脳筋王女は裏切らない   作:空想の墓場

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後編

「ミリア様……。ああ、なんてこと……!」

「メアリー。誰かに聞かれてしまいます。嘆くために集まった訳ではないでしょう。顔をお上げください」

「ですが、ですが! あまりにも不当な仕打ちです!」

 

 王城外縁。日は沈み、辺りがすっかり暗くなったころ。城と城壁の間に生まれた庭とも言い難いわずかな空間で、2人の男女が話し合っていた。

 

 一方は、白髪を後ろ手に撫でつけた執事風の老紳士だった。彼は知的な印象を与えるモノクル越しに周囲を見渡し、耳をそばだてている輩がいないことを確認して、もう一方の女性を叱咤する。

 

 良くも悪くも、宮廷内を騒がせている人物についての話題だ。聞かれる相手によっては面倒なことになりかねない。そう思ってのことだった。

 

 女の方もそんなことは分かっている。それでも、湧き上がる名状しがたい感情を抑えきれない様子だった。メイドだろうか、給仕服に身を包んだ彼女――メアリーは、あか抜けない茶髪を振り乱して顔を上げる。

 

「ミリア様がそんな、反逆なんて企むようなお人ではありません! セバス様も知っているでしょう!?」

「もちろんです。だからこそ、姫様の無実を証明するため、こうして知恵を凝らしているのですから」

 

 セバスと呼ばれた老紳士が、メアリーの震える肩に手のひらを置く。

 

 男性特有の低音と、穏やかな語り口。そして触れ合う箇所から伝わる人肌で、ようやくメアリーは落ち着きを取り戻した。彼女は、「すみません」とまなじりに溜まった涙をぬぐって。

 

「そうですよね。ミリア様の方がもっとお辛い思いをしていらっしゃるのに。私がこんな調子ではいけませんよね」

「その意気ですメアリー。獄中にいるミリア様を救い出すには、外からの手助けが必須なのですから」

「ミリア様は私たちにとって、大変恩義のあるお方」

「平民の出で立場の弱かった我々に、立ち向かうための力をくださいました。――そう、筋力という名の。今こそ、そのご恩に報いねば」

 

 雲が風に形を変え、月明かりが差し込む。照らされて長く伸びた影は少しばかり異常であった。

 

 老紳士にしては、肩幅がゴツすぎる。ただのメイドにしては、ハムストリングスが発達しすぎている。2人はミリアの従者にして、筋トレ仲間でもあった。

 

 かつて階段を上下するだけで息を切らしていたセバスも、今やバーベルスクワットを軽々こなすように。メイド仲間にいじめられて泣いていたメアリーは、モストマスキュラーを披露するだけでイジメっ子を撃退できるまでに。

 

 ミリアという規格外の存在に付き従っていたことによって、彼らもまた戦士顔負けの肉体を手に入れていた。しかし、王宮内は権謀術数のはびこる地。力で解決できることなどそう多くない。

 

 2人程度の筋肉量でできることと言えば、エドリックの首元に腕を回して絞め技(フロントチョーク)をかけるくらいのものだ。それだけではミリアの疑いを晴らすことはできない。彼らもそれは理解していた。

 

「しかし、執事とメイドでは……。味方もそう多くありませんし、どうやって無実を証明すれば……」

 

 セバスが腕組をして、うんうん唸っていると。不意に、足元がぐらついた気がした。

 

「……ん?」

 

 感じた違和感に疑問の声を漏らす。――地面が揺れている? 視線を足元に向けて確認するが、異変は見当たらない。手入れされた芝生が茂っているだけだった。

 

 セバスは気のせいだろうと判断し、思考を再開する。王国は地理的に、地震の全く起こらない土地であった。それ故に彼が気に留めなかったのも無理はない。

 

 しかし、それは気のせいなどではなかった。再度地面が揺れる。今度は先ほどよりも激しく、すぐ真下で起こったような感覚だった。思わず2人は狼狽して。

 

「きゃ、きゃああ!?」

「な、なんだこれは!? 天災か!?」

「この揺れ、地下にいるミリア様は!?」

 

 地震が少ないだけに、王国民はこの災害に対する免疫がない。多少強く揺れようものなら、世界の終わりかのように慌てふためいてしまうのだった。

 

 庭木がしなり、枯葉が落ちる。慌てながらもミリアのことを気に掛けていたメアリーの足元に、小さな亀裂が走った。

 

「きゃあ!?」

「危ない!」

 

