態にすっかり身を委ねていたフィーリアは一瞬呆けたような表情を浮かべた後、慌てて自分もハンカチを取り出して血を拭う。

 フィーリアは鼻血が落ち着くと湖で手や防具についた血を洗い流す。その時の彼女の顔はもう熟れたリンゴのように真っ赤に染まっていた。

「は、恥ずかしいですぅ……ッ」

 クリュウの嬉し過ぎる言葉を聞いたとはいえ、彼の前で鼻血のオンパレードをぶちかますなんて乙女失格の大失態である。穴があるなら入りたい。そんな気持ちを激しく味わうフィーリア。そんな彼女を心配してクリュウが近寄って来た。

「だ、大丈夫フィーリア?」

「うぅ、何とか大丈夫ですぅ……」

 恥ずかしくて顔を上げる事のできなフィーリアに、クリュウは心配するもどうしていいかわからず右往左往。

 ――二人の間に無言の何ともいえない気まずい雰囲気が流れ始めた刹那、クリュウにとっては救いの女神、フィーリアにとっては天敵が現れた。

「……クリュウッ!」

 その声にハッとなってクリュウが振り返ると、拠点(ベースキャンプ)の入口で激しく肩を上下に動かして荒い息をするサクラが立っていた。どうやらここまで全速力で走って来たらしい。

「あ、サクラッ! 今までどこに行ってたんだよッ」

 クリュウはすぐにサクラの下へ駆け出す。顔を上げられないフィーリアはうつむいたまま離れていくクリュウの気配に悔しそうに唇を噛む。

 サクラはサクラで駆け寄って来るクリュウに向かって残る力を振り絞って駆け出す。

「……クリュウぅッ!」

「サクラぁッ――って、ストップストップッ!」

 全速力で突っ込んで来るサクラにクリュウは慌てて急停止すると暴走する彼女に止まるように叫ぶが、《サクラは急には止まれない》という彼女自身の座右の銘のごとくサクラは止まらずに突っ込む。そして、

「……クリュウぅッ!」

「うわぁッ!?」

 クリュウの胸に向かってサクラはダイブ。あまりの勢いにクリュウは彼女に押し倒される形となって仰向けに転倒した。

「ちょ、ちょっとサクラぁッ!」

 起き上がろうとするクリュウだが、サクラは彼の上から抱き付いて離れようとはせずクリュウは起き上がれない。

「ど、どうしたのサクラ?」

「……クリュウのバカ」

「えぇッ!? ぼ、僕が悪いのッ!?」

 思い当たる節がないクリュウは困惑する。そんな彼の胸に飛び込んだままのサクラは、ほんのりと頬を赤らめてスリスリと頬ずりする。それに気づいたクリュウは途端に顔を真っ赤にする。

「ちょ、ちょっとサクラッ。いい加減離れてよぉッ!」

「……拒否する」

「何で君に拒否権があるのさッ!?」

 必死にクリュウは抱き付いてくるサクラを引き剥がそうとするが、近頃リリアの猛攻撃の前に欲求不満に陥っている彼女の暴走は止まらない。このままの勢いで彼の唇も奪って――

「何をしているんですかッ!」

 幸せムードから一変、サクラの表情がいつもの無表情に戻った。スッと不機嫌そうに睨む先には仁王立ちしたフィーリアが立っていた。唇の端がピクピクと動いているのは、相当怒っている証だ。

