「――ミリア・フォン・アンシュバルツ第三王女。貴様には国家転覆の疑いがある」
玉座の間に、年若い青年の声が反響する。獅子のような金髪の隙間から覗く瞳には、罪人への憎悪がありありと浮かんでいた。
途端、異様などよめきに満ちる玉座の間。参列するのはいずれも名のある大貴族ばかり。宮廷内では手練手管で名を馳せる彼らも、今だけはお互いに顔を見合わせながら、困惑と驚きを露にしていた。
「エドリック殿下。いささか勘違いがあるように思われますわ」
涼やかな声色が室内に響いた。貴族といっても中年男性ばかりの宮廷の中で、場違いなほどに澄んだ少女の声。
王国法において最も重い罪状を告げられた少女は、自慢のブロンドヘアを揺らし、しかして一切の動揺をにじませることなく反論した。
「わたくしがよからぬことを企んでいるという、証拠はございますの?」
「証拠も何も――その肉体が何よりの証拠だろう!」
「仕上がってますでしょう?」
「仕上がり過ぎだバカ! 守られる立場の姫が、近衛より力自慢でどうする!?」
エドリックと呼ばれた金髪の青年が、玉座の前にひざまずく少女を指さした。そこに佇む影は、少女と呼ぶのもはばかられる、この場の誰よりも男らしい筋骨隆々の巨躯。
本来そこにあるべき脂肪をすべて燃焼しつくしてしまったかのように発達した大胸筋。王国に誇る名峰を想起させるほど隆起した上腕二頭筋。背中に大きく開いたスリットから覗く、鬼面のごとき広背筋。
言うなれば『漢』とでも呼ぼうか。姫というよりも歴戦の強者、姫を魔王から救いに来た戦士だと言われた方がまだ信じられるくらいには屈強な体格を有するこの女性こそ、断罪のただなかにある人物――ミリア・フォン・アンシュバルツであった。
「力自慢が反逆の証拠になると? であればそこの騎士団長殿も、反逆の恐れがあるのではなくて?」
「お前のは度が過ぎてるんだ! その怪力で何度城の備品を壊した!?」
「あの程度で壊れる設備など、わたくしには必要なくってよ」
「俺には必要なの! それに、お前の日用品もなんだ!? ティーカップを証拠として押収しようとした兵士の肩が外れて治癒師を呼ぶ大騒ぎだ!」
「筋肉は細部にこそ宿るんですのよ? 日頃から鍛えるのが常識ではなくって?」
「生まれも育ちもこの国だが、そんな常識聞いたこともない!」
めまいをこらえるふうにエドリックが額を押さえる。ミリアはその様子を何と勘違いしたのか。
「お兄様。立ち眩みには下半身を鍛えるのが効果的でしてよ」
「聞いていない。それとお兄様ではなく殿下だ」
「あら、わたくしとしたことが」
失敬、と。口元に手を当てるしぐさはしとやかで気品に溢れている。あるいは煽情的ですらあったかもしれない。その手にバキバキの血管が浮かんでいなければだが。
エドリックは長い長い溜息を吐く。周囲には、未だ信じがたいとでも言いたげな表情で事の成り行きを見守る貴族たちがいる。ミリアの立場を決定づけるには、またとない舞台だった。
改めて咳ばらいを一つした彼は、隣に控える赤毛の少女を「おい」と呼びつける。
人材確保に余念のないエドリックが最近になって取り立てた、下級貴族の息女だ。なんでも新しい魔法を開発したとか言う噂だったか。魔導に疎いミリアにはいまいち凄さが分からない。
色白で線の細い、触れれば折れてしまいそうな儚さをまとった少女だった。ミリアは、彼女のウエストと同等の太さを持つ自身の腕に視線を向ける。
筋張ったこの体は、お世辞にも可愛らしいとは言えない。それに比べると、あの子はなんて、なんて――。
――ああ、なんて頼りない肉体! かわいそうに。きっと、上質なタンパク質を摂取できずに育ちなさったのね。人間を筋肉のための土台だとしか思っていないミリアは、本気で赤毛の少女を憐れんでいた。
エドリックは赤毛の彼女からなにやらスクロールを受け取ると、それを胸の前で広げ、朗々と読み上げる。
