わたしの覚えている景色のほとんどは、白い天井だった。
神聖カエレスティス帝国。
そこの《
《
そこから命からがら逃げ出して、助けを求めたけどもカエルム人は誰一人助けてくれなかった。
そうして体力も、気力も無くなって。死ぬように眠っていたわたしを拾ったのは、アスデブリの男だった。
でも、あまりにも顔が悪い大人そのものだったから、わたしはすぐに攫われたのだと思って反撃した。けど、すぐに取り押さえられた。
男は、ゲドウと名乗った。
わたしのこと、助けたのだと。それがうそじゃないのは、わかった。……人のことを犬扱いには、大いに不服だけど。
その後、ゲドウはご飯をつくってくれた。
特に肉まん。あれは衝撃的だった。
溢れ出す肉汁に、それを優しくつつみこむしっとりもちもちの皮。噛めば噛むたびに旨みが溢れ出す。実験でろくなごはんを出されてなかったのを抜きにしても、間違いなくわたしの人生の中でも5本指に入る美味しい料理だった。
……一番好きだったお母さんの料理を、思い出して、そしてそれをもう食べられないことに泣いてしまった。
その様子を、ゲドウはバツの悪そうな顔で頭を掻いて見ていた。だから、顔は悪そうだけど、悪い人じゃないのはわかった。
妙な表現になるとは思うけど、悪人じゃないのは確かだ。
でも、だからこそ巻き込む訳にはいかなかった。朝起きたわたしは逃げることを決めていた。
わたしは追われている。
アスデブリの彼は、もしわたしを匿っているのに気付かれたら容赦なく殺されてしまう。巻き込むのは、いやだった。
走っていく最中すれ違うのはカエルム人ばかりだった。人知れず歯を食い縛る。
カエルム人は嫌いだ。
奴らはわたしの故郷を滅ぼし、母親を殺した。人を人だとも思わない悪魔の血が流れる民族だと思っている。
でも、わたしにも同じ血が半分流れている。母は、
当時、軍人だったカエルム人にむりやりコトに及ばれた。だから、誰が父親なのかわからない。でもお母さんはそんな憎き相手の血を引くわたしを、愛してくれた。
いいようもなく、ムカムカする。血を否定したいのに、それを否定するとお母さんとの血の繋がりまでも否定することになってしまうことに、どうしようもないほどの閉塞感を感じた。
「……いかなきゃ」
このままじゃ奴らに見つかる。
その前に、そうして逃げて……どこにいく?
「わたしにはもう帰る場所だなんて……」
「見つけたぞ! 奴だ! 間違いない!」
「ッ!」
考えごとをしていたのがいけなかったのか。すぐ近くにまでいた追っ手に気づかなかった。すぐさま駆け出し、巻く為に入り組んだ裏路地に入るけど、奴らもしつこい。
逃げ惑い、裏路地に入るとその先は壁だった。
「行き止まりッ……!」
「はぁ、はぁ。手間取らせてくれたな? えぇ、おい。だが、追い込んでやったぞ。捕えろ!」
追っ手の中でもえらそうな男の指示に、側に控えていた男達が立ち塞がる。
「舐めないで……追い込まれたのはそっちのほうよ!」
「ごはぁっ!?」
「うそだろ、ガキのくせになんて力してやがる!?」
踵を返し、わたしは拳を叩き込んだ。無防備にくらった一人はそのまま壁まで飛んで崩壊した瓦礫に巻き込まれる。
この胸の赤い宝石を埋め込まれてからわたしは、不本意ながら肉体の強度が増していた。そのおかげで、あの研究所から逃げ出すこともできた。
『きみは強いなぁ。他の実験体の目が無気力になる中、きみだけが瞳が生きている。きみならば、もしかしたらなれるかもしれないねぇ。これは僕からの贈り物さ。きみが耐えられることを願っているよ』
ねちっこくわたしを研究してきた男。そいつは、何やら変なことを言いながらわたしに赤い宝玉を埋め込んだ。そのことを思い出すと強い怒りと鳥肌が立つけども、この力のおかげでわたしはあの地獄から逃げ出すことができた。
だから、コイツら相手でも勝てる自信があった。
……あったのだけど、わたしを拾ったあの男に容易くねじ伏せられた。本当に、あいつは何者なんだろう?