 すわ地割れかと、彼女がその場を飛びのく。亀裂は次第に規模を増し、やがて蜘蛛の巣状に、直径2、3メートルほどの大きさへ成長していった。

 

 直後、亀裂の中心が大きく盛り上がる。それは地中に埋まった何かを抑え込もうとしているようにも見えた。

 

 そして、その「何か」が地面を揺らしているらしかった。大地が揺れるたび隆起は顕著になっていく。再三にわたる衝撃のあと、ついに我慢の限界に達した芝生が根を上げた。火花代わりに土砂を散らして、「何か」が地表へと飛び出した。

 

「ぬ、おおおおおーー!」

「いやあああバケモノ――って、ミリア様!?」

「……む? メアリーではありませんか。ということは、無事外に出られたのですね」

 

 飛び出してきたのは、自慢のブロンドヘアを泥まみれにしたミリアであった。よくよく見れば、まとったみすぼらしい服にもところどころ擦ったような土汚れが付着している。

 

 それらを払い落しながら、彼女は意外なタイミングでの再開に目を丸くする。2人の方もまた、予想外の出来事に驚きを隠せないでいた。駆け寄ったメアリーがミリアの髪や服を整えつつ。

 

「ミリア様!? なぜこんなところに……というかなんで地面から!? 地下牢に幽閉されていたはずでは!?」

「諸事情により脱獄してきましたわ」

「そのお姿……。ま、まさか地面を掘り進めてきたのですか!?」

「部分的にそうかしら。地下牢からジャンプして天井に頭をぶつけまくって、ようやく貫通いたしました」

「まさしくプリズンブレイクですわね! 流石ですミリア様!」

 

 文字通りの破壊。そうして地上へと復帰したミリアは、辺りを確認して。

 

「ここは……裏庭? セバス、メアリー。こんなところで何をしていたんですの?」

「ああ、それなら」

「私がご説明いたしましょう」

 

 静かに状況を整理していたセバスが小さく挙手をして、説明役を買って出た。三者はそれぞれに情報共有を行う。

 

 地下で飯抜きにされそうになって、溜まらず抜け出してきたこと。ミリアの無実を証明するため、相談していたこと。それを聞いたミリアは、2人の忠義に思わず涙した。

 

「なんと……! あなた方のような忠臣を得られたこと、わたくし光栄に思いますわ」

「もったいないお言葉です姫様。私たちとしても、姫がご無事で嬉しい限りです」

「さて。脱獄したはいいですが……。このままではまた捕まってしまうでしょう。今度は脱獄の罪がありますから、向こうにも拘束の口実ができてしまいます。2度目の脱獄は困難になるはず」

「つまり、チャンスは今回の一度きりというわけですな。できる限り早く、冤罪だという証拠を集めねば」

 

 3人は額を突き合わせて考える。現状、打てる手立てもそう多くない。セバスが顔を上げて。

 

「姫様、地下牢で何か変わったことはありませんでしたか? 例えば、珍しい人物を見たとか」

「そういえば……。ドリスタン公がいらっしゃいましたわね。食事抜きも、彼の発案のようでしたわ」

「なるほど。王子の忠臣である彼ならば、なにか重要な手掛かりを持っていてもおかしくありませんね」

「ええ。虎穴に入らずんば虎子を得ず。時間もないことですし、直接彼を問い詰めるのが、一番の近道でしょうね」

 

 三人寄れば文殊の知恵。ただしそれは、その3人が普通の脳みそを有している場合に限る。我ら脳筋三人衆、正面突破以外の案が出るはずもなく。

 

「決まりですわね。目標はドリスタン邸。潜入作戦の開始ですわ」

 

 潜入と書いてとつげきと読む。そんな作戦が立案されたのだった。

 

 

 執務室の中、モーガン・ドリスタンは目頭に指先を強く押し当てる。まぶたの裏で白い閃光が明滅して、凝り固まった眼筋が伸びていくのを感じていた。目を見開いた彼の視界に入って来たのは、うずたかく積まれた書類の山だった。

 

 窓から見える太陽は空のど真ん中に達していた。明け方から作業を続けていたというのに、まだこれほどのタスクが残っているのかと辟易する。

 

 しかしそれも仕方のないこと。ドリスタン公爵家は、王家の相談役としても知られる由緒正しき血統だ。積まれた書類の高さは、地位の高さ。そう思えばこそ、彼はこの仕事にやりがいを感じるのだった。