「お前が陛下に行った非道の数々がここには記されている。何か申し開きがあるのなら言ってみろ。――第一に。陛下の愛飲するブランデーに、薬物を混入させた」
「プロテインの粉末ですわ殿下。確かに、陛下ほど高齢の方に飲ませるには、少し強心作用が強かと反省しております」
「第二に。日常的に、『指定の場所に来ないと大変なことになるぞ』と陛下を脅迫していた」
「無論筋トレは継続が命ですから。一日足りとてジムでのトレーニングを休ませることなどできません。例えそれが陛下であろうと」
「第三に。嫌がる陛下の訴えを無視し、ファラリスの牡牛に押し込めた!」
「適切に使えば、個室サウナとして便利ですのよアレ。陛下もそれ以降愛用してらっしゃいます」
「ふざけるな!」
エドリックは我慢ならないとばかりに叫んで、手にしたスクロールをミリアに思い切り投げつける。彼女は飛来するそれを指先だけでつまんで止めてみせた。
鍛え上げられた筋肉は単なる見せ筋ではない。思わず感嘆の声を上げた貴族がエドリックに厳しく睨みつけられ、慌てて体を小さく丸めた。問い詰める怒声は勢いをさらに増して。
「事実、陛下は病床に臥せっておられる! これがお前の仕業でなくて何だというんだ!」
「あら、良いことではありませんの」
「なっ……。なんて不謹慎な……! 尻尾を出したな、性悪め!」
「筋肉痛は超回復の兆しでしてよ。新たな筋繊維の誕生を讃えましょう!」
「讃えるかバカ!」
王家に生まれ、幼いころから指導されてきた口調が乱れるほどにエドリックが激昂する。ここまで話が通じないのも流石にかわいそうだと、貴族たちが哀れみの視線を向けていた。
肩で息をする彼をよそに、ミリアは飄々とした態度を崩さない。荒々しい外見とは裏腹に、冷静な口調で自身の疑いを晴らすべく弁論を続ける。
「そもそも、わたくしが反乱を起こす理由がありまして? わたくしが欲しいのは
「どうだか。興味のないフリをして、腹の中では……なんて、政治の世界じゃよくあることだ」
「なるほど。筋肉は裏切りませんが、人の裏切りは世の常ですものね」
「何がなるほどなのか分からんがまあいい」
得心がいったふうに手を叩くミリア。納得に至ったロジックはともかく。
「かけられた嫌疑についての確認は? 陛下ならば、同意があったと証言してくれるはずですわ」
「陛下とて人の親。実の子供には情けを掛けたくなるのが人情だろう。証言に信ぴょう性があるとは言い切れんな」
「それも一理ありますわね。仕方ありません。かくなるうえは拳で語り合うしか……」
「へ、陛下に飽き足らず俺の命まで狙う気か!? 衛兵、衛兵ーっ!」
片膝をついてやおら立ち上がり、関節をポキポキ鳴らし出したミリアの姿にエドリックが焦りを露にする。大慌てで控えさせていた衛兵を呼びつけ、自身の周囲を固めさせる。
ミリアが輪をかけて異常なだけで、王族は本来国が滅びるその直前まで守りぬかれるべき存在であり、彼らが戦わないといけない状況などそれこそ滅びと同義。それが当たり前だった。
故に王族の戦闘経験が皆無なのも、鍛えていないのも当然のこと。目の前のムキムキが外れ値すぎる。王国の分厚い歴史書をどれだけさかのぼってもこんなバケモンはいない。
儀礼的な剣術の心得こそあれ、平均的な王国の成人男性程度の体格しかないエドリック。対してオーガも泣いて逃げ出しかねないフィジカルを誇るミリア。
正面切って殴り合えば、どんな結末になるだろう。少なくともハンバーグは二度と食べられなくなること請け合いである。
「もう。ほんの冗談ですのに」
「お前が言うと冗談にならないんだよ……!」
「自信のなさは
「筋トレ好きってなんでそんな筋トレを神聖視してんの? 別に万能じゃないからな?」
衛兵の後ろから恐る恐る顔だけのぞかせたエドリックが疑問を呈す。
