モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第90話 チームの絆 様々な想いが交差する演習場

 翌日、ドンドルマから歩いて一時間の所にあるドンドルマハンター養成訓練学校が保有する演習場の一つ、第6演習場には訓練防具であるハンターシリーズを纏った五〇人程度のハンター訓練生が集まっていた。

 狩猟学は全校生徒約五〇〇人のうち基礎を学ぶ一年生を除く五学年連続教科で、学年関係なくチームを組み狩場や演習場でサバイバルを行う実技授業。そのあまりにも多い人数を七つのクラスに分けて全部で七つある演習場や実際の狩場などをそれぞれのクラスでローテーション分担し、週二回丸一日を使って授業を行う。

 そして、集まったハンター達の中にはもちろんクリュウ達第77小隊もいた。

 皆が固まってガヤガヤとしている群集から少し離れた場所にクリュウ達は陣を取っていた。なぜわざわざ離れた場所にいるかというと、ルフィールの瞳はあまりにも有名な為にこうして距離を取っていないと何をされるかわからないからだ。実際、先程も絡まれたばかりだし、今だって好奇な視線を感じる。

「……すみません」

 木の群集側に寄りかかっているクリュウに、反対側に腰掛けているルフィールが小さな声で謝った。

「気にしなくていいよ。元々クードやシャルルといった有名人がいるんだから、こういう視線は受けていたさ」

「……でも」

「君は僕達の大切なチームメイトだ。もっと胸を張りなよ」

 そんな彼の優しい言葉にルフィールの頬が微かながらも嬉しそうに綻び、赤みを持った。こんな彼だから、自分はついて行く気になったのだ。

「女の子に胸の事を言うのは、いささか失礼ではないでしょうか?」

「えぇッ!? ち、違うってッ! そういう意味じゃないよッ!」

 ちょっとからかったつもりだったのに、クリュウは顔を真っ赤にして焦り出した。そんな彼を見て、ルフィールはおかしそうに笑った。こういうちょっと冗談が通じないくらいに素直な所も、大好きだ。

「いいですねぇ。青春というのはこうでなくては」

 一人いつものようにニコニコと微笑んでいるクード。時折こちらを熱い視線で見詰めている女子達に笑顔で手を振ったりしている。そのたびに女子陣からは黄色い悲鳴が聞こえ、男子陣からは軽く殺意の込められた眼光で睨まれているのだが、その笑顔からは何一つ彼の真意を探る事はできない。

 シャルルは先程から準備運動をしている。これから丸一日掛けて行われる演習に気合は十分のようだ。

 しばらくして、生徒達の前に三人の教官が現れた。先頭にいるのはシルバーソルシリーズを纏った《教官王》とも称される暴力型教官、フリード・ビスマルク。その背後に控えているのは生徒達の装備しているハンターシリーズの強化型である剣士用のハンターSシリーズを纏った細メガネを掛けた知的そうな金髪赤眼の青年と、丸メガネを掛けた笑顔が似合うほんわかとした雰囲気を纏う白衣を纏った長い桃髪と鳶色の瞳を持つ女性。

 クリュウ達も少しだけ生徒達との距離を詰めて教官達に近づいた。

 フリードは背後に二人の教官を控えさせ、生徒達を見回してからその大柄な体から威圧感を全方位に噴き出しながら、声を上げた。

「あぁ、今日から貴様らFクラスを担当する事になったフリード・ビスマルクだッ。他の教官と違い、俺は容赦しないからな。全員命を懸ける覚悟をもって俺の授業を受けろッ! 以上だ」

 担当教官がフリードとわかった瞬間、目で見てもわかるくらいに皆のテンションが激しく落ち込んだ。フリードの授業は厳しい事で有名だし、体罰万歳な人だ。そりゃ生徒からすればかなり辛いだろう。親しい関係であるクリュウでさえ苦笑するしかできなかった。

 続いてフリードの背後に控えていた剣使用のハンターSシリーズを纏った青年が挨拶した。

「えぇ、皆さん初めまして。今回、フリード先生の助手を務めさせていただきます、助教官のクロード・エイブラムスです。まだまだ見習い教官ですが、これからよろしくお願いします」

 そう言って、クロードは涼しげな笑顔を浮かべた。クード並みに美形な顔立ちをしている彼の笑顔に、途端に女子生徒達からは黄色い悲鳴が上がった。同時に男子陣営からは殺気が込められた視線が放たれる。