 

「とはいえ。流石に腰に来るな。一度休憩を入れるとしようか」

 

 ドリスタンが椅子から立ち上がり大きく背伸びをする。思えば、朝食もろくに食べていなかったなと。給仕係を呼びつけるため机上の魔道ベルに手を掛けたところで、執務室のドアが外から激しく叩かれた。

 

「チッ……。なんだ、騒々しい!」

「モーガン様! よろしいでしょうか!? 急ぎ伝えなければならないことがございます!」

「何……? まあいい。入れ」

「し、失礼します!」

 

 慌ただしくドアを開いて、年若い執事見習いが部屋に転がり込んできた。埃が舞うのを嫌って眉間にシワを寄せるが、この程度で叱責するほど狭量ではない。努めて冷静に、伝えなければならないこととやらについて聞き出す。

 

「落ち着かんか、全く。それで? なんの用件だ」

「しゅ、襲撃です! 第三王女とその側近と思しき2人が屋敷内で暴れているんです!」

「……は?」

「なんでも、『モーガン様がお見えになるまで、調度品をトレーニンググッズ代わりに使わせていただきますわ。もし落としてしまっても、体がなまっているということでご容赦くださいませ』とのことです」

「ふざっ……。オイ! すぐ向かう! それまで私のコレクションには指一本触らせるな!」

「は、はいぃ!」

 

 ドリスタンが声を荒らげると、執事見習いは引き攣ったような返事を残して部屋を飛び出していった。自慢のコレクションをあろうことかダンベル扱い? そんなことされてはたまったものではない。

 

 どうやって脱獄してきたかは分からないが、裏を返せば脱獄という事実があるということ。もう一度地下牢に押し込んでしまえば、今度こそ反抗的な態度もとれなくなるだろう。

 

 焦りつつもドリスタンが執務室を出て、絨毯の敷かれた廊下を小走りで進む。そして、エントランスから入ってすぐの大広間に顔を出したとき。そこでは、奇妙な光景が繰り広げられていた。

 

「298、299、300! ふむ。軽いですわね。貴方、ちゃんと食べていらして?」

「食べてる食べてる食べてますから! もう下ろしてええええ!」

「も、もう無理……。内臓がかき回されて吐きそう……ウッ」

 

 地下牢に幽閉されているはずのミリア・フォン・アンシュバルツ。彼女が警護の騎士2人を両肩に俵担ぎして、凄まじい速度でスクワットを繰り返していたのである。

 

 ミリアが上下運動を繰り返すたび、鋼鉄の鎧がガチャガチャと耳障りな音を立てる。ただでさえ重い鎧に成人男性の体重も加わっているにも関わらず、その動きには一切のよどみなく。ある種舞踏を思わせるほど美しいフォームだった。

 

「お、おい! そこをどけ!」

「姫様は集中しておられます! どうか邪魔することのなきよう!」

「ええい黙れ……力強ッ!? なんだこのジジイとメイド!?」

 

 援護に向かおうとする騎士も、異様にがっしりした体格の老執事とメイドに阻まれ近づけない。あまりにも衝撃的すぎる光景にフリーズしていたドリスタンがハッと我に帰り、怒りからか恐怖からか震える声で叫ぶ。

 

「き、貴様! 何をしている!? そいつらを放せ!」

「522、523……。あら。いらっしゃいましたか。ごきげんよう」

「ご機嫌よくないわ! 無茶苦茶しおって、なにが目的だ!?」

「これは大腿四頭筋や大臀筋を鍛える目的がありまして。全身の6割近くを占める巨大な筋肉を刺激することで効率的に基礎代謝を向上させることができ、痩せやすく太りにくい体質づくり、ひいてはダイエットにも素晴らしい効果が……」

「スクワットの目的を聞いているわけではない!」

 

 聞いてもいない効能を語り出したミリアに、思わず年甲斐もなく地団太を踏んで。ここまで来ると一周回って冷静になる。ドリスタンは冷や汗をにじませつつ、片方の口角を吊り上げた。

 

「し、しかし……。ここに来たのは間違いだったな? 反逆の疑いに加え、脱獄ともなればもはや再起は不能! これでエドリック殿下の地位は確固たるものに――」

「ああ、そういえば。そのことで来たんでしたわね。忘れてましたわ」

「何だと……!?」

「エドリック殿下の地位が、とおっしゃいましたわね? やはり、わたくしの冤罪にはお兄様が関わっているんですの?」

「ぐっ!? そ、それは……」

 

