転生したらフェンリルだった件   作:ぐちロイド

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1話 転生

連「――ッ、熱っ……!!」

 

それが、暁連(あかつき れん)としての最後の記憶だった。

 

冬の朝。北陸地方特有の、湿り気を帯びた重い雪がしんしんと降り積もる通学路。高校一年生の連は、お気に入りの携帯ゲーム機をポケットに突っ込み、マフラーに顔を埋めながら歩いていた。

期末テスト最終日の解放感と、家に帰ったら新作のRPGを徹夜でプレイするという背徳的な計画。そんな些細な幸福は、一瞬にして瓦解した。

 

轟音。

 

視界が真っ白に染まる。いや、白ではない。爆心の中心は、太陽すら凌駕する悍ましい黄金と赤の混濁だった。

老朽化した地中ガス管の大規模爆発。不運。ただその一言に尽きる。

鼓膜は最初の爆圧で弾け飛び、音のない世界で連の身体は木の葉のように宙を舞った。遅れてやってきたのは、全身を灼く地獄の焔。

 

連(ああ、クソ……。なんだこれ。俺、死ぬのか?)

 

空中を舞いながら、連の思考は驚くほど冷静だった。FPSゲームで、残りHPが1桁になった時のあの感覚。視界が点滅し、心拍音が強調される、あの独特の静寂の中に彼はいた。

 

連(テスト、頑張ったのにな……。母さん、先に逝ってごめん。……っていうか、新作ゲーム、まだクリアしてねぇよ……!!)

 

最期に浮かんだのが親への詫びと未練がましい趣味の話。それが、暁連という人間の底の浅さであり、同時に彼という人間の全てだった。

 

急速に体温が奪われていく。灼熱の直後、襲いかかってきたのは凍てつく冬の寒さと、全身を苛む激痛。

 

連(熱い……痛い……。もう、嫌だ。……どうせ死ぬなら、こんな苦しいのは御免だ。……異世界、とかに転生したいな……。例えば、大好きなフェンリルになって……、雪山でのんびり昼寝でもしたい……)

 

意識の蝋燭が、今まさに吹き消されようとした、その瞬間。

 

脳内に、無機質で、しかし妙に荘厳な「声」が響いた。

 

《確認事項。個体名:暁連の願いを受理しました。》

 

連(え……?)

 

《種族:フェンリル(神獣)への転生を開始します。……成功しました。》

 

《併せて、死因となった事象に基づく初期耐性を獲得します。……「熱変動耐性」、「痛覚無効」を獲得。……成功しました。》

 

《――世界言語(システム音声)による個体進化プロセスを完了。新たな生を、謳歌されんことを。》

 

声は、それだけを告げると、彼を包んでいた痛みと熱を一瞬にして霧散させた。

残ったのは、深く、心地よい、完全な闇だった。

 

どれほどの時間が過ぎたのだろう。

数秒だったようにも、数百年だったようにも感じられる。

 

連「……ん」

 

連は、意識の覚醒を感じた。

高校生活の、あの退屈な授業中に訪れる微睡みのようなものではない。もっと根源的で、力強い「生」の感覚が、急速に全身に満ち渡っていく感覚だ。

 

連(……生きてる?)

 

まず、真っ先に感じたのは、視界を塞ぐ暗闇だった。

次に、鼻を突く、ひんやりとした、しかしどこか甘く澄んだ空気の匂い。

そして、背中に感じる、硬くて冷たい、しかし不快ではない何かの感触。

 

連(ここ……どこだ? 病院か? ……いや、病院にしては空気が綺麗すぎる。それに、体が動かない。……金縛り?)

 

状況を把握しようと、連は目を開けようとした。

まぶたが、異様に重い。ゆっくりと、癒着していたものを剥がすようにして、視界を開く。

 

連「……ッ!?」

 

そこに広がっていたのは、見慣れた天井でも、病院の白い壁でもなかった。

 

一面の、蒼。

 

深く、吸い込まれるような蒼い氷の結晶が、洞窟の天井を覆い尽くしていた。その氷は自ら光を放っているようで、暗闇の中に幻想的な蒼い世界を作り出している。

氷の天井の隙間からは、微かに、信じられないほど澄んだ夜空が見え、そこには地球では見たこともないほど巨大で、青白い月が二つ、並んで浮かんでいた。

 

連(……月が、二つ? なんだこれ、映画のセットか……?)

