* * *
退魔庁では緊急アラートがけたたましく鳴り響いていた。
「何事だ!?」
退魔総督、
「総督! B地区にて雌鬼による強大な霊力の発生を確認!」
「この霊力値は……い、いままでに見たことのない数値です!」
「なんだと!?」
退魔庁のレーダー探知は常時雌鬼の出現を知らせている。
モニターに映る街の俯瞰図。
その図の一点だけ、異様に高い霊力値が数字として浮かび上がっていた。
レーダー探知は正常に作動している。
数字は嘘をついていない。
警報レベルはすでにMAX。
即ち、それほどの雌鬼が現れたということ。
「まさか、ついに現れたか……第四等級!」
20年、ついぞ姿を現さなかった災厄の化身。
これほどまでに異常な数値である。
他に考えられない。
悪夢のような現実を前に、しかし倫子は冷静さを失わず、総督として指示を飛ばす。
「非常事態宣言発令! 直ちに周辺区域の建築物を地下シェルターに収容せよ!」
「りょ、了解!」
建築物には雌鬼の攻撃を防ぐ結界が張られている。
だが、その耐久限度を超えるであろう敵が襲来した場合、建築物ごと地下シェルターに下降させ、迅速に避難を完了させる。
定期的に避難訓練の実施をしていたおかげもあり、下降機は無事に作動した。
ひとまず民間人の安全はこれで確保された。
(あの夜以来、また使うときが来るとは……)
倫子の頭に3年前の出来事がよぎる。
親友を失った、雌鬼の大侵攻。
倫子は胸元を握りしめ、歯噛みする。
(あんな思いはもう二度と……死なせんぞ! 誰ひとりとして!)
総督として倫子は覚悟を固める。
「現場に退魔師はいるか!?」
「確認します! ……現在、黒井戸班が雌鬼と対峙中!」
「っ!?」
倫子にとって親友の忘れ形見であり、息子同然に愛しい少年。
その彼が、いま第四等級と?
「迎撃システムをすべて作動しろ!」
「すべて!? そんなことをしては、民間の電力が当面不足を……」
「責任は私が持つ! 雌鬼の討伐を最優先だ!」
「りょ、了解!」
「各班にも通達! 現状動ける退魔師を可能な限り応援に向かわせるんだ!」
同じ過ちを二度と繰り返してはならない。
戦いから退いた自分には、ここで指示を送ることしかできない。
だからこそ己に与えられた権力を最大限に活かす。
総督として民間人の命を守るため。
そして……愛する我が子を守るため。
(頼む、どうか死なないでくれ……ユウたん!)
* * *
白風ユアの人生は、雌鬼との戦いの日々だった。
ユア自身、そんな人生に不満はない。
どんな雌鬼だろうと嬉々と戦ってきた。
生死のやり取りに、刺激を見出してきた。
……だが、いまになって思う。
それは、ただ恐怖を誤魔化すために、そう自分に思い込ませていただけだったのかもしれない。
圧倒的な上位存在。
死を想起させる絶望。
それを前にしたとき、生物はどうあっても震え上がる。
そこに楽しみを見出すなど、正気の沙汰ではない。
(ああ、そうか。私も、本当は怖かったんだ)
握る刀が震える。
無性に実家の母に会いたくなってきた。
子どものように泣きつきたい。
力強く抱きしめて、この震えを止めてほしい。
『非常事態宣言が発令されました! 本区域は間もなく地下シェルターへ収容します! 外出中のかたは直ちに近くの建物の中に避難! または地下階段、緊急エレベーターをお使いください!』
「っ!?」
サイレンが鳴り響いた拍子に、ユアは正気を取り戻した。
自分たちの背後にはまだ、気絶している男たちがいることを思い出す。
「お前ら……邪魔っ!」
人体が浮き上がるほどの風を起こす。
建築物が地下へ下降する前に、男たちを一般家屋の庭や玄関に適当に放り込んでいく。
男たちを乗せて、すべての建築物が地下シェルターに向かう。
あとのことは地下に避難したであろう退魔庁の職員たちに任せればいい。
邪魔者はいなくなった。
ひとまず、これで戦いに集中ができる。
(……戦い? 戦いになるの? 本当に?)