とにかく、追っ手達はなんの武器も持っていないわたしの振るった拳一つまともに受けることが出来ずに吹き飛ばされていく。
「こ、こいつ……!」
「見かけに騙されるな。《
追っ手の中でも隊長らしき一人が前に出る。
そいつは他の奴らと違って、変な武器を持っていた。
「ははっ、身体は貧相だが面は悪くねぇな。差し出す前に、少しは楽しませてもらうか」
「っ、ふざけないで。誰があんたなんかに!」
「なんだ、お前覚えてねぇのか?」
「何を言ってるの?」
わたしが疑問を口にすると、男はこれ以上ないくらいに悪意に満ちた顔をした。
「お前の母親、随分と抵抗したな。おかげで、見た目は良い女だったから殺す気がなかったのに、つい手を出しちまったよ」
「は……?」
言葉の意味が理解できない。理解したくない。
目の前の男が、意地悪く笑う。見覚えが、ある。
瞬間、フラッシュバックした。
玄関で揉めたような声がした。恐る恐る覗いた先で、お母さんの胸から剣が飛び出してそのまま倒れ伏した。血が、床一面に広がっていく。
その先で、逆光でよく見えなかったけども耳障りな声で売女だと嘲笑い、その命を奪ったカエルム人がいた。そして嗤っていたその笑みは、今目の前の男と全く同じだった。
つまり、あの時。
わたしのお母さんを殺したのは──
「お前! お前がぁっ!」
「おっと、怒りを向けるのは筋違いだぜ。俺は単に仕事をしただけだ。お前の母親だって、暴れちまうからうっかり刺さっちまったんだよ。ありゃ、もったいないことをしたなぁ」
「黙れぇっ! 殺してやる……! 殺してやるぅ!」
感情が昂り、目の前の男を殺そうと拳を叩き込もうとした。
──ガキンッ
「えッ」
剣が砕けない。そのことに動揺したわたしの隙を突いて、腹を蹴り上げられた。
「ぐあっ!?」
「はっはっははは! こりゃすげぇ! 次世代の最新鋭武器の試作品だとは聞いていたがこれ程とは! 〝
髪を掴まれ、顔をあげられる。
「残念だったなぁ? 逃げたのにはヒヤリとしたが所詮はそこまでだったというわけだ」
「うるさい……! グズやろうっ、必ずお前たちにはバチが当たる!」
「はっ、負け犬の遠吠えだなぁ? おめぇがどれだけ吠えようが力《・》がなきゃどうしようもないんだよ!」
力。
あの男もそう言っていた。くやしい。もっと力があれば。
「しかし、《悪魔の心臓/デモゴルゴン》か。悪名名高き《
「うっ……
「なんだ? 知らなかったのか? カエレスティス帝国の初代皇帝が造りし、一騎当千の力を得るという至高の武具。それこそが
知らない。
だって胸のこれは勝手に埋め込まれたから。
埋め込まれてから力が強くなったのは実感していたけども、それすらもほんの一端だなんて。
でも、だったら。だったらなんでわたしはこうして地面を這いつくばっている? どうして、その力を振るうことができない。
何故こんな奴らの横暴がゆるされているの。なんで、どうして。……こんなに、わたしはよわいの。
……ゆるせない。
ゆるせない。
ゆるせない!
我が物顔で他者をいじめるカエルム人も! そんな相手に、どうすることもできないわたし自身も。
ちから、ちからが欲しい。
理不尽を跳ね除ける、不条理を壊せる力が。
『力が欲しいか?』
その内心に応えるように声が聞こえた。
目の前の男の嘲る声でも、わたしの声でもない。変な発音でありながら、不思議と耳を傾けてしまう蠱惑に満ちた声だった。
『このままでは、貴様は死ぬ。折角のこれほどの馴染む肉体。滅びるには惜しい。ならば、明け渡せ。そうすれば、貴様に代わり周囲の者共を皆殺しにしてやろう』
胸の宝石が熱い。ここからしゃべってる?
