千代にヤチヨに   作:彼岸花すずか

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エタってた訳じゃないんです。筆が遅いだけなんです。信じて。


4.ファースト・コミュニケーション

 さて、イロハと再開するために8000先の未来まで2人で生きていく決意をしたわけだけど、私達は早速大きな問題に直面していた。

 

――それで、これからどうすんの?

 

『どうするって……、今決めたばっかじゃん』

 

 さっきと似たような質問をしたせいかやっぱ文句あんのかーと膨れるカグヤ。けど流石に今になってあれは何も決めてないでしょうにとは言うまい。

 

――いや違くて。今日の話よ。

 

『今日?』

 

――そ。おいおいどうしていくかはいいとしても、今日何するかぐらいは決めておかないと暇でしょ?

 

『確かに。暇なのはヤだな〜』

 

 反抗的な膨れ面から一転、納得したらしいカグヤは素直に考え始めた。けど現状分かっていることが少ないせいか、何をした方が良いのかが流石にまだ分からない様子。てかかく言う私にも分からない。何も分からず何も決まっていない状態でとりあえずとはいえ今日何をするかいきなり決めろのも難しい話だろう。カグヤははたと考え込んでしまう。

 そして数十秒後、ようやく声を上げた。

 

『……あ! そういえば昨日さ、約束したよね?』

 

――約束?

 

『ほら! 確かトトとかいってた男の子とさ!』

 

――あー、なんかその名前覚えてる気がする。

 

『まだ昨日だよ? 天の声ったらおばあちゃん~』

 

 悪かったね忘れてて。

 

『今日はあの子達と会ってお話ししてみるってのでどうよ? 暇つぶしにゃあ悪くないっしょ?』

 

――まあ、良いと思う。

 

『よし、これで今日やることは決まり! あの子達と喋ってみる!』

 

 早く決まって本当に良かったよ。暇な時間なんて一日でも少ない方が良いに決まってる。ひとまずはこれで安心、今のところは大丈夫だろう。

 ただ、そうなると今度は別の問題が浮上する。大きな問題というはそれのことだった。

 

――なら今度は言葉の方をどうにかしないとか。

 

『あっそうじゃん! どうすんの?』

 

――いや私に聞かれてましても。

 

『え゛ーッ!』

 

 仕方無いじゃん、犬と人間の言葉を繋げる方法なんか知る訳が無いんだから。現状私だけはカグヤの言葉を認識できるけど、その私が集落の人達に認識してもらえないんだからどうしようもない。

 でも知らない知らないの一点張りじゃいけない。午後には子供達がやってくる。なんなら、この時代にはまだ正確な暦が存在していないことも考えるとせっかちになった子供達が早めに来る可能性も否定できない。さっさと片を付けなければ。

 若干の焦りもありつつしばらく考えていると。

 

――あっ。

 

『おょ? どした?』

 

 私は"あるもの"に思いが至った。本当に、なんで忘れていたんだって感じのもの。本来なら心の声が聞こえてきた時点で"それ"を思い出すべきだった。

 

――いやでもなあ……。

 

『何何、何か思い付いたん?』

 

 前に使ったのいつだって話だし、そもそも人以外に通用するのかも定かじゃない。人以外の心の声を聞いたことが無いだけと言われればそうだけどさ。

 

『気になるじゃんもったいぶんなぁ〜!』

 

 まあ、こんなことで迷ってても仕方無いか。そう思って私は"自分の力"についてカグヤに白状した。何かを伝えたいと思う人の背中を何度も押してきたあの能力だ。正直自分でも無茶苦茶と思うし信じてもらえないかもと思ったけど、案外すんなりと受け入れてくれた。疑うよりもむしろ、面白そうじゃんやってみようよそれという感じだった。

 

『案ずるよりなんとかってやつですわ』

 

――そもそも産めるかすら怪しいんですがねぇ。

 

 確証を持ててないのが気に掛かるけど、ここまで来たらもうやるしかない。私はとりあえずの精神で試してみることにした。

 

――……よし。これでいけるはず。

 

『なんか、何もされてない気がすんですけど?』

 

――普段これでいけてたんだから大丈夫なはずだよ。

 

 けどかく言う私も手応えが無い。何度も言い訳をするようで悪いけど、まず力を使ったのが何十年も前な訳だし、それ以前に今まで力を使うとき何かを意識した覚えが無い。いつもは軽く念じればすぐに効果が現れたから何かを考えることも無く、今こうして意識して使ってみようとしたことでかえって勝手が分からなくなってるような気もした。

 だけどやるしかない。時間は限られている。

 

『本当かな〜?』

 

――ほら、何でもいいから喋ってみな。

 

『何いきなり。なんか誤魔化してないそれ?』

 

――いいから!