 一瞬でも勝ちを悟ってしまったからか、ドリスタンの口がわずかに滑る。返答に詰まった彼に、ミリアは目を伏せて言う。

 

「今でこそ政治的な立場の違いから敵対することになってしまいましたが、お兄様は元来優しいお方。こんな卑怯な真似はしないと思っていたのに、残念でなりませんわ」

「殿下がそんなことするはずないだろう! 殿下は誠実で、身分の貴賤で決まる社会を良しとせず、みなに真摯に向き合うお方で……」

「そんな方が権謀術数で政敵を追いやろうとしますか? お兄様は変わられてしまったのです」

「そんなことは……いや、私は殿下からの指示で……? 違う、何かがおかしい……」

 

 突如として、ドリスタンがこめかみを押さえてうつむく。口の中で何事かをぶつぶつとつぶやいて、周囲の喧騒など耳に入っていないようだった。

 

 彼が口にした人物評は、ミリアの幼い記憶に残るそれと一致していた。しかし、だからこそ。今回のような行動を起こしたことが、エドリックの心変わりを表す証左にほかならない。

 

 信じて仕えていた主君が間違った道を歩み始めていることなど、臣下にとっては受け入れがたい事実だろう。仮にも上に立つものとしてミリアにはその気持ちが痛いほどに理解できた。彼女はうつむくドリスタンの肩に手を置いて。

 

「大丈夫ですの? プロテイン飲みます?」

「いらん。なんだ? 何が間違っている……?」

 

 空気の読めない申し出を一蹴し、ドリスタンは記憶の深海に深く潜り込む。

 

 彼の脳内には、たとえようもない違和感が渦巻いていた。ミリアが王位継承戦から外れれば、エドリックの地位が安泰になるとは常々思っていた。だが、自分のよく知る主であれば、おそらく真っ向勝負を望んだはずだ。

 

 混濁する意識の中で、ドリスタンはひとつの記憶を拾い上げる。ミリアに汚名を着せるという計略を実行するに至った、そのきっかけとなる出来事。彼は風音がなるほどに勢いよく顔を上げて。

 

「――そうだ。あの女、あの女だ! 殿下にすり寄ってきた、あの下級貴族の女! 殿下のことで相談があると話を持ち掛けてきて、それから……!」

「あの女? わたくしが反逆を疑いをかけられたとき、お兄様の隣にいた、あの赤毛の……?」

「ミリア・フォン・アンシュバルツ……いや、ミリア王女! 今までの非礼を詫びます、反逆の疑いも取り払われるよう尽力します! ですから、どうか私たちにお力添えください!」

「え、ええ?」

 

 人が変わったように態度を入れ替えて、ミリアのたくましい胸板に縋り付くドリスタン。彼の表情には焦燥と緊迫が入り混じっていた。そして、半ば狂乱状態のまま口にしたのは、エドリックに罪状が書かれたスクロールを手渡した少女の名前。

 

「アリス・アモリアス! 私たちはあの女に魔術を掛けられていたのです! このままでは殿下が――いえ、この王国が危ない!」

 

 

 アリス――アリスアリスアリス。ああ、愛しのアリス。全てはキミのため。王位も玉座も地位も名誉も、国も民もこの身でさえも。キミに捧げるためにある。

 

 本当は、王という称号になんて興味ないんだ。喜んでくれるだろうなと思っただけなんだ。俺はキミと一緒に居られれば、それ以外何もいらない。なにもかもを捨てたってかまわない。しかし、何もない俺をキミは愛さないだろう。

 

 だから、俺以外のすべてを捨てることにした。父上に毒を飲ませた。ミリアに汚名を着せた。ドリスタンに偽の証拠を掴ませた。大切な人たちを裏切って、俺はこの国のすべてを得た。

 

 なにもかもキミに捧げるために。さあ、すべてはキミの前にある。どうかこの身を受け取ってくれ。

 

「愛してる。私の最推し(エドリック)

 

 脳を犯す甘い声。七色のサイケデリックな瞳がこちらを覗き込んでいる。それを見つめ返すと、ずっと心を悩ませていた責任や不安が消え去っていくのを感じた。

 

 やがて自他の境界は線引きを失い、まるで溶け合うように彼らはひとつになっていく。求められる幸福を教えてくれたのは、他でもない彼女だった。

 