トレーニーの筋トレ信仰はもはや狂信じみていると言っていい。なんで筋トレするだけで集中力が増して幸せになって性格が明るくなるんだよ。字面だけ見たらほぼドラッグじゃねえか。神経伝達物質がうんぬんというなら、理屈は同じなのかもしれないが。
「これ以上こんな危険な奴と同じ空間にいられるか! とにかく、疑いが晴れるまで勝手は許さん! 衛兵たち、そいつを地下牢へ連れて行け!」
「殿下、しかし……」
「くどい。それとも、俺の命令が聞けないと?」
「そういうわけでは……」
衛兵の視線がエドリックとミリアを往復する。彼らはエドリックを守るように立ち回ってはいるものの、戦闘態勢にあるわけではない。腰に提げた剣は鞘から抜かれぬままその役目を待っていた。
疑いが掛けられているとはいえ、ミリアは第三王女。いかに体格に優れようと、衛兵たちにとってみれば守るべき貴人である。それに剣を向けるにはいささか抵抗があった。
というかそもそも戦闘になったところで勝ち目がない。かつてミリアと彼らは訓練とは名ばかりのスパーリングをしたことがある。結果――自信喪失による退職者が出るくらいにはボコされた。
そんな経験のある衛兵たちは、誰もが思っていた。「こいつを捕縛するのなんて無理だろ」と。
命は惜しい。だからといって王子の命令を無視するわけにはいかない。葛藤の中、衛兵たちはどうしようかと互いに目配せし合う。
その様子に、やがて堪忍袋の緒が切れたらしいエドリックが罵声を浴びせようと口を開きかけたところで。膠着を破ったのは他でもないミリアだった。
「――良いでしょう。衛兵。案内しなさい」
「姫様、何を……!?」
「ここで押し問答を続けるのもみっともないですもの。その代わり、正当な調査をお願いいたしますわね? 殿下?」
「……ああ、約束しよう」
ミリアの訴えに衛兵たちが瞠目する。応じる声は硬く、真意を読み取らせない。
「行け」
「……はっ。姫、失礼します」
「エスコート、期待しておりますわよ?」
エドリックが小さく顎をしゃくって、ミリアを連れて行くよう衛兵たちに命じる。統率された動作により、彼女はたちまちのうちに取り囲まれる。
それでもなお、ミリアは淑女のとしての立ち振る舞いを崩さない。たおやかな笑顔を浮かべた彼女は、スカートの端をつまんで優雅にカーテシーを……。いや違う。上体を自然に丸め、両腕を軽く広げたフロントリラックスの姿勢だった。
しかし、体前面の筋肉を見せつけるポージングをしれっと混ぜ込んでいることなど違和感にすらならないほど、どこまでしとやかに。完璧なまでの所作でもって、政敵に、断罪者に、傍観するだけの貴族たちに別れを告げた。
「それではみなさんごきげんよう――。またどこかで」
エトワールと呼ばれるバレエダンサーの頂点は、日々体幹トレーニングを欠かさないという。
白鳥が水面下で激しく水をかいているように、美しい姿勢にはそれを支えるだけの努力が隠されている。強靭なインナーマッスルに裏打ちされた左右対称かつ直線的な一礼は、あらゆる美女を見尽くした貴族たちさえ見惚れるほどだった。
筋骨隆々な女性が完璧な所作を披露するという、異様な光景に言葉を失ったわけでは決してない。はずだ。多分。
そうして別れを済ませたミリアは、衛兵に引き連れられながら地下牢へと向かっていった。そのたくましい背中を見つめるエドリックの口元には、薄い笑みが浮かんでいた。
*
囚人たちは気が立っていた。正確に言えば、興奮していた。
日の当たらない地下牢はじめじめとして冷ややかで、慈愛という言葉から最も離れた場所のように思えた。石畳の通路を挟んで、鉄格子と分厚い石壁で区切られた個室が画一的に並んでいる。
がしゃりと、鉄格子のうち一つが音を立てて揺れた。喜色の混じった、男の低い声ががなりたてる。
「おい、聞いたか? 地下牢に女が入ってくるってよ」
「聞いた聞いた。それも元王族の……いや、まだ決まった訳じゃないんだったか? まあどっちでもいい」
