モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第83話 サクラサク

 リフェル森丘。かつて火竜リオレウスと死闘を繰り広げたこの地に、クリュウとサクラはやって来た。

 今回は二人だけの狩りだ。正確にはこの森の向こうの村への物資輸送を行う輸送隊の護衛依頼である。

 リフェル森丘付近は数日前まで連日豪雨が降り、至る所で土砂崩れや河川氾濫が起きている。その為ライフラインが切断されてしまった村や街も存在し、王政府は被災地に救援物資を送る事を決定した。

 しかし、救援物資を送るにしても輸送隊が避けて通れないのがリフェル森丘。つまりは狩場だ。物資や人を獲物にしたモンスターに襲われる危険性が高い為、こうして輸送隊はハンターに護衛を依頼している。そして、その一つをクリュウとサクラが受ける事になったのだ。

 

 小春日和というべき心地良い日差しの下、レウスヘルムまでしっかりと被ったレウスシリーズを着たクリュウと凛シリーズを纏ったサクラは並んで草原の上を歩く。その後ろからは二匹のアプノトスに引かれた二台の竜車が続く。彼らが今回の二人の護衛対象だ。荷台には生活物資などが積まれており、いつもよりも慎重に護衛しないといけない。何せ人の命にも関わるような物資なのだから。

「でもまぁ、場所がリフェル森丘で良かったね」

 そう言ってクリュウは辺りを見回す。確かに砂漠や火山と違って広い場所というものが少ない森丘はモンスターに大規模に襲われる事はない。しかも森丘に生息しているのはランポスだ。ゲネポスやイーオスに比べれば相手にもならないようなモンスター。護衛任務とはいえ、リリアを助けた時のような壮絶なものにはならないだろう。

 サクラも同意見なのか、そんなクリュウの言葉にコクリと小さくうなずく。そして相変わらずの無表情で前を見詰め、時折その隻眼で辺りを見回す。その間、彼女は無言だ。

 無言で忠実に任務を遂行する彼女を見て、クリュウは感心した。さすが護衛の女神と謳われるだけのハンター。人の命が懸かっているとなると冗談をやらかす事なく真剣にやっている。ちょっと会話がないのは寂しいが、そんな彼女のまじめさは尊敬できる。

 クリュウもそんな彼女を見習って警戒を強化して辺りをしっかりと、時折双眼鏡を使って見回す。そんな彼を、隣を歩くサクラがチラチラと盗み見ている事を彼は知らない。

(……かっこいい)

 レウスシリーズを纏った彼の勇姿を見て、サクラはほんのりと頬を赤らめた。

 子供の頃から、クリュウはずっと自分にとってはかっこ良くて優しい存在だった。それは今も変わらない――いや、昔よりもずっとかっこいいし、優しい。

 そんな彼を今は独り占めにできるのだ。サクラにとって、こんなに嬉しい事はない。

 フィーリアは別の単独依頼の為にドンドルマへ。シルフィードも用があると言って一人で出払っている。そんな時にやって来たこの依頼に、サクラはすぐに承諾した。何せ村にはクリュウの布団に潜り込む事数回、天敵リリア・プリンストンがいる。クリュウを奪還するには狩場しかない。それも今回は二人っきり。無表情を装っていても唇の端が自然と吊り上がってしまう。

 無言で辺りを警戒しつつも、サクラの頭にはこの依頼を終えた後の事しかない。今回の依頼は行きのみなので、目的地の帰りの途中の街で別のハンターに護衛が変わる。その街は比較的大きな街な上にクリュウ達も何度も訪れている慣れ親しんだ街。街には食堂があるからそこで二人でランチを食べる。その後も一緒にデートのように街を回る。こんな寄せ集めのような企画段階でも、サクラはもうウキウキだ。