 最後に清潔そうな白衣を着た、丸メガネの奥で無邪気に輝く清らかな瞳とかわいらしい顔立ちが特徴的な女性が前に出た。そして、生徒達を見回して屈託のない笑みを浮かべる。

「ハロハロ〜。みんな元気か〜い? 今回君達Fクラスの担当医務官になったシャニィ・ラングレイよ。よろしくね〜」

 キャハッとかわいさ全開の笑顔を炸裂させた瞬間、野郎達の野太い雄叫びが轟いた。同時に女子陣はそんな男達を冷たい目で見詰めている。男女共に結局は同じような反応であった。

 今にもシャニィに押し寄せそうな野郎達を牽制するように、フリードが一つ咳払いした。

「あぁ、言っておくが。ラングレイ先生はこう見えて俺と同等の地位にいるハンターだ。なめて掛かると痛い目にあうぞ」

 フリードの言葉に生徒達は驚いて一斉にシャニィを見詰める。するとシャニィは小さく笑みを浮かべて白衣を脱いだ。露になったのは桃色の防具。フルフル亜種の、それも最上級クラスに位置づけられる階級であるG級モンスターからしか剥ぎ取れない希少素材をふんだんに使ったG級防具、ガンナー用のフルフルZシリーズだ。天使のようなかわいらしいデザインで、天使のようなシャニィにはピッタリ。男達のテンションもさらに跳ね上がる。

「これでも君達よりはずっと経験豊富なんだから。わからない事があったら何でも訊いてねぇ〜」

 笑顔でシャニィがそう言うと、早速男達が一斉に質問を開始。しかし授業とは全く関係ないもので、「彼氏はいるんですかッ!?」とか「結婚してますかッ!?」「好きな男性のタイプはッ!?」「好きな料理はッ!?」「スリーサイズはッ!?」などなど。中にはもはや質問ではなく「結婚してくださいッ!」や「付き合ってくださいッ!」なども。その一人ひとりに、フリードは教育という名の鉄拳をぶち込んだ。

 男子生徒の半分を殴り倒した所で、フリードは拳を摩りながら再び生徒達の前に立った。伸びている生徒を別の生徒に起こすよう指示し、全員の視線が自分に集中してからフリードは口を開いた。

「では、これより授業を開始するッ」

 

 指示を受けて生徒達はそれぞれ一斉に演習場の中の森の中に入って行った。

 クリュウ達第77小隊もクリュウを先頭にルフィール、クード、シャルルの順で隊列を組んで森の中に入った。

 今回の授業は森の中央にある小屋を各チームごとに目指すサバイバル訓練。普通に歩けば二時間程度の道なのだが、その途中には学校直属のアイルーやメラルー達がトラップを仕掛けている。これらのトラップを突破しながら小屋を目指さなければならない。しかもFクラスに属するの半分のチームが小屋に到達した段階ですでに到着したチームを合格とし、到着しなかったチームを強制的に失格。失格チームは一日この演習場で一夜を過ごすという罰ゲーム付きの厳しいサバイバル訓練。フリードの話だと夜はアイルー達が腕によりをかけて肝試しを行うらしく、大部分の生徒が何が何でも合格を勝ち取る気でいた。