「ああ。大事なのはそこじゃねえ。くくく……。ここにいたんじゃ娯楽なんて何もねぇからな。使うのが楽しみだぜ」
「おいおい。また刑期が伸びちまうぞ? まあ、外にいてもやることは変わらねぇがな!」
下卑た笑いが閉鎖的な空間に反響して、あらゆる方向から笑われているように聞こえる。それにつられてか、隣と、その隣の牢に入れられている男たちも笑った。
類は友を呼ぶ、あるいは同族嫌悪。ここにいるのは、日頃揉め事ばかり起こしている荒くれもののばかり。だからこそというべきなのか、こういうときに限っては全員の思考が一致していた。
彼らがまともな女性を見るのは何年ぶりだろうか。聞く限り若い、しかも貴族の女。薄汚い欲望を隠し切れない囚人たちは下世話な話を続ける。
「最初は一番年季の長い俺だろ?」
「バカ言え。テメエのあとじゃ使う気にもならねえ。ここは平等にジャンケンで――」
「――静かにしろ! 看守が来た」
その一声で、地下牢は水を打ったように静かになる。ここでの生活で得た、反射的な行動だった。
かつん、かつんと。石畳と金属鎧のぶつかり合う硬質な音が次第に近づいてくる。嫌が応にも期待は高まる。好奇に目を大きく見開いた囚人たちが、鉄格子の隙間に顔を押し付けて通路を覗き込んだ。
「来た来た……。後ろにいる、の、が……?」
心なしか地面が揺れている気がする。足音はいつしか、ずしんずしんに変わっていた。向こうに見える影がこちらに近づくにつれ大きくなっていって……。なんか大きくなりすぎてないか? もう遠近法とかで説明できるサイズ感じゃないんだけど。
違和感に気付き始めた囚人たちの前に、巨影が立ち止まった。縦には頭が天井に付きそうほど高く、横には通路を詰まらせてしまうほどに恵まれた体格。自分たちと着ている囚人服が違うというただ一点で、かろうじてそれが女だと分かった。
別に背が低いわけではないのに、後ろの人型と比べてしまうと小人にさえ見えてしまう看守が振り返って言う。
「ここになります。地下牢での問題は、ミリア王女にとっても不利益になりますので、なにとぞ……」
「そんなこと言われなくとも分かっておりますわ。それにしても……。随分と手狭ですのね? これでは自室のプライベートジム未満ですわ」
――ふざけるな。コイツのどこが姫だ。喉元まで出かかった言葉を慌てて飲み込む。本能的に生命の危機を感じ取ったからだ。
用意された独房の前で不満げな声を漏らす、異様なまでにたくましい女性。地下牢にやってきたのは、まともな女ではなかった。
*
『獄中日記 7日目』
『地下牢に幽閉されて、早1週間が経とうとしておりますわ。
ここでの生活にも慣れてはきましたが、やはり居心地がいいとは言えませんわね。トレーニングを休むことなど一日たりとてあってはなりませんのですが、なにぶん設備が揃っておらず。
普段使っていたマシーンやダンベルが恋しいですわ。差し入れ代わりに持ってきてくれないかと看守に交渉したのですが、武器になりうるからダメだとおっしゃいました。意味が分かりません。そんなものを使うより殴ったほうが早いのに。
今はスクワットや腕立てを中心とした、器具が無くても行えるメニューを行っております。同じメニューが続きすぎて、肉体の黄金比が崩れないか心配ですわね。
それはさておき。ここまで書きましたが、正直これらは大した問題じゃありませんの。目下わたくしを悩ませている問題とは、すなわち食事。
混ぜ物入りのパン、豆類を押しつぶして作った粥。もともと入っていたスープを飲み干したあと、ボウルに水を足して量だけ増やしたみたいな薄い液体。
筋肉を作るために必要なタンパク質がまったくもって足りていませんし、バランスの面でも最悪です。大ちゃん(大胸筋の意)も、お腹が空いたと泣いているようですわ。なんてかわいそうなんでしょう!