 律儀に辺りを見回しているクリュウの横で、サクラは早く街に着く事を願って少しだけ足を速めた。と、

「サクラッ」

「……(コクリ)」

 ――言われなくてもわかる。前方の林の中で何かが動いたのが見えた。どんなに浮かれていても、彼女のハンターとしての勘が鈍る事はない。

 クリュウは輸送隊に止まるよう指示し、自分が見て来ると言ってゆっくりと林の方に向かう。自分は輸送隊の直援だ。

 バーンエッジを抜いたクリュウはレウスフォールドに下げた五発の小タル爆弾の一つに手を掛けた。サクラはそんなクリュウの背中を、じっと見詰める。

 ――刹那、林の中から青の襲撃者が襲い掛かって来た。ギャアギャアと威嚇のような声を上げて現れたのは十匹のランポス。さらに横の岩壁の上から六匹が飛び降りて来た。どうやら待ち伏せされたらしい。

 輸送隊の男達は悲鳴を上げる。確かに一般人の彼らにとってランポス十六匹なんて敵わない相手だろう。だが、クリュウには物足りないくらいだ。

「ギャアッ! ギャオッ!」

 中隊長らしきランポスの鳴き声に十五匹のランポスは三匹ずつの小隊に分かれてクリュウを取り囲むように展開する。モンスターとはいえ、見事な連携だ。

 だが、クリュウは慣れた手つきでランポスの展開が完了する直前で小タル爆弾二発をベルトから外してすぐさまピンを抜いて投擲。二発の小タル爆弾はランポス達の前で小さな爆発を起こした。

 突然の事に驚くランポス達。その隙にクリュウは突貫して輸送隊に最も近いランポス三匹に襲い掛かり、あっという間に全滅させる。

 一瞬にして仲間を三匹も殺られたランポス達に動揺が走る。だが隊長の命令に再び冷静さを取り戻したのか、今度は二個小隊で襲い掛かってくる。しかしクリュウはそれを冷静に見抜き、再び小タル爆弾二発を投擲。進路に小爆発が起きたランポス達は驚愕してその場に急停止。そこへクリュウが突っ込む。

「はぁッ!」

 バーンエッジを横薙ぎに振るい、先頭のランポスの首を切断。続いてもう一匹のランポスの背中に斬り掛かり、二撃を叩き込んで潰し倒す。

 小隊の懐に入り込まれたランポス達は慌てて散開しようとするが、クリュウはそれを封じるように各個撃破。瞬く間にさらに三匹のランポスを片付ける。逃げ出す最後の一匹は深追いはせずに体勢を立て直す。

 あっという間に部隊の半数以上を殺されたランポス達は後ろに跳んで隊列を整えると、再び小隊ごとにクリュウに襲い掛かる。しかし結果は変わらずクリュウは残る最後の小タル爆弾を投擲して威嚇爆発を起こし、ランポスの動きを止めて斬り掛かる。ランポスは反撃する隙もなく三匹が倒された。一匹がクリュウの攻撃をすり抜けて輸送隊に襲い掛かったが、当然サクラの一撃で瞬殺された。

 もはや継戦は困難と悟ったのか、残る三匹のランポスは仲間の亡骸に目もくれずに敗走する。それらを追撃する事はなく、クリュウはバーンエッジを一回振るって刃に付いた血を飛ばすと、腰に戻す。その鮮やかな剣捌きに戦いを見守っていた輸送隊の男達から拍手が起きる。クリュウはバイザーを上げてそれらに照れ笑いを浮かべた。そんな彼にサクラがトコトコと駆け寄る。

「……お疲れ様」

「こんなの疲れるのには入らないよ。それよりさっさと森を抜けてしまおう。今逃がしたランポスが部隊をまた整えられたら面倒だからね」

 昔のクリュウなら《面倒》ではなく《厄介》と言っていただろう。どちらも難しい場合に用いる言葉だが、その意味は大きく違う。片方は実力以内の困難を示し、もう片方は実力以上の困難を示す。

