宇宙戦艦ヤマト外伝 宇宙戦闘空母シナノ   作:榎月

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建造編第二話に『シナノ』の完成予想図の画像を掲載しました。
ヘタクソな絵ですが、想像の一助になれば幸いです。
本格的なお絵かきソフトを購入しようかしら。でも根本的に画力がががが。


第十七話

2208年3月6日9時1分 冥王星公転軌道周辺宙域 『ニュージャージー』第一艦橋

 

 

それまで規則正しく為されていた星々の瞬きが前触れなく激しく揺らぎ、墨色の世界に幾筋もの青白い光が割り込んできた。

まばゆい光明はやがて細長い形へと変化し、光を凝縮するかのように空色の実体が浮かび上がってくる。

しかしその実体は光のように温かみあるものではなく、幾重にも重ねられた塗装の下には鋼鉄の体と宇宙一つ吹き飛ばしかねない膨大なエネルギーを隠している。

46センチ衝撃砲三連装3基がその姿を明らかにした頃には周囲に生じていた発光現象も収まって、それぞれの艦体色が肉眼でも確認できるようになっていた。

 

 

「通常空間へのワープアウトを確認。現在、冥王星基地より10宇宙キロの公転軌道上です」

「本艦後方200メートルにワープアウト反応。輸送船団です」

 

 

航海長席正面のモニターに映る、三次元波動の波形が上下する音が第一艦橋に空しく響く。

報告を上げるシャロンとカレンの声も、誰の耳にも届いていないかのようだ。

 

 

「…………」

「艦長?」

「……ん? あ、ああ。すまない」

「……艦長。俺達、これでよかったんですかね?」

「…………む」

 

 

エドワードは既に空になって久しいコーヒーカップを呷り、底に残ったブラックコーヒーを舐めることで、苦々しい表情を隠す。

航海副班長のスティーブンの問いかけはここにいる者たちの総意であり、エドワード本人の気持ちでもあった。

昨晩―――といっても、数時間前の事だが―――荒れに荒れた会議はエドワードの説得も空しく、地球への撤退が正式に決定された。そして午前9時、たったいま冥王星宙域へ向けて一斉ワープが行われた。

地球圏に帰ってきてしまった今、当分のあいだ出撃はできない。ここまでくれば冥王星基地に寄港しないわけにはいかないし、そうなれば修理や戦死者の葬儀をせざるを得なくなり、とてもじゃないがとんぼ返りはできないだろう。

SEALSセイバー隊リーダー副長、スティーブ・ダグラス、アレックス星王女サンディ・アレクシア、地球連邦大学大学院生簗瀬あかねの3名は、ガトランティス帝国軍に連れ去られたままだ。

 

 

「このまま、彼らを奪還せずに帰ってしまっていいんですか?」

「……調査船団司令の決定だ。今さら覆らん」

 

 

3人がガトランティス帝国軍に拉致された事を知っているのは我々だけだが、拉致された過程を考えれば、船団司令に本当の事を言うわけにはいかない。

だから、何としても合衆国のメンツを潰さずに3人を救出する必要があったのだが……船団を巻き込んで作戦を続行させようという思惑は、あえなく失敗した。

長時間にわたる怒鳴りあいで疲れ果ててしまい、今さら船団司令に再度直談判して話を蒸し返す気力も体力も無い。

司令の決断を無視して単艦残ることは船団の規律を乱すことになるし、合衆国軍の評判を貶めることにも繋がる。

行くとしたら一度冥王星基地に戻って船団が解散してから、改めて行くしかないと思っていた。

 

 

「合衆国の軍隊は仲間を見捨てないんじゃなかったんですか?」

「スティーブン、我々は見捨てるのではない、一時的な戦略的撤退だ。二次遭難を避けるための一時的な捜索打ち切りは、山岳救助ではよくあることだ」

「過去には、敵中に孤立した味方を助けるために救出部隊を組織した例がいくつもあります!」

「そして逐次投入された救出部隊が各個撃破された例があるのも、また事実だ」

「今こうしている間にも、彼らは拷問を受けているかもしれないんですよ!?」

 

