体が無くなってから、それを不便に思ったことは何度もあったけど、今回は特に強くそう思った。
「ワンワン、ワン! ワンワンワン!」
「
だって、今目の前で起きていることが本当に現実なのか、頬をつねって確かめられないんだもの。
え、てか本当に何? 意味分かんないんだけど。こちとら私が今いるのが縄文時代とかいうトンチキ事実が今さっき判明して唯でさえ頭抱えてんのに、その上からもっと訳分かんないこと起こんの止めてくれる?
……とりあえず落ち着こう。まだ私が夢を見ているだけの可能性もある。幻覚だって有り得る。そうだそうに違いない。ワンワン吠えるお手玉なんで、そんなものこの世に存在するはずが――
「……? ワン!」
……私、ここに来てから夢見たこと無かったわ。
間違いない。今私の前にいるのは兎と大福の中間のような見た目をした不思議生物で、確かにそれが盛んに跳ねたり犬のように吠えたりしている。訳が分からないけど、それは確かなことだった。
「
「くふぅ?」
「
「ワン!」
「
「
「
もう今更当たり前のことだけど、みんなには私が見えも聞こえもしない。だからいくら私が騒ごうが取り乱そうが関係あるはずも無く、結果として会話は何事も無かったかのように続いていた。犬もどきだけ会話できてるか怪しいとこだけど。
ともかく、誰よりこの人達の近くにいながらその中の誰からも認識されないという数千年来のいつも通りが妙に現実的で、そのおかげで目の前の出来事が確かに現実だということを飲み込めた気がした。
けど、結局はこれも違ったってことだ。確かに今起きていることは目新しいかもしれないけど、私の期待したものではなかった。確かにこの事態はイレギュラー、数千年生きてきて初めてのことだ。でもずっと続くわけじゃない。明日になれば、時間が経ってしまえば、段々と忘れられ始めるものだ。また数千年経てば何事も無かったかのようにいつも通りの風景に戻っていくことだろう。
そういうことなら、もういいか。そう、期待を捨てて、けれども最低限のものは見逃さないように、私は身を乗り出すように見入っていたところから再びゆっくりと見守る姿勢に戻ろうとした。
そのときだった。
『あぁ~、もう! どうなってんの!』
聞こえた。
もう大抵のことは聞き流すつもりだった。
どうせ無理なんだから、これだけ時間が経ってもそれには巡り遭えなかったんだから、もう期待するだけ無駄だと悟ったのだから。
そのはずだったのに、なぜか今聞こえてきたのは簡単に流したくないと思ってしまった。
……なぜか?
『なんか喋れないし! てかそもそもここどこ~』
それが、”私の求めていたもの”だったからだ。
私の唯一の記憶、たとえ他のこと全てを手放そうとも絶対に忘れたくなかった”あの声”、それが今、聞こえてきたからだった。
じゃあそれは今どこから聞こえてきている?
辺りを見渡すけど、見える物は一切変わらない。
数人の子供、変なモフモフ、集落と海。
どこにも”あの子”の姿は無い。
『あ゛~、これ言語モジュール壊れてんなぁ……』
だというのにそれは今も聞こえてくる。おかしな話だ。声が聞こえるのならその声の主の姿も近くに見えているはずだ。もしや幻聴?
いや、数千年が経っても私の中の”あの子”の声は少しだって褪せていない。漠然とした使命だけれど欠かすことなく想い続けてきた。もし仮に私に幻聴というものが聞こえるなら、この数千年の間で一度も遭遇していないのはおかしい。現実逃避なんかで誤魔化せない執念なのは自覚しているつもりだ。
……いや、そもそも前提が間違ってるのか。なぜ私は物理的な声にだけ縛られている? ここ数百年で、
そうだ完全に忘れていた。前に聞こえたのは……いつだったっけ? 最近はあえて聞こうとしなければ聞こえてこなかったものだから忘れていた。あ~えっと、だから、昔の私の表現を借りると――
つまり、今聞こえてきているのは”あの子”の”心の声”かもしれない、ということだ。
「ワンワン! ワン、ワンワン!」
「
『も~違うってば~!』
なんか急に納得できた。”あの子”の声だけが聞こえてくるのも、だというのにそれに誰も反応しないのも、私にだけ聞こえる”心の声”なら説明できる。
そうしたら後はもう確かめるだけだ。”この声”が一体誰から聞こえてきているかさえ特定できれば、それさえ分かれば十分なんだ。
よし、まずは適当な男の子に近付いて……。
「
(帰りてぇ……)
この子は違う、っと。
「
(いいとこナマコとかそんなもんだろ)
この子も違う。
というか見ない間に大分流暢になってんな?