 今のクリュウは例え三〇匹ぐらいでランポスが襲い掛かって来ても冷静に撃破できるだけの力を持っている。それだけ、彼は大きく成長していた。

 クリュウは輸送隊の隊長と二、三ほど話し合った後、輸送隊は再び前進を開始した。先頭はもちろんクリュウとサクラの双璧が守る形。

 辺りを見回して奇襲を警戒するクリュウを見て、サクラは小さく口元に笑みを浮かべた。

(……今回、きっと私の出番はない)

 

 サクラの予想通り、その後も輸送隊はブルファンゴやチャチャブーに襲われたが、クリュウ一人でそれら全てを撃破。輸送隊は無傷でリフェル森丘の狩場を抜けたのであった。

 

 リフェル森丘の周辺にある村や街の一つ、中継都市カザハ。人口は五〇〇人前後で、リフェル森丘に来るハンターはよく立ち寄る街だ。クリュウとサクラも何度も訪れている、慣れ親しんだ街である。

 カザハから峡谷を挟んだ向こう側の街に物資輸送を終えた輸送隊はこうしてカザハ経由で再びドンドルマを目指すのであった。帰りの護衛は別のハンターが行う手はずになっているので、クリュウ達は感謝する輸送隊の隊長や隊員達と別れた。後はこのままイージス村に戻るのみ。だがその前に腹ごしらえだ。