 

ゆるいウェーブのかかった金髪を揺らして振り向いたカレン・ホワイトが、激しい口調で反論する。

それを契機に、堰を切ったようにカレンが、シャロンが、クレアが、スティーブンが艦長席の前に集まってくる。

もう我慢できぬと、エドワードへと詰め寄った。

 

 

「艦長、我々だけでも戻りましょう!」

「このままでは、戦死した仲間たちに顔向けができません!」

「資材も食料も燃料もあります! まだまだ作戦は続行可能です!」

「テレザート星宙域まで行くのが当初の目的です! この艦ならここからでも一回のワープでテレザートまで行けます!」

 

 

冷静な反論にもめげず、次々と迫ってくる若者たち。

囲まれたエドワードは何ともいえず、眉を八の字に顰める。

彼らの真剣な表情を見て、エドワードは彼らを少し羨ましく思ってしまったのだ。

 

彼らは若く、そしてまっすぐだ。納得できない事、理不尽だと思ったことに対して、率直に意見をぶつけてくる。

それは、およそ軍人としては好ましくない事だ。

上官の命令にいちいち部下が逆らっていたら、軍隊というものは成り立たない。作戦行動など、できるはずもない。

彼らの性格という面もあるのだろうが、宇宙戦士訓練学校にいた時期がガミラス戦役の末期で、必要最低限の教育しか施せないほどに時間的・物質的余裕がなかったという事情もあるのかもしれない。軍人としての心構えに関する教育が充分でなかったことは否定できないだろう。

だが一方で、彼らの姿は己の過去を見ているようで、どうにも上から押さえつけるのは躊躇われた。

昔の俺も、彼らのように上官に噛みついては謹慎を食らい、突撃駆逐艦の艦長になってからも司令の命令に逆らってガミラスの艦隊に無謀で執拗な肉薄攻撃を繰り返したものだ。

そんな俺に、彼らを叱責する資格があるのだろうか?

 

エドワード・D・ムーアという男が直情的で好戦的な性格である事は、何よりも自分自身がよく理解している。

この齢になって性格を改める気は毛頭ないし、合衆国がそんな自分を見込んで『ニュージャージー』の艦長に任じた事も理解している。部下達が、俺のような軍人を手本と認識している可能性は大いにある。

 

(さて、どうしたものか……)

 

彼らの視線を受け止めきれずに視線を遠くへ逃がすと、ひとり自席を離れずに双眼鏡で正面を監視しているアンソニーの後ろ姿が目に入った。

抗議の輪に加わらず、黙々と自分の仕事をこなすアンソニーの職業軍人たる姿を見て、エドワードは緩んでしまいそうだった心を今一度引き締める。

 

現在回復しつつある地球防衛艦隊にあって必要なのは、アンソニーのように組織の中で活躍できる軍人であって、俺のように組織の型からはみ出して独立専行してしまうアウトローではない。

目の前で気勢を上げる彼ら彼女らが皆、ただ感情に任せて猪突猛進するだけの軍人になっては困るのだ。

さきの冥王星宙域会戦ではそれが無謀な単艦突撃となって多くの犠牲を生んでしまったことを、彼らは理解していない。

彼らは後先少ない俺とは違って将来の地球連邦を担う、そして合衆国の守り手として貴重な人材だ。

自分と同じ轍を彼らに踏ませるわけにはいかないのだ。

 

エドワードは一度瞼を閉じ、気付かれないようにそっと深呼吸する。

アンソニーを一瞥し、気持ちを切り替えて、艦長という立場を今一度意識する。

自分が言えた事ではないという罪悪感を心の中で踏み潰して、

 

 

「いい加減にしろ貴様ら!!」

 

 

威勢良かった黄色い声のヒヨッコ共どころかアンソニーまでもが背中で竦み上がるほどの大音声で、主張を叩き伏せた。

 

 

 

 

 

 

??月??日??時??分 ????

