前世が最悪だった私、転生したら娼婦で成り上がり、戦士との幸せな結婚生活を送る   作:ひまんちゅ

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第四話 少しずつ変わるもの

 働き始めて一週間が過ぎた頃、館の空気はほんのわずかに変わり始めていた。

 

 大きな変化ではない。誰かが声高に「良くなった」と言うほどでもない。ただ、日々の中で感じる小さな違和感が、少しずつ減っていくような、そんな変化だった。

 

 朝の台所では、マルゴが自然とかき混ぜながらスープを配るようになった。誰が後から来ても、極端に味が薄いということがなくなった。

 

 洗濯場では、布を詰め込みすぎないように干すのが当たり前になりつつあった。風が通るようになったせいか、嫌な匂いが残ることも減っている。

 

 物置も、まだ完璧ではないが、必要なものが以前よりずっと見つけやすくなった。

 

 どれも些細なことだ。

 けれど、その「些細」が積み重なると、働く側の負担が確かに軽くなる。

 

 そのことを、私は毎日の中で少しずつ実感していた。

 

 朝、水を運びながら廊下を歩いていると、背後から声をかけられた。

 

「リナ」

 

 振り返ると、ミレイだった。腕を組んで、いつもの少しだるそうな姿勢で立っている。

 

「はい」

 

「最近、あんたの名前よく聞くのよ」

 

「……え」

 

 思わず間の抜けた声が出る。

 

「いい意味でね。マルゴも『あの子が来てからやりやすい』って言ってたし、洗濯場も文句減ってる」

 

「……そう、ですか」

 

 どう返せばいいのか分からなかった。褒められているのは分かる。でも、それを素直に受け取ることに、まだ慣れていない。

 

 ミレイはそんな私を見て、少しだけ笑った。

 

「顔に出てるわよ。戸惑ってるの」

 

「……すみません」

 

「謝るとこじゃないっての」

 

 彼女は肩をすくめる。

 

「まあ、調子に乗らなければいいわ。今くらいのペースでやりな」

 

「……はい」

 

 私はうなずいた。調子に乗らない。それはむしろ得意分野だった。期待されすぎて、それに応えられなくなったときの反動はよく知っている。

 

 だからこそ、少しずつでいい。

 できることを、できる範囲で。

 

 その日の午後、私は台所の隅で小さな違和感に気づいた。

 

 使い終わった布が、まとめて籠に放り込まれている。まだ温かいものもあれば、すでに冷えて湿ったものもある。そのまましばらく放置されることも多く、洗濯場に回る頃には匂いが強くなっている。

 

 前世の記憶が、またぼんやりと浮かぶ。

 

 湿ったまま放置すると、匂いがこもる。

 雑菌が増える。

 後で洗う手間が増える。

 

 私は少し考えてから、籠の中の布を軽く広げた。完全に乾かすのは無理でも、少しでも空気に触れるようにするだけで違うはずだ。

 

 その様子を見ていたマルゴが、怪訝そうに声をかけてきた。

 

「また何かやってるね」

 

「すみません。あの……まとめて置くより、少し広げたほうが匂いが残りにくいかと思って」

 

「ふうん」

 

 彼女は腕を組んでしばらくそれを見ていたが、やがて近づいて同じように布を広げてみる。

 

「確かに、蒸れにくそうだね」

 

「……はい」

 

「まあ、場所は取るけど、その分後が楽なら悪くないか」

 

 あっさりと受け入れられて、私は少し驚いた。

 

 前世なら、「余計なことをするな」と言われて終わりだっただろう。理由を説明する余地すらなかった。でもここでは、少なくとも話は聞いてもらえる。

 

 それだけで、世界の見え方が変わる。

 

 夕方、洗濯場に行くと、エナが私の顔を見るなり笑った。

 

「聞いたよ、台所でもなんかやってるんだって?」

 

「……なんか、って」

 

「いい意味でだってば。マルゴが珍しく文句言ってなかった」

 

 それは相当珍しいことらしい。エナは楽しそうに肩を揺らした。

 

「ねえリナ、あんたさ」

 

「うん?」

 

「なんでそんなに気づくの?」

 

 ストレートな質問だった。

 

 私は少し考えてから答える。

 

「……前に、似たようなことがあったから」

 

 正確には、もっとひどい環境で、もっと切実に「どうすれば少しでもましになるか」を考えていた。けれど、そのまま言葉にするのは難しかった。

 

 エナは「ふうん」とだけ言って、それ以上深くは聞かなかった。

 

「まあ、助かってるからいいや。こっちも楽になってるし」

 

「……よかった」

 

 その一言で十分だった。

 

 役に立っている。

 それが分かるだけで、次もやろうと思える。

 

 夜、部屋に戻ると、私は小さく息をついた。

 

 体はまだ慣れない疲れで重い。それでも、最初の日のような不安定さは少し減っていた。やるべきことが分かっていると、人はそれだけで落ち着けるらしい。

 

 ベッドに腰を下ろし、手のひらを見つめる。

 

 赤みはまだ残っているが、ひび割れはしていない。少しずつ、この身体も環境に慣れてきている。

 

「……変わるんだ」

 

 ぽつりと呟く。

 

 世界は急には変わらない。

 でも、小さなことなら変えられる。

 

 スープを混ぜること。

 布の間隔をあけること。

 物を分けて置くこと。

 濡れた布を広げること。

 

 どれもほんの些細な工夫だ。

 けれど、それが積み重なれば、確実に「前よりまし」になる。

 

 そして何より。

 

 それを「やっていい」と思える場所に、私はいる。

 

 それが、どれほど大きな違いか。

 

 前世では知らなかった。

 

 私は毛布を引き寄せ、ゆっくりと横になった。

 

 まだ、この先どうなるかは分からない。

 ここにずっといられる保証もない。

 嫌なことだって、きっとある。

 

 それでも。

 

(もう少し、ここでやってみよう)

 

 そう思えるくらいには、この場所は私にとって――

 

 「ましな世界」になり始めていた。

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