……昔は優しいお兄様でしたのに、ずいぶんと嫌われてしまいましたわね。ああ、早くこんなところから解放されたいですわ。』
「……ふう。こんなところでしょうか」
独房の中、地面から一段高くなっただけの机とも呼び難い作業台にペンを置いて、ミリアは嘆息する。その拍子に、足首に掛けられた枷がじゃらじゃらと音を立てた。
薄暗い地下にいると、今が何日なのか、朝なのか夜なのかさえ分からなくなる。囚人たちが時間を推測する手段と言えば、食事の届くタイミングくらいのものだった。
健康的な体づくりのため普段から生活リズムを徹底していたミリアの場合、時間が来ると眠くなっていたのだが。1週間も時間感覚の希薄な空間で過ごしていると、流石に体内時計が狂いだす。
これではいけないとつけ始めた日記は、何を書けばいいか分からず愚痴ばかりになってしまった。ここにいると性格まで暗くなる気がする。鬱屈とした気持ちを晴らすためには、やはり体を動かすのが一番だった。
「さて、今日はどんなメニューにしましょうかしら? やはり運動不足ですし、筋肉量の多い下半身を鍛えるのがいいかしら」
掛けられた足枷のぶんできることは狭まるが、その中で何ができるか考えるのもまた違った楽しみがあった。朱色に染まった頬に手を当てて、ああでもないこうでもないと思索にふける。
それはまるで、身分違いの恋に憧れる乙女のように。だが悲しいかな、見た目も考える内容も令嬢のそれではない。
「ミリア王女。来客でございます」
愛しの筋肉たちに思いを馳せていたとき、不意に鉄格子の外から自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。妄想を霧散させたミリアが振り返る。そこにいたのは看守と、白髪の目立つ壮年の男性。その壮年はミリアの姿を認めると、皮肉げに口角を歪めて言った。
「お元気そうですな。姫殿下」
「そちらこそお変わりなさそうで安心しましたわ。ドリスタン公」
嫌味に対して慇懃な態度で答えれば、彼は眉間に刻まれたシワをさらに深くする。窪んだ眼窩で光る野心に満ち溢れた瞳が印象的な、ハイエナを思わせる風貌の男だった。
「それで? お兄様の飼い犬が、こんなところまで何の用ですの? 反逆は冤罪だと思い直してくれたのならありがたいのですけれど」
ドリスタン公。彼は第一王子派――つまり、エドリックの腹心として名の知れた大貴族の一人である。そんな人物が、楽しくおしゃべりに来ようはずもない。彼はふん、と鼻を鳴らして。
「あくまでもしらを切られるおつもりなのですな? 自白していただければ、最低限貴人としての尊厳を保障するつもりだったのですが」
「身に覚えのない罪を自白することがどうしてできましょう? あいにく、劇作家の才能は持ち合わせておりませんの」
「減らず口を。話されないのなら、もっと苛烈な拷問を受けていただくことになりますぞ」
「……待ってくださいませ。拷問? なんの話でしょう?」
ミリアが首をかしげる。確かに地下牢の環境は劣悪だが、拷問なんて受けた記憶はない。キョトンとした表情を浮かべる彼女に、ドリスタンは我慢ならないといったふうに、形式ばった口調も忘れて叫んだ。
「わ、私の努力を、あまつさえ拷問ですらないと!? な、なんなのだ貴様は!? なぜあの責め苦を受けて平然としていられる!?」