 クリュウとサクラは早速街の大衆食堂へ向かう。戸をくぐると、結構広い食堂にはすでに大勢の市民が集まっていた。相変わらず繁盛しているらしい。

 二人がどの席に座るか迷っていると、

「いらっしゃいませ――って、クリュウさんにサクラさん。今日はお二人だけですか?」

 そう言ってやって来たのはクセッ毛がかわいらしいこの店の給仕娘。クリュウ達も何度もこの店に足を運んでいる為に、すっかり名前を覚えられてしまったようだ。

 レウスヘルムを手で持ちながらクリュウは小さく笑みを浮かべる。

「まぁね」

「あははは、デートですか?」

「……愛の逃避行中」

「席を案内してくれるかな?」

「二名様ご案内〜♪」

「……クリュウ、冷たい」

 窓際の席に案内されたクリュウ達が席に座ると、少女はメニューを置いて「決まりましたらお呼びください」と言って別の客の方へ注文を聞きに行った。

 残された二人は早速メニューを開いて料理を決める。

「僕はこのトロトロ煮込みマトングレートカレーってのにするけど、サクラは?」

「……スパイクフグの刺身定食」

「あははは、サクラらしいね」

「……素材の味が一番」

 注文を決めた二人は先程の給仕娘を呼んで注文をする。少女は「少々お待ちください」と言って厨房の方へ消えた。

 ちょうど昼時な為か、店内はかなり賑わっている。皆思い思いに会話を楽しみ、この空間いっぱいに人の声が木霊する。そんな中、二人のテーブルは静かなものだ。

「ご飯食べたら村に戻ろっか。ハンターが一人もいない状態ってのはあまり良くないしね。きっとみんなも待ってるだろうし」

「……ま、待って」

 クリュウが帰路の話を始めたので、サクラは慌ててそう言った。すると、クリュウは驚いたような表情を浮かべて小さく首を傾げる。

「どっか寄りたい所でもあるの?」

「……あ、いや、せっかくカザハに来たんだから。少し買い物をしたくて」

 そう答えると、クリュウはさらに驚いたような表情を浮かべた。そんな彼の反応に、今度はサクラが首を傾げた。

「……どうしたの?」

「いや、サクラにも女の子っぽい所があるんだなぁって」

「……怒るよ?」

「ごめんごめんッ。でも今まで君がハンターの道具以外で自分から買い物したいなんて言った事なかったからさ」

 確かにそうかもしれない。元々自分はフィーリアのように小物や装飾品などで喜ぶようなタイプではない。だから今までそういった買い物をした事はほとんどなかった。

 ――でも、

「……私だって、一応年頃の女の子だから」

 自分はもう昔の、オシャレなどに無頓着な自分ではない。人並みにはかわいくなりたいと思うし、そういう努力もしてみたい――それが、恋する乙女というものだ。

 そんなサクラの言葉にクリュウは少しの間思案顔になると、にっこりと笑ってうなずいた。

「そういう事なら僕も付き合うよ。エレナやリリアにも何かお土産を買って行った方が喜ぶだろうし、サクラにも何かほしい物があれば買ってあげる」

 そう言って笑う彼を見て、サクラも小さく笑みを浮かべた。

 ちょっと当初の予定とは変わってしまったが、とりあえずデート作戦の第一段階は成功した。彼から見えないテーブルの下でこっそりとガッツポーズ。

 デート(サクラ視点)が決まったら次はどんな店に行くかである。クリュウと二人で相談していると、少女が二人の料理を持ってやって来た。

「お待たせしましたぁ」

 運ばれて来たのは名前の通りトロトロになるまで煮込まれたマトングレートに季節の野菜や山菜を盛り合わせたカレー。香ばしいスパイスの匂いが食欲をそそる。

 サクラの前に置かれたのは透明でキラキラと輝くスパイクフグの刺身が花の形に盛られた見た目もきれいな一品。その他に大雪米の白米や味噌汁などが加わる。

 伝票を置いて、少女は「ごゆっくりどうぞ」と言ってその場を立ち去った。二人は温かいうちに早速料理を食べ始める。味はもちろん美味だ。

「すごいなこの肉。口の中で溶けるみたい」

「……おいしい」

 どちらも自分の料理には大満足のようだ。すると、サクラが刺身を一切れ箸で摘み、ちょんちょんとタレを絡めると、スッとクリュウに向けて来る。

「さ、サクラ?」

「……あーん」

 どうやらサクラ、クリュウに《あーん》をしたいらしい。だが、そんな恥ずかしい事そう簡単にできる訳もなく、

「いや、ちょっとそれは勘弁」

「……あーん」

「だ、だから……」

「……あー……んぅ……」

「――わかった。食べるからそんな捨てられた子犬のような目で僕を見ないで」

 表情の変化や口数が少なくても、サクラは瞳一つで自分の感情全てを表す事ができる。相変わらずその潤んだ瞳攻撃にはクリュウは勝てないのだ。

 恥ずかしい気持ちを堪えつつ、クリュウはサクラの「……あーん」に素直に従って口を開いた。サクラはゆっくりと箸で摘んだ刺身をそっとクリュウの口の中に入れる。クリュウの口が閉じると、スッと器用に箸を引く。

「……おいしい?」

 確かにおいしいにはおいしいのだが、こんな状態でなかったらもっとおいしく感じられただろう。今彼が思っている事の大半は恥ずかしさだ。

「う、うん」

「……良かったぁ」

 ――まぁ、表情の変化が少ないサクラが隻眼を細めて微笑む姿を見ると、良かったと素直に思える。

 そんな仲睦(なかむつ)まじい二人を、観葉植物の陰から見ていた給仕娘は小さく微笑む。しかしすぐに彼女は客に呼ばれて、再び騒がしい店内の喧騒の中へ飛び込んで行った。

 

 昼食を終えた二人は真っ直ぐこの街唯一の大きな商店街へ向かった。観光で来たのなら私服で行けたのだが、依頼の帰りでは仕方なく二人ともそれぞれの防具姿。もちろんクリュウはヘルムだけは被っていないが。

 結構大きな商店街には魚屋から八百屋、肉屋などの食料関係から服やアクセサリーといった装飾関係、はたまた家具などの店も立ち並んでいる。

 サクラはそれらを見回し、内心ちょっとウキウキしていた。さりげなくクリュウの手を握っているのは彼女らしいが。

「……クリュウ、あれ」

「うん? 服屋か?」

 サクラが指差したのは女性向けの服屋。するとサクラはグイグイと握った手を引っ張ってクリュウを連れて行こうとする。

「……早く早く」

「わ、わかったから手を引っ張らないでッ」

 結局、クリュウはサクラに連行されるような形で店に入った。店の中には所狭しと女性向けのかわいらしい服やら色っぽい服、中には水着なども置かれている。奥の方に見えた白やらピンクやら紫やら黒、はたまた赤の薄い生地の下着は見なかった事にする。