 

 

【推奨BGM:『宇宙戦艦ヤマト2199』より《イスカンダルの過去》】

 

 

―――夢を、みている

 

霧がかかったかのように真っ白で、何も見えない。

ただ、誰かが会話しているのが聞こえるだけだ。

 

神妙な口調が聞こえてくるのは、二人。若い女性の声。初めて耳にする言語だ。

日本語でも英語でも、そらが使っていたアレックス星の言葉でもない。

 

―――話しているのは、そらじゃないのか?

 

会話の主はすぐ近くにいるようだ。一人は目の前、もう一人は耳元から。

まるで、俺自身が相手と会話しているかのようだ。

 

―――視界がゆっくりと明瞭になってくる

 

白一色は徐々に暗く、赤みを帯びてくる。霧が晴れて、夕焼け空が見えてきた。

次に見えてきたのは、草花がそよ風に揺れる平原。斜陽の光に照らされて、一面が熟柿色だ。

それにつれて、自分の状態が分かってくる。どうやら俺は、夕陽が見えるどこかの丘に立っているらしい。

 

―――じくりと、心臓に苦みのある痛みが走った。

 

夢の中の俺は、視線を左にゆっくりと振る。

視界の左から人間の足下が正面へ。

地にするほどに長い、青のロングドレス。シルクのごとき光沢を放つドレス越しにでも分かる、しなやかな脚線の美しさ。

抱き締めれば折れてしまいそうな、細い腰。あかねやそらとそっくりな、控え目な……いや、それはいいとして。

そして、目に飛び込んできた女性の顔は――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そら!?」

 

 

叫び声と同時に、意識が夢から戻ってきた。

衝撃に瞼を弾き開けて最初に見たのは、もはや見慣れてしまった薄いクリーム色に塗られた独特な天井。

夜のような静寂に、単調な機械音だけが聞こえてくる。

それだけで、自分がどこにいるのかがすぐに理解できてしまった。

 

 

「病、室……?」

「起きたのね」

「……由紀子さん?」

 

 

ベッドに横たわっているであろう俺の顔を心配そうな顔で覗き込んでくる、母親代わりの人。

初めて由紀子さんと出会った時とそっくりなシチュエーションに、心拍が一気に上がる。

なんで、地球に居るはずの由紀子さんが目の前に立っているんだろうか?

ハッキリしない頭のままで起き上がろうと体を動かす刹那、

 

 

「なんで、貴女がここに……グッ!?」

 

 

突き刺すような激痛が左胸を走った。

息ができない。少しでも呼吸をしようとすれば、痛みがぶり返してきそうだ。

痛む個所を押さえたくても、体に力が入らない。

顔を顰めて痛みに耐えていると、由紀子さんが乱れかけた布団をそっと直した。

 

 

「動いちゃだめよ、大怪我してるんだから」

「大怪我……」

 

 

俺が怪我したのは、左胸の骨に罅が入った程度のはず。小さな怪我ではないが、大怪我というほどのものでもないはずだ。

そう言うと、由紀子さんは眦を下げて困ったような顔をしてしまう。

 

 

「あら、私が診たんだから間違いないわよ? 恭介君は左第六、第七肋骨の複合骨折と第三から第五までの不全骨折、それから左胸の被弾部分に浅達成Ⅱ度の火傷ね。宇宙服とコルセット越しとはいえ、レーザー銃の直撃を受けてこの程度の怪我で済んでいるんだから、生きてることに感謝しなくちゃね?」

 

 

俺が息を荒げて苦しむのを見かねてか、由紀子さんは掛け直した布団に手を差入れ、両手で包みこむように俺の右手を握った。

 

 

「恭介君が、無事で良かったわ」

 

 