「
(可愛いなら何でもよくない?)
ありゃ、女の子も違った。
この中で強いて選ぶならとか思ったけど、そうかよく聞くとこの中の誰も”あの子”に似ていない。”心の声”と実際の声はほぼ同じだから、この中にいないのは端から明らかだったんだ。
……あれ? ってことはそうなると――
「ワンワン!」
『
駄目元で近づいてみた例のモフモフ。
それこそが、私の求めていた”声”の主だった。
……? どういうこと?
”あの子”はお手玉だったってこと?
流石に人間だったと思うけど?
――……ね、ねぇそこの犬もどき?
――ちょっと聞きたいことがあるんだけど……?
「ッ、ワン! ワンワンワン!」
『だ~か~ら~、犬じゃないってば!!』
……。
『……今の、誰が喋ったの?』
えぇ……?
もう駄目元どころか半分自棄で話しかけたのに、反応を貰えてしまった。しかも、今回はいつぞやのと違って、
一応、もう一回話しかけてみるか?
――……わ、私、ですけど?
『うっわ何だ今の⁉ 頭の中に文字が⁉』
確定だ。もうこれは、そうだ。
経緯は分からない。けど、なぜか、確かに目の前のモフモフは私が数千年の間ずっと追い求め続けてきた”あの子”だ。確信した。また、この子にだけは特別に私の声が届くらしいということも理解した。
ひとしきり驚いた後モフモフは首、よく見えないのにそう表現するのが正確かは分からないけど、ともかく首の辺りをぐっと持ち上げ、きょろきょろと周辺を見回した。
『ねぇどこ? どこなの?』
胡麻斑のモフモフは今、間違いなく私のことを探しているように見えた。
――ここだよ。
『ここって言われても、分かんないよ……』
けどやっぱり、残念ながらこの子にも私の姿は見えないみたい。目には見えない私という存在のことを言葉で説明して、そしてそれを理解してもらうというのはかなり難しい。どう表現すればいいのか、目途すら立ちそうにない。
それでも今は確かなことを伝えなくちゃ。
――私は……。
同時に、《伝えたかったこと》でもあるそれを。
――私は、あんたの傍にいるよ、かぐや。
『……? てかなんでかぐやの名前?』
……確かに。
私は”この子”の名前を覚えていなかった。数千年かけてもついぞ思い出せなかった。なのに今、咄嗟に口を突いて出た。そう呼ばない訳にはいかないと思った。そして、それとほぼ同時に私が彼女に伝えなければいけないと思っていた”メッセージ”も一緒になって出てきた。こちらも同じく数千年間思い出せなかったものだ。何ならそこにどういう意図が込められていたのかも、発言を終えた今では自分でも忘れてしまっている。私が名前を知っていた理由も既にまったく覚えていなかった。
明らかに、この子に会ってから尋常じゃないことが起き続けている。説明どころか事態の把握すらできている気がしない。
――えっと、……そうだ! さっきあんた自分で名乗ってたじゃん!
