今日は落ち着いた天気だ。
昨日は、とんでもない強風が吹き荒れ、まるで世界の終わりがやってきたかのようであった。
しかし当然世界は終わらず、いろいろな出来事が今も起こっている。
K大学教授が生徒との不祥事で辞任した、
激辛を売りにするラーメン屋が近日オープンするらしい、
お店の前には、こけしのようなマスコットキャラクターが置いてあった。
口元に半笑いを浮かべた憎たらしい顔をしている。
なぜそんなデザインにしたのか謎だ。
「近日オープン‼︎」と書かれた真っ赤なポスターのついたバルーンが飾られている。
開店したら行ってみようか?高貴な自分には、あまり似合わないかもしれないが…
桜庭はそんなことを思った。
桜庭は桜庭探偵事務所の所長である。
事務所の前に来ると眼鏡をかけた大学生くらいの気の強そうな女性が歩いていた。
目の前から中年男性が歩いてくる。髪型はオールバックで口髭を生やしている。伏目がちで考え事をしているのか彼女には気づいていない。
彼女は目の前から来た男を避けるように突如として桜庭探偵事務所の扉を開き中に入った。
はて、彼女は本当に相談があるのか、それとも…?
「いらっしゃいませ」三上沙彩は来客に挨拶した。
沙彩は12歳で桜庭探偵事務所の手伝いをしている。
「ここは妖怪専門の事務所ですが大丈夫ですか?」
眼鏡をかけた女性客に沙彩は確認する。
「妖怪専門?」彼女はそのとき、初めてこの事務所に興味を持ったようだ。
「大丈夫」
「それでは少々お待ちください。先生は、もう少しでお帰りになると思うので」
彼女は壁際に並べられた本に興味を持ったようだ。
様々な妖怪や怪異、神話や伝承などの本だ。
「よかったらどうぞ」沙彩は客に促した。
彼女は本を手に取って開く。
「好きなんですよね私、こういうの」
彼女は近藤千鶴(こんどうちづる)と名乗り、K大学の学生だと言った。
「大学でもこういうのを研究しています。師事している先生がとても豊富な知識を持っていて、人間的にも素晴らしい人で……」
桜庭が扉を開き、事務所に戻ってきた。
「あ、先生、ちょうどいいところに」
沙彩が声を上げる。
「こちら、K大学の生徒の近藤千鶴さんです」
「何か僕に相談が?」
「ええ、まぁ」千鶴は曖昧に言った。
「申し訳ないがここは妖怪専門の事務所なんですよ」桜庭はそう言って微笑んだ。
ちっとも申し訳なさそうじゃないな、と沙彩は思った。
「実は昨日の夜、私は妖怪を見たんです」
「ほう、どんな?」桜庭は先をうながす。
彼女は一呼吸おいて続ける。
「ペナンガランです」
「ぺなんがらん?」沙彩は困惑した声を出す。
ペナンガランは、マレー半島やボルネオ島に伝わる、首から下に内臓をぶら下げた状態で空を飛ぶ女性の吸血鬼・妖怪だ。夜中に生首の姿で浮遊し、血(特に月経血や出産後の血)を求めて獲物を襲うという。元は助産婦が悪魔の契約を破って呪われた存在とされている。
「深夜、私の目の前を飛んで行ったんです」千鶴は断言した。
「そのペナンガランが何故、この街に?本来はマレー半島にいるんですよね?」沙彩は半信半疑な様子だ。
「ペナンガランだって永遠にマレー半島にいなきゃいけないわけじゃない。移動くらいするだろう」
「まぁ、そうかもしれないですけど…」
「違う景色が見たくなったんだろうね」
説明が適当すぎる…
この人についていって大丈夫なんだろうか?沙彩は不安を感じた。
千鶴はふらりと揺らいだ。
「大丈夫ですか?」桜庭は手を差し出す。
「大丈夫です。少し体調が悪いだけ…」
「沙彩くん、お客様にコーヒーを」
唐突に桜庭は言った。
「はい、わかりました」戸惑いながら沙彩は返事を返した。
「一応対処法を教えておきましょう」
「ペナンガランの弱点はむき出しの内臓。棘のある植物を置いておくといい。内臓に絡まって飛べなくしたり傷つけたりする」
「そういえば」桜庭は思い出したように言う。
「あなたの大学の教授が辞めたそうですね?女子生徒と何かトラブルがあったとか…」
「ええ、まぁ」彼女は曖昧に濁した。
「その教授の髪型はオールバックで口髭を生やしていませんか?」
「……それが何の関係があるんですか?」
「赤ん坊は今、何ヶ月ですか?」
「…どういう意味ですか?」
氷のような冷たい目で睨む。
「あなたはペナンガランの豊富な知識があるし、当然、対処法も知っているはずだ」
桜庭と千鶴が激しく睨み合う。
「なのになぜこの事務所に来たか?目の前から歩いてきた人と、鉢合わせになるのを避けるために、事務所に入ったように見えた」
千鶴は無表情だ。
「目の前から歩いてきたその人が問題になっている教授だったんじゃないか?」
「だったら何だって言うんですか?」
「あなただって、知っているはずだ」
桜庭は真剣な目差しで語る。
「ペナンガランは、月経血や出産後の血を求める」
「それだけの理由で私が教授の子供を産んだって言うんですか?」
彼女は桜庭を睨みつける。
「いい加減なことを言わないでください。生理でちょっと体調が悪いだけです」
千鶴は扉を叩きつけるように閉めて出て行った。
コーヒーを入れた沙彩が戻ってくる。
「あ〜あ、先生、依頼人を怒らせちゃったんですか?ちゃんと接客してください」
沙彩はニヤニヤ笑いながら言った。
うぜぇ。黙ってろ。
後日、沙彩と一緒に歩いていると新規オープン予定のラーメン屋が見えてきた。
お店には複数のバルーンが飾られている。1つ切れてなくなっている。
強風の日に飛ばされたのだろうか?
以前は気がつかなかったが、バルーンにはマスコットの顔があしらわれている。
そして下にポスターが付いている。
ポスターは激辛を強調するような真っ赤な色だ。ポスターには「近日オープン‼︎」と書いてある。
「彼女はこれを見たんですよ」沙彩は得意顔で語る。
「暗い夜にこんなものを見たら、勘違いしてもしょうがないですね」沙彩は笑顔を浮かべる。
マスコットキャラクターの憎たらしい顔と沙彩の笑顔がダブって見えてきた。