由紀子さんの囁くような声が耳朶を震わせる。

握られた手の甲が、ほのかに温かくなる。

力の入らない右手の指先を少しだけ曲げると、きゅっと握り返してくれた。

由紀子さんと目が合う。

掌越しに伝わる由紀子さんの体温が、重ねまいとしていた母の姿を思い出させて、心の奥に。

でもそれを面と向かって由紀子さんに言うことは、俺には面映ゆくてできなかった。

 

 

「由紀子さん……ここは、どこですか?」

「ここは冥王星基地の病院よ。仕事で月に居たんだけど、貴方が怪我したって聞いてここまで飛んできたの」

「めいおうせい………………冥王星!?」

 

 

由紀子さんの言葉を咀嚼して理解した瞬間、一気に頭が覚醒する。

うお座109番星系じゃないのか!?

なんで俺はこんな所にいるんだ!

 

 

「冥王星ってどういうことですか! 『シナノ』は!? 調査船団は!?」

 

 

由紀子さんはつらそうに、ゆっくりと首を振る。

 

 

「……生き残った調査船団は予定を中止して、この基地に引き返してきたわ。今は死傷者の搬送が終わって、船の修理に取り掛かっているそうよ」

「引き返した……?そんな、だって、あかねとそらがまだ、」

 

 

言い終わる前に、右手を握る由紀子さんの右手がほんの一瞬、強く握られる。

慌てて由紀子さんの顔を見ればその瞳は潤み、揺らいでいた。

……それだけで、なにがあったのか、全てが理解できた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――俺は、あいつらを救えないまま、帰って来てしまったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

突きつけられた事実に、目の前が真っ暗になる。

激しい眩暈とともに、抑えがたい絶望が全身を駆け抜ける感覚がした。

 

 

「由紀子さん! 俺、俺……!」

 

 

言いたい言葉が、言わなければいけない言葉が喉の奥に詰まって、声になって出てこない。

二人を守れなかった。

由紀子さんに託されたのに、あかねとそらは何者かに連れ去られてしまった。

それを由紀子さんに言わなければいけないのに、俺は怖くて言い出すことができない。

 

 

「俺、由起子さんに、謝らなぎゃ、約束、ごめんなざい、ごめんなざい、」

 

 

嗚咽とともに涙が溢れてくる。

由紀子さんが涙で霞んでぼやけてしまう。

 

 

「あがね、そらも、守れながった、俺が、守らなきゃいけないのに、」

 

 

涙声で声にならない謝罪を繰り返した。

とめどなく溢れ出る涙が目尻を伝う。顔をくしゃくしゃに歪めて涙を出しきろうとしても、後から後から涙が出てくる。

 

 

「いいのよ、恭介君。分かってる。全部、分かってるから」

 

 

流れるままに枕を濡らしている涙を、春の野風のような温かい声とともに由紀子さんの人差し指がそっと受け止める。そのさりげない優しさに、なおさらに自分が惨めに思えてきて、余計に涙が溢れてくる。

俺は、なんてみっともないんだろう。

大事な妹達を、惚れた女を守れずに二度も危険な目に遭わせたばかりか、何者かに攫われてしまって。

軍人のくせに、大人のくせに謝ること一つできず、泣きじゃくって由起子さんに迷惑をかけるばかりで。

「由紀子さんに慕われている事が分不相応」だとか一丁前に偉そうなことを考えているくせに、ちょっと由紀子さんに優しくされただけでこんなに安心して、こんなにも情けない姿を晒している。

 

由紀子さんは俺なんかよりもよっぽど悲しくて悔しくて、俺に失望しているはずなのに!

