貞操逆転世界の退魔師   作:青ヤギ

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蜜毒崩園(みつどくほうえん)

 

 

    * * *

 

 

 進めば進むほど蜜の匂いが増していく。

 ここまで甘ったるい匂いが濃いと、もはや悪臭だ。

 鼻が曲がりそうになるのを堪えながら、俺たちはついに亜空間【胎界】の最奥に辿り着いた。

 

 ただでさえ薄気味の悪い景観だったが。

 そこでは、さらに地獄のような光景が広がっていた。

 

「ママ、ママァ……」

「蜜、蜜、もっと欲しいのぉ」

 

 六角形の穴の中に肉ダルマが埋め込まれていた。

 ……否、雌鬼によって捕らえられた男たちの無惨な姿だった。

 雌鬼を恐れて滅多に外に出ない男たちはほとんどが肥満児だが。

 それにしたって異常な太り方だった。

 

 男たちは六角形の穴に埋め込まれながら、延々と蜜を飲まされている。

 見るからに糖度の高すぎる蜜。

 あんなものを飲まされ続けていれば、体が肥大化するのも無理はない。

 明らかな拷問だというのに、男たちの顔は幸福に満たされていた。

 

「ママ、ママ大好きぃ……」

「もっと大きくなって、ママの餌になるよぉ……」

 

 雌鬼による魅了。

 それによる末期状態に彼らは陥っていた。

 

「救助だ!」

「「「了解!」」」

 

 護衛たちと共に、直ちに救助にかかる。

 幸い、彼らの命に別状はない。

 いまなら、まだ助けることができる。

 

「っ!? 雄護様! 上です!」

「っ!?」

 

 羽月の一声で巨大蜂の襲来を確認する。

 俺たちの脳天に針を突き刺そうとする群れを、墨柘榴で一掃する。

 

「わたくしの可愛い仔たちを事も無げに消し去るだなんて。なんて野蛮なのかしら」

 

 これまでと明らかに異なる気配が近づく。

 巨大な羽音を立てながら現れる異形の影。

 

「ご機嫌よう、退魔師の皆様。ようこそ、わたくしの胎界へ」

 

 下半身には要塞のごとき蜂の巣。

 背には四枚の虫の羽。

 そして……人型に近しい上半身。

 

「コ、コイツは!」

 

 いかなる雌鬼と対峙しても余裕を崩さないユアが声を張り上げる。

 無理もない。

 それは、いままで見たことのない雌鬼だったのだから。

 姿形だけでなく、纏う気配も、内包された霊力の質まで。

 

「わたくしの名は蠱蜜(こみつ)。盛大にもてなしさせていただきますわ──第四等級である、わたくしめがね!」

「っ!?」

 

 戦慄が走る。

 目の前の雌鬼は口にした。

 この世で最も禍々しき称号を。

 

「……第四、等級っ!」

「これが……本当に!?」

 

 羽月も七乃花も声を震わせる。

 確かに、目の前の雌鬼は第三等級にしては小型だ。

 過去のデータで見た第四等級の姿に酷似している。

 

 ついに。

 ついに現れた。

 雌鬼の最上位が。

 

「今宵は宴ですの。熟成させてきた殿方たちをおいしくいただくところですのに、勝手に持ち出されては困りますわ」

 

 雌鬼の下半身。

 無数にある六角形の穴から巨大蜂が次々と出現する。

 いつでも針を突き刺せるように、雌鬼の周りで滞空する。

 

「あらあら? でも……くくく、もっとおいしそうな殿方がやって参りましたわね?」

 

 じゅるり、と妖艶に舌舐めずりをする蜂型の雌鬼、蠱蜜(こみつ)

 蜜のようにネットリとした視線が俺に注がれる。

 

「わたくし、味にはうるさいんですの。あなたを熟成させて召し上がったほうがよっぽど有意義かもしれませんわ~。ああ、でしたら~」

 

 巨大蜂の群れが、一般人たちに向けて針を向ける。

 

「駄肉はもう用済みかしら~?」

「させるかよ」

 

 囚われた男たちに疾走しようとする巨大蜂。

 瞬時に墨で消し去る。

 

 あの雌鬼はすでに捕らえた男たちに執着していない。

 もはや彼らの安全は保障できなくなった。

 

「役割を決める。ユアと七乃花は一般人の救出と護衛。俺と羽月でヤツを討伐する」

「そんな! ふたりで戦う気!?」

「相手は第四等級ですよ!?」

 

 前線から外されたユアと七乃花が抗議の声を上げる。

 確かに相手は未知数の相手だ。

 戦力の分散は得策ではない。

 

 だからといって、一般人を戦いに巻き込むわけにはいかない。

 戦闘による周辺への被害がどれほどものになるか、わかったものではないのだから。

 機敏に対応できるユア。守りに特化した七乃花が適任だ。

 

「一般人の安全が最優先だ」

「でも!」

「そもそも雌鬼を滅ぼすのであれば、アレは今後避けて通れない相手だ」

「それは、そうだけど……」

「同じような状況はこれからも起きるだろう。少人数でも対応できるようにならなければならない」

「雄護くん……」

「お前たちも覚悟を固めろ。全員で生きて帰還するんだ」

 