『名乗ってた? ……っていつ?』
――ほら犬じゃない~って奴。
『え、あのときから聞いてたの? いや、そもそもあれかぐや喋ってないからね? 聞いてたなら分かるでしょ、かぐやがずっとワンワンしてたの』
――私には”心の声”が筒抜けなんです~。
『なにそれ~』
そう言いコミカルに返すカグヤ。よかった、いい感じに誤魔化せたみたいだ。結局私の方は何も解決していないけど、まあなんとかなるでしょ。
「
「
『あ』
カグヤが私に構っていたせいでモフモフボディは結果的にしばらく沈黙する形となり、そのせいで子供達は不思議に思い始めていた。
どうにかしたほうがいいと思ったのかカグヤが口を開こうとしたその瞬間、その中の一人が唐突に声を上げた。
「
「
何かあったのか、男の子は慌てふためきだす。
「
「
「
次の瞬間、言うより早く駆け出すトトと呼ばれた男の子。カグヤは言葉を失って少しの間呆然とし、すぐ気を取り直して声を上げた。
「ワン!」
心の声は聞こえてこないから、とりあえず声を出したという感じなんだろう。けれど、それを聞いた男の子は速度の乗った体をぐんと反転させてこちらに向き直った。
「
殺しきれなかった勢いで少しだけよろけながら。
「ワ、ワン!」
――かぐや、絶対てきとーに返してるでしょ。
『しょ、しょうがないでしょ! 突然言われたからかぐやもびっくりしてるんだよ!』
再び見たときには既に彼は集落の方へ走っていってしまっていた。カグヤがなんとなく発した鳴き声から勝手に何かを読み取って自己完結していただけに勢いは伊達じゃないようだ。
「
「
「
そんな彼に続いて二人も歩き出す。じゃあね~とひらひら手を振りながら帰っていき、ついには誰もいなくなっていた。
『……君は、まだいるの?』
二人きりになった砂浜、カグヤが手探りをするかのように呼びかけてきた。
――いるよ。
『よかったぁ』
ふにゃふにゃとした声と共にモフモフボディも弛緩させて、見るからに安心に満ちた様子のカグヤ。
――そういえば、かぐやって結局何なの?
『何、ってのは?』
――いやその、犬じゃないとは言ってたけど、体はモフモフしてて、でも日本語喋ってるし。
『あー……。その辺は一から説明しようとすると大変なんだけど、聞いてくれる?』
――勿論。
『即答かよ。……てかいいの? ついていかなくて』
――いいの、それより今はこっちのが大事。
『そこまで? まあ、積極的に聞いてくれるんならかぐや嬉しいけどさ』
私があまりに迷い無く答えたからか少し照れくさそうにした後、カグヤは語り出した。
彼女の、これまでの全てを。
――えぇと?
カグヤの話を聞き終えたとき、最初は作り話かと思った。曰く、カグヤは元々月のお姫様で、そこでの生活に飽き飽きした結果、かねてより行きたいと思っていた地球に逃げ出した。そこでJK版の翁に拾われ育てられた後、当時流行していたメタバースを通じて翁とともにライバーデビュー。以降も翁と二人三脚で獅子奮迅し、その結果時の人でもあったAIライバーとコラボライブと相成り、一躍人気者になりましたとさ。まとめるとこんな感じか。実際にはこの子、ほとんどの時間を件の翁、イロハとのエピソードトークに費やしていたので、経緯の説明というよりは惚気だった。流石に好きすぎでしょ。
ともかく、話を聞いて竹取物語をえらい現代風に再解釈したものだと思った。けれど話がやたら詳細だったうえに、何より語っているときの目の輝きようからして嘘をついているようには見えなかった。
その後の流れは原作通り、月からお迎えが来て、迎撃しようとするもあえなく敗北。カグヤは月へと連れ戻されて記憶もフォーマットされた、と。
『けどね! そのとき聞こえたの、彩葉の歌が!』
――歌?
