何度だって愛し続ける。たとえこの記憶が風化しようと。 作:フィエ
ふと思い出す。
出会ったばかりの私は、テルのことが嫌いだったって。
理由は、うまく言葉にできない。ただ、見てると少しだけ気持ちがざわざわする。ちゃんと新しい服を着てて、ちゃんと笑ってて、ちゃんと人と話してる。そういう「ちゃんと」が揃ってる人こそ、どこか怪しいって、信用できないって、なんとなく思ってた。
だってお母さんも「ちゃんと」優しいのに。怒ってコップ投げつけてきたり、男の人を追い出しちゃったり、怖いから。
「お腹、痛いの?」
「痛くないけど?」
ご食を食べるのは自分でも遅いと思う。見た目は普通でも、中に何か混ざっているかもしれないと思うと、すぐには口に入れられない。だから白米を観察しながら食べなきゃね。周りの子はもう食べ終わっていて、教室の音が少しずつ大きくなるのに、私の席だけ時間が止まっているみたいだった。
隣の席のテルはもう全部食べ終わっているのに、ずっと座ったままだった。よくわからない。
何も言わない時もあるし、さっきみたいに話しかけてくる時もある。どっちにしても隣で教科書を持ってる。暇なのかな。友達に呼ばれても、笑われても、気にしてないみたいだった。
怪しかった。だって、どうしてそこにいるのかわからないし、何を考えているのかもわからない。普通なら、もっと楽しいところに行くはずなのに。
「ゆっくりでいいから」
それだけ言ってまた黙る。焦らせるってこともなさそうで、ただそこにいる。ほんと意味がわからなかった。だから、たぶん嫌いだった。
でも、その日は最後まで席を立たなかった。私が全部食べ終わるまで、ずっと隣にいた。
変な人だと思った。
―――――
その日の体育で、走ってて転んだ。普通に走ってればいいのに、自分でもわからず無理をしちゃった。
テルはわざわざ逆に走って戻ってくるし。
「アイ、大丈夫か」
「……大丈夫」
嘘。ほんとはヒリヒリしてた。
「すりむいてるじゃん。ほら、先生のとこ行こう」
握手するみたいに立たされる。意外と強引だけど、逃げようとは思わなかった。どうしてかわからないけど、逃げる理由が見つからなかった。
私はたまにドジする。階段で転んだり、忘れ物したり、周りの動きと少しだけずれてしまう。そういう時、テルはだいたい近くにいて、だいたい同じことを言う。
「大丈夫」
でも正直、あまり近づかなくてほしかった。
だってテルは人気がある。顔がいいとか、優しいとか、金髪が珍しいとか、そういうことらしい。だから、テルが私のそばにいると、視線が増える。小さい声で何か言われてる。聞こえないふりしても気になってしまう。
なんであんな暗い子に。ちょっと顔がいいだけのくせに。
しかも私は助けてなんて言っていないのに、テルは来る。呼んでないのに来る。理由もなく来る。そこがやっぱりわからなかった。でも怖いとはちょっと違った。
―――――
気づいたらテルと過ごすことが普通になってた。普通に扱われてて、こそこそ言われるのも減ってた。よく先生もペアにしてくる。何が変わったのかよくわからなかった。だから、ある日「うちに遊びに来る?」って言われた時も、断る理由が思いつかなかった。
「どうだ?」
着いたのは大きな家だった。門もあって、庭があって、こういう綺麗な家は、テレビの中の人が住んでる場所だと思ってた。いいなと思った。ずるいと思った。
こういうところに住んでる人は、きっと困ることなんてないんだろうって思った
「あ、いや、ごめん。入って?」
「入るね?」
中に入ると少しおかしかった。物はちゃんとある。本とか段ボールとかたくさんあって、リビングが倉庫みたいになってた。無駄に高そうな時計の音がやけにうるさく聞こえた。
「お母さんは?」
「そっちなら、えーと、6日前に会えた」
指で数える様子を見せて、テルは困った表情でそう言った。会えたって言ったのに、あまり嬉しそうでもなかった。
「ほら、お金ここに置いてあるからさ。これで何か買って一緒に食べない? 電話したら料理も持ってきてくれるんだ」
何度かお母さんがピザを注文してくれたことがある。あれみたいなものかな。チーズが美味しかったけど、でもお母さんは高いからダメって言ってた。