「責め苦もなにも……。ああ、時折やってくる大道芸人の方のことかしら? 火吹きや剣舞で楽しませてくださる」
「大道芸人じゃない、そいつらは拷問官だ!」
「そうなのですか? ですが、日頃こなしているメニューの方がよっぽど過酷ですわ」
「火も剣もお前の肌を通らなくてあいつら泣いてたぞ!? 励ますのにどんだけ手を焼いたと思ってる!?」
本来、いくら筋トレをしたところで皮膚は鍛えられない。しかし、彼女の場合は違う。
自らの力で張り裂けてしまいかねない、膨大なエネルギーを内包する筋肉。その内圧を抑え込むため、ミリアの皮膚は鋼よりも強靭に進化を遂げていた。やり取りを少し離れた牢から見守っていた囚人たちがヒソヒソ話す。
「拷問官のトロンソンいただろ? アイツ実家に帰ったらしいぜ」
「マジ? 問題を起こした囚人を合法的にいたぶるのが趣味って公言してたアイツが?」
「ヒャッハーとか叫ぶタイプだったのに、しまいにゃ遠い目で生きる理由についてぼやいてたくらいだしな……。可哀想に」
とある人格破綻者の生き方を捻じ曲げていることなど、ミリアには知る由もなかった。彼女は「そうそう」と思い出したように手のひらを打って。
「土魔法で作った大岩を膝の上に乗せるのはちょうどいい負荷でしたわね。アレならもう一度やってみたいですわ」
「石抱きは負荷トレーニングとするな! クソ、この化け物が!」
ドリスタン公、今年で御年54歳。おまけに普段は事務仕事ばかりで体を動かす機会はない。次々繰り出される異常なエピソードに、片っ端から突っ込む体力など残されていなかった。
看守が息も絶え絶えに肩を上下させる彼の背中をさする。しばらくして、ようやく落ち着いてきたらしいドリスタンが咳払いを挟んで言う。
「や、やはり通常の方法で口を割らせるのは不可能だな。ならば、趣向を変えるとしよう」
「と言いますと?」
「生存に必要不可欠な、水と酸素。その一方を断つ。つまりは今日から飯抜きだ」
「なっ……! それだけは、それだけは考え直してくださいませ!」
「ククッ。いかな豪傑と言えども、飢餓には耐えられまい」
「それでは栄養が足りません! この美しい筋肉がしぼんでしまったらどう責任を取ってくれるのですか!?」
「なんの心配をしている!?」
予想とは異なるリアクションにドリスタンが愕然とする。しかし、ミリアの絶望に染まった表情から察するに効果自体はてきめんらしい。
やや呆れつつ、思わぬクリティカルヒットに気を良くした彼は意気揚々と続ける。
「とにかく。貴様の処遇は決まっている。筋肉どうこうはよくわからんが……。餓死が嫌なら素直に罪を認めるんだな」
「ぐぬぬ……。それでもわたくしは無実です! こんな仕打ちをされるいわれはありませんわ!」
「疑いの晴れないうちは何を言っても無駄だ。……さて。用件はこれで終わりだ。私もこれで忙しいのでね。そろそろ帰らせてもらおう」
「お、お待ちなさい! せめてチーズとか、乳製品だけでも……。ああ、行ってしまわれましたわ」
看守に「おい」とだけつぶやいて、ドリスタンが身をひるがえす。最低限のタンパク質を確保せんとする悲痛な叫びもむなしく、彼は看守に連れられて地下牢を後にした。
次第に遠ざかる足音が、失われていく希望を表象しているようで。独房に取り残されたミリアはその巨体を小さく丸め、一人頭を抱えていた。