 大部分から除外されるのは肝試しを楽しみにしていたりそういう類(たぐい)を恐れない生徒など、何かと屈強な男達が多い。だが、世の中には例外というのものがあって……

「肝試しですか。クリュウの怖がる姿、ぜひとも見てみたいですねぇ。楽しみです」

「何で罰ゲームを受ける事が前提なのさ?」

 すっかり罰ゲームを楽しみにしているクードはいつも以上にニコニコと微笑んでいる。そんな彼の笑顔に、クリュウは疲れたようにため息を吐いた。

 別にクリュウ自身がお化けとか幽霊とかが群を抜いて怖いという訳ではない。一応怖いとは感じるので、人並み程度だ。だが、このチームには怖い話とかが全然ダメな子が……

「シャルは嫌っすよッ! 肝試しなんて絶対にゴメンっすッ!」

 必死で叫ぶシャルルだが、その顔はすっかり青ざめてしまっている。

 そう、世の中には怪談などの怖い話全般、幽霊やお化けなどを極端に怖がる人がいる。その一人がシャルルであった。

「シャルはマジで怖いものが苦手なんっすよッ! だから、ランカスター先輩も真面目にやってほしいっすッ!」

 もう冗談抜きで必死に頼むシャルルに対し、クードはニコニコと屈託のない笑みを崩さない。その笑顔を見るに、確実にこの状況を大いに楽しんでいる。

「いえいえ、僕だって授業ですし真面目にやりますよ。ただ、人はついミスを犯す事があります。そのついが今回は多くなるかもしれませんね」

「冗談はなしっすッ!」

「シャルルの怖がる姿というのも、なかなかおもしろそうじゃないですか」

「兄者ゃあああぁぁぁッ!」

 シャルルは涙目になってクリュウに助けを求めるが、クリュウ自身もうこうなってしまったクードは止められないので、疲れたようにため息を吐くしかない。

 一方、そんな無茶苦茶なチームメイトに対し一人冷静なルフィールは先程から双眼鏡を片手に辺りを見回している。

 今回はアイルーが相手なので本物の武器の携帯は禁止されている。その為、それぞれ剣士は全員木製の訓練用片手剣。ガンナーはそれぞれライトボウガンなら猟筒、ヘビィボウガンならボーンシューター、弓ならハンターボウ1という初心者武器を携帯している。ただし、弾は訓練用のゴム弾、矢は鏃(やじり)をゴムにしたゴム矢。その他には剥ぎ取り及び採取などに使う携帯ナイフのみだ。

 このサバイバル授業は必ず狩猟学の最初にやる訓練であり、チームの連携力の確認及び向上を目指す目的がある。それぞれが選択した本物の武器を使って狩場で本格的な訓練を行うのは次回以降となる。

 クリュウ達が騒いでいる間も、ルフィールは一人真剣に辺りを見回していた。すると、そんな彼女を見てシャルルがムッとしたような表情を浮かべた。

「お前、付き合い悪いっすよ」

「そのような作戦に関係のない会話になど興味ありません」

「士気を下げるような事を平気で言うんすね」

「士気を下げるようなくだらない事を無防備に話しているあなたに言われたくはありません」

「な、何をぉッ!」

「おい二人ともやめろってッ」

 涼しい顔で受け流すルフィールをこめかみに青筋を立てて睨み付けるシャルルとの間にクリュウが慌てて仲介に入る。恐れていた事態が起き始めていた。

「とにかく、今は作戦遂行中だ。ルフィールの言うとおり少しは真面目にやろうよ。シャルルだって罰ゲームは嫌なんでしょ?」

「絶対に嫌っすッ!」

「だったらルフィールの言うとおり、ちゃんとやろうよ」

「う、うっす……」

 クリュウの説得に一応は納得したシャルルであったが、ルフィールがそんな自分を見ている事に気づくと、キッと睨みつけてやった。しかしルフィールは相変わらず涼しい顔でその視線をスルー。その何事にも動じない彼女の態度にシャルルのイライラは募るばかり。

 背を向けるルフィールとそんな彼女を睨み付けるシャルル。犬猿の仲とも言う程に恐ろしく仲が悪い二人に、クリュウは頭を抱えながら疲れたようにため息を吐いた。前途多難過ぎる……

「大変ですね。がんばってくださいね」

「君もチームメイトなら少しは仲裁を手伝ってよぉッ!」

 そんな感じで正直不安要素満載ながらも前進し続ける一行。先頭を歩くクリュウは地図を片手にコンパスなどを使って方向を確認しながら歩く。その隣にはルフィールが並び、時々地図を覗き込んではクリュウに指示を仰ぐ。

 ルフィールは校内首席、クリュウもギリギリとはいえ成績上位優秀者。双方頭はいい方なので、自然と二人で作戦の立案などの話し合いを行う。クードはこういう事は全面的にクリュウに任せているので不参加だ。

 そして、メンバー唯一上位成績優秀者でないシャルルはする事もなく先程からつまらなさそうに石ころを蹴りながら殿(しんがり)を担当している。本当は二人の会話に入って行きたいのだが、二人の会話内容は難し過ぎて全然わからなかった。

「兄者のバァカ……」

 拗ねたように唇を尖らせるシャルル。一方、そんな後輩の不満に気づいていないクリュウは地図を片手に辺りを見回しながら歩いていた。すると、

「ふにゃあああぁぁぁッ!?」

 突如背後からシャルルの悲鳴が響いた。驚いて振り返ると、そこには先程までいたはずのシャルルの姿はなかった。代わりに、先程まではなかった穴がぽっかりと開いている。

「あぁ……」

「トラップ、ですね?」

「いやはや、相変わらずシャルルは期待を裏切らない活躍をしてくれますね」

 三人が穴を覗き込むと、二メートルくらい下の底部分でシャルルが倒れて目を回していた。どうやら大した怪我はしていなさそうだ。クリュウがほっと胸を撫で下ろした刹那、後頭部に何かが勢い良くぶつかった。

