本編の時間稼ぎのために外伝の投稿を始めたのに、外伝が行き詰まるというポロロッカ現象。
第一話
2208年3月19日9時50分 冥王星基地 『シナノ』第一艦橋
「艦内全機構正常、いつでも発進できます……」
正面上部のディスプレイに映る『シナノ』の断面図が全てグリーンに輝き、南部が発進準備完了を報告する。芹沢は目を瞑って厳しい表情のまま、無言で頷いた。
出港前だというのに、雰囲気は暗い。いや、沈鬱していると言った方が良いだろうか。
無機質な機械音だけが皆の耳朶に届き、省エネ状態になった画面がほの暗い光を浮かべている。
「……来ませんわね」
「ああ、来ないな」
通信席に座る葦津の呟きに、一番近い席の島津機関長が答える。
「来ませんね……」
「来てないな」
サイドポニーを揺らして漏らす館花の溜息に、隣の北野が不機嫌そうに答える。
「本当に、来ませんねぇ……」
「三回目を言うつもりはないぞ」
ツーサイドアップの金髪の先端を指先にクルクルと絡めて弄ぶ来栖の天丼ネタは、藤本には通じなかった。
「艦長……」
「待つんだ」
座席を回して艦長席に振り返った坂巻が、困惑した表情で決断を促す。芹沢はただ一言口を開くのみ、目を瞑って両腕を組んで吉報を待つ。
待っているのは、地球からの通信。昨日、芹沢が仕込んだ根回しの結果だ。
現在、『シナノ』は公的には今なお入渠・修理中ということになっている。しかし実際には修理も補給も打ち切って、艦内チェックも済んでいる。クルーも、ただ一人を除いては全員乗艦している。足りないのは篠田恭介と、出港の口実だけという段階だ。
「そもそも、科学局長に打診する方もそれを引き受ける方も、変な話ですよね?」
「普通に考えれば、連邦政府の技術局長に日本が所有する軍艦へ命令する権限なんかないはずだが?」
館花と島津の疑問に、元ヤマトクルーの坂巻、南部、北野、藤本が次々に反論する。
「館花に島津さん、そいつは甘い考えッスよ」
「確かに、普通に考えれば島津さんの言うとおりでしょう」
「でも、真田さんだからなぁ……」
「一度でも真田さんと航海すれば、分かりますよ。あの人の凄い所は、豊富な科学的知識と鋭い洞察力だけじゃありません」
「イカルス天文台をまるまる『ヤマト』の使い捨て改装ドックに改造してしまう、あの良くわからない政治手腕はどこから来るのだろうか……」
「俺は『ビッグY』計画に最初から関わっているが、あの人は表向きがおとなしくしている時こそ裏でアレコレ仕込んでいるからな」
「ごめんなさい、皆さんが仰っていることの意味が全く分からないんですけど」
「「……」」
来栖のツッコミに反応する元ヤマトクルーは誰もいなかった。
「「………」」
そして訪れる沈黙。第一艦橋の真ん中に、重苦しい空気が居座って蜷局を巻き始める。
気まずい雰囲気に侵食されて、皆の心内に忍び込んできそうになる。
ピピー! ピピー!