まだ刃も交わしていない。
それでもユアにはわかる。
目の前の敵が、かつてない力を秘めたバケモノだということを。
見た目は、ただの人間だというのに。
……そう。人間だ。
雌鬼でありながら、ソレは人間の女の姿をしている。
「あらあら! 街が随分と広くなったわね! 私のためにこんな舞台を用意してくれてありがとう!」
雌鬼が地上に降りてくる。
優雅に歩く姿も、艶然と微笑む顔も、人間のソレだ。
だが、こちらに近づいてくるたび、喉から心臓が飛び出てきそうな恐怖が襲う。
「な、何なの……お前は……」
ユアは必死に声を絞り出す。
そうしなければ、いまにも意識が持っていかれそうだった。
「あら、さっきも言ったでしょう? 私は
「第四等級……だったら、その姿は、いったい……」
「うふふ。驚いているようね、この美しい姿に」
雌鬼が赤い髪をはらうと、赤い花びらと、甘いバラの香りが漂った。
「どうかしら? 20年かけて生まれ変わった私の姿は」
「20年?」
「ええ。完全に体を組み替えるのに、それだけかかってしまったわ」
第四等級の雌鬼──
「でも時間をかけた甲斐があったわ。とても耐えられなかったもの。あんな醜い姿で在り続けるだなんて」
「何を……」
何を、言っているのか。バケモノの分際で。
そう言いかけたユアの口は閉じた。
口にすれば、殺されると感じた。
「そう。この姿こそ、第四等級としての真の姿。あなたがたが知る第四等級は、不完全な状態だったのよ」
「そん、な……」
祖母の世代から聞かされ続けていた、第四等級の恐ろしさ。
他の雌鬼と一線を画す脅威。
だがそれすらも……不完全なものだったというのか?
「より強く、より美しく在ること。それが私たち、第四等級としての誇りなのよ!」
ただそれだけで。
アスファルトがヒビ割れるほどの地響きが起きた。
「かはっ!?」
異常な威圧を前にユアはついに跪いた。
「うっ……うぇぇぇっ」
「怖い……怖い怖い怖いっ……怖いよ、姉さん」
羽月は胃液を吐き出し、七乃花は恐怖のあまり幼児のように泣きだした。
「あらあら。乙女がそんな振る舞いをしては美しくないわよ?」
直立しているのは、もはや雄護だけだった。
「雄護と言ったかしら? やはりあなたは別格のようね。私を前にしても毅然としているだなんて。ますます気に入ったわ」
「安心して? 今日は戦いに来たわけじゃないの。雄護、あなたに伝えたいことがあってきたの」
赤い長手袋をつけた手が、そっと雄護に向けて差し出される。
「雄護──私の夫になってくださらない?」
まるで乙女のような表情で、
「あなたを、ずっと見ていたの。強く、気高く、そして身も心も美しい! そんなあなたを、とても愛おしく思ったわ!」
瞳をトロンと艶光らせて、恍惚と打ち震える
「第四等級になったことで気づいたの! 欲望のままに男を喰らうことが、いかに虚しいか! いかに品性に欠けるか!」
本気で過去を悔やむ罪人のように
涙まで流して。
「愚かだった! 醜かった! だから……こうして美しく生まれ変わったのよ! あなたのような殿方と愛し合うために!」
涙はあっという間に引っ込み、眩い笑顔が満ちる。
「一方的に命を奪うなんて、もうしたくない! 私は愛したい! そして愛されたい! 雄護! あなたと夫婦になって愛に溺れたいの!」
頬を赤く滲ませて、夢見るように
「この感情こそ、この姿こそ、進化の証! いまならわかる! 私たち雌鬼は、愛しい男と永遠に愛し合うべく生まれ、等級を上げてきたのだと!」
狂気染みた笑顔だった。
己が言うことこそが真理なのだと。
一切の疑いもなく信じた目だった。
「雄護! あなたこそ私の運命の相手! あなたと結ばれることで、私は雌鬼として完全に至れる! だからお願い! 私の思いに応えて! 私の夫となり永遠の愛を……」
「……は?」
地下シェルターへと収容された建築物の代わりに、次々と出現する砲台の山。
退魔庁による、雌鬼迎撃システムだった。
砲台から霊力を帯びた弾丸が放たれる。
味方には当たらず、雌鬼に直撃するまで追尾し続ける。
そう術式を組まれた弾丸が、豪雨のように
だが……。
「無粋」
圧倒的な集中砲火を浴びながら、
赤く光る障壁。
霊力によって編まれた障壁が、砲撃を防いだのだった。
「過去にはなかった兵器ね。よく造られているようだけど……美しくないわ」
ここへきて、初めて
「私の告白を邪魔しないでくれる?」
空間が歪んだ。
比喩ではなく、文字通り。
歪曲に巻き込まれた砲台がぐにゃりと形を変える。
立て続けに巻き上がる爆炎。
すべての迎撃システムが、一瞬で破壊された。
たちまち周囲が、紅蓮色の焼け野原となる。
地獄のような光景を、少女たちは絶望的な顔で見ていた。
「嘘……」
「たった、一振りで……」
「これが、第四等級……」
もはや人智の及ばない力の規模だった。
第三等級など、小動物に過ぎなかった。
そう錯覚するほどの力量差。
(たった、ひとつだけじゃない。たった、ひとつ等級が上がっただけで、コレなの?)
