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波の泡が深い深い海の藍色に白を落としていく。潮風が旅客船ホワイト・ホエルオー号のデッキにまで届く。
ホウエン地方に着くのであれば船の質にさほどこだわりはなかったが、ポケモン撮影家としては『白いホエルオー』を一目見たかったという下心も無いわけではない。そうでなくてもホエルコの動画でも撮れれば御の字だった。曰く、ここの海路はよく船が行き交うため、野生ポケモンも人に慣れており、自分から寄ってくる個体もいるらしい。
そういった打算からデッキに出ると、真っ先に目に入ったものがある。ゴシックな出で立ちと、それにミスマッチな無骨なカメラ。それらを携えた彼女と、目が合ってしまい、お互いのことを認識してしまう。
歳は見た目からして16か17だろうか。旅にはおおよそ不向きなドレスを、平然と着こなす気品。艶のある黒髪も合わさって間違いなく整ってる外見ではあるのだが、その中には傲慢さと性悪さが詰まっていることを、俺はよく知っている。
「げぇっ、ルミナ!?なんでこんな所に!?」
「失礼ねヴィデ。居ちゃ不都合あんの?」
「いや、不都合はねぇけどさぁ……」
「てかアンタこそ何でホウエン行きに乗ってるわけ?実家ガラルでしょ?」
「俺は仕事だよ。ホウエンと言えばコンテストのメッカ!ポケモンビデオの需要、つまり俺の仕事なんていくらでもあるってわけ!……そういうお前は違うのかよ?」
「ああ、それはねぇ……」
カシュッ、と小気味よい音を立てて少女然とした装いとミスマッチの銀色の缶の中身をグビグビと喉で飲み進める。堂々と『ビール』と書いてあるそれは、未成年が堂々と口にしていいものではなかった。
「ちょっと、お前、成人していたのか……!?」
「何よ」
「何よじゃなくて……じゃあお前、年上なのかよ!?俺まだ19だぞ!?」
「知ってるわよ。面白かったわぁ。年上年下気にするアンタが私だけ呼び捨てにするの。ねぇー?」
ルミナは性格悪くくつくつと傍らのポケモンに笑いかける。
傍らのポケモンはアブソル。多くの個体は角やそれに近い顔を触られるのを嫌がるが、彼女の手持ちのアブソルは顔をルミナの手に押し付けて「撫でろ」と要求している。よほどの信頼がないとこうはならない。ルミナは、認めたくはないが写真家としてだけでなくトレーナーとしても優秀なのだ。
しばらくルミナが撫でていると、アブソルと同時に何かに気づく。方や無骨なカメラを構え、方や短く吠える。
「わかってるわ、シャッターチャンスよね」
短い吠え声に短く応える。付き合いが長いほどやりとりは短くなるものだ。
「お前らのソレ、マジで便利だよな」
「ええ、そうね」と短く応える。その短い言葉の中に『これ以上喋るつもりはない』『集中させろ』の意思を汲み取る。
ルミナはシャッターチャンスに備え、アブソルはルミナの集中を欠くまいと身じろぎ一つせず静かに待つ。
俺もそれに便乗してビデオカメラの録画を始める。向こうから撮影のチャンスが来るというのであれば、お断りする理由もない。
……カシャカシャカシャッ!
……ジジジジジッ!