沈鬱な雰囲気を吹き飛ばすアラームが鳴り響いたのは、そのときだった。
弾かれたようにモニターに正対した葦津は、すぐに後方の艦長へと振り返る。
「来ました! 地球連邦科学局より通信です」
「メインパネルに回せ!」
艦長の声に、待ちきれんと全員が立ち上がる。
メインパネルに映った真田は、自分の手元にモニターに映し出された『シナノ』クルーが自分のことを親の仇でも見るような形相で睨みつけてくると、思わず顔を引き攣らせて仰け反りそうになった。しかし、頭の回転の速い真田のこと、すぐに彼らの心中を察して真面目な表情に戻った。
「真田局長、事情は南部が話した通りです。時間がありません、任務内容を簡潔にお願いします」
「わかった。詳細はそちらと港湾湾管理部にデータを送ってあるから、後で見てくれ。今は概要だけ説明しよう」
その前に、と真田は声を低くする。
「つい3日前、改正ヨコハマ条約が賛成多数で可決された」
瞬間、画面の向こうがざわめく。艦長が一喝して静まるまで、真田はしばらく待った。
「俺や藤堂さんが懸念した通り、建艦制限に空母も含まれることとなった。つまりは、ロンドン軍縮条約の焼き直しというわけだ」
改正されたヨコハマ条約は、大約すると以下のような内容だ。
一、口径8インチ以上の衝撃砲・実体弾砲を装備する宇宙空母を主力艦艇と認定し、第四次環太陽系防衛力整備計画発動まで開発及び建造を禁止する。
二、各国が年間に建造する宇宙艦艇は、5種類以上でなければならない。
三、戦略指揮戦艦・主力戦艦の建造数の増加。但し、各国が建造する比率は変わらない。
四、新造される巡洋艦は基準排水量を23500トン以下、駆逐艦は6400トン以下とする。
五、この条約は3月17日の公布を以てただちに施行とする。
一および二はあきらかに宇宙空母の量産を阻止する内容で、日本を狙い撃ちしていることは明白だ。しかもご丁寧に、四で巡洋艦・駆逐艦の大きさを制限して、戦艦並みの大きさの巡洋艦を造れないように手を打たれている。
つまり、「分類上は他艦種で実質は戦艦」という裏技を使ったビッグY計画成就は、完全に命脈を絶たれてしまったのだ。
南部が顔を強張らせたのを、真田はあえて無視した。
彼には、ビッグY計画をともに推し進めてきた同志の気持ちが、痛いほどよくわかる。
彼の心内を駆け巡る感情は、3日前に自身を襲ったものと同じなのだ。
「だが、ここで『ヤマト』の血脈を絶やすわけにはいかない。第四次環太陽系防衛力整備計画に向けて、ヤマト型を建造した技術と経験は継承していかなければならない。だから、条約の改正案が議会に提出されたときから、我々は条約の抜け道を模索してきた」
「真田さんがその話をするということは、我々に与えられる任務に関係があるんですね?」
南部の問いに、真田はそうだと答える。
「改正ヨコハマ条約と、本艦の任務が?」
「関係あるようには思えませんけど……?」
「技術局が命令できる任務って、何でしょう…?」
ボソボソと小声で疑問を口にする女性陣。彼女らには、何故真田が改正ヨコハマ条約の話をしているのか、全く想像ができない。
それは南部をはじめとした元ヤマトクルーも同様だが、真田が無駄なことをするような男でないことを知っている彼らは、無言のまま真田の次の言葉を待つ。
両者の反応の違いは、新兵とベテランの差なのかもしれない。
真田の事は良く知らないが女性陣のように疑っているわけでもない芹沢は、ひとつ咳払いをして彼女たちを諌めた。
彼女たちも、時間を浪費するわけにはいかないことは理解しているので、すぐに口を噤んだ。
「幸い、抜け道は見つかった。『シナノ』には、その抜け道を確実なものにするための任務に就いてもらう。それは―――」
真田が披露した任務を、一同は半信半疑といった表情で受領した。
そして、予定から遅れること10時38分。地球連邦科学局からの正式な任務依頼を受けた水野防衛事務次官の、胆汁を舐めたように眉間に皺を寄せた顔が『シナノ』のディスプレイに映し出される。
悔しそうな顔をした水野から任務内容が改めて告げられ、晴れて『シナノ』は冥王星基地を出て、堂々と『ニュージャージー』追跡任務に就くことができるようになった。
なお、水野の顔が映し出された瞬間、その衝撃的な映像に三人の乙女たちから悲鳴が上がったのは、全くの余談である。
◇
2208年3月19日9時30分 冥王星基地内病院
《助けたいのか、助けたくないのか、どっちだ!》
南部の言葉がいつまでも頭の中をリフレインして、執拗に恭介を責め立てる。