 俺の言葉を受け取ったユアと七乃花は、意を決した顔つきで頷く。

 

「死なないでよね」

「どうかお気を付けて」

 

 二手に分散し、俺と羽月は雌鬼へと接近する。

 

「羽月。お前は引き続き奇襲の感知に努めろ」

「はっ!」

 

 感知能力だけならば、いまの羽月は俺以上だ。

 勝率を少しでも上げるためにも、その感知を最善に活かしてもらう。

 普段ならば単独で挑むところだが、相手は第四等級だ。

 一般人たちの命がかかっている以上、意気地になっている場合ではない。

 

「まぁ嬉しいわ。あなたのほうから食べられに来てくださるだなんて」

 

 蠱蜜(こみつ)から禍々しい霊力が膨れ上がる。

 

「わたくしの力で、おいしく調理させていただきますわ!」

「これは……艶術(えんじゅつ)が来ます雄護様!」

 

 ──艶術(えんじゅつ)蜜毒崩園(みつどくほうえん)

 

 羽月の呼びかけと同時に艶術が発動。

 足場がとつぜん泥濘になったかのように体が沈む。

 

「これは……蜜!?」

 

 泥のような粘液は大量の蜂蜜だった。

 粘り気の強い蜜は俺たちの下半身を瞬く間に呑み込み、身動きを封じる。

 

 すぐに脱出を試みる。

 だが……心がそれを拒む。

 もっと、この蜜の匂いを嗅いでいたい。

 そんな狂おしいほどの衝動が込み上げる。

 

「あ、ああ、なんて、おいしそうな蜜なんでしょう……」

 

 羽月も恍惚とした顔で蜜に魅入っていた。

 

「さあ、存分に召し上がれ。その蜜無しでは生きられない体にしてさしあげますわ」

 

 頭上で蠱蜜がクツクツと嗤う。

 

 強制的に蜜に依存させる。

 これがヤツの艶術か。

 物理的に拘束するだけでなく、精神的にも束縛させる魔の蜜だ。

 

「くっ……消し去れ──【墨柘榴】!」

 

 残された理性を振り絞って、墨柘榴の墨を展開する。

 蜜だけでなく、俺と羽月の体をも包み込んで浄化を開始。

 

「なっ!? わたくしの艶術を一瞬で!」

 

 拘束から抜け出し、蜜への依存心も消し去った。

 

「羽月、動けるな?」

「は、はい!」

 

 ヤツの能力を考えれば長期戦は不利だ。

 一撃で仕留めるしかない。

 

「雄護様! ヤツの弱所は腹部です!」

 

 赤い瞳を光らせながら羽月がそう告げる。

 相手の弱所を見抜く【赤の魔眼】。

 攻撃すべき場所さえわかれば、その一点を狙うのみ。

 

 【金の魔眼】を発動。

 次の一手を与えるまでもなく、一瞬で勝負をつける。

 

「っ!?」

 

 だが俺の手の動きは止まった。

 止めざるをえなかった。

 

「雄護様?」

「雌鬼め。汚い手を」

「え?」

 

 弱所の腹部を隠すように、蠱蜜は手を前に差し出した。

 一般人の男性を握った手を。

 

「賢明ですわね退魔師さん。そのまま動かないでくださいまし。さもないと、この男の命はありませんわ」

「ひ、ひぃぃ、た、助けてくれぇ……」

 

 小太りの少年が涙と小便を垂らしながら懇願する。

 異様に肥大化した男たちと比べると、まだ人間らしい体型でいる。

 恐らく、今夜攫われたばかりの少年だろう。

 

「わたくし争いは好みませんの。ここは交渉で穏便に済ませんこと?」

「交渉だと?」

「あなた、わたくしの(つがい)になりませんか?」

 

 うっとりとした顔で蠱蜜が誘いの手を差し伸べる。

 

「その条件を呑んでくだされば捕らえた男たちは解放いたします。他の退魔師にも手を出さないと約束しましょう」

「つまり、俺の命と引き換えか」

「いいえ、ご安心なさって。(つがい)といっても命までは取りませんわ。むしろ生かし続けてさしあげます。第四等級の力ならば、そうすることも可能ですの」

「信じられないな」

「不可能を可能にするからこそ第四等級なのです! わたくしなら永遠の命を与えることだってできる!」

 

 蠱蜜(こみつ)は興奮気味に語る。

 

「死は怖いでしょ? わたくしがその恐怖から解放してさしあげます! 永遠に生きながら、わたくしと交わり、快楽に溺れましょう!」

「お、おい! そこの男、退魔師なんだな!? さっさと頷けよ! 俺たちを守るのが退魔師の役目だろ!?」

 

 交渉内容を聞いていた小太りの少年が騒ぎ始める。

 

「死なねえなら別にいいじゃねえか! 早くこのバケモンの餌になって俺たちを解放してくれよ! ぴぎぃぃぃぃぃ!?」

「大事な交渉の最中に割り込まないでくださいます、子豚さん?」

 

