混乱した方々、申し訳ございません。
「おや、これはこれは。親愛なる私の弟君ではないか。会えて嬉しいよ」
セレスティアラの執務室。
そこに現れたのは、黒縁の眼鏡をかけた痩せを通り越して痩せこけた印象を受ける、一人の男であった。
几帳面なまでに整えられた髪に、貴族が好むような派手よりも機能性を重視した衣装に身を包んでいる。
第三皇子ヌービルム。
それがこの男の名前である。
「仕事中に失礼する。セレスティアラ姉上」
「いやいや、構わないよ。ちょうどひと段落ついたところだ。ティータイムをしようとしていた所だからね。きみもどうだい?」
「ではお言葉に甘えて」
専用の机から席を立ち、近くにあるソファへと移動したセレスティアラとヌービルムは、向かい合わせで座った。
そこへサラが紅茶を用意する。
「どうぞ」
「ご苦労」
差し出された紅茶をヌービルムは一口も飲むことなく、備え付けられていた砂糖を一つではなく4〜5つ一気に投入してからやっと飲み始める。
「相変わらず砂糖を入れ過ぎだよ、ヌービルム。それでは最早紅茶ではなく
「糖分は正義ですよ。甘さは活力、苦味はほんの少しで良い。頭を働かせる仕事に就く者にとって、砂糖は親友です」
「なら紅茶にこだわる必要ないんじゃないっすかね……」
思わず小声でボソリとサラもツッコむ。
「では、本題に入りましょう。《天陽祭》についてですが、《サイデリアル》の指揮権を私に委譲していただきたく思います」
ヌービルムの言葉に、セレスティアラは困ったように眉をひそめた。ことり、と音を立てずにティーカップを机に置く。
「実質的に《サイデリアル》を動かせられるのは《天帝》だけだよ。よしんば動かせたとしてもそれはあくまで私が要請したからであり、《天帝》からそうするようにと勅命されたからだ」
「姉上ならば動かせるでしょう? それが無理ならば、《
「それは厳しいねぇ。《天陽祭》に向けて、天都に賊を近付けさせないよう睨みを効かせる為に、今《サイデリアル》は天都周辺に分散されている。残るはこの皇城を守る《サイデリアル》だけで自在に動かせる人材はないよ。そして、《
帝国には一騎当千である
「甘いですね。すくなくとも今回の《天陽祭》に関しては半数の《サイデリアル》を集結させても良いかと」
「相変わらずだね、ヌービルム。その神経質なまでの心配性は」
「姉上、意地悪はよしていただきたい。わかっているはずです、今、天都はざわついている。かの『紅血の先槍』事変により、民より人気の高かったディグル・パトリシア・シルバレットが離反。そのような状況で、《天陽祭》を行えば必ずや奴に感化された愚か者か隙を突こうと、
「今、だからだよ。国内の不安が広がりつつあるからこそ、我々は強き帝国であると示さねばならない。ディグルが離反したからこそ、なおさらね」
ディグルは、セレスティアラと同じ帝国屈指の名門リノニュートスクールに通っていた謂わば同級生に当たる。
そう、同じ釜の飯を食ったことがあるセレスティアラはよくわかっている。
ディグルが少なくとも、今すぐに動くことはないと。離反時に追手を返り討ちにしたとはいえ、少なからず手傷を向こうも負ったのだから。
「我々はここ十年で多くの
「それが懐に不穏分子を入り込ませることになるとしてもですか」
「逆だよ。普段姿を見せない不穏分子が自ら尻尾を露わにしてくれるんだ。これ以上ない好機じゃないかい《
ヌービルムは難しい顔をした。それを見たセレスティアラはくすりと笑う。
皇族は、秀でた才能を持つが故に何かしら役職の肩書きを持っている。
第一皇子ならば《帝国軍最高顧問》。
第二皇女ならば《宰相》。
そして第三皇子ならば《警察長官》である。
その他第四皇女のルドミラーシャは自ら騎士団を率いているし、残りの第五皇子、第六皇女に関しても追々何かしら役職を与えられる。