 

『はーい』

 

 とりあえずやってみるしかないというのはカグヤも分かっていることなんだろう。いまいち腑に落ちてなさそうな表情ながらも考え始めていた。

 

『……よし決めた』

 

――お、よし言ってみ。

 

 小さな咳払いが聞こえた、ような気がした。

 

 

「ワワンワ、ワンワン! ワワワンワンワ――

『ふわふわのパンケーキを、たっくさん食べた――

 

『――って! 全然駄目じゃん!』

 

――ほんとだ。

 

『ほんとだ、じゃないよ!』

 

 別に期待してたわけじゃないけど、それはそれとしていつもこれで上手くいってたから特別失敗するとも思ってなかった。困る。見事なまでに失敗だ。何をどう聞いても犬の鳴き声でしかない。これでは意思疎通なんてできやしない。流石にまずいということでカグヤも私も色々考えてみるのだけど、情報があまりにも少ないせいで他に何も思いつかない。今潰えた希望は唯一の手掛かりだったらしい。

 そのままずるずると時間だけが流れていく。その間にどれだけの時間が流れたかは分からないけど、確実なのは何も解決しなかったということだ。どうやら私達はぶっつけ本番でどうにかするしかないようだということ、それだけだった。

 

 

 

 ついさっきまでは潮騒しか聞こえなかった砂浜が一転して騒がしくなっている。

 

■■(あっ)! ■■■■■■■(ワンちゃんいた)!」

■■■(ほらな)■■■■■■■■(やっぱりいただろ)!」

 

 理由は考えるまでもない。この子供達のせいだ。私達がああでもないこうでもないとあれこれ考えに考え抜いてその結果遂に諦めの境地に達したというまさにそのとき、元気な話し声と共に彼らはやってきた。実際の時間が分からない以上今が約束の時間通りなのか、あるいはそれより早いのか遅いのかは分からない。彼らも恐らく分かっていない。けれどその時点で既に時間切れなことは間違い無かった。

 

『ねー! どうすんのだ結局!』

 

――さっきから言ってるでしょ。やるしかない。

 

『もうず〜っとそれ! これでまたアレだったらどうすんの!』

 

――はいはいやる前からあれこれ考えない! 駄目なら駄目でモールス信号とかすればいいでしょ。

 

『それこの時代の人に伝わらないでしょ!』

 

 少し、カグヤも私もおかしくなっていた。それはあんな長い時間をかけても何も解決しなかったことがショックだったというのもあるけど、それよりもその間ずっと暇なことの方が堪えていた。せっかく今日を無駄にしないようにカグヤには予定を考えてもらったのに既に半日以上を暇に過ごしてしまっている。そんなわけで気力は削がれつつあった。

 

 せっかく掴んだチャンス。だからせめて、せめてこの子達と会話するという予定だけは達成しようと必死だった。二人ともだ。

 

■■■■■■■■■(ワンちゃん静かだね)■■■■■■■(どうしたんだろ)?」

■■■■■■■■(元気無いのかもね)

 

――ほらカグヤがずっと黙ってるからこの子達怪しんでるよ早く早く。

 

『自分が喋んなくていいからって〜っ!』

 

 キッと睨みつけるカグヤ。

 こっち見てる場合じゃないってば。

 

■■■(てか僕)■■■■■■■■■■■■■(今日こそ釣りしたいんだけど)

■■■■■■■■■■(もうちょっと待って)!」

 

『〜〜ッ、あーもう! 分かった分かった、やりゃあいいんでしょ!』

 

 状況がそろそろ足踏みを許さなくなりつつあったというときカグヤは声ならぬ声を発した。ようやく観念したようだ。

 

『天の声も! 見てるだけじゃなくてちゃんと手伝ってよね!』

 

――言われずとも。

 