身体的にはすっかり完治しているので今日から個室から相部屋に移された恭介は、布団を頭から被って煩悶していた。
南部と冨士野が恭介を訪れてから丸一日、自己批判をしては自己弁護を繰り返す。
《うるせぇ……》
いつまでもこうして燻ってはいられない。理屈の上では、わかっていた。
いつまでも自分の不幸に酔って、ふがいない自分をごまかし続けても、状況は何一つ変わらない。
イスカンダル人のDNAが混じってしまったこの身は変わらないし、少しでも興奮したり体調が悪くなったりすると――ときにはきっかけもなく唐突に――自分が散々嫌っていた金髪に変化してしまう厄介な体質とも、一生付き合っていかなければいけない。
そしてなにより、
《アナタは、なぜ行かないのですか》
頭の中に響いてくる、妄想なのか幻覚なのか分からない代物となんとか折り合いをつけなければ、俺はこのまま精神病院に直行だ。
《義妹たちのことが、心配ではないのですか?》
まるで、猫をかぶっているときのそらと同じような口調と声色で、南部と同じことを言って俺を責め立てる。
「うるせぇなぁ……」
彼女の声が聞こえ始めたのは、体内に入り込んだ異物の正体がサーシャの細胞だと知らされた、その日だった。
最初は、夢の中で聞こえてくるだけの存在だった。三日目には、起きていても言葉にならない声が幻聴のように聞こえてくるようになった。一週間が経つころには、一日に数回、こうやって話しかけてくるようになったのだ。
誰もいない個室に声が聞こえてきたとき、自分はとうとう気が狂ってしまったのかと思った。由紀子さんから聞かされたS細胞の存在と、その直前に見た夢がなかったら、迷うことなく首を括っていたに違いない。
彼女は一方的に語りかけてくるだけで、こちらが呼びかけても答えてくれるわけではない。向こうもこちらの声や思考が読み取れるわけでもないらしく、互いに一方通行の関係だ。
だから最近では、耳をふさいでも聞こえてくる雑と割り切って、顔を顰めながらも聞き流している。
「あ、うるさかったですか?」
不意に。カーテンの向こうから、声がかけられた。
どうやら、俺の独り言が隣のベッドにまで漏れ聞こえていたようだ。
恭介は自分のベッドを囲っていたカーテンを開き、隣人の顔を見た。
「すみません、独り言なんで気にしないでください」
そう言われた隣の患者は、左腕を包帯でぐるぐる巻きにした姿で、すまなそうに笑った。ここでようやく、恭介は彼が話しかけてきた訳を知る。何故今まで気づかなかったのか、彼のベッドから歌が漏れ聞こえていたのだ。
「イヤホン?」
「いえ、自分も聴きたいので」
右手に持って耳にかけるしぐさをする男に、恭介はつまみを回すしぐさで返す。その意に気づいた男は、リモコンでTVの音量を上げた。
テレビの音を聴いていれば、頭の中の声も少しはまぎれるだろう、という打算もあった。
テレビ番組はどうやら歌番組のようで、過去のアイドルのライブ映像が流れていた。
ガミラス戦役以降、度重なる侵略に伴う人口減により、音楽をはじめとする娯楽文化は大いに衰退した。ここ一、二年、人心も政治・経済も落ち着いてきてようやく、世の中に音楽というものが復活してきたのだ。まだまだ新たな音楽文化が誕生するほどの力はないが、テレビでは今までの分を取り返さんとばかりにしきりに音楽番組や特集が組まれていて、非常に活気付いている。
耳を傾けると、ちょうど前に流れていた曲が終わり、次の曲の前口上が始まるところだった。
【推奨BGM:『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』より《ヤマトより愛をこめて》】
「ああ、懐かしい歌だ」
ベッドに体を横たえて聴いていた男は、目じりを下げてスピーカーから流れてくる旋律に身を委ねる。
それは、男に女を愛する覚悟を促す曲だった。
男は、惚れた女のためならば身を挺することもいとわない。男が考えることなど、愛する人の為だけでいいのだ、と。
愛する女の為に体を張る男の悲哀と潔さをとも取れる心境を歌った、かつての大ヒット曲だった。
特に感じることも無く聞き流していると、男は唐突に自己紹介を始めた。
「自分は、白根大輔です。日本国自衛隊宇宙軍、宇宙空母『シナノ』航空科β第三中隊所属。あなたは、技術班所属の篠田恭介さんですよね?」
「……初めまして、ですよね?」
同じ艦のメンバーだとは驚いたが、恭介は彼の顔を知らない。狭い艦内とはいえ200名を超えるクルーの全員と顔見知りというわけではない。