「いたぁッ!」

 反射的に頭を押さえた瞬間、クリュウの足元が崩れて彼自身も穴に落下してしまった。

「せ、先輩ッ!?」

「あははは、さすがクリュウ。そう来ましたか」

 驚くルルフィールと笑うクードであったが、すぐに一斉に振り返るとルフィールはハンターボウ1を構えて弦にゴム矢を番え、クードはゴム弾を装填したボーンシューターを構える。どちらも背後の草むらの中を正確に捉え、次の瞬間には一斉に撃ち放った。

「アニャァッ!?」

「い、痛いニァッ!」

「見つかったニャッ! 逃げるニャァッ!」

 慌てて三匹のアイルーが草むらから飛び出して逃げて行った。どうやらこのトラップを作ったのは彼らだったらしい。辺りに他のアイルーはいないようで、二人は武器をしまうと再び穴の中を確認した。すると、

「クード、ロープ頂戴ッ」

 一応念の為にシャルルを背負ったクリュウがクードに向かってロープを求めた。彼に背負われるシャルルは頬を赤らめて嬉しそうに微笑んでいた。すると、恨めしげに睨むルフィールと目が合った。その瞬間、シャルルはフッと勝ち誇った笑みを浮かべた。ルフィールのイビルアイが鋭利な刃物のように鋭く細まった。

「ランカスター先輩。さっさと二人にロープを投げてください」

 これ以上二人を密着させておく事は断じて許せない。イライラしながらクードにロープを投げ下ろすよう求めた。だが、クードはそんな三人を見て楽しそうにニコニコと笑っている。

「先輩。ロープを投げてください」

「もう少しこのままにしませんか? 何だかおもしろそうですし」

「クードぉッ!」

「早く投げてくださいッ!」

 二人に怒鳴られ、クードは「冗談ですよ」と笑いながらクリュウの方にロープを投げた。だが、その笑顔を見た二人は間違いなく彼が本気だったと感じた。

「しっかり掴まっててね」

「う、うっす……」

 シャルルは言われたとおりクリュウの首に回した腕に力を入れてしっかりと掴まった。すると、自然と二人はさらに密着する形となり、シャルルは恥ずかしそうに頬を赤らめつつもどこか嬉しそうに小さく笑みを浮かべた。

 クリュウはロープを掴んでシャルルを背負ったまま穴から脱出した。そこでシャルルを下ろすと、「怪我はない?」と問う。見た所擦り傷もないようだが、打撲などの可能性は十分にありえた。しかしシャルルは首をフルフルと横に振る。

「問題ないっすよ」

「そっか。これから先もこんなトラップがたくさんあるだろうから、気をつけるんだぞ」

「うっす」

 何はともあれ怪我がなくて本当に良かったと安心するクリュウ。ふと視線をずらすと、一人ムスッとした顔で木に寄り掛かっているルフィールを見つけた。

「どうしたのルフィール?」

「……別に、何でもありませんよ」

 そうは言うものの、プイッとそっぽを向かれてしまった。戸惑うクリュウだったが、すぐにシャルルが改めて感謝して来たので、彼は彼女との会話を始めた。そんな彼を見て、ルフィールは拗ねたような表情を浮かべると、再び彼から視線を逸らした。

 トラップを抜けた一行は再び前進を開始した。その後も様々なトラップが彼らを待ち受けていた。辺りにはトラップに引っ掛かって動けなくなるというほぼ失格状態のチームも少なくない数点在し、トラップの激しさを物語っていた。

 生徒達が目指す小屋は森の中にある崖の上に存在する。なので、大部分は迂回コースでゆっくりと坂を上っていくのだが、そこにはアイルー達のトラップが集中し、様々なチームを襲っている。

 クリュウとルフィールはこの迂回ルートの通行を止め、少々危険だが、崖を上る直線ルートを選んだ。この崖は一応上る事ができるらしいが、危険を伴うので生徒は皆回避している。クリュウ達はわざわざそこを選んだのだ。

 そして一時間後、一行はようやく崖の下に到着したのであった。

 聳える崖は確かに高いが、驚くほどの高さではない。特に崖の上にある村で育ったクリュウにとっては、この程度は子供の頃にやった木登りや崖登りと対して変わらなかった。

「まず僕が上って上にある木にロープを結んで下に投げるよ」

 ここは崖登りの経験豊富なクリュウが先遣を担当した。シャルルやルフィールは心配したが、クリュウは「大丈夫だって」と言って笑顔で返した。

 軽く準備体操をしてから、クリュウは崖に手を掛けて上り始めた。

 スルスルと慣れた様子で安全な足場や手を引っ掛けられる場所を選び、崖全体を右へ左へと移動を繰り返しながらも確実に上っていく。その手つきには下の三人も素直に感心した。