 店に入って来たのがハンターだったという事もあって、店員らしき女性はびっくりしたような表情を浮かべたが、ジッと無言で服を見詰めているサクラを見て納得したようだ。

「いらっしゃいませ。彼女へ服のプレゼントですか?」

「まぁ、そうなりますけど……恋人って訳じゃないですよ」

 そう言うクリュウをサクラは一瞬恨めしげに睨むが、すぐに服の方へ視線を戻す。今はとにかくクリュウに自分の魅力を存分に発揮できる服を選ぶのみだ。

「……クリュウ、これ」

「――却下する」

 選びに選び抜いた渾身の力作を即却下されたサクラはガビーンと凍りついた。フラフラと後ずさりし、ちょっと涙を浮かべて恨めしげにクリュウを睨む。

「……何が悪い」

「そんな服を着させるくらいなら買うかッ!」

 クリュウは顔を真っ赤にさせて怒鳴る。ビシッと指差したのは彼女の持つ服。それは明らかに胸元の生地が少な過ぎ、フリフリのスカートはありえないくらいに短い一品――まぁ、ちょっと力を入れ過ぎたサクラが完全に間違えた路線に走っているのがわかる服であった。

「……うぅッ」

「そ、そんな目をしてもこればっかりは断じて認めんッ!」

 クリュウに断固拒否されたサクラはしょんぼりとその大人な服を戻す。名残惜しいが、肝心のクリュウに拒否られたのでは意味がない。

「……じゃあ、クリュウが選んで」

「ぼ、僕がッ!?」

 サクラの軽い恨みを込めた反撃に、顔を真っ赤にして驚くクリュウ。途端にあたふたと慌て始める彼を見て内心おかしげに笑うも無表情の仮面は外さないサクラ。

「……当然。人の意見に反対するからには、それに相応するだけの意見を示す必要がある。だから、クリュウが選んで」

「そ、そんなの無理だよッ! 女の子の服なんてわかんないよッ!」

 慌てふためく彼に内心笑いつつも、無表情の仮面でじっと彼を見詰め続ける。店員が助け舟を出そうかと近づいてきたが、サクラに睨まれて退散した。プロのコーディネイトもいいが、サクラは愛する彼に選んでほしいのだ。

 サクラの無言の圧力にクリュウはついに降参したのか、渋々といった具合に服を選び始める。しかし選ぶからには真剣に吟味してくれるのが彼らしい。時折大胆な服を見つけて頬を赤らめて慌てて戻すという仕草もかわいらしい。

 彼が服を選ぶ間は無表情を徹していたサクラだったが、一度だけ堪えられずに吹いてしまった事があった。それは真剣に服を選ぶクリュウに店員が「これなんてお似合いではないでしょうか?」と言ってフリルの付いた真っ白なかわいらしい服を持って来た時の事。クリュウは「サクラにはちょっと合わないと思いますけど」と言った。サクラ自身も自分にはあんなかわいらしい服装は合わないと思っていたので彼の意見に同意した。すると、

「いえいえ、これは私があなた様にお似合いだと思って選んだのですが」

 その予想外にして強烈無比な一撃は、サクラの鉄の仮面を見事に粉砕するだけの威力は十分にあった。

 一方のクリュウは今まで以上に顔を真っ赤にすると「僕は男ですよッ!」と激怒。店員は慌てて退散した。その後、しばらくクリュウはショックのあまり無言でその場に立ち尽くしていたが、サクラはそんな彼に先程店員が持っていた服を重ね合わせ、あまりにも似合っているその想像上の女装したクリュウに再び笑いを堪えるのに必死になるのであった。

