「それじゃあ、また」
「うん。またね、絶対だよ!」
涙で腫れた目を拭い、小さく手を挙げて別れを告げると、
ようやく昔の、幸せだった日々が戻ってくると思った。それも束の間、ボク達は再び離れ離れになってしまった。それでも、
ヒロちゃん、約束だよ。絶対にまた会おうね。それまではボクも、前を向いて生きるから……。
目を瞑ると、今も鮮明に思い出せる。大好きな両親との他愛無い会話。ふかふかのベッドと、お気に入りの抱き枕。壁に掛けられた、ピカピカの制服。新生活への期待と不安。そんな何処にでもある様な、ありふれた日常。それら全てが、今となっては懐かしく思えた。
この島に来てから、たったの一週間しか経っていないハズなのに、なんだか凄く長い時間を過ごしたみたいだ。
一週間前、この島で目覚めたボクは
死に戻りの魔法。自らの死を否定し、その日の目覚めの瞬間まで時間を巻き戻すチカラ。本来一日毎にリセットされる
あの時、
ヒロちゃんがその力を使う度に、ボク達を助ける為に一体何度危ない目にあってきたのだろうか。そう考えるとボクの弱い心は簡単に綻び、涙が零れそうになったが、先程の決意を思い出しぐっと堪えた。
「強く、ならなくちゃ」
ボクの口からこぼれたその小さな言の葉は、けたたましく鳴るブレードスラップ音によって、いとも簡単に引き裂かれた。
少し遠くで、かけがえのない人を乗せた
「待っててヒロちゃん。ボクも、頑張るから!」
その叫びは誰に届くことも無く、やがてその姿が晴れ渡る空の中に消えていくまで、ボクはその場を動く事が出来なかった。
それからどれくらいそうしていたのだろうか。不意に後ろから声を掛けられてそちらを見やると、共に苦難を乗り越えた仲間の姿があった。
「帰りが遅いから心配したよ、……大丈夫かい?」
ボクを見て、落ち込んでいるのかと心配して声を掛けてくれたのが蓮見レイアちゃん。レイアちゃんはいつも頼れるまとめ役とか、みんなのリーダーって感じの人だ。正しさと規律を重んじるヒロちゃんと、リーダー気質のレイアちゃん。二人の相性は凄く良さそうに見える。
ヒロちゃんは、本当はボクなんかじゃなくて、レイアちゃんみたいなカッコいい人の方が好きなんじゃないかな……。
「うん。ありがとうレイアちゃん。大丈夫だよ」
「おい桜羽。膝の所、擦りむいてねぇか?まさかと思うが、二階堂にやられたんじゃねぇよな?」
ボクの怪我を見て、心配そうに怒ってくれているのが紫藤アリサちゃん。アリサちゃんは見た目と言動は派手で一見怖そうにも見えるけど、本当は仲間思いの凄く優しい女の子だ。委員長タイプのヒロちゃんと、不良タイプのアリサちゃん。この二人の相性も凄く良さそうに見える。
ヒロちゃん、不良とか見ると更生させたくなる
「お、おい、桜羽?」
「ご、ごめん、ちょっと考え事してた。これはさっき走ってた時に転んじゃっただけだし、もう痛く無いから平気だよ」
「そっか。なら良いんだ。じゃあ、私は先に戻ってるからよ」
安堵した様な笑みを浮かべ、それだけ言うとアリサちゃんは屋敷の方へと戻っていった。
「ふふ、アリサ君が言い出したんだよ。君の帰りが遅いから、迎えに行ってやりたい、ってね」
そう言うとレイアちゃんは口元に人差し指を当て、ウィンクしながら悪戯っぽく笑った。
「それでレイアちゃんが付き添いに?」
「あぁ。他のみんなはそれぞれ自由行動に戻っているよ。あの二人なら心配しなくても大丈夫だろう、って意見が大半でね。かくいう私も、そちらの意見ではあったんだけどね」
「そっか。ありがとう、レイアちゃん」
「気にしないでいいさ。それじゃあ、私達もそろそろ戻ろうか」
そう言って去っていく後ろ姿を、一瞬躊躇しながら呼び止めた。
「エマ君?どうかしたかい?」
その声が大きくなってしまったからか、レイアちゃんは歩みを止め、きょとんとした顔でボクを見ていた。