 

 

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい………!」

「いいのよ、恭介君。本間先生から聞いたわ。貴方も大変な目に遭ったんでしょう?」

 

 

左手で頬をゆっくりと撫でられ、親指で目尻の涙を拭ってくれる。

荒れた肌に柔らかい肌の感触が心地良く感じられる。

責めるどころか俺を気遣ってくれる彼女の言葉に心を委ねてしまいそうに思えて、俺は自分を責める言葉を重ねる。

 

 

「でも、でも俺は、守れなかった……ずっとそばにいたのに、『シナノ』が一番安全だなんて言っておきながら」

「大丈夫よ、あかねもそらも絶対に生きているわ」

 

 

だが俺の懺悔を一蹴して、由紀子さんはハッキリとした口調で断言した。

 

 

「だって、恭介君が生きているんですもの」

「恭介君も、あかねも、そらも。皆、私の大事な大事な子供だから。だから、死なないの」

 

 

ね? と柔らかい微笑を浮かべる由紀子さんに、安堵と自責の念がない交ぜになって心が苦しくなる。

だが、頭をゆっくりと撫ぜられると、そんな葛藤もどうでもよくなってきてしまう。

 

 

「だから、今はゆっくり休んで。ゆっくり休んで怪我を治して、そうしたら、あかねとそらを迎えに行きましょう?」

「由紀子さん……」

 

 

「迷子になった妹を迎えに行くのは、お兄ちゃんの役目。好きな娘を迎えに行くのは、男の役目。ちゃんと連れて帰ってきて、私にちゃんと報告してちょうだい?」

 

 

紡がれる言の葉の一枚一枚が、俺の意識にゆっくりと木蔭を掛けていく。

ああ、本当に、由紀子さんにはかなわない。

俺が抱えている背徳的な気持ちを知っていて、それでも俺を息子と思ってくれているのか。

意識とともにゆっくりと閉じられていく瞼から、今までとは違う温かい滴がこぼれて頬を伝う。

どんなに強がった素振りを見せていても、俺は心の奥で、求めていたのかもしれない。

俺という半端な存在を、俺の気持ちを、肯定して包み込んでくれる、母親と言う存在を。

 

 

「ありがとう、…………かあさん……」

 

 

意識が途絶える前に、かろうじてそれだけは言いきる事が出来た自分を、褒めてやりたかった。

 

 

 

 

 

 

2208年3月11日21時29分 冥王星基地内病院

 

 

【推奨BGM:《観測員9号の心》(《Clockwork Prisoner 時計仕掛けの虜囚》piano arrange ver.)】

 

 

パタリ、と後ろ手に病室のドアを閉じた由紀子は、そのまま背中をどさりとドアに預け、静かに俯いた。

既に面会時間は過ぎており、廊下には面会客どころか看護師さえもいない。薄暗い廊下にただ独り、彼女は佇む。

夜の病院独特の冷え切った空気に溶け込むように、微動だにしないまま時計の秒針だけが2周、3周と回っていく。

長い前髪から伸びた影は目元の様子を隠し、外からは表情が見えない。

やがて耐えきれなくなったように、由紀子は顔を両手で覆ったまま空を仰いだ。

一分、二分、三分……彼女は天を仰いだ姿勢を崩さない。

その姿は泣き顔を見られたくないかのようにも、天に坐する何者かに罪を懺悔しているかのようにも見える。

やがて膝が折れ、背中をずるずるとドアに引き摺り、由紀子は座り込んでしまった。

体育座りになり、抱えた膝に顔を埋めて嗚咽を漏らし始める。

それは、恭介もあかねもそらも見た事がない彼女の涙姿だった。

 

 

「所長?」

 

 

向かいのソファに彫像のように座っていた部下の武内理紗子が、静かに由紀子に問いかける。

夜の病院を考慮して小さな声で呼びかけたが、思ったよりも廊下に反響する。

さらに声を潜めて再度呼びかけようとしたが、その直前で病室内で何が起きたのかを察して口をつぐんだ。

 

 

「……恭介さんに、真実を伝えられなかったのですね?」

 

 

由紀子は顔を上げず、こくりと頷きだけで返事する。

理紗子は由紀子の反応にほんの少し顔を顰め、だがすぐに元の無表情に戻った。

彼女にとって、由紀子の反応は充分に予想の範疇だったからだ。

だが、それは決して好ましいものではない。

 

 