 気合いを入れて子供達に向かい合うカグヤ。

 当たり前だ。あんたを独りで頑張らせないために私は存在してるんだ。

 

 私は喋れないし、認識もしてもらえない。だからカグヤの意思疎通を直接手伝ってあげることもできない。黙っているしかない。

 でも見ているだけじゃない。私に備わったこの力をなんとか利用してやるんだ。この"伝える"力、昔はどんなものなのかすら分かってなかったし正直今もほとんど分からないけど、なぜ私にこの力があるのかという理由も同じぐらい分かっていない。もしかしたら正解なんて無いのかも。

 けど、自分の中では答えを持っている。それは、きっとかぐやのためだ。この力があれば私がかぐやに"伝える"だけじゃなくて逆にかぐやの"伝える"も手伝ってあげられる。きっとそのために私はこの力を持っているし存在しているんだろう。そう解釈している。だから正解なんて要らない。それさえ叶うなら十分だ。

 

 さあ、カグヤが今に口を開くぞ。この子が最初の言葉を紡ぐまで、そのギリギリまで絶対に気を抜かない。カグヤが言葉を発せるように、子供達と会話てきるように、今だけじゃなくこれからもかぐやが言いたいことを言えるように。それだけを考えた。

無い目を閉じ、無い手を組み、無い体に力を込め、ただひたすらに祈り、祈った。

 そしてようやく、カグヤの口が開く。

 言葉が紡がれる。

 まさにそのとき。

 

「『

 

 ふっ、と。

 

 目の前が暗くなって

 

 

 

「『んでかぐやちゃんは決めたワケ! 絶対に〜』」

 

 聞いたことの無い声が聞こえた。

 いやその言い方は正確じゃないな。口調そのものには覚えがあるのだけど、それが聞いたことの無い声色で発されていることの方が違和感だった。

 けれど見えない。近くにいるはずの声の主が今は見えていない。それで少し焦って記憶を精査しようとしてみたところ、そこでようやく私は自分が気絶していたということを自覚した。話し声はまだ続いている。それらは幻覚幻聴などではなく私の感覚はまったくの正常だった。

 

 流石に気になって集中して探ってみて、ようやく見つけた。予想通りそこにいたのはカグヤだった。嬉しそうに、それはもう本当に嬉しそうに何かを話しているカグヤと、細かい部分は見えないけど子供には見える人影がそんな彼女の周りに3人ばかり。

 そこまではいい。目の前の光景は私が気絶する前のままだ。けど明らかに変化が起きていた。カグヤの声がおかしいし、何より普通に喋れている。気絶している間に一体何が?

 

「『ただそんときの彩葉の返事がまあ酷くてさぁ、何て言われたか分かる?』」

■■■■■■■■■(いや分かんないけど)

■■■■■■■(ごはん抜きとか)?」

 

 ……いやまあ良いのか。成功は成功だ。カグヤの声がさっきと違うことだとか、なぜか私が気絶していたことだとかはもうどうでもいい。

 見たところ子供達とカグヤの会話は成立しているように見える。つまり私の能力が効いたということだ。祈りが通じたのであればいつもと勝手が少しぐらい違ったって構いやしない。これ以上私にできることは無い。あとはカグヤの頑張り次第だけどそれも今のところは大丈夫そうだ。

 ……って、何してんの?

 

『んぇ? 何って……、かぐやのこと教えたげてるだけだけど? てか天の声やっと起きたんだね』

 

 器用にも心の声だけであっけらかんとそう返してきたカグヤはこれまた器用なことにウミウシの口で枝を咥えて何やら不思議な絵を地面に描いていた。

 

――何これ? ヒトデ?