 そんなアクシデントというか事故を何とかやり過ごし、クリュウはやっとサクラに服を選んだ。サクラも納得し、早速試着室へ向かう。

 試着室に入ってカーテンを閉めて着替えていると、カーテンの向こうで「これなんていかがでしょうか?」「だから僕は男ですってばッ!」「あぁ、髪の長さが問題なのでしたらこちらに長髪のウィッグがありますよ」「そういう問題じゃなくて、根本的な性別の問題ですッ!」というクリュウと店員の会話が聞こえ、サクラはくすくすと笑ってしまう。

 かっこいい彼が好きだが、確かに彼は結構女顔をしている。ツバメほどではないが、きれいに女装をしてらきっとすごい美少女になるだろう――自分以上に。

「……負けられない」

 サクラは妙な対抗心を燃やしながら、彼が選んでくれた服を着てみる。備え付けられた鏡で自分の姿を見ると、そこには常日頃では見た事がないかわいらしい自分がいた。

 オシャレに無頓着で、必要最低限な事くらいしかしない自分はいつも同じような、素材だけの美しさでいた。それが、こうしてちょっと付け加えるだけでこんなにも見違えてしまうのだ。

 きれいになった自分を見て、サクラは改めてオシャレの重要性を実感した。

 なるほど。フィーリアがいつも女の子らしさを気にして徹底していたのはこういう事だったのだ。珍しく、サクラはフィーリアを尊敬した。

「サクラ。着替え終わったぁ?」

 カーテンの向こうからどこか疲れたような彼の声が聞こえた。どうやら店員と相当言い合ったらしく疲れてしまっているらしい。そう思うとくすくすとまた笑ってしまう。

「……終わった」

 そう小さく答えると、サクラはスッとカーテンを開いた。すると、こちらを見詰めていたクリュウが瞳を大きく見開くのが見えた。恥ずかしくて、赤く染まる頬を隠すようにうつむいてしまう。

 カーテンを開いて出て来たサクラは赤いワンピース姿というものだった。過剰ではなく、適度に飾り付けられたフリルがかわいらしくも大人な雰囲気を忘れない。下地は黒色なので、彼女のイメージカラーとも言うべき黒と赤を組み合わせた見事なチョイスだ。胸元はあまり開いていないが、赤い表生地と黒い下生地が自然と彼女の適度な大きさの胸を魅せる。

 クリュウらしい、余分な飾りつけはせずに素材そのものを生かすようなデザインの服は、見事にサクラに合っていた――合い過ぎていて、クリュウは声も出ない。

「……どう、かな?」

 恥ずかしくてうつむき加減で問うサクラに、クリュウは「うえッ!?」とつい変な声を出してしまい、頬を赤らめて慌てる。

「え、えっと、すごく似合ってると思うッ」

「……ほ、ほんと?」

 激しくドキドキと鼓動を刻む胸を押さえながら、サクラはゆっくりと上目遣いで問う。彼にこの鼓動が聞こえてしまうのではないか。そんなありえないような事も心配してしまうほど、サクラは不安だった。

 そんなサクラに問われ、クリュウは大きくうなずく。

「ほ、本当にすごく似合ってるよッ! 似合ってて、その――すごく、きれいだよ」

「……ッ!?」

 ボンッと顔を真っ赤に染めるサクラ。そりゃあもう熟れたリンゴのように真っ赤だ。

「……あぅ、えっと……その……、ありが、とう」

「う、うん」

 それ以降、二人の会話は続かなかった。

 どちらもどうすればいいかわからず黙ってしまい、二人の間に微妙な空気が流れてしまう。そこへ店員が入って来る。

「すごくお似合いですよお客さん。いやぁ、彼に感謝してくださいね。すごく真剣に選んでましたので。もう、焼いちゃいますよ」

 店員の言葉にクリュウはさらに顔を真っ赤に染めて「な、何言ってるんですかッ!」と店員に怒ってそっぽを向く。そんな彼を見て、サクラは小さく微笑むと、彼に聞こえるように、でも小さな声で「……ありがとう、クリュウ」と礼を言った。