「王位継承を邪魔するものはいない。フラグ管理も完璧。バグは取り払った。これで、エドリックルートは完全攻略……!」

「フラグに、バグ? アリス、キミはたまによくわからないことを言うね」

「あっ、ごめんなさい。エドリック。貴方は気にしなくていいの」

「謝るのは俺の方だよアリス! キミのすべてを理解したいのに! ああ、愚かな俺を許してくれ!」

「そこまで卑下しないでいいのよ? ……あとで深度を調整しておかないと」

 

 王城はエドリックの自室。一人で使うには持て余す広さのベッドの上で、男女が愛を囁き合う。エドリックが嘆くと、彼の膝に腰掛けるアリスが困り笑いを浮かべた。

 

 そんなわずかな表情の変化すら、劇薬のように心を侵食していく。アリスはエドリックの首元に手を回し、彼の顔を引き寄せた。頬と頬が触れ合う距離。エドリックの耳元で、アリスは言葉に魔力を込めてつぶやいた。

 

「ねえ、エドリック? 私だけを愛すって誓ってくれる?」

「……ははっ。おかしな質問だ。そんなの、言わなくたって分かるだろう」

 

 2人の距離はさらに近づく。もはや両者の間には、紙の一枚すら入り込む余地がないほどに体を重ね合わせて。エドリックは、自分の心の底から出た嘘偽りない気持ちを吐き出す。

 

「アリス。俺も、キミのことが――」

 

 ドンドン、と。部屋の扉を叩く無粋な音。陶酔に水を差されたエドリックが一瞬渋い顔をしたものの、それを聞かなかったことにして再びアリスと向き合う。

 

「ん、んんっ! アリス。俺も――」

 

 次いで、ドゴンドゴン。少し様子のおかしい音。あるいは破城槌で壁面をぶん殴っているような。気のせいじゃなければ城全体がなんとなく揺れている。

 

「うるっせえな!? せっかくの雰囲気を台無しにしやがって……!」

 

 今度ばかりは無視できなかった。エドリックもこれには何事かとドアの方を見やる。膝の上のアリスを一旦下ろそうと腰に手を回したところで。壁越しに、聞こえるはずのない人間の声が聞こえた。

 

「お兄様、お兄様――」

 

 ノックの音は次第に激しくなっていく。ここまで来るとノックというか打撃音だった。なんかもう部屋の外で拳闘士が本気の殴り合いでもしてるんじゃないかってくらい絶え間なく音は鳴り続けて。

 

 とうとう衝撃に耐えきれなくなったドアが我慢の限界を迎えた。一際大きい破砕音を立てて、王族の身を守るため特別頑丈に作られたはずのドアがはじけ飛ぶ。

 

「お兄様? 入ってよろしいかしら? お兄さ――あら? 開いてしまいました」

 

 粉々になった木片が室内に飛び散る。破片とともに舞い上がった埃が晴れ、この惨状を作り出した張本人が姿を現す。区分けるものを失った、廊下と部屋の境目。そこには、ミリアが腰を落とした正拳突きの格好のまま固まって立っていた。

 

「ミ、ミリア!? なぜここに……じゃない! 何が開いてしまった、だ! お前が叩き壊したんだろう!?」

「あら、アリス様もいらっしゃるのね。手間が省けましたわ」

「なっ……! 貴様、アリスに何かするつもりか!? そんなことは俺が許さんぞ!」

「どうやら何かされているのは、お兄様の方みたいですわよ?」

「は? それは、どういう……」

「ドリスタン公、およびその周辺人物から、記憶を操作する魔法の痕跡が確認されました。心当たりはございませんか?」

 

 部屋の中に一歩踏み込んで。ミリアは、エドリックの背後で気配を消していた、赤毛の少女を見据えて言った。

 

「新規魔法の開発による功績で、エドリック殿下に登用された……。アリス・アモリアス様?」

「ふざけるな! アリスがそんなことをするはずがない!」

 

 アリスを守るように片手で視線を遮って、エドリックが叫ぶ。その表情は、怒りで真っ赤に染まっていた。

 

「そもそも、アリスが開発したのは感情を操作する魔法だ! 記憶とは別物だ!」

「同じものを見ても考えることが違うように、感じ方にはその人の経験……つまり記憶が深く関わっています。彼女の論文を読んだことのあるお兄様なら、よくお分かりでしょう」

「違う、違う! そうだ、アリス! キミからも何か言ってやれ! いわれのない中傷だと!」

 