 そして、わずか五分でクリュウは頂上まで到着した。そして、クリュウは自身の腰に下げたロープを手に取ると、近くにあった木の幹にしっかりと縛りつけ、もう一方のロープの端を崖下に向かって投げ捨てた。下では投げ捨てられたロープをクードがしっかりとキャッチした。

「さすがクリュウですね。田舎育ちは違います」

「お猿さんみたいっすね」

「もう少し品のある上り方はできないのでしょうか」

「……ねぇ、今何かものすごく失礼な事言わなかった?」

 この距離だと三人の声は聞こえないはずだが、何となくバカにされている気がしてイラッとする。根拠はないが、何となくそんな気がしたのだ。

「では、クリュウも待っていますし、私達も行きましょうか」

「じゃあシャルが一番に行くっすッ!」

 そう言ってシャルルはロープに手を伸ばす。だが、届く寸前でそれはルフィールに奪われた。当然、横取りされたシャルルは不満を感じて怒り出す。

「な、何するんすかッ! 返すっすッ!」

「――ランカスター先輩。一番をお願いします」

「私ですか? 私は殿でも構いませんが」

「女の子のお尻を見上げる趣味は、あまり感心しませんが」

 ルフィールの言葉に、シャルルは慌ててお尻を手で庇った。女性用ハンターシリーズは結構際どいデニムを穿(は)いている。下から見るのはある意味男にとっては絶景かもしれない。

 ルフィールとシャルルの非難するような視線に、クードは困ったような笑みを浮かべて両手を挙げた。

「私はそのようなつもりはありませんよ」

「でしたらお先をどうぞ」

「わかりました」

 クードはニコニコと微笑みながら二人の視線を軽くスルーし、ロープを掴んだ。

「では、お先に失礼」

 そう言ってクードは慣れた手つきでロープを上って行く。さすがに6年生にもなると崖を登る訓練も受けているだけあって動きに無駄がない。あっという間にクードは崖を登り切った。

「次はシャルの番っすねッ!」

 クードが登り終わった事を確認し、今度こそと気合を入れ直すシャルル。そんなシャルルを一瞥し、ルフィールはクイッと少しずれたメガネを上げ直す。

 シャルルはロープをグッと掴むと、持ち前のバカ力を利用して少々乱暴ながらも勢い良く崖を登っていく。そんな彼女を見上げながら、ルフィールは軽く準備体操しておく。自分にはクリュウやクードのような経験やシャルルのような怪力はない事は重々わかっていた。

 シャルルが登り終えた事を確認し、ルフィールはロープを掴んだ。そこで大きく数回深呼吸して準備を整えると、グッと手に力を入れてロープを登り始めた。

 崖に足を掛けながら、慎重に、ゆっくり登っていく。落下防止用にロープに引っ掛けたフックが自分の命を支える最後の希望。残りは自分の四肢で踏ん張るしかない。

 慎重に、ゆっくりと崖を登っていくルフィール。そんな彼女を崖の上で見下げながらシャルルは呆れたような声を上げた。

「あいつ、登るのにどんだけ時間掛かってるんすかぁ?」

「彼女は初心者です。私やクリュウのように専門の訓練を受けた訳じゃありませんからね。これくらいが妥当ですよ」

「でもシャルはもうとっくに登り切ってたっすよ?」

「後先も考えずに気合とバカ力で登っているあなたと比べられても」

「なぁッ!? シャルをバカにするっすかッ!?」

「いえいえ。むしろ私はあなたを評価しています。戦闘においてあなたのような気合は何よりも重要なポイントです。本当に、あなたはおもしろい方ですね」

「……ほめてもらってる事、素直に喜べないのは気のせいっすか?」

「気のせいですよ」

 そんな二人の会話に小さく苦笑しながら、クリュウはルフィールの様子を見守り続けていた。ルフィールは額に汗を浮かべながらも必死になって一生懸命にロープを登っていた。

「ルフィール! あともう少しだ、がんばれぇ!」

 クリュウの言葉にルフィールは小さく首肯すると、残る力を振り絞ってラストスパートを掛ける。すでに手足は限界に達しつつはあったが、それをシャルルのように無尽蔵にある訳じゃない気合で支えながら必死になって登り続ける。

 そして、手を伸ばせば頂上という時、スッと上に立つクリュウが手を伸ばして来た。ルフィールはもう自分に残る力も少ない事を冷静に見極め、彼の手を掴む道を選んだ。だが、いくら自分が選んだ道を正当化してみても、結局は彼の手を見て反射的に掴んでしまったのが事実だ。

