静寂に包まれていたはずの夜が、突如として焦熱の波動に叩き起こされた。
村の外れ、ドワーフたちが整備を始めたばかりの広場付近から、天を衝くような紅蓮の火柱が上がる。
連「……ッ!? ナビ、何が起きた!」
白銀の巨狼、連は、誰よりも早くその異変を察知し、疾風となって現場へ急行した。背後からはシルフィエッタとホウリンが、主の放つ殺気に呼応するように続いていた。
現場に到着すると、そこには既にリムルと、腰を抜かしたカバル、エレン、ギドの三人組がいた。
中心にいるのは、シズ――。
いや、かつての彼女の面影は、内側から噴き出す禍々しい炎によって塗りつぶされていた。彼女の肉体を依り代(依り代)にして、最上位精霊『イフリート』がその醜悪な真の姿を現そうとしていた。
連「リムル! 状況は!」
リムル『連か! マズい、シズさんの中にいたイフリートが暴走してる! このままだとシズさんの精神が焼き切れる……!』
リムルの声には、かつてない焦燥が混じっていた。
連の紅い瞳が、炎の中で苦しげに顔を歪めるシズを捉える。昼間、家族としての絆を確認し合ったばかりの、大切な「親類」が、今まさに化け物に食い破られようとしている。
連(……ふざけるな。運命(シナリオ)だか何だか知らねぇが、俺の家族に勝手にデバフかけてんじゃねぇぞ……ッ!!)
連の首元の鎖が、真っ赤に、そしてどす黒く脈動し始めた。
連「ナビ、リミッター解除! 『縛る者(グレイプニル)』出力25%!! ターゲットをシズさんの中から『炎の精霊のみ』に固定(ロック)しろ!」
『了解。……承認。25%限定解除。権能:強制分離・因果切断(セパレーション)を起動します』
連が咆哮を上げると、影の中から無数の赤黒い鎖が飛び出した。
それは実体を持たない精霊すらも縛り上げる、神の拘束具。鎖はシズの体を傷つけることなく、彼女の肌に張り付くように展開されていた炎の術式を、力ずくで引き剥がしていく。
連「ガアァァァッ!! 剥がれろ、化け物がぁ!!」
「ギ、ギャァァァァァッ!!」
シズの口から、彼女のものではない、不快な精霊の悲鳴が上がる。
グレイプニルの鎖がイフリートの魔素構造を雁字搦めにし、彼女の肉体という「檻」から強引に引きずり出した。
連「今だ、リムル! 飲み込め!!」
リムル『了解! ユニークスキル『捕食者』――発動!!』
連が引き剥がしたイフリートの本体を、リムルの蒼い体が巨大な口となって包み込む。
一瞬の閃光。
あれほど周囲を焼き尽くそうとしていた焦熱の嵐が、嘘のようにリムルの体の中へと消えていった。
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静寂が戻った。
だが、その静寂はあまりにも冷たく、重かった。
連「……シズさん!」
連は人型へと戻り、力なく地面に崩れ落ちたシズへと駆け寄った。
イフリートを切り離したことで、彼女の命を辛うじて繋ぎ止めていた魔力の供給源が消失したのだ。
彼女の体は、召喚されてから数十年という長い月日の重みを、今この瞬間に一気に引き受けていた。
黒かった髪は雪のように白く変わり、若々しかった肌は、死の間際にある老人のように枯れ果てていく。
シズ「……連、さん……。……リムル、さん……」
シズが、微かに、本当に微かに目を開いた。
連「バカ言うな、シズさん! 今、フルポーションを……ナビ、最高純度のを……!」
連は震える手でインベントリを開こうとしたが、シズの冷たい手が、それを優しく制した。
シズ『……いいのです。……ポーションでは、この「呪い」は治せません。……私は、もう……十分に、生きましたから』
連「……シズさん。……俺、まだあんたにポテチ食わせてねぇぞ。……母さんの話、もっと聞いてくれるって……」
連の瞳から、大粒の涙が溢れ落ちた。異世界に来てから、どんな強敵を前にしても崩さなかった「攻略者」の顔が、そこにはなかった。ただ、目の前の大切な人を失いたくないと願う、一人の少年がいた。
シズは、潤んだ瞳で連を見つめ、それからリムルを見た。
シズ『……最期に、わがままを……言ってもいいですか?』
リムル「……ああ。……何でも言ってくれ」