そんな疑問が顔に出て来たのか、白根と名乗った男は「有名ですよ、貴方は」と言って、破顔した。
「柳瀬あかねさんとそらさん、そして貴方を加えた三人組は、いつも賑やかでしたからね。艦内で知らない人はいませんよ」
「賑やか、でしたか」
「賑やか、でしたね」
にっこりと答える白根と対照的に、恭介は渋柿でもかじったような顔。
航空科にまで知られていたのかと、頭を抱えたくなった。
「それに、貴方が襲撃されて医務室に運ばれてきたとき、私も怪我で医務室に居ましたから。貴方は瀕死の重傷でしたから覚えていないでしょうけど」
白根は左手をぎこちなく動かす。それは白根のパーソナルデータから特注された逸品だ。
本間の心配もよそに、白根は腕の再生よりも義手の装着を選んだ。しかし、まだ義手が体に馴染んでいないのは初対面の恭介からも明白で、肘から下と上がワンテンポずれて動いていた。
「それ……義手ですよね?」
「ええ。義手なら治療も少ない工程で済みますし、日常生活に復帰できるのが早いですからね。他の部分の怪我が治れば、また戦場に戻れますよ」
「怖くないんですか?」
「戦場に戻ることがですか?」
よくある質問かと思い、白根は恭介の言葉を先取りする。
しかし、彼の関心は違っていた。見た目だけなら本物の手にしか見えない左上肢から上を指差して、
「体の中に、異物を受け入れることです」
自身と彼を重ねあわせて聞いた。
白根はS細胞の事も、恭介の頭に今なお響いてくる声の事も知らない。
恭介自身、自分と彼を比べることに意味も道理もないことは理解していた。
それでも、彼は白根が機械の腕――つまり、異物である――に対してどう思っているのか、聞いてみたかったのだ。
問われた白根は庇うように左の義手を擦り、しばらく中空を見つめて考えると、
「別に、何とも思いませんね。自分が無茶をした代償ですから、命があるだけでも儲けもんです。機械の腕ぐらい、大したことありません」
「再生治療ならば、すべて元通りになるんですよ?」
「未練がないわけではないですが、これはこれで悪いことばかりじゃありませんよ? 器械の腕なら壊れても何度でも簡単に付け替えられますから便利でしょう」
「それは……真田さんには聞かせられないですね」
両手両足が義足の真田が聞いたら噴飯ものであろう彼の発言に、恭介は期待した答えと違って落胆する内心を苦笑いで隠しながら受け答えする。
「それに、まぁ……命令違反をした自分への罰ですから。ハンデを背負っている方が、かえって気が楽ですよ」
「命令違反? どういうことですか?」
「それはですね……」
白根が言うには、彼は中隊長の命令を無視して無人要塞に単機侵入して内部から破壊したものの、脱出の際に味方艦の射線に入り込んでしまい、撃墜されてしまったのだという。
「私は、杓子定規な性格でして。命令されたことは確実に実行できる自信がありますが、不測の事態が起きた時に自分の判断で勝手に行動していいのか、判断できなくなる時があります」
軍人失格ですねと苦笑いする彼の表情は、しかし憑き物が落ちたようなスッキリとしたものだった。
「戦場では、常に臨機応変が求められます。自分の性格では、判断の遅れが仲間を殺してしまうかもしれない。だから私は小隊長の座を譲り、二番機として隊長の命令に従ってきました」
それは、卒業してすぐに技術畑に進んだ自分は全く考えたことのない悩みだった。
小さな歯車となって働く、軍艦のクルーとは違う。一個人には身近すぎてリアルすぎる、4人の命を預かる小隊長という立場。自分の判断が部下の死に直結する重責に自分は耐えられないと、彼は自覚していたという事だろうか。
「そんな私にとって今回の命令違反は、何故できたのか自分でも不思議で仕方がないんです。あの時、隊長が立てた作戦が効果を上げ始めた矢先に台無しになってしまいそうになって、それが許せなくて咄嗟にトンネルに飛び込んだんですが……やはり、“自分らしくない”んですよ。だから、そのしっぺ返しが来てこうして義手義足になって、ああ、バランスが取れているな、ってホッとする気持ちもあるんです」
その、あまりにも未練ない様子に、恭介は違和感を覚えた。
「後悔してないんですか、自分のとった行動を?」
「ええ、全く」
答えにくいであろう恭介の問いに、白根は笑顔を崩さずにきっぱりと答えた。
「あの時自分が独断行動をとっていなければ、『シナノ』は光子砲の直撃を受けていたでしょう。手足の犠牲だけで艦を救えたなら、安い取引ですよ。自分の感情との折り合いは、自分の中で消化すればいいだけですからね」