 ルフィールの手をしっかりと握り締めたクリュウは一気に彼女を引き上げた。そして、ルフィールはやっとの思いで頂上まで登ったのであった。

 頂上に到着した途端、ルフィールはその場にぐったりと倒れ伏した。すでに体力は底を尽き、口からは荒い呼吸が繰り返される。そんな彼女に、クリュウはそっと自分の水筒を渡した。ルフィールはほとんど反射的にそれを掴むと、のどを鳴らしながら飲み干してしまった。

 水分を補充し、ようやく一息ついたルフィール。すると、手に持つ彼の水筒が空になっている事に気づいて慌てた。

「あ、すみません。これ……」

「気にしないで大丈夫。どうせもうすぐ小屋には着くからさ」

 クリュウはそう言うと地図と現在位置を照らし合わせた。崖の上からの景色は良好であり、すぐ近くに川が流れているのを発見し、現在位置を確認する。そんな彼を見詰め、ルフィールは空になった彼の水筒を自分のベルトにぶら下げようとキャップを閉めようとする。その瞬間、ようやく自分の置かれている状況を理解した。

「か、間接……ッ!?」

「んあ? どうしたっすか?」

 すぐ隣に立っていたシャルルが突然声を上げたルフィールを不思議そうに見詰める。一方、ルフィールはそんな彼女の視線に真っ赤になった顔で慌てて全力で首を横に振る。

「な、何でもありません……ッ」

「そうっすか? まぁ、別にシャルには関係ない事っすからいいっすけどね」

 シャルルはすぐに興味を失ったらしくそれ以上の追及はしてこなかった。ルフィールはほっと胸を撫で下ろすと、赤らんだ頬を両手で隠すように押さえた。そして、誰も自分の方を見ていない事を確認すると、そっと右手の指先で自分の唇に触れた。

 チラリとクリュウの方を見ると、彼はクードと何やら話し合っていた。自然と、視線は彼の口元に向いてしまう。数秒の沈黙の後、凝視している事に気づいて慌てて視線を逸らした。しかし、それでも時々チラチラと彼の唇を見てしまう。

 クリュウはクードと残りのルートの選定を終えると、道具袋(ポーチ)から携帯食料を取り出してかじる。あくまで栄養補給と空腹を満たす程度の食料なので、味はあまりよろしくはない。まずくもないが、おいしくもない微妙なもの。まぁ、中にはそれがクセになると好物としている変わり者もいない訳ではないが。

「あと少しで小屋に到着するはず。すでに僕達よりも先にゴールしているチームもあるはずだから、そろそろ出発しようか」

 クリュウの言葉にシャルルは力強くうなずき、クードも笑みを崩さずに小さく首肯した。

 頬がまだ赤いルフィールも静かにうなずいた。今は間接キスがどうだの言っている場合ではない。不合格になればこの演習場で一夜を過ごさなければならない。正直、シャルルほどではないが自分もそういうのは苦手である。そもそも、一般的に女の子が真っ暗な森の中で野宿をしたいなんて思うはずもなく、当然皆嫌がるものだ。

 とにかく、今日は早く寮に帰って温かいベッドに潜り込みたかった。すると、途端に昨晩の事を思い出し、落ち着き始めていた頬はまたしても真っ赤に染まった。

 昨夜はそのまま彼のベッドで一緒に寝たのだが、元来の早起きな習慣のおかげで誰よりも先に起床し、朝の準備をした。結果的に誰にも二人一緒で寝ていた事はバレていない。だが、ひとつ間違えればとんでもない状況に陥っていた危険性だって十分にあったと思うと、誰にもバレなくて本当に良かったとほっと胸を撫で下ろす。

「どうしました?」

 背後からの突然の問い掛けに、ルフィールはビクッと体を激しく震わせた。バッと振り返ると、そこには笑顔が似合う腹の底が知れない先輩、クードが立っていた。

 クードはルフィールの反応に困ったような笑みを浮かべながら頬を掻いた。

「すみません。驚かせるつもりはなかったのですが」

「……何の用ですか?」

「いえ、クリュウ達はすでに先に行ってしまいましたのに、ルフィールが動かないので」

 見ると、クリュウとシャルルは二人並んでルフィールとクードから少し離れた場所にいた。どうやら先に歩き始めたものの自分がついて来ない事に首を傾げながら待っているらしい。

「す、すみません。少し考え事をしていたもので――行きましょう」

 ルフィールはそう言って自らも彼を追って歩き出す。その背後から、クードもいつもの笑みを崩さずについて来る。

「今日は寒くなりそうですね」

「はい。ですから、野宿なんて絶対に避けたいです」

「こういう寒い日は、人肌が恋しくなりますか?」

「……ッ!?」

 バッと振り返ると、クードはいつものようにニコニコと笑っている。だからこそ知れぬ彼の腹の底、真意。一体彼は今何を考えているのか。そして今の彼の言葉の意味――まさか……