『そう、彩葉が卒業ライブのために作ってくれた曲! でもあのとき聞こえたのは歌ったことない部分だったから、多分かぐやが月に帰った後に続きを完成させてくれたんじゃないかなぁ?』
続いてカグヤは、こんな感じの曲ねと言って続けざまに"その歌"を歌ってくれた。
すごく素敵な曲だと思った。決して月並みな感想じゃない。側から聞いているだけでも込められた想いの強さが伝わってくるし、相当思い出の詰まった曲なんだろう。事情を聞いた後だからそう思えるというだけじゃなくて、多分何も知らない状態で聞いても同じ感想を抱けるぐらい、"この曲"には直感させる何かがあった。歌が終わった今でも、何かが私の心に強く響いていた。
カグヤはふぅと一息ついた後、最後にとその続きを話してくれた。曰く、カグヤは”この曲”のおかげで一時は諦めてしまっていたハッピーエンドを再び目指したくなったらしい。早々に月での生活に片を付け、色々準備を整えてから電脳世界を出発。
『時間遡行の照準だけじゃなくて、座標もちゃんと合わせたんだよ? でも途中で何かにぶつかっちゃてさ~』
ただ道中で隕石か何かにぶつかったカグヤは到着地点がズレにズレて海に墜落したらしい。船が壊れてしまった影響で受肉が不完全にしかできず、その結果として今このモフモフ姿になっている、という経緯だったようだ。どう見ても犬じゃないのにワンワン鳴くのは、この姿の元になったデータ生命体が犬モチーフだったかららしい。それでカグヤは本来この犬に憑依する形で顕現して喋ったりなんだリができたはずだったんだけど、不具合のせいでうまく話せず、結果として今は素体になった犬DOGEの声帯を借りてやっと話せているとのことだった。
『どこに墜落しちゃったのかが分かんないから気が気じゃなくてさ~。でも、日本語話せる人に会えて安心したよ』
――それで今はその”イロハ”を探してるんだ?
『そう! そうだ、君が何か知ってたりしない?』
――知っているというか、何というか……。
ぶっちゃけた話をするなら私には相変わらず記憶が無いのでカグヤのこともイロハのことも心当たりが無い。だから話せることは何も無い……という訳でもないのが困りどころなんだよなぁ。
確かに私には記憶が無い。けど、知識はある。実に21世紀前半程度までを軽くカバーする人類史の知識をもってすれば、……いや多分そんなものが無くても大丈夫だけど、何にせよ今の段階で断言できることが一つだけ存在していた。
――……ねぇかぐや、確認なんだけど。
『なんじゃ~? かぐやが分かることなら何でも教えたげるぞよ』
――その……あんたがイロハと一緒にいたのって、西暦で言うと何年ぐらいか、分かる?
『そんなこと? えっとね~、かぐやも細かいとこは把握してないんだけど、確か前彩葉のノートPCを見たときには……」
額の辺りをくしゃっとさせて唸るカグヤ。数秒間だけ悩み、すぐに彼女は頭上に豆電球を浮かべた。
『そうだ! 2030年、2030年だよ!』
……確定だ。
薄々、というかはっきり分かってたけど。
――分かった。……かぐや、最後に一つ聞きたいんだけど、今まで違和感は無かった?
『違和感~? なんか、日本に来たはずなのに景色が見慣れないのは気になったかな~』
――いや、合ってる。それで合ってる。
これ伝えても大丈夫か?
……いや、むしろ伝えなければいけないだろう。
カグヤのためにも、今すぐ。
――かぐや、驚かないでね。
『も~何? 脅かさないでよ~』
――かぐや。
『な、何?』
――あんたがこの景色に馴染みが無いのは、当たり前のことなんだよ。
――だって、日本は日本でも、今は縄文時代。
『じょ、縄文時代? ……って何?』
2030年って令和だったよな~と言い考え込むカグヤ。対して私は淡々と話を進める。
氷河期が終結したのが現代から見ておよそ一万年前とされている。私の記憶が正しければ氷が解け始めてから2000年程度は経過しているはずだから……。
――だから今の私達はざっと数えても8000年前の日本にいるの。
――だから、あんたはイロハに会えない。
――そもそも、イロハはまだ生まれてすらいないんだもの。
誤字報告や感想などあらば、ぜひ書いていってください。