これまでのボクは、誰からも嫌われまいとしてきた。周囲の視線に気を配り、その視線の動きや細かな仕草から相手の心情を読み取り、基本的に自分という存在を否定しない者達と行動を共にするようにし、暗い部分は出来るだけ見せずに明るく立ち回り、そうして光が強くなった所で陰りを見せる事で、常に誰かの気を引けるようにしてきた。
あの時受け取った
それが、桜羽エマという人間の本質だった。
「レイアちゃん。ボクね、強くなりたいんだ」
だけど、これから先の桜羽エマに、それはもう必要ない。弱いだけの、守られるだけの桜羽エマの事を、ボク自身が許せない。
「お願いレイアちゃん」
ヒロちゃんの背中を追いかけるんじゃない。
ボクは、ヒロちゃんの隣を歩いていたい。
ヒロちゃんの気を引きたいんじゃない。
ボクは、ヒロちゃんの手を引いて歩きたい。
「ボクを、ヒロちゃんの隣に立つにふさわしい人間にしてほしい」
これが、ボクという弱い人間が生まれ変わる為の、はじめの一歩だった。
「……それを他の誰でもない、私に頼むのかい?」
こんな場所でも煌めきを失わない、ブロンドの髪を掻き揚げて笑うレイアちゃんの表情からは、悲しみや寂しさの混じった、怒りに近いものが感じられた。その刺すような視線にたじろぎそうになるも、ボクの口は自然と、今までなら決して選ぶ事がなかった言葉を紡いでいく。
「レイアちゃんだから、かな。ボクが知る限り、ヒロちゃんの心に一番近いのが、レイアちゃんだから」
お互いに目を背けることもなく、無限にも感じられる一瞬を、ボクとレイアちゃんは見つめ合って過ごした。
「……なるほど。冗談でも煽りでも無いようだね」
先の音を上げたのは、レイアちゃんの方だった。ふっと小さく鼻で笑うと、彼女が消えた空へと視線を送った。
「君の言う通りかもしれないね。……実は私の中には、ヒロ君と二人で、君たち全員を殺した記憶が残っているよ」
その言葉にどう返せばいいのか。ボクはその答えを見つけられずに、ただ黙って聞く事しかできなかった。
「その夢の中ではね、ヒロ君の方から声をかけてくれてね。みんなを魔女の呪いから
どこか懐かしむような、昔に見た映画の感想を語るようなレイアちゃんからは、数分前までの敵意に近い感情は感じられず、そこにあったのは、一つの恋を終えた、悲しみの海に沈む、ごく普通の少女の姿だった。
「どうだい?笑えるだろう?」
「ううん。それが、二人にとっての最善だったんだよね。笑えない、笑える訳ないよ……」
ボクや他のみんなには無い、ヒロちゃんとレイアちゃんの二人だけが知る、あったかもしれない世界の話。誰にも言えない、二人だけの秘密。
それがボクには、羨ましくて仕方がなかった。
「……あぁ、そうか。だから私は、負けたのかもしれないな」
雲一つない空を仰ぎ、声を震わせる少女の足元に降る小さな雨に見ないふりをして、ボクは静かに同じ空を見上げる事しか出来なかった。
◇
「すまない。見苦しい所を見せてしまったね」
「見苦しくなんて無かったよ。レイアちゃんは、いつものカッコいいレイアちゃんだったよ」
「そうか。君がそう言うなら、そうだったんだろうね」
あれから数分後。ひとしきり泣き終えたのか突如笑いながら走り出したレイアちゃんに翻弄されながらも、ボクたちは肩を並べ、牢屋敷前まで戻ってきていた。
「うん。決めたよ。私は君への、君達への協力は惜しまないつもりだ」
「本当?ありが──」
「エマ君」
一番の強敵からの支持を取り付け、浮かれながら述べた感謝の言葉は、レイアちゃんによって遮られた。先程、挑発にも近かい物言いをした事もあり、少し物怖じしているのが自分でも分かった。
「は、はいっ」
「君の言う強さとは、一体何かな?」
怒りや敵意とは違う、悪戯をした子供を窘めるような口調に、ボクは思わず姿勢を正してしまった。
「え?えーっと……」
「難しく考える必要は無いよ。そうだね、ヒロ君の隣に立つ為の条件。エマ君は、それが何だと思う?」