リムルが、悲しみを押し殺した声で応じる。
シズ『……私を、食べてください。……この世界は、私にとって……残酷すぎました。……けれど、あなたたちに会えたこの数日間だけは……本当に、幸せだった。……だから、最後くらいは……この世界の土に還るのではなく……大好きな、あなたたちの一部になりたいのです』
その願いは、この世界に対する彼女の、静かな、しかし最大の抗議だった。
自分を喚び出し、利用し、弄んだ世界。せめて肉体だけでも、その因果から連れ去ってほしい。
連「……わかった。……約束する。……あんたの想いも、あんたの呪いも、全部俺たちが引き受ける」
連がシズの手を握りしめる。
シズ『……ありがとう、連さん。……あなたは、私の自慢の……子孫です。……リムルさん、……お願い、します』
シズは満足げに、そして穏やかに微笑んだ。
その瞳から光が消え、握りしめていた連の手から力が抜ける。
連「……シズさん……ッ!!」
連の慟哭が夜の森に響き渡った。
リムルは静かに、彼女の遺体を『捕食者』で包み込んだ。
それは食事ではない。魂の約束を果たすための、神聖な儀式だった。
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数刻後。
連とリムルは、シズが愛用していた『抗魔の仮面』を手に、丘の上に立っていた。
リムルの姿が、ゆっくりと変貌していく。
蒼いスライムの体が収束し、そこから現れたのは……。
シズによく似た、けれど中性的な美しさを湛えた、銀髪の子供の姿だった。
連「……似てるな。……シズさんに」
連が掠れた声で呟く。
リムル「ああ。……彼女の『擬態』を継承した。……これからは、俺がこの姿で、彼女が生きた証を背負っていく」
リムルは、手に持っていた仮面を顔に当てた。
それが、後の魔国連邦の盟主、リムル=テンペストのトレードマークとなる。
連は、シズの最期の思念をナビを通じて反芻していた。
彼女を召喚し、イフリートを植え付け、彼女の人生を狂わせた張本人――魔王レオン・クロムウェル。
そして、彼女がイングラシア王国で心残りにしていた、自分と同じ「異世界人」の教え子たち。
連「……リムル。……決めたぜ」
連の紅い瞳が、決意の炎を宿して燃え上がる。
連「俺たちの『攻略目標』を追加する。……イングラシアの子供たちの救済。……そして、魔王レオンの元へ、シズさんの『一言』を届けに行く。……あいつに、彼女がどれだけ苦しみ、どれだけ強く生きたか……その横っ面をぶん殴って教えてやるんだ」
リムル「……ああ。……同感だ、連」
リムルが仮面の奥で、静かに頷く。
シズの死は、二人にとってただの悲劇ではなかった。
それは、自分たちがこの世界で「何をなすべきか」を明確にする、魂の継承だった。
連「シルフィ、ホウリン。……聞け」
背後に控えていた二人の配下へ、連が命じる。
連「俺は、この世界の『不条理』をぶっ潰すことに決めた。……シズさんのような悲劇を、二度と繰り返させない。……俺たちの『国』は、誰もが、笑って『いってらっしゃい』と言える場所に作り変えるぞ」
シルフィエッタとホウリンが、その主の凄まじい決意に、かつてない深い敬礼を捧げた。
シルフィエッタ「……御意。我が主、連様。……あなたの歩む道が、シズ様の遺した希望の道となるならば……私はこの命、火に焼かれようとも捧げましょう」
ホウリン「……主の敵。……世界の理。……全部、斬る」
夜明けの光が、地平線から差し込み始めた。
シズを失った悲しみは消えない。けれど、その悲しみは、今、最強の「変革の意志」へと昇華した。
連は、自分の首元でカチリと音を立てる鎖に手を触れた。
リミッターを外したその力で、いつか必ず、魔王の座にまで辿り着いてみせる。
連「……待ってろよ、レオン。……最高の『バッドエンド』を、俺たちが『ハッピーエンド』に書き換えてやるからな」
銀髪のリムルと、白銀の気配を纏う連。
二人の転生者の物語は、一人の女性の遺志を燃料にして、さらなる激動の渦中へと突き進んでいく。
ジュラの大森林を渡る風は、シズへの鎮魂歌のように優しく、そして未来への狼煙のように熱く吹き抜けていった。