 

連は混乱した。

ガス爆発。死。世界の言葉。フェンリル。

断片的な記憶が、パズルのピースのように繋がろうとしては、あまりの荒唐無稽さに弾かれる。

 

連(落ち着け。落ち着け、暁連。まずは現状確認(ステータスチェック)だ。ゲームの基本だろ)

 

彼は身体を動かそうとした。

その瞬間、強烈な違和感が彼を襲った。

 

連(……あれ? 手が、足が、……ない?)

 

いや、ある。あるのだが、何かが決定的に違う。

自分の身体を動かそうとする「命令」と、実際に動く「感覚」の間に、致命的なズレがある。

 

連は、意を決して、自分の「手」があるはずの場所を視界に入れた。

 

連「…………嘘だろ」

 

声が出た。いや、正確には「声」ではない。

「グルル……」

という、地を這うような、低く、威厳のある咆哮が、彼の口から漏れ出たのだ。

 

視界の先にあったのは、白銀の、美しい毛並みに覆われた、巨大な「前足」だった。

高校生の、ひょろひょろとした腕ではない。太く、頑強で、鋼のような筋肉が詰まった、猛獣の足。

その先端には、黒く鋭い、岩をも引き裂きそうな爪が、蒼い氷の床に食い込んでいた。

 

連(嘘だ……。まさか、本当に?)

 

連は、恐怖よりも、信じられないほどの衝撃に包まれた。

彼は、這うようにして、近くにあった氷の壁へと近づいた。氷の表面は、鏡のように滑らかで、今の彼の姿を克明に映し出していた。

 

そこにいたのは。

 

美しく、そして悍ましいほどに巨大な、一頭の白銀の狼だった。

 

月光を浴びて輝く、シルクのように滑らかで、かつ鋼のように強靭な毛並み。

額には、紅い魔力の奔流を感じさせる、複雑な紋様が刻まれている。

そして、その瞳。

地球の狼のような黄色い瞳ではない。燃え盛るような、深紅の瞳。その奥には、知性と、そして底知れぬ「魔性」が宿っていた。

 

その姿は、彼がこれまでの人生で愛してきた、どのゲームのモンスターよりも、どの神話の挿絵よりも、美しく、そして「本物」だった。

 

連(神獣……。フェンリル……!)

 

連の心臓が、ドクンと大きく波打った。

それは、恐怖によるものではなかった。

歓喜。興奮。そして、筆舌に尽くしがたい「達成感」だった。

 

連(やった……。俺、本当に……、フェンリルになったんだ!)

 

彼は、自分の身体を確かめるように、ゆっくりと立ち上がった。

四本足で立つ、という行為は、最初はひどく奇妙だったが、彼の魂は、驚くほど自然にこの肉体に馴染んでいた。

背筋を伸ばすと、視点は高校生時代よりも遥かに高くなった。

体長は優に5メートルを超えているだろう。この巨大な氷の洞窟ですら、少し窮屈に感じるほどの巨体だ。

 

連(すごい……。力が、満ち溢れてくる……!)

 

一歩、足を踏み出す。

氷の床が、心地よい音を立てて砕ける。

その一動作だけで、自分がこれまで持っていた「身体能力」の概念が、根底から覆されるのが解った。

地球のトップアスリートすら、今の彼の足元にも及ばないだろう。

少し力を込めれば、この洞窟の壁など、粉々に粉砕できる。

そんな、絶対的な「強者」としての万能感が、全身の細胞一つ一つから湧き上がってくる。

 

連(ステータス確認……、は、できないか。ゲームじゃないしな。……でも、感じる。俺の中に、とんでもない「何か」があるのを)

 

それは、「魔素(マナ)」と呼ばれるエネルギーだった。

これまで感じたこともない、濃厚で、冷徹で、しかしどこか懐かしいエネルギーが、彼の肉体と魂を循環している。

彼が意識すれば、周囲の気温が、劇的に低下するのが解った。

彼が願えば、空間の氷が、彼の意志のままに形を変えるのが解った。

 

連(「氷結支配」……。フェンリルの、権能か。……面白い)

 

連は、ニヤリ、と狼の顔で笑った。

その顔は、強大な力を手に入れたモンスターのそれというよりは、新しい最高級のゲーミングPCを手に入れた、オタク少年のそれだった。

 

連「……あ」

 

その時、連は、自分の中に、もう一つ、異質な「何か」が存在することに気づいた。

 

魔素の奔流とは違う。

もっと、彼の「魂」そのものに、固く、重く、絡みついている、不気味な「何か」。

 

連(なんだ、これ……? 体が、重い……? ……いや、違う。力が、抑え込まれている?)