これは、かつて隣に立った事のある人間からの、一種の挑戦状のようなものだと、ボクは判断した。
「こ、困っている人を率先して助けたり、誰かの為に、本気で向き合える、とか?」
これらは全て、ヒロちゃんの事だ。ヒロちゃんの隣に立つという事は、ヒロちゃんと同じくらい強い人間で無くてはならない。それがボクの思う強さだった。
「なるほど。つまりエマ君は既に条件を満たしている、ということになるね」
「……え?」
レイアちゃんが何を言っているのか、ボクには全く理解出来なかった。
「レイアちゃん、もしかしてからかってる?」
「いいや?そんなつもりは毛頭ないよ」
レイアちゃんのその言葉に、嘘や冗談といった様子は一切感じられなかった。
「君は……少なくとも、私の知っている桜羽エマという女の子は、誰かの為にも泣き、誰かの為に怒り、誰かの為に全力で歩んで行ける少女だよ。私の罪を暴き、私が居なくなった後も、君は奮起した。これ以上、誰も悲しまないで済むように、とね」
「あ、あれはただ、ボクが早くここを出たかっただけで!だ、誰かの為とかじゃ無かったんだよ。全部、ボクのひとりよがりだったから……」
「それでいいんだよ。ありのままの君を──いや、私に言えるのはこれだけさ。君は君の為に、誰かを支えていける人だからね」
それだけ言うと、レイアちゃんは満足気に去って行こうとする。
「レ、レイアちゃんっ」
ボクの制止の声に振り返る事なく手を振り、レイアちゃんは屋敷の中へと消えて行った。
その日、レイアちゃんとは話ができぬまま迎えた夜。食堂に集まっていたボク達に、レイアちゃんの釈放が告げられた。
「それじゃあ、私は先に行くよ」
次の日の朝、レイアちゃんは皆に見送られて牢屋敷を去って行く。皆が彼女の周りに集い、あーだこーだと話を弾ませるなか、少し遠くでボクだけが取り残されていた。昨日のレイアちゃんの言葉。ボクはそれを咀嚼し、飲み込む事が出来ずにいた。
「エマくん」
深い思考の中、その呼び声にハッと顔を上げると、集団を抜けたレイアちゃんが一人、ボクの前に立っていた。
「昨日はすまない。難しい事を言ってしまったね。けれど、私は何度でも言うよ。君は、君らしくあるべきだ。どんな壁が立ちはだかろうともね」
「……うん。分かった。ありがとう、レイアちゃん」
ボクの言葉を聞いて安堵したのか、フッと笑うと彼女は一言別れを告げて、虹が消えた丘へと姿を消した。
ボクは、ボクらしく、か……。
自身を嫌い、生まれ変わろうとしたボクに投げられたその言葉に、ボクはどう答えを出せば良いのだろうか。去り行く背が見えなくなっても、ボクはその場を動く事が出来なかった。
◇
「昨日遠目で見た時も思ったが、中々豪華なヘリだ」
囚人移送用というよりかは、要人や賓客を乗せる為に使われている様な雰囲気があった。傍に居た黒塗りのスーツに身を包んだ男性に促されるまま、私はヘリに乗り込んだ。そこで私の記憶は一度途切れ、窓一つない薄暗い部屋の中で目を覚ました。
「……これは、最悪のパターンを引いたかな?」
一度は塵ゴミの様に扱われ、死に行く運命を覆し、奇跡的に日常へと帰る事を許された私達だが、一人ずつ案内されて行くという点から、
「怪我や拘束、身体への違和感等は特に無い、か。となると口封じや監禁、尋問の可能性は低くそうだが、それなら一体何の目的で……?」
「私の目的は、君と話をする事だよ」
部屋と外とを繋ぐ唯一の扉が開け放たれ、そこから現れた人影に、私は息を呑んだ。
「な、どう、き、は……?」
思考が掻き乱され、呂律が上手く回らない。
この状況で、一番に頭に浮かんできた。他の誰よりも好きだった。
たった数日の付き合い。されど、悠久の時を過ごした様な、濃密な思い出。
私の、憧れの人。
私が、愛した人。
会いたいと思った。
けれど。
この場でだけは会いたくなかった人。
「ヒロ、くん……?」
天井から吊られた薄明かりに照らされた彼女の表情からは、何の感情も読み取る事が出来なかった。