どうやってだとか、あやしいとか、正体は何なのだとかもはやどうでも良い。
この不平等な現実を壊せるなら、なんだってくれてやる。
だから、藁にも縋るつもりで頷こうとする。
その時不思議と、姿も見えない存在が嗤ってわたしの身体を──
「その力を受け入れたら、オメェそこで終わりだぞ」
聞き覚えのある声が聞こえた。
「ぐぅあぁぁぁぁ!!?」
仇の男が吹き飛んだ。何かに弾き飛ばされたんだ。誰かが近づいてくる足音。わたしは顔をあげる。
「ゲドウ……」
「おーおー、迷子の子犬みたいな顔しちまってまぁ。随分と探したぞ」
雨で既に身体はびしょびしょで、裾や袖には泥が付着していた。ゲドウは、わたしの姿を見た後安堵したように息を吐く。そして、残った仇の男を睨んだ。
「よぅ、随分とまぁ好き勝手にやってくれたじゃないか。えぇ?」
「ぐっ、目つき悪っ、ではなく何のつもりだ貴様!? アスデブリが、俺をカエルム人と知っての
「名乗る必要はねぇなぁ。オメェらはここで始末されるからな」
「ほざけっ、アスデブリ風情が!」
仇の男が、剣を片手に斬りかかる。
「それを受けちゃダメ!」
咄嗟に声に出す。
それを聞いたゲドウが、剣を受けるのでなく逸らした。瞬時にそれだけのことができる技量に驚いた。
「ん? おいおい、その武器ってもしかして」
「ふん、一端の軍人ではあるようだな。気付いたか? そう! これこそが、我々の新たなる武器、〝
「あー……なるほどなぁ。あのマッドサイエンティストの武器、この時期に普及し始めたのか。にしたって、なんでこんな輩に先行して渡すかね。全くもって理解し難いな」
ゲドウが何かを呟いている。
なに? 雨の音が大きくて、聞こえない。
「まっ、だからといってオメェらが勝てるってのはまた別の話だろ」
「うぐぉっ!?」
瞬時に距離を詰めて、連撃をする。
武器は追っ手の方が強い。それは間違いない。でも、圧倒的な技量の差がそれを覆している。仇の男は、ゲドウの攻撃を受け止めることしかできない。そして、その隙を突かれて蹴飛ばされる。
「ぐあぁっ!!? ぐ、ぐぞっ、あり得るか!? 最新の〝
「そりゃ、担い手が悪いんだよ。メリスが負けたのは……まぁ単純に戦いに慣れてないからだな。うん、やっぱり基礎は大事だよな。フィジカルは勝っているのに経験の差で容易く負けてBAD ENDになるのは、よく経験したし」
「一体何を言っているッ……! 貴様ら、早く立ち上がれ! こいつを串刺しにしろ!」
何人かの倒された奴らが立ち上がって、串刺しにしようと向かってるのに、ゲドウはわたしの方だけを見る。
「ちょうど良い。よぅく見ておけ、メリス。
ドォンと雷が鳴る。あたり一面が白で包まれた。
近くに雷が落ちたのかと思った。けど、間違いなく音の発信源はゲドウからであった。
目が慣れてくる。ゲドウを周囲を取り囲んでいた兵士達は皆、黒焦げで倒れていた。
その中でゲドウだけが髪の毛が逆立ち、顔の傷跡が脈々と生きているかのように蠢いていた。
「なんだ。それは! 一体なんなのだ!?」
「あん? 咄嗟に離れたのか、勘だけは良いな。それで知りたいのか?」
「いやっ、一度だけ聞いたことがあるっ。数ある
唯一生き残った仇の男だけが、青褪めた表情で口にする。
「《天鼓雷鳴/バルレウス》! 雷《いかずち》を操りし、至高の
「答える義理はねぇな。それに、答えた所で無意味だ。オメェは此処で終わるんだからな」
「ぐっ、俺は! 天下無敵のカエレスティス帝国のカエルム人だ! こんなアスデブリなんかにィッ! 負けるはずがない!!」
「強さを履き違えたな。弱者を一方的に痛ぶることだけを強者だと勘違いした愚か者だ。その代償は高くつくぜ」
ゲドウが槍を構え、先から紫電が迸る。
決着は一瞬。
交差したゲドウの槍が、仇の男の武器を寸断した。
「ば、ばかなこんなハズじゃ──!?」
言葉を最後まで続けられず、仇の男の武器が火花がおきて、大爆発を起こした。
「オメェの言葉、聞くに耐えねぇよ。ったくもって、汚ねぇ花火だ」
ゲドウが淡々と語って、肩に槍を担ぐ。
わたし。
わたしは。
母の仇が死んだ。その事実に、喜ぶんじゃなくて。
他者すら寄せ付けない、圧倒的な強さ。
曇天の土砂降りの中、唯一光を放つその姿は、まるで暗い夜空に浮かぶ星の光みたいで。
ゲドウの姿を見てわたしはただひとつ。
「綺麗……」
ただ、そう思った。
◇◇◇
あっぶねぇ!!!