「あなた、一体……」

「早く行きましょうか。クリュウが待っていますよ?」

「……」

 結局、ルフィールはクードの真意を探る事はできなかった。

 一行は一路小屋を目指して最後の道のりを順調に歩み続けるのであった。

 

 クリュウ達第77小隊はトップ通過とはいかなくとも、十分上位に入る事ができた。おかげで野宿する事は何とか回避できたので、シャルルは涙を見せながら喜び、ルフィールもこっそりとほっと胸を撫で下ろした。

 日が暮れ、Fクラスはクロードとシャニィ率いる合格組とフリード率いる不合格組と分かれ、野宿する事となった不合格組に羨望と妬みの視線で見送られながら合格組は学校に戻った。

 ちなみに、翌日残された不合格組の生徒達が戻って来ると、皆一様に青ざめた表情をしていた。元気だったのは化け物であるフリードくらいのもの。

 一体あの夜何があったのかは誰も口を閉ざして明かそうとせず、結局は謎のまま。

 生徒間ではその後、その話題については一切触れないという暗黙の了解が生まれたのはまた別のお話。

 

 部屋に戻ったクリュウ達は早速クリュウが夕食の支度を始めるのであった。皿出しや掃除はクードとシャルルが担当し、クリュウの助手はルフィールが担当するのがベストな配置らしい。

 今回はルフィールも教材を見ながら簡単な料理を作る事になったのだが、相変わらず定規を片手に食材を切り、計量器で一グラム単位でこだわる真面目っぷりを改めて爆裂させるのであった。

 夕食を食べ終え、ルフィール、シャルル、クリュウ、クロードと四人で決めた順番通り風呂に入った後、翌日の授業の予習や昨日までの授業の復習などを各自互いに教え合いながら勉強した。まぁ、その半分くらいは学科成績があまりよろしくないシャルル一人への勉強会となってしまったが。

 そんなこんなで消灯時間を迎え、各自それぞれのベッドに潜り込むと、明かりを消して眠りについた。

 友人の何人かが不合格組として演習場に残っている。今頃彼らは何をしているだろうかなどと考えながら眠気を待っていると、ギシ……と何かが軋(きし)む音が聞こえた。身を起こすと、月明かりに薄っすらと照らし出された二段ベッドの梯子をルフィールがそっと上って来た。

「あ、まだ起きていましたか」

「う、うん。僕は寝つきがあまりいい方ではないからね」

「そうなんですか」

 そう言いながら、ルフィールは当然のようにクリュウのベッドの中に入って来た。そして、これまた当然のようにクリュウの隣で横になると、彼の掛け布団を少し引っ張って自分に被せる。

「明日も早いですよ。早く寝た方がいいです。では、おやすみなさい」

 と言って、堂々とその場で就寝を開始するのであった。

 彼女のあまりにも堂々としたその行動に一瞬ポカンとしていたクリュウだったが、すぐに慌てて彼女を揺り起こす。

「ちょ、ちょっと待ってッ。一緒に寝るのは一回だけだって言ったでしょッ?」

 小声に絞りつつも焦ったように問い掛けるクリュウに、ルフィールは首だけで振り返った。その表情はきょとんとしている。

「何を言っているのですか? これからは毎日一緒に寝るんですよ?」

「えぇッ!?」

「声が大きいですッ」

 慌ててルフィールは小声で怒鳴るとクリュウの口を塞ぎ、自らの口元に人差し指を立てた。そっと振り返ると、どうやらシャルルとクードは起きていないらしい。それを確認し、ルフィールとクリュウは同時にほっと胸を撫で下ろした。どうやらギリギリセーフらしい。