 

『ぶっぶー違いますー! 今かぐやの話してるって言ったじゃんかぁ』

 

 そんなこと言われても、砂浜に描かれているのはどう見ても人ではない。口で描いてるせいで線はふにゃふにゃ。百歩譲って人間ってところは認めたとしても、それでも何らかの呪いをかけている祈祷師ぐらいのものにしか見えなかった。

 

□□□(カーヤ)? ■■■■(これがぁ)?」

■■■■■■■■■■■■(これなら昨日浜辺で見たよ)

「『だーかーらー、ヒトデじゃないっての! あとかぐやだかんね! か、ぐ、や!』」

 

 そこまで時間は経っていなさそうなのにずいぶん仲良くなってますこと。ちなみに彼らの言うカーヤというのはカグヤのことらしい。

 

■■■(それで)? ■■■■■■■■■■(そこからどうなったの)?」

「『マトモに聞いてくれるのはミミちゃんぐらいよヨヨヨ〜。……では気を取り直しまして、かくして彩葉のボロアパートから華々しいライバーデビューを果たしたかぐやは……』」

 

 そこからは特に茶々を入れることもなく、ただ静かに彼らのやりとりを見守った。道中でカグヤが説明のために電柱とかパンケーキとかライブとかツクヨミみたいな縄文時代にあろう筈も無い未来言葉を使うものだから若干の齟齬が生じてはいたものの、それを補ってなお余りあるコミュ力と愛嬌だった。まるで思い出の日記帳を1ページずつ捲るずつかのように砂の上の絵を描いては消してを繰り返しながら語るカグヤを、私は何となくずっと見ていた。

 

 

 さて今はどうなってるかなと様子を見てみると、丁度話し終えたところのようだった。

 

「『てなわけで、かぐやは今彩葉と再会するために色々頑張ってるって訳!』」

■■(ねぇ)■■■■■■■■(一個聞いてもいい)?」

「『なんだいハヤくん? なんでも答えたげるぞよ』」

■■■■■(そのイロハ)■■■■■■■■■■■■■■(って人とはお別れしたんだよね)? ■■■■■■■■■■■(本当にもう一回会えるの)?」

「『それはもちろん!』」

 

 いつぞや見せたようなVサインを幻視させるほどの自信。絶対に再開できると信じて疑わない眼だ。

 

■■■■■■■■■■■■■■■■■(カーヤは未来から来たモフモフさんで)■■■■■■■■■■■■■■■■■■■(未来にいる大好きな人に会いたいってこと)?」

「『そだよ〜』」

■■■■■■■■■(未来ってどのぐらい)?」

「『大体、8000年だね』」

 

 だから伝わんないっての。ほら首傾げてる。

 

「『太陽、……あー空のアレが何回も何回も沈んでは昇ってを繰り返したぐらいだね』」

■■■■(何回って)■■(何回)? ■■■■■■■■■■■(僕が釣った魚の数ぐらい)?」

「『もっとだね』」

■■■■■■■■■■(俺の指の数ぐらいだろ)!』」

「『もっともっと〜』」

■■■■■■■■■(じゃあ私の髪の毛は)?」

「『それよりももっとだよ』」

 

 1人がうへぇという声を漏らす。

 

■■■(なんか)■■■■■■■■(想像もできないや)

「『……そうだね。かぐやも分かんない』」

 

 さっきまで楽しそうだったのに、少しだけ顔が暗くなるカグヤ。

 

■■(でも)■■■■(できるよ)

『……。』

■■■■(そうだね)■■■■■■■■■■■■(カーヤなら会えるよ)

 

 結果的には慰めに思える発言かもしれないけど、子供達の真意はきっと本気で信じているんだろう。心を読むまでもないことだ。子供だからこそ、下手をすればカグヤ以上に純粋な心だからこそ、彼らはさっきまでの話を本気で信じている。しかもカグヤの人となりを知っているからこそ出てきた言葉でもあり、カグヤがこの子達にすっかり馴染んでいるということの証拠だった。間違いなくこの子には人を引き付ける魅力のようなものが備わっているようにしか思えなかった。

 その後も会話は続いていった。昨日のように誰かが帰らなければならなくなるということも無く、日が暮れるまでずっと、カグヤは喋り続けた。

 

 

 気付けば水平線がすっかり茜色染まっており流石に子供達も帰らなければいけなくなってしまった。明日も会おうと約束を交わしてから、カグヤと一緒に手を振って見送った。ま、手無いんだけどね。

 

『行っちゃったね』

 

――明日も会うじゃんか。

 

『そうだけどぉ! 寂しいもんは寂しいでしょ!』

 

――それもそうか。

 

 興奮気味に捲し立てた後、カグヤはふぅと息を吐いて落ち着く。その後はしばらく言葉も無く、ただ沈みゆく夕陽を眺めている。

 

『綺麗だねぇ』

 

――そうだね。

 

 暖かく同意を返す。

 

『ねぇ』

 

――なに?