セレスティアラの言葉に、苦虫を噛み潰したような表情をするヌービルムだが、ふとセレスティアラの機嫌がいつもと違うことに気付く。
「どうにもご機嫌ですね、姉上」
「おや、わかってしまうかな?」
「えぇ、そのような一面があるとは思いも知りませんでした。……本当に何があったので? あの外に居た《
「へぇ。会ったのかい?」
「知っておりますよ。私の護衛で来てくれた《サイデリアル》のロア・ドーベルマンがそのうちの一人を、我々カエルム人の血を半分しか引かないとか」
ヌービルムはわざとらしくため息を吐いた。
「全くもって嘆かわしい。世界を導くのは、我々カエルム人だけです。それ以外の血を持つものが、天都を歩くことすら」
「……」
ヌービルムの言葉を、セレスティアラは何も言わずにただ微笑んだ。サラはその後ろで、冷や汗を流す。
「そういえば、アルティリオス兄上はどこに?」
「兄上かい? 今は
第一皇子アルティリオス。
温和な人柄で知られているセレスティアラとヌービルムの兄は、今現在
「次期皇帝の身分であるのだから、態々
「まぁまぁ、その為に護衛に《サイデリアル》も三人もつけているんじゃないか」
「そのせいで人材が枯渇しているのですがね」
「言うねぇ。兄上には直接言ってはダメだよ? しょんぼりしてしまうからね」
「その程度でしょげられては、この国を背負うのに相応しくはありません」
ズカズカと言うが、ヌービルムの言う事も一理あるので、セレスティアラもそれ以上追求しなかった。
「だが、その行動に意味はあるから困ったものだ。実際に、兄上が行ったことのある
基本、カエルム人は
しかし、アルティリオスが赴いた
「兄上の得意とすることは、人心掌握術だ。しかも、意図してではないよ。あれはそうだね、天然の人たらしという奴だ」
「……だとしても、国是である『夜空照らす綺羅星となれ。数多の星が見えなくなるほどに』に反する行為を長子自ら行うのは問題でしょうに」
この場合、綺羅星とは帝国。
その他の星とは他国のことである。輝くのは帝国だけで、その他は自らの星に霞む程度に過ぎないと言うことである。
「どうだろうね? それを掲げているのは父上……《天帝》だ。つまり、次期天帝である兄上が後を継げば変わると思ってくれるのは何の不思議もない」
「それでも、素性の知れぬ
「手厳しいね。やはり、警察組織の局長だからこそ、そういったことに敏感なのかな?」
「揶揄わないでもらいたい。姉上だって、アスデブリの地位向上の政策を作り上げようとしているではないですか」
ヌービルムの言葉に、セレスティアラは困ったように眉尻を顰める。
「きみが言いたいこともわかるよ。だけどね、これは必要なことなのさ。押さえつけるだけでは、不満は溜まる一方だからね」
実際に、アルティリオスの支持は純カエルム人もだが、
あの人が《天帝》となれば今の現状も変わる。そう思わせるだけの人徳があった。実際、セレスティアラも兄が次の《天帝》になったならば支えるつもりでもあった。
その方が、彼女の
「《サイデリアル》の件、よくわかったよ。一応、父上に要請はしてみよう。
「ふん。ルドミラーシャは、コッコルディナに甘いですからな」
己の妹に対して、ヌービルムはどこまでも忌々しそうに鼻を鳴らした。その態度に、ヌービルムのルドミラーシャに対する鬱屈した感情が見て取れた。
やがて、会話も終わりヌービルムは去っていった。
「サラ。きみも準備があるだろう? もういいよ」
「了解です。……ほんとうに、すっごくいやですけど、命令なので従います」
そのまま側近も下げる。
やがて、誰もいなくなった部屋でセレスティアラは窓に近付く。
「……ヌービルムの懸念は当たらずとも遠からずかもしれないね。ここ最近、明らかに帝国にとって不都合な流れがきている。この《天陽祭》で何か起きても不思議ではない。だからこそ、期待しているよ?
そして、遠くに消えていく《