「どうしましょう。このまま罪を認めれば処刑、認めなければ餓死……。正直ギロチン程度じゃ私の首は斬れないので、体型を犠牲にするくらいなら罪を認めたっていいのですが」
仮にも王族である自分が反乱を企てていたと知られれば、民衆は困惑するだろうし、王家への信頼にも関わる。
それに、自分に使えてくれていた執事やメイド。ミリアという後ろ盾がなくなったとき、彼らの宮廷内での立ち位置は非常に悪いものになるだろう。職を失うだけなら良い方で、最悪の場合共犯者として断罪されることもありうる。
自分一人ならまだしも、罪のない弱者を巻き込むなど、あってはならないことだった。彼女は自身の太腿を叩いて顔を上げる。その表情には、決意の光が宿っていた。
「――脱獄するしかありませんわね」
覚悟の決まった一言。しかし、それを聞いた囚人は彼女の無謀な試みを引き留めるべく声を上げる。
「おいおい、そりゃ無理だろう。ここには見張りもいるし、足枷だってどうする?」
「それにこの地下牢は迷路みたいになってて、地図なしじゃ抜けれない構造になってる。脱獄しようとして中で遭難したまま帰ってこない奴もいたんだぞ?」
王族だから、世間知らずだから。だから簡単に脱獄しようなんて言えるんだ。囚人たちはそう考えていた。
しかし、ミリアは地下牢特有の構造を把握していないわけではなかった。失礼な、とでも言いたげに腕を組んだ彼女が反論する。
「無論知っておりますわ。むしろ、自分の住む場所のことを知らないはずありまして?」
「じゃ、じゃあどうするつもりなんだよ? ……そうか! 分かったぞ! アンタのその力で、看守を脅そうって言うんだな!?」
「そんな野蛮なことするはずないでしょう。わたくしは王女ですわよ?」
「ならどうやって? ここから迷わず出ることなんて不可能だ!」
「あなた方とは思考の次元が違いますわ。そもそも、迷いようがありません」
「何……!?」
それはどういうことかと、囚人たちが聞き返すより先に。ゆっくりと立ち上がったミリアが集中力を高めるように、大きく息を吸い込んだ。そして、裂帛の掛け声とともに。
「フンっ!」
「嘘だろ!? 鎖を引きちぎりやがった!?」
足枷から続く鋼鉄の鎖の端と端を握り締め、一息に引きちぎった。信じがたい光景にどよめきが上がる。
しかし、当の本人にそれを気にした様子はない。二、三度跳びはねて、なまった体の調子を確認してから。自分の理屈の正しさを証明するため、天井に向かって人差し指を突き上げた。
「ここが地下なら、上は地上。外まで一本道じゃありませんか」
「次元が違うって、二次元と三次元のことかよ!?」
まっすぐ上に掘り進めて貫通すれば、確かにそこは外だ。理屈の上ではそうかもしれない。できるかどうかは別として。
「バカなのか? それとも大バカなのか?」
「きっと脳まで筋肉になっちまったんだよ。ほっとこうぜ」
「あなたたち、わたくしがここを無事に出られたら不敬罪でもう10年ほどぶち込んで差し上げますわ」
いきなりの素っ頓狂な発言に呆れかえった囚人たちは、思い思い自分たちの暇つぶしに戻る。どうやら、完全に興味を失ったらしかった。
もとより協力も理解も求めていない。ミリアもまた囚人たちを無視して、天井を見上げた。彼女は体勢を低くかがめ、膝をバネのようにたわめると。
反作用で石畳が悲鳴をあげる――。そして、先ほどの準備運動とは比べ物にならない勢いで跳躍した。