「……邪魔は、許さない」

 ゆっくりと立ち上がったサクラは隻眼でキッとフィーリアを睨みつける。フィーリアも負けじとサクラを睨み返す。一触即発な雰囲気が、その場に流れた。

 睨み合う二人の恋姫の間で、そのあまりの迫力に声を掛ける事もできずに右往左往するクリュウ。自分が原因だとは気づいていないのが彼らしい。

 三人がそんないつものような感じでいると、シルフィードがゆっくりとした足取りで戻って来た。

「全く、君達は一体何をやっているんだ」

 動けぬ三人を見て呆れるシルフィードは小さくため息した。すると、そんな彼女に気づいたクリュウが救いの女神を得たの如くパァッと笑顔を華やがせると、彼女に駆け寄った。

「し、シルフィッ! あの二人をどうにかしてぇッ!」

「いや、私に言われても困るのだが」

「仲間同士のケンカを仲裁するのはリーダーの役目だよ!」

「……君達はなぜ、面倒な時にだけ私をリーダーと頼るのだ?」

 苦笑するシルフィードだったが、このままだと二人が本当にマジケンカに発展しかねないので、仕方なく止めに入ろうとする。と、

「お、お願いだよシルフィッ!」

 仲裁に入ろうとするシルフィードに、クリュウは抱き付いて必死に懇願(こんがん)する。どうやら彼女が呆れて立ち去ろうとしたのだと誤解しているらしい。だが、突然クリュウに抱き付かれたシルフィードはいつものクールさが一転してあたふたと慌て始める。

「お、おいクリュウ……ッ」

「お、お願いッ! 僕達を見捨てないでぇッ!」

「み、見捨てたりはせんから……ッ! と、とにかく離れてくれぇッ!」

 だが、クリュウはギューッとさらに強く抱き付いてくる。目の前に彼の顔、そして何より彼に包まれるという事実に頭がクラクラとしてくる。真っ赤な顔を見られたくなくてシルフィードは慌てて顔を逸らすが、それがクリュウにとっては拒否の仕草に見え、

「し、シルフィッ!」

「あふぅ……」

 シルフィードが色々な意味で限界に達しようとした刹那、彼女のハンターとしての鋭い感覚がリオレウスにも引けを取らないような凶悪な殺気を感じ取った。ハッとなって振り返ると、そこには……

「「……」」

 ――無言で自分を睨みつけて来るサクラとフィーリア。二人ともすさまじい殺気を全方位に噴出させ、辻斬りのような鋭い眼光をしている。なぜか、二人の背後にはそれぞれ火竜リオレウスと雌火竜リオレイアの怒り狂った顔が見える。

 シャキン……これはサクラが愛剣、鬼神斬破刀を背中の鞘から引き抜いた音。

 チャキ……これはフィーリアが愛銃、ハートヴァルキリー改に弾を装填した音。

 ジャリ……これは二人の足が砂と擦れた音。そして二人は、一斉に全力攻撃体勢に入り――

「ま、待てぇッ!」

 このままだと本当に殺されかねない状況に、真っ赤だった顔を一転させて真っ青にしたシルフィードは慌ててクリュウを引き離そうとする。

「クリュウ離してくれッ! 私は今命の危機に瀕しているんだッ!」

「た、助けてよシルフィッ!」

「誰か私を助けてくれえええぇぇぇッ!」

 その日、テティル沼地には珍しくクリュウではない大人びた少女、シルフィードの悲鳴が響いたのであった。

 

 翌日、一行はテティル沼地から竜車で半日、テティル地方最大の都市である城塞都市テティリアに到着した。ドンドルマと同じく三方を山に囲まれ、開け放たれている南側は巨大な壁で守っているテティリアは、防衛設備に関してだけはドンドルマを凌駕する難攻不落の城塞都市。撃竜槍だけでなく撃竜針、バリスタ、大砲などドンドルマに装備されている物の他にも様々な設備が備えられている。

 テティリアの前身、旧テレステニアは二〇年ほど前に古龍の攻撃を受けて崩壊。新都市テティリアはそれを教訓に要塞を築いてから街を造るという手法で、難攻不落の大要塞となった。

 現在このテティリアはドンドルマに対して様々な工業製品を輸出し、見返りに土地柄育たない食糧などを輸入して生計を成り立てている貿易都市。有事の際にはドンドルマと物資を共有する同盟を結んでいるので、補給の面でも難攻不落の都市だ。

 巨大な壁の向こうにあるテティリア都市中央部は様々な工場が立ち並び、煙突が無数に存在する。煙突からは絶えず黒煙が空へ上っていく。テティリアは大規模な発展を優先した為、大陸一空気が汚染されている。外部から人が出入りする事が少ないのはその為だ。