 

『私達も、帰ろっか』

 

――帰る? 一体どこに?

 

『昨日話したでしょ? 私の船にだよ』

 

 私の、船?

 確かに、昨日カグヤの話していた身の上話にそのようなものが出てきた覚えはある。月からこっちにやってくるときに乗っていた船、でも故障しているはずじゃ?

 

――何しに行くの?

 

『え? 決まってるっしょ、寝に帰るんですわ』

 

――……寝る?

 

『本気で言ってる? 夜になったら寝なきゃだよ』

 

――もしかして、昨日の夜ここから離れたのも?

 

『あー、そーだね。頭の中整理したかったってのもあるけど、あれはそう、寝るためだよ』

 

 そうか。この体になってから久しいからすっかり忘れていたけど、普通は夜になったら寝るものか。私と同じく不死身の質だからカグヤも寝なくてもいいものだと思い込んでたんだけどそこはちゃんと寝なきゃいけないのね。失念していた。

 

――それで? なんで私まで?

 

『……なんでそうなるの?』

 

――だって、私は寝なくていいし。

 

『えマジ?』

 

――マジ。

 

『まさか昨日の夜も?』

 

――うん。昨日はずっと晴れてて星がきれいだったよね。

 

『確かにあれはかぐやも綺麗とか思ったけど、流石に一晩中は見てなかったからね⁉』

 

 しばし頭を抱えるカグヤ。

 

『とにかく! 見えない君を探すの大変なんだから今日からは一緒に寝てもらうかんね!』

 

――へいへい。

 

 ぷいと方向を変えて海に飛び込んだカグヤ。昨日は見送ったその後ろ姿に、今日は見失わないようにしっかり着いていった。

 

 

 

 私にとって初めての世界を凄まじい勢いで潜航していく。泡はほぼ立たない。呼吸の要らない私は元よりカグヤは依代からして水棲生物。フィクションの中にも存在しないであろうほどのスピードで私達は海中を軽やかに進んでいた。

 

 斜め下向きのカグヤの背中越しには本当に色々なものが見える。産業どころか農業すら始まってない手付かずの世界の海はこれ以上ないほど透き通った水だ。上を見れば波打つ鏡に赤い宝石を砕いて散りばめたかのようで、一方で下を見れば鮮やかな珊瑚や見たこともない魚の数々がある種の絵画のような風景を織り成している。あるいは楽園に見えた。

 

『気に入った?』

 

――うんまあ、よく言われる心が洗われるみたいな感覚も結構分かるかな。

 

『だよねいいよね! かぐやも結構好きなんだ!』

 

 前を向いたまま上機嫌に笑うかぐや。

 

『最初の方なんてもーホントいろんなことがあった後だったからてんてこまいって感じで、でも初めてこの景色を見たときすぐに夢中になったの。だから彩葉にもこれを見せてあげたいな~って思ったんだよ。……そう、思ってたんだけどね』

 

 少しだけ悲しそうにするカグヤ。どうしよう。何か言ってあげた方がいいのかな、なんて迷っているうちにカグヤの方が先に口を開いてしまった。

 

『あっ見えた! あれだよかぐやがここまで乗ってきた奴!』

 

 そう言ったカグヤの視線の先には異様な物体が見えた。この明らかに海洋的でしかない風景の中に、なぜか筍のような形をしたものが見えた。あまりにもかぐや姫すぎるでしょ。そう思った。

 

――それで? どこでどう寝るわけ?

 

 見てくれ的にはゴツゴツの岩場の中に場違いな筍が横たわっているだけ。いままで寝るということをしてこなかったからどうしても人間の尺度をあてはめて考えてしまう。とても眠れる環境ではない。

 

『普通に、こんな感じでいけない?』

 

 そう言ってカグヤはこっちを向きながらその柔らかな体をぽふんと筍に乗せる。しかも天の声は体が無いんだしその辺でも平気でしょ、と。いやまぁ、そんな気はしてたけどあまりにもすぎない?