 安堵の息を漏らすクリュウであったが、何やら鋭い視線を感じて視線を落とすと、ルフィールがムッとしたような表情でこちらを睨み上げていた。

「あなたはバカですか?」

「うっ……」

 返す言葉もないクリュウに、ルフィールは呆れたように大きなため息を吐いた。

「まったく、本当に先輩はどこか抜けている方ですね」

「返す言葉もありません……」

「返す必要などありません」

 きっぱりとクリュウの言葉を封じ、ルフィールは再び「まったく……」とため息交じりでつぶやいた。

「とにかく、もう夜も遅いですし早く寝ましょう」

「いや、だから一緒に寝るのを許可したのは昨日だけであって」

「しつこいですよ。ボクは絶対にここで寝ますからね」

「ちょっとそれは……」

「往生際が悪いです。そもそも一度寝たんでしたら二度も三度も同じ事でしょう?」

「それ、絶対女子の君が言うセリフじゃないよね?」

 苦笑いするクリュウの言葉に、ルフィールはジト目になって「今の言葉に他意はありませんからね?」と念押ししておく。ある意味、そんな風に思われる方がダメージが辛い。

「とにかく、早く自分のベッドに戻って寝ようよ。明日は早いんだから」

 そう言ってクリュウはルフィールを追い出そうとするが、ルフィールはそんな彼の手をスッと避け、「おやすみなさい」と早々に挨拶を済ませて毛布に潜った。

「だから、ダメだって言ってるでしょッ」

 運悪く、段々と眠気が押し寄せて来ていい具合の眠さを感じているクリュウは少し語気を強めた声で言いながら、彼女が隠れた毛布をめくり上げた。

「……一人は、嫌なんです」

 そう言って、ルフィールは寂しげに肩を落とした。いつもは透き通るように妖艶に美しいイビルアイが、今はどこか濁ったような色をしてクリュウを見詰めていた。

 先程までの無邪気な感じが消え、悲しみ一色に染まったルフィールにクリュウは何と声を掛ければいいかわからず、呆然とその場に固まる。そんな彼の手を、ルフィールはギュッと握り締めた。

「……やっと、一人じゃなくなったのに。また一人になるのは、嫌なんです」

「ルフィール……」

「夜の暗闇の中、一人っきりで眠るのは、とても怖いんです……」

 涙目になりながら、ギュッとルフィールは握った彼の手をさらに強く握り締めた。自分の手を握り締める彼女の手は、小刻みに震えていた。

 ルフィールは濡れた瞳で訴えるようにクリュウを見詰める。

「……一緒に、寝させてください」

 必死に訴えて来るルフィールに、クリュウは困ったように頬を掻いた。ルフィールとは違った意味で真面目過ぎるクリュウにとって、ルフィールの訴え方はある意味最も彼が苦手とする分野であった。

 しばし悩んだ末、結局折れたのはクリュウの方であった。

「わかった。一緒に寝てあげるからもう泣くなって」

「泣いていません」

「君が泣いてるから僕は折れたんだよ?」

「……じゃあ泣いています」

「何だそりゃ」

 苦笑しながら、クリュウは小さくため息を吐いた。自覚はあるが、自分は昔からこういう風に瞳で訴えられるのにはものすごく弱い。言葉よりも純粋な瞳の輝きの方が格段に威力があるのだとしても、自分の瞳耐性の低さにはほとほと呆れてしまう。

 一方のルフィールはクリュウを見事に陥落させて嬉しそうに笑っている。そんな無邪気に本当に心の底から嬉しそうに微笑むルフィールを見て、クリュウは小さく笑みを浮かべた。内心、多少の後悔はありつつも「ま、いっか」と諦めが大勢を占めていた。

「とにかく、僕はもう眠いから寝るからね。ルフィールもさっさと寝るように」

「はいッ」

 嬉しそうに返事するルフィールに「おやすみ」と言って、クリュウは横になった。もちろん、彼女にはちゃんと背を向けている。真正面から女の子と寝顔を向き合えるほど、彼は大人ではないのだ。

 背を向けて横になるクリュウを見詰め、ルフィールは小さく笑みを浮かべると心の中で彼の優しさに感謝した。そして彼の横に寝転がると、そっと彼の背に身を寄せた。

 少し冷たい毛布の中、彼の温かさが寂しさという名の氷を溶かすように、とてもとても温かくて心地良かった。

「……ありがとう」

 その小さな小さな言葉を最後に、ルフィールはゆっくりと目を閉じた。

 

 ルフィールが眠りについた気配を感じ、クリュウはそっと身を起こした。

 隣にはすやすやと気持ち良さそうに眠っているルフィールがいる。斜めから差し込む月明かりは、そんな彼女を薄っすらと煌かせていた。

 こうして目を瞑ると、どこにでもいる普通の女の子にしか見えない。だが、その閉じられたまぶたの奥にある瞳は、人とは違った姿をしている。その、たった左右の瞳の色が違うというだけで、彼女は今までずっと辛い思いをし続けて来たのだ。

 せめて、寝ている時だけは普通の女の子でいてもらいたい。

「……ほんと、僕って甘いよなぁ」

 自覚はありつつも、あまり後悔はしていなかった。

 ただ、こうして幸せそうに眠る彼女の寝顔が見れただけで、今の自分は満足であった。

 クリュウは小さく「おやすみ」とつぶやくと、自らも横になって瞳を閉じ、静かに眠りについた。


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