「今伝えなくても、いずれ理解してしまうことなんですよ?」

 

 

問いかけられても、すすり泣く声が続くだけで由紀子は微動だに動かない。

ここまで打ちのめされた由紀子を見るのは、付き合いの長い彼女にとっても久方ぶりであった。最後に見たのは10年くらい前だっただろうかと理紗子は頭の片隅で考えつつ、由紀子に気付かれないように細く溜息をつく。

 

 

「まさか、今さら良心の呵責とか言いだすんじゃないですよね?そんな人間的なことを言う資格は、私達はとうの昔に失っているのに」

 

 

女はアップに纏めた髪を左肩に回して苛立たしげに指で梳くと、あくまで落ち着いた声で、しかし科学者として冷徹に言葉を続けた。

 

 

「生命工学研究所異星人研究課。あの狭い箱庭の中で、地球の未来のためと言いながら私達がこの手をどれだけの数の異星人の血で染めてきたことか。人類の進化のためと言って、この手をどれだけの地球人の血で染めてきたことか。その私達が今さら躊躇うなど、犠牲になった人たちへの冒瀆にしかなりません」

 

 

異星人研究課の仕事は、公式には地球が遭遇した異星人を生物学に研究して、その特徴や弱点を探ることだ。だが、公表されていないもうひとつの職掌として、波動エンジンの恩恵により生存圏が爆発的に拡大した地球人類を、長期におよぶ宇宙生活により適応した姿に人工的に進化させることがあった。

そのために、研究課の職員はさまざまな人体実験を―――鹵獲した異星人だけでなく、同胞である地球人に対してさえ―――行ってきたのだ。

由紀子の泣き咽ぶ声が止み、静寂が訪れる。ようやく話を聞いてくれるようになったかと思った理紗子は少しだけ安堵し、赤ブチの眼鏡のレンズを人差指の背で持ち上げた。

 

 

「『あかねとそらを捜し出す、唯一可能性がある方法だ』。そう言って提案したのは、他でもない貴女ですよね?」

「…………」

「別に私は、このままでも構いませんよ?アレはいくらでもありますし、二人がいなくても―――まあ、貴重な被検体を失うのは惜しいですが―――遠回りにはなりますが、彼女たちのおかげで道筋は見えてきましたから。いくらでも再現は可能です。それでも二人を捜したいのなら―――」

「分かってるわよ、そんなこと!」

 

 

弾かれたように面を上げた由紀子が、泣き腫らして頬を真っ赤に染めた顔で女を睨みつけた。

 

 

「分かっているわよ、そんなこと……」

「なら、何だと言うんです?」

「あの子、私のことを初めて“母さん”て呼んでくれたのよ……!あの子を引き取って10年経って、やっと……やっと……!」

「…………はあ」

 

 

理紗子はそれしか言えなかった。さすがに理紗子にとっても恭介の発言は予想外の出来事で、それが由紀子の心情にどんな影響を与えてこうなっているのか想像もつかなかったのだ。

 

 

「私はやっと、あの子の母親になれた……なのに、その息子を裏切るような事をしてしまった。私は、何てことを……!」

「でも、これが三人のためでしょう?」

「これ以上、あの子たちに過酷な運命を背負わせるなんて……」

 

 

唇を噛みしめ、悔恨の表情を滲ませる由紀子。いつもの様子とはまるで違って憔悴してしまった彼女に苛立ちが募り、理紗子は「情けない」の一言でバッサリと切り捨てた。

 

 

「実験が成功すれば、恭介さんは本当の意味で彼女に寄りそう事が出来る。それは貴女にとっても悪い事ではないでしょう?」

「こんな形でなんて、望んでいない!」

 

 

その言葉がよほど許せなかったのか、立ち上がった由紀子は理紗子に詰め寄る。理紗子も応じてソファから立ち上がり、至近距離で由紀子と睨みあった。

 

 

「もう既に賽は振られているんです!」

 

 

由紀子の怒声に、理紗子はそれを凌駕する大音声で返した。

 