そんなものなのだろうか、と恭介は不思議に思って白根を観察する。
見たところ、彼は恭介よりも年下だ。おそらく二十歳かそれ以下だろう。
軍人にしてはサラサラな髪が、目にかかりそうなくらいにまで伸びている。猫のような細目が、人の良さそうな印象を与える。
軍人と言われなければ、年相応に清潔感のある爽やかな青年にしか見えない。
だが恭介には、目の前の男が自分なんかよりもよほど大人なんだと、思い知らされた。
そういえば、と思い出したように、唐突に白根がつぶやく。
「『シナノ』が、もうすぐ出港するそうですが」
【推奨BGM:『宇宙戦艦ヤマト2199』より《魔女はささやく(歌)》】
瞬間、恭介に緩んでいた警戒心が戻ってくる。
そして、眼前の男に対して抱きかけた評価も白紙に戻る。
この男も、自分に行けと言ってくるのか。
昨日の南部や頭の中のサーシャのように、自分はこうして『シナノ』クルーとして体を張ったのにお前は何故行かないのかと俺を責め立てるのかと、次の展開を想像して失望した。
しかし、次に彼が口にしたのは
「篠田さんは行かなくて後悔しないのですか?」
思いがけない方向からの言葉だった。
「……こう、かい?」
ええ、後悔ですと彼は応える。
TVの音が小さくなったような、気がした。
今回身に染みて分かったのですが、と白根は続ける。
「時々刻々と変化する戦場では、自分の感情など瑣事でしかありません。まず、やるべきことをやる。自分の信念との折り合いなんてのは、全てが終わった後にゆっくりやればいいんです」
感情を棚上げにして、やるべきことを為す。
目を瞑っているかのような笑顔を張り付けたまま、身を乗り出してくる。
白根は静かに、しかし畳み掛けるように恭介に問いかける。
「貴方には、やらなければならないことはありませんか?」
「それ、は」
彼の雰囲気は変わらない。笑顔で、しかし、なぜか気圧される。
「それは、いま貴方が抱えている感情に流されてしまうような、些細なことですか?」
「あんた、どこまで知って、」
「貴方が決断を鈍らせている原因。それがどれだけ強く根深いものなのか、私にはわかりません。貴方にとっては、重大事なのでしょう。でも、」
―――今のままだと貴方、絶対に後悔しますよ?―――
恭介は、彼の言葉が自分の心に浸透/侵食していくような錯覚を覚えた。
世界から、音が消える。
自分が唾を飲み込む音が、やたら大きく聞こえる。
頭の中の声も、いつしか聞こえなくなっていた。
「貴方が、自分でやるべきと分かっていることをやらないという選択をしたとき、その結果を後悔せずに受け止めることができますか? あかねさんとそらさんがいない未来を、篠田さんは想像できていますか?」
「……」
「あなたは、あの時の私と同じです。やるべき事、やらなければならない事があって、でも自分の感情とは衝突してしまっている」
自分のやらなければならないこと。
『シナノ』に乗って、あかねとそらを助けに行くこと。
自分の感情。
自分のアイデンティティーを喪失した悲しみ。憎しみ。
由紀子さんに裏切られた失望。恨み。
「私は感情を、信念を蹴飛ばして、やるべきことを優先しました。貴方は、どうします?」
「おれ、は」
反論しようとして、言葉が出てこないことに気づく。
頭の中が真っ白になっていく。
自分のやらなければならないこと。
『シナノ』に乗ること。
あかねとそらを助けること。
自分の感情。
自分のアイ■ンティディーを喪失した悲しみ。■し■。
由■子さんに■切られた失■。■み。
「……俺は、あかねを見捨てられない。俺は、あかねを、助けなきゃ。…あかねを、助けなきゃ。あかねを助けなきゃ」
自分の心に刻み付けるように、二度と忘れないようにと、恭介は同じ言葉を何度も何度も呟く。
最初は目の焦点の合っていなかったが、徐々に心が研ぎ澄まされるにつれて顔付きがマシになっていくのを確認した白根は、テレビの電源を切った。
「……さて、私は少々トイレに行って来ます。少しは義足も動かさないと、リハビリになりませんからね」
そう一方的に言って、白根はベッドから足を下ろす。
立てかけてあった前腕部支持型杖を右手に装着して、そのまま病室の外に出てしまった。
「……」
恭介だけが、病室に独り残された。
当初の構想ではラジオから流れてくる「ヤマトより愛を込めて」の歌詞を引き合いに白根が恭介を説得するはずだったのが……いざ書き始めたらあれよあれよと話はひん曲がり、BGM≪魔女はささやく≫で台無しに。