 ――その時の彼女の笑顔は、いつもの彼女の精一杯の小さくも大きな笑みではなく、本当に、年相応の少女の喜びの笑顔であった。

 

 商店街を歩くサクラは元の凛シリーズに戻っていた。だが、その胸にはしっかりとクリュウに買ってもらったワンピースが入った紙袋が抱き締められている。

 決して安い買い物ではなかったが、隣で小さく微笑みながら上機嫌に歩くサクラを見ていると買って良かったと心から思えた――ちょっと恥ずかしかったが、あれもまた経験というものだ。

 すると、スッとサクラの手が彼の手に伸び、そっとその手を握った。突然手を握られて驚くクリュウを、サクラが横から上目遣いに見上げる。

「さ、サクラ?」

「……ありがとう、これ、大切にする」

「あ、うん」

 ――なぜだろう、サクラがいつもよりもずっとかわいく見えてしまい、自然とクリュウはドキドキしてしまう。彼女の真っ直ぐな瞳がまぶしくて、クリュウはつい目を逸らした。すると、そんな彼を見てサクラは小さく微笑み――

 

 チュッ……

 

 ――唐突に、サクラはクリュウの頬にキスをした。

「なぁッ!?」

 クリュウは突然の事に慌てて頬を押さえて仰け反る。視線の先には顔を赤らめたサクラが小さく笑みを浮かべた後、プイッと背を向けるのが見えた。

 頬に残る柔らかくて温かい感触に、クリュウはもう限界くらいにまで顔を真っ赤にする。それはサクラも同じらしく、互いにこれでもかというくらいに顔が真っ赤だ。

「な、何でまた突然……ッ!?」

 状況がまるでわからず混乱するクリュウに、サクラは背を向けたままボソボソというような感じの声で返す。

「……服の、お礼」

「いや、だからっていきなり……その……あの……」

「……嫌、だったの?」

 振り返ったサクラがしょんぼりとしているのを見て、クリュウは慌てて首を激しく横に振る。

「も、もちろん嫌ではないッ! 嫌じゃなくて、その、むしろ……嬉しいには嬉しい訳であって、その……」

 どう答えれば良いか迷うクリュウ。そんな彼の言葉にサクラはそれで満足と言いたげに微笑むと、彼の手をもう一度掴む。

「……それで構わない。これは私からのお礼だから」

 そう言って、サクラはクリュウの右手を両手で掴み、こっちこっちと言わんばかりに彼の手を引く。そんな彼女に引かれる形でクリュウも歩みを再開した。

「サクラ、この事はフィーリア達には……」

「……わかってる。これは、クリュウと私だけの、二人の秘密」

 そう言うサクラはとても楽しそうだった。そんな彼女の表情を見ると、自然と肩の力も抜けて笑みが浮かんでしまう。この安心感は、きっと子供の頃から変わらない。

 その後クリュウはサクラに振り回される形ながらも商店街でデート(サクラ視点)を楽しんだ。久しぶりに二人っきりという環境が、二人の距離を今までよりも縮めたのは言うまでもないだろう。

 

 その後、イージス村に帰ったサクラがこれ見よがしにクリュウに買ってもらったワンピースをフィーリア達の前で披露してしまうという事件が発生。フィーリアは泣き崩れ、シルフィードは茫然自失、リリアは泣きながら暴れ出し、エレナはクリュウを半殺しにした。結局いつも苦労するのはクリュウなのであった。もしクリュウが他の人の分までお土産を買っていなかったら、本当に彼は殺されていたかもしれない。

 ちなみにサクラがその後、今までよりもオシャレに気に掛けるようになったのは数少ない良かった点と言えよう。


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