ユアは生まれて初めて己の出生を憎んだ。
どうして自分は退魔師に生まれてしまったのだろう?
これから、こんなバケモノの相手をしなくてはならないというのか?
(『力の次元が違う』……なんて言葉じゃ済まされない。『存在としての規模』が違う!)
滅ぼせるのか?
こんな神に等しい存在を。
人の手で?
……無理だ。
自分たちでは、勝てない。
勝てるわけがない。
少女たちの心は、すでに折れかけていた。
「ふぅ。待たせてごめんなさい雄護! さあ、お返事を聞かせて! 私の夫となってくださるか……」
「消せ──【墨柘榴】」
墨の激流。
アスファルトを砕きながら、黒い波が疾走する。
「あら」
障壁はガラスのようにパリンと弾けた。
「私の【霊障壁】を一瞬で破壊するだなんて……素晴らしいわ雄護! ますます惚れたわ! やはりあなたを夫にする! お願い頷いて! 私と婚姻を結ぶと!」
「滅ぼせ──【墨柘榴】」
「あん。つれないわね」
即座の追撃も
「ふぅ、ふぅ……っ!」
「ゆ、雄護様?」
「雄護?」
「雄護くん?」
少女たちは感じる。
雄護から、かつてない霊力が立ちのぼっているのを。
「……ヤツを、滅ぼせ」
「え?」
「誰でもいい……俺たちの手でいますぐ、ヤツを滅ぼすぞ!」
雄護の尋常にならざる気迫を前に、少女たちは打ちのめされる。
あの雄護ですら、ここまで殺気立ち、危機感を募らせるほどの敵。
改めて、
「アレは……この場で消さないとダメだ!!」
「「「っ!?」」」
少女たちの恐怖は消えない。
だが……風前の灯火であった闘志が再燃していく。
雄護の逞しい背中が、少女たちに勇気を与える。
雄護は、まだ戦う気でいる。
心が折れることなく、あのバケモノ相手に。
ならば、護衛である自分たちも立ち上がらなければならない。
大切な少年を守るために。
「そうよ……あんな人の形を真似たバケモノに、雄護様は渡さない!」
「何が『愛』さ。何が『夫婦』さ。男を散々喰ってきておいて偉そうに。だんだんと腹が立ってきた」
「同感です。雄護くんを狙う穢らわしい雌鬼は、すべて滅ぼさなくては!」
いまも尚、凄まじい気を放つ雄護と共に、少女たちは鬼哭刀を構えた。
* * *
勃起が止まらねえぇぇぇぇ!!!
ふざけんな!
何だ、あのドスケベな雌鬼は!?
第四等級があんな爆乳美女に進化するなんて、聞いてないぞ!
何だ、あのバカでかい乳!?
何だ、あのスリット越しの生足!
何だ、あのフェロモンむんむんの色香!
エッッッッッッッッッッッロ!?
何もかもがエロ!?
まずいまずいまずい!
一瞬でもヤツのプロポーズに「うん」って頷きそうになったぞ!
……滅ぼさなくては。
いまここでヤツを滅ぼさないと、俺は誘惑に負ける!
あのドスケベな雌鬼と永遠にエロエロな日々を送ることになってしまう!
……いきり立つな息子!
想像するな俺のスケベ心!
雌鬼は母さんの仇だ!
見た目がどんなにエロいお姉さんでも、絶対に屈してはならないんだ!
「(天国の母さん! 俺に力をくれ! ヤツの誘惑を振り払う力をぉぉぉ!)」
俺の理性が尽きる前に、戦いを終わらせてみせる!
まさに、かつてない最大の危機。
復讐心と、性欲と、決意を胸に。
俺は、第四等級・
……くそっ!
おっぱいにしか目が行かねえ!!