 そんなテティリアに、クリュウ達はやって来た。壁の門をくぐり、竜場にアニエスを預けてクリュウ達はテティリアの街を歩く。

 天高く聳える煙突。その先からは黒煙がもうもうと立ち上り、灰色の空に吸い込まれていく。テティリアの空に太陽が現れるのは月一回程度らしい。

「何か、変な臭いがするね」

「有害物質が大気中に漂っているのだ。その臭いだなきっと」

「あまり長居したい所ではありませんね」

「……臭い」

 外部の人間である四人は早速テティリアは自分達には合わないと実感した。遠くの煙突が霞んで見えるのも、大気が汚れているからだそうだ。

「とにかく、さっさとギルドに行って依頼完了を報告してしまおう」

 そう言ってシルフィードは先頭を歩く。他の三人はそんな彼女について行く。

 今回の依頼は村に来た依頼自体はいつもと変わらないものであったが、依頼が完了するとテティリアのギルド支部に報告するというややこしいものであった。これはテティルがまだ山の向こう側、つまりイージス村やドンドルマのある地域との交流不足の為だ。トンネルが開通してまだ日が浅いので、色々と間に合っていないのだ。

 途中、一行は最短ルートの為市場を通過した。ドンドルマと同じ活気に満ちた市場だが、工業製品が七割ほどを占め、食料関係の店は野菜などは乾燥野菜、肉も乾燥した干し肉など保存重視のものが多い。これらは主にドンドルマから来ているもの。その為テティル地方では新鮮な食材とはあまり出会えない。この地で生まれた子供は死ぬまで肉は乾いたものだと信じる、という冗談はあながち間違いではないのかもしれない。

 珍しい市場にクリュウはちょっと興味を惹かれたが、他の三人がスタスタと進むので仕方なくついて行った。

 ドンドルマほどではないが石造りのしっかりした建物がテティリアギルド支部だ。テティリアのギルドもやはり酒場と一体化したもの。どうやらこの組み合わせは大陸共通らしい。

 ドアを開けると、酒場特有のむあっとした匂いが鼻を襲う。酒や料理、煙草や体臭などが混ざり合ったこの匂いも、大陸共通だ。

 クリュウとフィーリア、サクラは先にテーブルを確保し、シルフィードが受付に向かった。

 テーブルを確保した三人だったが、ここでクリュウの隣を巡ってフィーリアとサクラが対立。お互いに武器を構えかねないような勢いだったので、クリュウが慌てて隣にシルフィードを指名して何とか事なきを得た。まぁ、後でシルフィードに怒りの矛先が向くのは当然であったが。

 椅子に座ったクリュウは早速レウスヘルムを脱ぐ。若葉色のサラサラとした髪が外気に触れて嬉しそうに揺れる。開かれた翡翠色の瞳はいつものように柔らかい印象を持つ。

 そんなクリュウの素顔にフィーリアとサクラは見惚れている。狩りの時はいつもヘルムに隠れているので、こういう時にじっくりと堪能しておかないと。

「あ、あの、僕の顔に何か付いてるの?」

「ふぇッ!? な、何でもありませんよッ! ね、ねぇサクラ様ッ!?」

「……(コクコクッ)」

 いきなり声を掛けられて慌てまくる二人に首を傾げるクリュウだったが、そこへ報酬金を受け取ったシルフィードが戻って来た。

「うん? どうした、何かあったのか?」

 そう言ってシルフィードはクリュウに問うが、彼自身もよくわかっていないのでとりあえず首を横に振っておく。シルフィードはフィーリアとサクラを一瞥して首を傾げたが、追及する気はなく空いているクリュウの横に座る。その瞬間、フィーリアとサクラの眼光が鋭くなった。

「……あ、空いている席に座っただけで、なぜ殺気を込めた視線を向けられなければならないのだ?」

「ご、ごめんねシルフィ……」

 シルフィードにとってあまり居心地がいいものではなかったが、仲間の輪から離れる訳にもいかないし、ちょっとだけ彼の隣が嬉しかったりするので移動したりはしない。そのまま彼女は四つの皮袋に分けて受け取った報酬金をテーブルの上に置いた。