 

彼は、自分の身体を、霊体(アストラルボディ)レベルで観察しようと試みた。

「遊戯者」という、まだ彼自身が認識していないユニークスキルの恩恵により、彼は直感的に、自身の魂の状態を「視る」ことができた。

 

そこに、あった。

 

彼の、白銀に輝く魂の周りに。

不気味に赤黒く明滅する、太い「鎖」が、幾重にも巻き付いていた。

 

その鎖は、彼の莫大な魔素の、実に9割近くを、強制的に抑え込み、圧縮し、どこかへ「貯蔵」していた。

 

連(……は? なんだこれ、デバフ? ……いや、違う)

 

連は、その鎖から感じられる「意志」に、既視感を覚えた。

それは、彼自身の意志だった。

 

連(「縛りプレイ」……?)

 

脳内に、世界の言葉の声が、再び蘇る。

《世界の言葉がレンの「フェンリルになりたい」という願いと「高難易度ゲームを好む性質」を解析した結果、「最強の種族でありながら、自らを縛ることで磨き上げる」という矛盾した進化を促した結果の産物。》

 

連は、しばらく呆然としていたが、やがて、狼の喉を鳴らして、大爆笑した。

 

連「グルァハハハハ! ……最高だ! 最高すぎるだろ、これ!」

 

その咆哮は、洞窟の蒼い氷を震わせ、天井からいくつかの氷柱を落下させた。

 

連(転生して、最強の神獣になったのに……。俺自身の「ゲーマーとしての業」のせいで、最初から強力なデバフ(自己制限)がかかってるってか! ……クソゲー、……いや、これこそが至高の「神ゲー」だろ!)

 

連「最初から最強キャラで無双するより、レベル1で裏ボス倒すほうが達成感あるだろ?」

 

それは、彼が前世でよく口にしていた、口癖だった。

世界の言葉は、彼のその歪んだ「楽しみ方」さえも、スキルとして具現化してくれたのだ。

 

ユニークスキル:『縛る者(グレイプニル)』。

 

そのスキルにより、彼のステータスは現在、本来のフェンリルの10%程度にまで抑え込まれている。

しかし、連は、それを「弱体化」とは捉えなかった。

 

連(このデバフ状態を、プレイスキル(技術)で補いながら、この世界を攻略していく……。……これ以上の「やり込み要素」があるかよ!)

 

彼は、抑え込まれた力の中に、逆に、極限まで磨き上げられた「刃」のような、凄まじい「魔素の密度」を感じていた。

『縛る者(グレイプニル)』は、力を抑え込むと同時に、その力を、極限まで圧縮し、純度を高めていたのだ。

そして、鎖の中に蓄積され続けている、莫大なエネルギー。

これが解放された時、どれほどの「火力」が出るのか……。

 

連(……ぞくぞくするな。……楽しみすぎて、毛皮が逆立ちそうだ)

 

連は、自分の新しい身体を、もう一度見つめた。

白銀のフェンリル。

その本来の姿は、あまりにも強大で、あまりにも美しい。

 

連(よし。……まずは、この姿(アバター)でのキャラメイク(人化)と、基本操作(スキル確認)から始めるか。……プロローグは、これで終わりだ)

 

彼は、洞窟の奥へと、力強い足取りで歩き出した。

 

連(……それにしても、この洞窟。……何かが、いたような跡があるな)

 

連は、フェンリルの超感覚により、洞窟の空気に、莫大で、悍ましいほどに凶悪な、しかしどこか寂しげな「龍」の残滓を感じ取っていた。

 

連(……まあ、いいか。今は俺の「初期リス地」だ。……誰かがいたとしても、今の俺が「縛りプレイ」の最初の相手になってやるさ)

 

蒼い氷の世界に、白銀の狼のシルエットが、ゆっくりと溶け込んでいく。

 

暁連。

享年16歳。

高校生の彼は死に、今、異世界にて、最強にして最弱の神獣、白銀のフェンリルとして、第二の「遊戯(人生)」を、ここに開始した。

 

その瞳には、恐怖も悲しみも、何一つなかった。

ただ、強敵(ボス)との出会いを待ち望む、純粋な、戦闘狂(ゲーマー)の歓喜だけが、爛々と輝いていた。

 

連(……さて。この世界の「攻略サイト」は、どこにあるのかな?)

 

その口元に、小さな氷の結晶が、悪戯っぽく、ニヤリと浮かんだ。

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