 

「アレを埋めなければ、恭介さんは遠からず死んでいました! あらゆる面から見ても、手術は不可避だったんです! 何なら、今から彼の心臓をかっさばいて、摘出しましょうか!?」

「そんなことは言ってない!」

 

 

今まで、由紀子とこれほど激しい言い争いをしたことがあっただろうか?言葉の応酬を繰り返しながら、理紗子は内心で自分が興奮していくことを自覚していた。普段のおっとりした様子からは想像もつかない、激しく感情を爆発させる彼女の姿は、理紗子が長年の付き合いで作り上げていった「簗瀬由紀子」という人間のイメージ像からかけ離れていて、衝撃的だったのだ。

 

 

「貴女の目的は何ですか!? あかねさんとそらさんを救うことでしょう? 最も合理的かつ確率の高い手段が眼前に提示されているのにその選択をしないなんて、それでも科学者ですか!」

「そんなことを言ってるんじゃない! 親になったことがない貴女には分からないわ!」

「ええ、分かりません! 私達はどこまで行っても骨の髄から科学者です! 貴女が着ている白衣は客観的観測と合理的思考の象徴! そして、浴びた返り血を誤魔化さない決意の色なんです! 個人的な感傷に引きずられていては何もできないでしょう!?」

「裁判官にでもなったつもり? 笑わせないで。人間を辞めたら人間を理解することも救うこともできないわ!」

「まるで人間主義者のような物の言いよう……簗瀬さん、貴女はそこまで墜ちたというのですか……」

 

 

由紀子に負けないほどに頭に血を上らせながら、その実、由紀子の翻意を哀れんでいた。

理紗子にとって、由紀子は憧れの対象だった。

普段の事務作業では背後に後光が差すかのような、虫一匹にも慈悲をかけるのではないかと思わせる彼女が、こと研究になると人道や倫理と言った規範意識をいとも簡単にかなぐり捨て、私のような凡才には想像もつかないような斬新かつ残酷な実験をし、いかに被験者が苦痛に悲鳴を上げようとも眉一つ動かさずに実験を遂行するのだ。

その姿は、私には科学者の理想的な姿に見えていた。二重人格じみてさえいる潔いほどの割り切りの良さは、美しいとさえ感じていたのだ。

 

それが、今の彼女の姿はどうだ。まるで、ただのヒトの親ではないか。

 

 

「科学者だって人間よ。人の子であり人の親だわ。それは科学者の理念と矛盾しない」

「貴女がそれを言います? 自分の娘も息子もモルモットにした貴女が!」

「望んでやったんじゃないわ!」

「そんな言い訳が……」

 

 

理紗子は、これ以上の反論はできなかった。

視線が由紀子の後ろに集中する。

由紀子の背後のドアが、ゆっくりと開き始めたのだ。

 

なるほど、考えてみれば当たり前だ。

いくら寝ているとはいえ、病室の前であれだけ激しい口論を続けていれば、いやでも目が覚めてしまう。

しかし、あれだけの重傷を負っていたはずなのにもう歩けるほどにまで回復しているとは……やはり、簗瀬さんの仮説は的中していたようだ。

理紗子は、暗い愉悦に口元が緩むのを抑えられなかった。

キイ、という蝶番が鳴く音に、ようやく異変に気付いた由紀子が振り返る。

そこには真っ青な顔色に脂汗をにじませた恭介が、左胸を押さえたままドアに必死に寄りかかっていた。

 

 

「恭介、くん……?」

 

 

由紀子が一番聞かれたくなかった相手が、病室の扉を開けて二人を見ている。

理紗子が一番聞いてほしかった相手が、由紀子に猜疑の目を向けている。

 

 

「由紀子さん……俺達がモルモットって、どういうことですか……?」

 

 

息も絶え絶えに放たれた彼の言葉が、由紀子の胸に突き刺さった。

 




久々の登場、理紗子さん。出撃編第十二話以来でした。

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