 小太りの少年の体に蠱蜜の爪が食い込む。

 

「おい! お前こそ交渉中に一般人に手を出すな!」

「あら失礼。あまりにも不快だったもので。本当にここ数百年、このような醜い男ばかりで困ってしまいますわ」

 

 心底呆れた様子で、蠱蜜は小太りの少年に侮蔑の目を向ける。

 

「昔の殿方はもっと根気強く、高潔な精神をお持ちでしたわ。ところがどうでしょう? いまの若い男の、この情けないお姿ときたら」

「痛いぃ! 痛いよママぁ! 血が出てるよぉ! 死んじゃうよぉ!」

「ああ、みっともない悲鳴。他者を思いやらず、自分のことしか考えない。身も心も汚らしい。正直、食べ応えがありませんのよね」

「ならさっさと解放しろ」

「ええ、あなたがわたくしの(つがい)となってくれればすぐにでも」

「雄護様! なりません! そんな条件を受け入れては!」

 

 背後の羽月が声を張り上げる。

 

「黙っていろ羽月」

「しかし!」

「いいから、そこを動くな! ……わかったな?」

「っ!? ……はい」

 

 強い目線を配る。

 羽月はハッとした顔を浮かべると、静かに頷いた。

 

「……いいだろう。条件を呑む」

「ああ! 嬉しいですわ! こんな価値の無いゴミのために身を差し出すなんて! なんと気高いの! あなたのような高潔な殿方を待ち侘びていたのです!」

「命に貴賤はない。どんな人間だろうと見捨てれば俺が俺でなくなる。ただそれだけだ」

「尊い……尊いですわ、あなた! 約束しますわ! わたくし、もうあなた以外の殿方に手を出しませんことよ!」

 

 交渉は成立した。

 鬼哭刀を手から離し、丸腰で蠱蜜(こみつ)のもとへ向かう。

 

「人質を解放しろ」

「ええ。喜んで」

「ぴぃ!」

 

 汚らしいものを捨てるように、小太りの少年は投げ飛ばされた。

 

「ユア! 七乃花!」

 

 救助を終えて護衛に徹していたユアと七乃花が少年を無事にキャッチする。

 それを見届けて、再び蠱蜜(こみつ)と向き合う。

 

「そういえば名前を聞いていませんでしたわね。教えてくださる?」

「黒井戸雄護」

 

 名乗り、そして──合図を送る。

 

「お前を滅する男の名だ」

「っ!?」

 

 赤い一匹の蝶が蠱蜜(こみつ)の体に止まる。

 たちまち爆炎が燃え上がった。

 

「ギャアアアアアア!!!?」

 

 火達磨になる蠱蜜(こみつ)

 下半身の蜂の巣から、巨大蜂が奇声を上げながら燃え落ちていく。

 

 ……ナイスタイミングだ、羽月!

 

「雄護様! 鬼哭刀を!」

 

 羽月が墨柘榴を投げる。

 空中で柄を掴み、刃を構える。

 

「終わりだ」

 

 弱所の腹部に向けて一閃。

 そうして勝負は決した。

 

「そんな、バカ、なっ……!?」

 

 真っ二つとなった蠱蜜が地に伏す。

 その体が徐々に消滅していく。

 

「よくやった羽月。作戦通りだ」

「お役に立てて光栄です、雄護様!」

 

 俺に貢献できたことがよほど喜ばしいのか、羽月は幼児のように目を輝かせていた。

 

「さ、作戦!? これを、狙っていたというの!? で、でも、どうやってその女に伝えたというの!? そんな時間はなかったはず!」

「べつに難しいことじゃない。墨柘榴の墨を本来の使い方で使っただけだ」

「な、なに? ……っ!? まさか!」

「そう。文字さ」

 

【俺が丸腰になって敵が油断したところを紅鳳蝶で奇襲。その後、墨柘榴を投げろ】

 

 俺は背後にいる羽月に、そう指示を出した。

 空中に文字を浮かべて。

 墨柘榴の墨ならば、それくらい造作もない。

 

「お、おのれぇ! あと少しで……あと少しで第四等級になれたはずなのに!」

「やはり、お前、第四等級じゃないな?」

「あ……」

「第四等級にしては弱すぎる。いわゆる、なりかけの状態だな?」

 

 違和感はあった。

 上半身は確かに第四等級に酷似している。

 だが人型であることが特徴的であるはずの第四等級にしては、中途半端な形態だと思っていた。

 

 つまりコイツは第四等級を自称しているだけの半端者だ。

 第三等級としては上位に位置するのだろう。

 だが第三等級である以上、俺たちの敵ではない。

 

「いやぁ……いやよ! なれた、はずなのに! 雄護! あなたの霊力を喰らえば、わたくしは第四等級に!」

「気安く名を呼ぶな。不愉快だ」

「がぁっ……」

 

 頭部に刃を突き刺す。

 蠱蜜の体はそうして完全に消滅した。

 亜空間である胎界も泡沫のように弾け、現実の空間へと戻る。

 

「任務完了だ」

 

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