 事実無根なら、反論できるはずだ。そう思って背後のアリスに意見を求めるも、彼女はしばらく押し黙ったままだった。

 

 まさか。いや違う。きっと目の前の異形に怯えているだけだ。自分を納得させようとするが、一度脳裏によぎってしまった疑念は払えない。幾分か勢いを失った、震える声で再度問う。

 

「アリス……? そんな、まさか」

「ううん。そんな魔法、使ったことないよ」

「ッ! そうか、そうだよな! 聞いただろう!? やはり彼女は――」

「誰も覚えてなければ、使ってないのと一緒だもんね」

「え……?」

 

 エドリックの耳に届いたのは、そんな曖昧な言葉。それはどういうことかと。発言の真意を確かめるべく振り返った彼の視界が、一瞬にして虹色に染まる。

 

 それは、アリスの虹彩だった。鼻先の触れ合う距離で、アリスがエドリックの瞳を覗き込んでいた。

 

 藍、青、緑……。中心から外側へ、異なる色の同心円模様。エドリックの首筋を冷たい汗が伝う。どんな宝石よりも美しいと思っていたその目が、今は得体の知れないものに映った。

 

「少し待っててね。すぐ終わるから」

「やめてくれ、アリス」

「おやすみ」

 

 アリスが慈しみのこもった微笑を浮かべ、軽くウインクする。途端、エドリックの体を支える力が霧散してしまった。膝から崩れ落ちそうになった彼をアリスが抱きとめ、その体をベッドへ横倒しにする。

 

 エドリックの金髪を軽く撫でたアリスは、その後ミリアに向き直って。腕を背中側に回したあざといしぐさも、彼女の容姿なら自然に見えた。

 

「なんで分かったの? バレないように、魔法は強めにかけてたつもりだったんだけど」

「正気に戻ったドリスタン公が全てを話してくださいましたわ。はじめは適当ぶっこいてらっしゃるのかとも思いましたが……。貴女が開発した魔法の詳細を知ってしまったら、信じざるを得ませんわね」

「うーん、なんでだろう? よっぽど衝撃的な何かを見たり聞いたりしない限りは解けないはずなのに。なにか思い当たったりしない?」

「さあ? わたくし普通におしゃべりしただけですわ」

「変だなあ」

 

 お互いに小首をかしげる。兵士たちで筋トレをしていたことはミリアにとって日課の延長に過ぎないし、アリスもまさかそんなことで洗脳が溶けたとは想像できない。そのため、衝撃的な、でフィルターをかけても話が噛み合わないのは必然だった。

 

「まあいいや。あなたの記憶を消して、みんなにもまたかけ直して。それで元通りだよね。うん」

 

 アリスが手のひらを差し出すと、まばゆいばかりの閃光が室内を満たす。魔導に疎いミリアでさえ、なにかとんでもない代物だということを直感的に理解していた。あまりの眩しさに目を覆った向こう側から、少女の囁き声が聞こえる。

 

「じゃあね、おやすみ。『コントロール・アムネジア』!」

「きゃああああ――……あ?」

「あれ?」

 

 しばらくして閃光が晴れる。そこに立っていたのは、どこも変わったところのない2人。ミリアは確かめるように、右手を握ったり開いたりして。

 

「なんともありませんわね」

「私の名前は?」

「アリス・アモリアス」

「あなたはなんでここに来たの?」

「自分にかかった冤罪を晴らすのと、危険な魔法使いを止めるため?」

「正常だ。……あれえ?」

 

 今度こそ本気で首をかしげる。術者本人でさえ何が起こっているのか分からないのだから、門外漢のミリアならばなおさら。2人の間に気まずい沈黙が流れだしたあたりで、ミリアがふと手のひらを叩いて。

 

「そうだ。わたくしひとつ仮説を思いつきましたわ」

「え?」

「わたくしよく言われますの。『脳筋』、と」

「だろうね。扉壊して入って来たし」

「つまり、わたくしの脳は鍛え上げられた筋肉と同質。そして、鍛え上げられた筋肉は無敵。したがって、脳を対象とした魔術もわたくしには無効、と。完璧なロジックでしてよ!」

「全世界の学者を敵に回したんじゃないかな?」

 

 自信満々に謎理論を展開するミリア。さしものアリスもあきれ果てるが、効いていないことは事実。

 

 放っておいても怒り狂った学者たちが勝手に彼女を追い落としてくれそうだなとも思いつつ、エドリックとの生活のため、このまま放置しておくこともできない。アリスは、より強硬な手段をとることにした。