「これが今回の報酬だ。さすがにイャンクック二頭では報酬は安いな」

 手に取ってみたクリュウは彼女の言葉に内心うなずいた。確かにいつもよりも軽い。リオレウスとは比べ物にならないし、これだったら護衛依頼の方が高い。

「何か採掘でもしておけば良かったですね」

 苦笑しながら言うフィーリアの言葉に、シルフィードは「全くだ」と同じく苦笑しながらうなずいた。

「……用件は済んだ。さっさと行こう」

 そう言ってサクラは立ち上がると三人に背を向けて歩き出す。シルフィードはそんな彼女の背中を見て肩を竦ませると、自らも立ち上がった。

「仕方がない、そろそろ行くぞ。どうも私はここの空気は合わん」

「そうですね。私もちょっと……」

「本当はゆっくりしたいけど、ここじゃくつろげそうにないしね。さっさと村に帰ってそこでゆっくりしようよ」

 クリュウはそう言って小さく微笑んだ。すると、そんな彼の言葉に三人がピクリと肩を震わせる。

「「「……村」」」

 確かに、イージス村は故郷のような場所でゆっくりとくつろげそうだ。だが、忘れてはいけない。あの村には今、魔物が住んでいる事を。

 お兄ちゃんと甘えた声で純粋無垢なクリュウを誘惑し、徐々に自分の色に染めようとする自分達の最強の敵――リリア・プリンストンッ!

 足を止めてうつむき沈黙する三人に、クリュウは不思議そうに首を傾げる。

「みんなどうしたの? ほら、早く行こうよ」

「……村には帰らない」

「え?」

 クリュウが振り返ると、サクラが無表情で立っていた。その隻眼はいつものように何の感情も窺い知る事もできないほどに冷たい。

「村に帰らないって、テティリアに何か用でもあるの?」

「……用件はない」

「え? じゃあ何でまた」

「……とにかく、村には帰らない。帰りたくない」

 そう言ってサクラは椅子に腰掛けた。完全に動きませんモードに突入してしまったようだ。そんなわがままなサクラにクリュウはため息する。

「ちょっと、フィーリアとシルフィからも言って――」

「わ、私はドンドルマに行きたいです〜」

「それは名案だ。このままでは骨折り損のくたびれ儲け。ドンドルマまでちょっと出稼ぎに行くか」

 何の感情もない、まるで台本を棒読みしているかのように抑揚のないセリフを言った後、二人はサクラの肩を叩いて歩き出す。慌てるのはもちろんクリュウだ。

「ちょ、ちょっと待ってよみんなッ! 本気でドンドルマに行くのッ!?」

「……もう少し稼いだ方がいい。それがいい。その方がいい。決定」

 サクラまで棒読み状態。クリュウは三人に違和感を感じていたが、それよりも三人の突拍子もなさ過ぎる提案に混乱する。

「さすがに連続は辛いってッ! ドンドルマにはまた今度行こうよッ! だからもう村に帰って――」

「……却下」

「丁重にお断りします」

「それはできんな」

「……何で、珍しく三人の意見が見事に合ってるの?」

 クリュウはため息すると「わかったよぉ……」と泣く泣く従う事にした。そんなクリュウに内心謝りつつも、三人の決意は固い。

「じゃあ、ドンドルマに行くにしても途中村に寄ってからにしようよ。装備とか補充した方がいいし、エレナ達にも伝えないと――」

「……拒否する」

「それはちょっと困ります」

「村には寄らんぞ」

「だからッ! 何でこんな時に限って意見が合うのさ君達はッ!」

 こんな時だからこそ、三人の意見が合ったのだ。

 せっかくリリアから逃れる為に疲れている体を押してドンドルマ行きを決めたのに、村に寄ってしまうなんて本末転倒だ。

「とにかく、私たちはこのままドンドルマへ行くぞ。リーダーの決定には従ってもらう」

「そ、そんなぁ〜ッ!」

 がっくりとうな垂れるクリュウ。しかしリーダーの決定とあれば従うしかないし、多数決でも自分は負けている。結局、素直にフィーリア達について行くしかないのだ。

 がっくりとうな垂れるクリュウを、三人は申し訳なさそうに見詰める。しかし、悪魔からクリュウを守るにはこうするしかないのだ。

 

 結局、一行はテティリアは出発するとイージス村を素通りしてドンドルマに向かう事になった。そしてドンドルマで数日間簡単な依頼を幾つかこなし、さすがに帰らないとまずくなって帰還した。

 実に二週間半ぶりに帰って来たイージス村。もちろんクリュウは早速エレナのドロップキックを受けて悶絶。その後はリリアに振り回され、三人は指をくわえて再びの出立を待つしかなかった――ご愁傷様。


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