嫌な予感がして急いで駆けつけてみれば、案の定メリスは《
しかも、何やらぶつぶつと呟いていた。
見覚えがある。ありゃ、どう見ても《悪魔の心臓/デモゴルゴン》が覚醒する最初のシーンだ。
問題は、その時の表情だ。
憤怒と自らの無力感に苛まれ、今にも囁いてくる何かに頷こうとしていた。ありゃ間違いなく《悪魔の心臓/デモゴルゴン》に唆されて、そのままあり余る力を解放する寸前だった。
確かにメリスは『シャヘル=シャレム/薄明の境界線』の主人公であり、《悪魔の心臓/デモゴルゴン》の所有者でもあるが、その力を使う時は必ず自らの意志でないといけねぇ。流されるままに力を振るう為に《悪魔の心臓/デモゴルゴン》に肉体を明け渡せば即BAD ENDだ。
危うく闇堕ちルート行きかけるところだったわ。
大胆不敵な笑みを浮かべつつも、その背中は冷や汗でびっしょりだ。てか、既に雨でびっしょり濡れてるわ。
メリスの
『改革ルート』であれば自身が国を変えるという矜持から、その力を抑えることに成功する。
『反乱軍ルート』であれば仲間を守るという思いからか、その力を利用する。
『人類の悪魔』ルートではその欲望と本能に抗えず最後にはカエレスティス帝国を血祭りにあげる。
細かなフラグ管理、或いはプレイヤーの選択によっては幅広いENDを迎えるが『シャヘル=シャレム/薄明の境界線』において、大筋はこの3つに分けられる。
だからこそ、ルートによって如何様にも変化してしまう危険性を孕んでいるのだ。
『リベリオン/帝国の夜明け』において主人公であるシドウ・皇・オリエントは良くも悪くも、カエレスティス帝国を仲間と共に変えると一本筋の通った男。つまりは王道を歩むといっても良い。性格も主人公らしく、好漢で複数のヒロインに惚れられたりした。敵との戦いで川に落下して、不本意ながらも男女で裸で温め合うシーンは興奮しましたねぇ……あ、いや今は関係ない。
一方でメリスは初のアドベンチャーゲームの主人公だからこそ、プレイヤーの選択によって多様性をもたらそうとした結果がこれだ。
子ども達と慈愛の表情で接するのと、悪魔の形相で帝国に殺戮を振り撒くのが同一人物とは思えねぇんだよ。
シナリオによって性格変わりすぎだろうがぁ!
実際、シナリオライターが複数人いたせいでルートごとに性格が百八十度変わってしまう。
おかげで何がきっかけでどんな闇堕ちルートに進むかわかったもんじゃねぇ。
だが、とにかく最悪な展開は防げたようだ。
「よぅ、メリス。探したぜ。待ってろって言ったのに、勝手に居なくなるだなんてな。待つのは犬だって出来るのに、とんだじゃじゃ馬だぜ」
「ゲドウ……」
「おっと心配しなくても、すぐに解放してやるよ」
槍を使い、メリスの拘束具を切り裂く。
すると中から、メリスの体に傷が至る所にあるから、びっくりした。オレじゃなくて、奴らから受けた傷だった。
あぶね、カッコつけて傷を負わせたら示しがつかなかった。ちょっとドキドキした。
「なんで、来たの?」
「あぁ? 勝手に居なくなったら探すだろうがよ」
「違う! わたしは、貴方から逃げた! なのに、なんで追いかけて来るのよ! 巻き込みたくなかったのに!」
「やっぱり、それが理由か」
まぁ、元々他人を思いやる性格なのは知っていたから多分迷惑かけないように逃げたんだろうなとは思っていたがよ。
困ったように頭を掻いていると、メリスは立ち上がりオレに背を向けて歩き出す。
「あ? おいおいどこに行く?」
「わかるでしょ。もう此処には居られない。わたしは、行くわ」
「あてはあるのか?」
メリスの足が止まる。
「此処から去って何処にいく? ずっと逃げ隠れする生活をする気か? そんなの、死んでいるのと変わりねぇ」
「だったら、どうしろというの!?」
こちらに振り向くメリス。
その目は迷子の子どものように揺らいでいた。
「奴等はわたしを追ってくる! どこまでも執着して、周りを巻き込むのもお構いなしに!」
「確かにそうだな」
「わかるでしょ? わたしにはもう安らげる所も、帰る場所もないッ!」
「あぁ、よぉくわかった。なら、オレがオメェの帰る場所になってやるよ」
オレの言葉に、メリスは口をぽかんと開けた。
「見ての通り、オレは強い。少なくとも武器にかまけて努力を怠った連中なんざには負けはしねぇよ」
少なくとも、
今、メリスを放っておくことはできねぇ。それは此処でメリスを見逃したらどうなるのか見当がつかないのもあるが、それよりも不安定で迷子のような彼女を放っておけなかったからだ。
「……なんでそこまでするの」
「オメェが心配なんだよ」
「だめだよ。これからずっと、迷惑をかけちゃう」
「なら、それは間違いだな。オメェは迷惑だと思ってるが当人のオレはそう思ってねぇ。だから心配すんな」
「なにそれ……、ぐすっ、なに、それぇ……!」
オレの言葉に、堰を切ったようにメリスは泣いた。
それをぎこちない手で背中を叩いて慰める。いや、だってオレ女性に抱きつかれたことないんだもん……。
「お、晴れてきたな」
まぁ、なんとかなるか。
曇天の隙間から差す日差しの明かりを見て、オレはそう思ったのだった。