 

「ふふ。効かないなら仕方ない。……ねえ知ってる? 人間の記憶に干渉するにはね、とんでもない魔力量が必要になるんだよ?」

「はあ」

「それをそのまま攻撃に転用したらどうなるか、分かんないかなあ!」

 

 アリスは突き出した手のひらを翻し、ミリアへ向ける。拡散していた閃光が一点に収束するにつれ、それはやがて熱エネルギーへと転じていった。アリスの周囲の空気が陽炎のように歪む。

 

「くらえ!!」

 

 そうして、爆発的に吹きだした光の奔流は。

 

「ふんっ」

 

 ぺし、とでも効果音が聞こえてきそうな。ハエを叩き落す要領で手首を返しただけの平手打ちによって、その進路を90度転換する。

 

「はえ?」

 

 対象を失って王城の壁に激突した魔力の塊。それは部屋の壁を貫いただけにとどまらず、勢いそのままに城壁にまで穴をあけた。

 

 爆発のような音と、石材の崩れ落ちる固い音。レンガの残骸をあたりに散らして、堅牢だった城壁は内部の鉄骨をさらし白煙を上げる。アリスの魔法に触れた部分はあまりの高熱により赤く溶解していた。

 

 ミリアに破壊されたドアと合わせて、これでエドリックの部屋には一本のトンネルが開通したことになる。風通しのいい職場になって彼もさぞ喜ぶことだろう。

 

「えっ? これ、ゲーム内最高火力の魔法なのに……。えっ?」

 

 アリスがアーモンド形の目を見開いて、困惑に満ちた声を漏らす。こけおどしのつもりでは決してなかった。威力は無残な城壁の残骸が物語っている。

 

「っ、もう一度!」

「セェイ!」

「――ひぃっ!?」

 

 目の前で起こった事実を受け入れられなかったアリスが、再度魔法を発動しようと試みる。しかし、2度目となるそれは、風のような速さで飛び込んできたミリアによって封じられた。

 

 大きく振りあげられた、丸太と見まごうほどに太い右腕。放たれれば自分の体など、紙よりも簡単に吹き飛んでしまうだろう。『死』の一文字が脳裏に色濃く浮かんで、アリスは反射的に両腕で頭部を覆う。

 

 1秒、2秒。しかし、いくら待てども警戒した衝撃は襲ってこなかった。疑問に思ったアリスが恐る恐る顔を上げると、右腕を腰に当てたミリアが呆れた表情で立っていた。

 

「これ以上、わたくしの城を壊さないでくださる?」

「ふえ、っはあ……」

 

 緊張のほどけたアリスが、全身の空気を吐き出しながらその場に崩れ落ちた。膝が笑って言うことを聞かない。内股に熱い液体が伝うのを感じていた。

 

 ミリアは元から寸止めのつもりだったらしい。それが思ったよりも効果てきめんだったようでむしろ困惑していた。大理石の床に広がる水たまりから視線をそらして、アリスに問いかける。

 

「全く……。なんでこんなことをしたんですの? 貴女ほどの魔術師なら、強引な手段を取らずともそれなりの地位に就けたでしょうに」

「なんで……。なんでって、私のセリフだよ! なんで私たちの邪魔するの!? 私たちは愛し合ってるの! 見て分かんない!?」

「魔法で心を操って、それが愛だとは思いませんわ」

「うるさい! 何も知らないくせに! 大体、アンタは誰なの!? 『ミリア』なら、主人公の踏み台であるべきでしょ!?」

「わたくしなら……? それは、どういう」

 

 虹色の瞳に涙を浮かべ、アリスがヒステリックに叫ぶ。その口から語られたのは、使用人ですら知り得なかった、ミリアの過去。

 

「ミリア・フォン・アンシュバルツ! あなたは、小さいころから優秀な兄と比べられることに強いコンプレックスを抱えていた!」

「貴女、なぜそれを……」

「それがミリアの人格形成に大きな影響を与え、あなたはあることを決意した……!」

「――そうだ。負けないくらい鍛えようと」

「『使えるものはなんでも使う、非道な悪役令嬢になること』を、でしょ!? 『原作』のミリアはそんなキャラじゃない!」

 

 ばしん、と。溢れ出す感情の行き場を探して、アリスは床を強く叩いた。なぜ彼女がミリアの過去を知っていたのかは分からないが、とにかく納得いかないらしい。そう言われてもミリアにはいかんともしがたいのだが。