 

『目閉じてるだけでも違うんだから、ほらほら』

 

 私には瞼すら無いんですけど? 一瞬そう言いかけるけど、そんなことを言ったところで気合いで何とかしよう的なろくでもない返答が返ってくることは見え見えだったので口を噤んだ。下手に興奮しては寝れるものも寝れなくなる。

 観念した私は人間ならこうするかなぁという適当な加減で寝転がってみる。案の定瞼は閉じない。代わりに海面が見える。今までは目の端で捉えていた光景に正対する。そういえばさっきから2人とも一言も発していない。より一層静けさが満ちる。

 今度はたまらず私のほうから口を開いた。

 

――見せてあげようよ。

 

『……え? 何の話?』

 

――さっきかぐやが言ってた話だよ。

 

『突然何かと思った~。景色の話ね』

 

 後頭部の辺りで漏れるように笑うカグヤ。

 

『けど無理だよ。写真とか撮れるわけでもないし、仮に撮れたとしても写真じゃ伝わらないこともあるわけじゃん?』

 

――写真なんか要らないよ。

 

 ぬらり、魚の群れがやってくる。

 

――あんたと、私で。この美しい景色のことを覚えてればいいんだよ。どんな魚がいたとか、こんなのが綺麗だったとかさ、とにかく色々だよ。

 

 1匹が群れから逸れてしまう。

 

『かぐや、海に行ったことはあるけど、潜ったことはないんだよね。もしかしたらかぐやが知らないだけで、案外この景色も普通かもだし。ほらテレビで南国の方の海の映像とか結構やってたしさ』

 

 それも、かなり遠くまで。

 

――関係無いよ。そもそもあの時代でこんなに海がきれいな場所はすごい珍しいし。

 

 群れから何匹かが離れ、その魚を追いかける。

 

――それに何より、多分彩葉はこの景色そのままの姿じゃなくて、かぐやの口でどう表現するかを聞きたいんじゃないかな。

 

『表現?』

 

――多分かぐやと私でこの景色の好きなところが違うと思うんだ。それが多分かぐやらしさだよ。成長したかぐやちゃんを見せてあげるんでしょ? この8000年の間でそういうかぐやらしさを積み重ねていって土産話にでもすればきっと喜んで聞いてくれると思うよ。

 

 1匹がさらに遠くへ泳いでいこうとする。

 

――かぐやさ、今日の話でちょっとナイーブになってるでしょ。

 

『そんなこと……』

 

――確かに8000年ってのは日数換算すると2922000日になるよ?

 

『暗算速』

 

――あ、補正しなきゃだから2921940日か。

 

『そこはどーでもいいってば!』

 

――とにかく、今朝ぐらいまでは勢いでどうにか気持ち保ててたけど、冷静に考えてみて8000年の途方も無さが少し嫌になってきてたんじゃない?

 

『……まぁ、うん』

 

 見ずとも、カグヤの顔が俯いているのが分かる。

 

――けど心配することは無いよ。かぐやはもう既に2日過ごしたんだよ? 48時間だよ、172800秒だよ?

 

『……ぷっ、何それ』

 

 少し弛緩した感じがした。

 

『滅茶苦茶すぎ。彩葉が変なサプリの詐欺広告に騙されるな~って言ってたのが分かった気がする』

 

――けど、私があんたと一緒にいるってのは絶対嘘じゃないよ。

 

『……そーね。分かった、分かりやした! 確かにちょっと柄にもなく落ち込んでました!』

 

 見れば喜色満面の彼女。やっぱこうでなくちゃ。

 

『それじゃ、嫌でもついてきてもらうからね!』

 

――こっちこそ、嫌でも連れてくから。

 

 群れからはぐれていた筈の魚は、気が付いたときには独りでなくなっていた。そして数匹と一緒に、すっかり遠くまで泳いでしまっていた。

 

 それからのことは少し曖昧だ。確実なのはカグヤと一緒に目の前の景色を決して忘れないように覚えていようと良さを語り合っていたということ。図鑑でしか見ないような魚の数々を1つ1つ取りあげて私達だけの図鑑を完成させていく。そうしてやがて空が暗くなって、意識も重くなっていく。

 そんな最中で最後に、カグヤが耳元でおやすみと言ったような気がした。




誤字報告や感想などあらば、ぜひ書いていってください。

なお、縄文時代の話はもうちょっとだけ続きます。脳内では3~4話の想定です。
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