「高いからダメじゃない?」
「じゃあ俺たちで作る? あっ、それなら何が入ってるかわかるか!」
その時のテルの目は輝いてて、なんだかキラキラしてた。なんで嬉しそうなのかはわからない。その目からは逸らせなかった。なんだかかわいくて、じっと、ただ見ていたかった。
「よしっ、お買いものに行こう!」
お買いものなんて、久しぶりだ。
久しぶりに来るスーパーは、行ったことのない場所だった。誰かのお母さんがたくさんいて、私たちみたいに子どもだけで来てることもなさそう。
「何食べたい?」
「なんでもいいよ?」
食べものの好きキライはいけないからね。
「じゃあ、いっしょに決めよ」
そう言って、わざわざ大きいカートを持ってきたテルは、「いっしょに押してよ」みたいなアピールしてくる。
普段はお母さんと、こういうことやってるのかな。
面白そうな野菜を指差して説明したり、まだ生のお肉のとこで悩んでたり。
おそうざいを買ったら簡単なのに、って言葉は言わないことにした。
「お菓子はどうする? アイならいくらでも買っていいよ」
「じゃあ300円までだね」
お菓子を300円までで選ばせてもらえた。遠足みたいな特別な日なんだろうね。
それを食べながら一緒に帰る。
キッチンは白かった。テルはお母さんみたいに料理してる。最近は料理作ってもらってないなぁ。
テルが「見てて」って言うから、見てた。
「ちょっと恥ずかしいな」
「え? なにが?」
まな板で、トントンってリズムがしてる。結構テレビのお料理番組、好きなんだよね。難しいニュースより、見てて面白かった。
待ってたら見たことない料理がお皿に乗ってた。
「どう?」
「今日も残さないよ?」
たぶんこれは、おでんだね。
玉子が小さくて、キャベツはべちょべちょしてるけど、ウィンナーとブロッコリーはセンスあるね。まあテルが作ってたのを見てたし、スプーンとフォークで心配せずに食べれる。
「そこは美味しいってほめてくれよ」
「じゃあ、おいしい」
そう言ってあげたら照れてて、テルはかわいいなと思った。
―――――
テルと過ごす日々、それは終わるかもしれなかった。
「お母さん、捕まったんだー」
思ったより、口から出た言葉は軽かった。軽すぎて自分でびっくりしてる。
今の自分がどういう顔をしているのか分からない。笑ってる気もするし、泣いてる気もするし、どっちでもない気もする。
「だから、施設に入らないといけないんだって」
テルは勉強できるから、たぶんわかると思う。私は今もよくわかってない。
だって、怖いおばさんたちのところか、テルみたいに自分で生活して、お母さんを待ってたらいいと思ってた。
「……そっか」
テルはそれだけ言った。そんな暗い顔をするなんて、自分のことでもないのに。
「ねぇ、テル」
んー、なんて言おうかな。
いつもテルから話しかけてくれてたのに。
「私がいなくなっても、ちゃんとできる?」
言ってから、本当は逆だと思った。テルはなんでもできそうだし。
「大丈夫だよね?」
大丈夫かっていつも聞いてくれるけど、何が大丈夫なのかな。生活なのか、学校なのか、それとももっと別の何かか。
「俺の心配より、自分の心配しろよ」
「そっか、あはは、そうだねー」
いつも優しいテルが、ちょっぴり怖かった。
笑ってみる。そういう声はちゃんと出てる。テルはいつも笑ってたじゃん。
なんで今日だけ、そんなに笑ってくれないの。
「行くよ」
「え、もう……?」
急にテルがそう言った。いつもゆっくり待ってくれてるのに。
「いや、そうじゃなくて、その施設の名前わかってるだろ?」
「……ん、たぶん」
さすがに覚えなきゃって思ったことだったから。
「絶対に行くから、何回でも行くから」
まっすぐだった。きっと本気だ。
だってテルは嘘をつかない。そう信じたいと私は思ってる。
「離れてても俺たちは親友だけど。でも何度だって会いに行く」
親友って言ってくれた。その言葉は知ってた。でも本当に言ってくれてて、とてもステキな響きがした。
「約束だ」
「じゃあ、約束ね?」
そういうのよく忘れちゃう私だけど。
この約束は、絶対に忘れず、覚えておこうと思った。
ずっと願ってる。この約束は、絶対嘘じゃないって。