 

「確かに、お兄様との差を感じることもありましたわ。ですが、他人を妬むまえに自分を磨くべきではなくて?」

「解釈違いすぎる……。『ミリア』はそんなこと言わないしこんなムキムキじゃない……。もっとこう、おーっほっほみたいなキャラなのに……」

 

 泣いて、怒ったかと思えば今度はいじけてうつむきだしたアリス。全く感情の起伏の激しい子だ。自分がストレスを与え続けている張本人だとはつゆ知らず、ミリアは冷めた視線を送っていた。

 

「せっかく転生して、チートじみたスキルもあって。今度こそ幸せに生きられると思ったのに……。結局私の人生、何回やってもうまくいかないんだ……」

 

 消え入るような声で、ポツリとつぶやかれた諦めの言葉。それを耳にしたミリアがため息をついて。

 

「そう思い通りにいくわけないでしょう。わたくしだってこの肉体を仕上げるまでに、眠れない夜もありましてよ」

「……聞いてない」

「……マッスルメモリーってご存じですか? 過去に筋肉を鍛えたことがあると、一度トレーニングを止めてしまっても、再トレーニングで短期間のうちに元の筋肉量を取り戻せる現象なのですが」

「は? 何言ってんの? 筋肉トークはもういいって」

「つまり、筋肉は裏切らないということです」

「ますます何言ってんの」

 

 アリスに胡乱な目を向けられるが、ミリアは気にも留めていないふうに話を続ける。

 

「努力した結果、思い通りに行かないこともあるでしょう。しかし、その努力全てが無駄になったわけではありません。経験は血肉として、貴女の体に残り続けるのです」

 

 うずくまるアリスの眼前に手が差し伸べられる。自分のものとはまるで違う、筋張った筋肉質な手のひらだ。

 

「記憶や感情に干渉する魔法……。その力には、もっと別の使い道があるはずです」

 

 だが、手の主の声は誰よりも優しかった。

 

「一緒に探しましょう。自分のためだけじゃなく、誰かのための使い道を」

 

 力強いその手は、誰かを押さえつけるためにあるのではない。誰かを暗闇から引っ張り出すため。彼女の心を操れなかった理由が、なんとなく分かった気がした。

 

 

 心は体のどこにあるのだろう。大抵答えは2つ。頭か心臓。

 

 しかし、緊張すると汗をかく。嫌なことがあると腹痛がする。逆に、体を動かすと気分が晴れる。笑顔でいれば幸福になる。心と体は裏表で、ずっと寄り添っているものだ。

 

 だとすれば、この体すべてが心だと言えるんじゃないだろうか。健全な魂は、健全な肉体に宿る。この世で最も美しい魂を持つ人間がいるとするなら、生きる姿もきっとまた美しい。

 

 玉座の間には、やたら筋肉質な男たちが集まっていた。特に高位の貴族になるほど、どうしても書類仕事の割合が増える。それに連日開かれる社交界。不摂生で早死にする貴族も少なくなかった。

 

 そこで、とある王族が企画したフィジーク大会。無駄に時間だけは持て余していた貴族たちが、ひとり、またひとりと参加を表明し、いつしか年末の恒例行事と化していた。

 

 筋トレは辛く苦しい。だが、乗り越えた爽快さは何物にも代えがたい。もしモチベーションを保てなくなったら、宮廷魔術師に相談すると良い。モチベを上げる秘密の魔法をかけてくれるだろう。

 

 広間に設置された壇上に上がった男たちが、次々に自慢の肉体を披露していく。警備の衛兵たちがそれを横目に見て。俺たち必要なくね? 刺客が襲ってきても返り討ちに出来んだろアイツら。なんて愚痴をこぼし合っていた。

 

 そして、大会の終了間際。最後に、大会連覇記録保持者兼、発案者兼、唯一の女性参加者が登壇する。

 

 本来そこにあるべき脂肪をすべて燃焼しつくしてしまったかのように発達した大胸筋。王国に誇る名峰を想起させるほど隆起した上腕二頭筋。背中に大きく開いたスリットから覗く、鬼面のごとき広背筋。

 

 審査委員長を務める国王が、恍惚とも感嘆ともつかないため息を漏らす。観客席から参加者に向かって、野次を飛ばすのがこの大会の習わしだった。ここでは地位も立場も関係なく、お互いの努力を称え合う。

 

「よっ! 世界一の肉体美!」

 

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