シャッターと録画の僅かな音すら聞き取れるほどの静けさ。他の音もあるはずだが、集中した俺達に聞き取れるのはそれだけだった。
被写体はホエルコ。人を潮吹きで驚かせるという性質を持つポケモンだ。今回もそれに倣うようにこちらに目線を向けて潮吹きによるアピールをしている。つぶらな瞳と子供のように大きく開いた口、真ん丸のボディがその大きさを一瞬忘れるほど愛らしい。
ホエルコが満足して去っていった後に、自分の映像を改めて眺める。カメラ目線、天然のエフェクトとなる水しぶき、大きく開いた口の中の「生き物らしさ」、そしてホエルコというポケモンのマスコット性……。コンテストにでも出せばそれなりの賞を取れるだろう、あるいはホエルコウォッチングの宣材動画として売ればそれ以上にふっかけられそうだ、と脳を仕事モードに切り替える。
「へっへへー!今日も良い映像が撮れたぜ!写真だとこう行かねーんだよな写真だと!」
「⋯⋯ちっ」
しかしルミナは不機嫌そうに舌打ちする。
「どうしたルミナ?昼間から酒飲んでて手ブレでもしたか?」
「逆よ。私が完璧すぎてつまんないのよ」
ぴらりとこちらに見せてくる写真。俺の映像と比べても、最高の一瞬を切り取ったと言える1枚。ルミナはなぜかそれが不服らしい。
「理由は2つ。1つ目は伸びしろを感じない自分よ。これはまだいいわ。長年歩み続けてきた道ですもの。どこかで頭打ちになる日もいつかくる。まぁこれはひとつの諦めの境地ね」
「2つ目は?」
「そっちが重要。これを評価するであろう品評会。『あのルミナが切り取った一瞬』、そんなタイトルで適当に価値を釣り上げようとするんでしょうね。酒の入った手で簡単に撮った写真、そんなものが良い写真であってたまるかっての。もっと、私以外に真面目に写真を撮ってる奴はいるはずよ!少なくとも素面の奴ならいくらでも!」
ルミナは苛立たしげに言葉をまくし立てる。酒の影響もあって口が軽くなっているのかもしれない。
それを聞かされた俺はある一つの結論に達する。
「ルミナ、お前もしかして……お偉いさん方のこと嫌いだったりする?」
「当然でしょ。コネと権力だけで知識も情熱もない干からびた木の枝。あんな老け方だけはしたくないわね」
口汚く悪態をつくが、ルミナなりに『今後の写真界隈がより良い方向に進むことを願っています』とでも言いたいのだろう。良き友人にして仕事の先輩、そして人生の先輩は、よほど屈折した面倒臭い愛情を写真というものに向けている。
「ねぇヴィデ、あの日撮り逃したポケモン。アイツを撮れたら、ストレス発散になると思う?」
「さぁな、俺その話なんも聞いてないんだからわかるものもわからん」
「そうだったかしら?あ、着いたみたいね、ホウエン地方」
かつん、かつん、と鉄製の階段を下りていく。
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偶然にも同じホテルを予約していた。私はそこまで宿に頓着しないため悪くない面構えのホテルから適当に選んだのだが、どうやら口コミでも高い評価を得ているらしく、ヴィデも同じホテルを選んでいたのだった。
「ラティアス?」
初めて聞いたのであろう、慣れない発音で目の前の男、ヴィデは繰り返す。動画・映像に傾倒した赤いジャケットのこの男のことは、嫌いではない。
「そ。調べてみたところ光を屈折させる能力を持っている上に高い知能を持つ、おまけに最高速度はジェット機以上。撮影難易度は私が会った中で最高レベルよ」
「なるほど……そりゃお前でも撮り逃がすわけだ」
「腹立たしいことに、そいつを撮り逃した。私、勝ち逃げは許せないのよ。だから絶対に見つけて今度こそフィルムに収める……こんなものかしら?私がホウエンに来た理由」
ラウンジのソファに腰掛けながら、旅の理由を説明する。あまり気分のいい話ではないが、わずかに酒の勢いもあったのだろう、説明すると言った手前それを反故にするのは私のプライドが許さない。
私の失敗談を笑うでもなく失望するでもなく、ただヴィデは話を聞いている。こういう所が、嫌いではない。たとえ写真より映像に傾倒している人間だとしても。
「……よし、決めた。俺もそのラティアスってやつ探すの手伝ってやるよ。コンテスト以外は気分転換の旅行みたいなものだったしな」
「本当?助かるわ」
「はぁ!?ルミナお前、そんな素直に手ぇ借りるやつだったか!?もっとプライド高くて『自分一人で十分よー』って感じだろ!?」
どうやらヴィデは気づいていないらしい。
「あんた、自分で思うよりポケモン運いいのよ。それに私、確かにプライドは高いけど手段は選ばないタイプなのよ?」
そう、彼は『ポケモン運』がいい。珍しいポケモンを引き寄せる体質、そういう言い方をすればオカルトじみているが、事実彼と行動を共にすると珍しいポケモンに出会いやすいのだ。
こればっかりは鍛えてどうにかなるものではなく、誰かの手を借りることしかできない。だから恥ではない。内心そう言い聞かせる。
──まだ、私の中で燻っている。あの時の失敗が。私が、『あのルミナ』が被写体を撮り逃がすことなど二度とはないと誓ったはず。それなのに二度も同じ失敗をしてしまった。
一度目はなんてことない、普通のケーシィ。あのときはまだ“写真を撮る”行為に慣れていなかった。だから手間取り、その隙にテレポートをされた。初心者だったから仕方ない。
だが二度目は、そんな言い訳ができない。カメラを構えていた。シャッターには指が添えられていた。いつでも撮れる状況だった。にもかかわらず、撮り逃した。言い訳をするつもりはない。私は失敗した。あの時の失敗が、まだ私の中で燻っている。
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