前世が最悪だった私、転生したら娼婦で成り上がり、戦士との幸せな結婚生活を送る   作:ひまんちゅ

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第六話 外からの視線

 評判というものは、不思議な広がり方をする。

 

 館の中での小さな変化は、最初はほんの限られた人間しか気づかない。だが、そこに出入りする人間がいれば、その変化はやがて外にも漏れていく。

 

 その日、私はその「外からの視線」を初めて意識することになった。

 

 昼を少し過ぎた頃、ミレイに呼ばれて、また客室の近くまで行くことになった。

 

「今日は二組入ってるから、手が足りないのよ」

 

「……はい」

 

「前と同じ。水と茶だけ。余計なことはしなくていい」

 

「分かりました」

 

 余計なことはしなくていい、と言われて、私は少しだけ胸の奥がちくりとした。

 

 最近は、気づいたことを少しずつやることに慣れてきていたからだ。けれど、それがいつも許されるわけではないのも分かっている。場所が変われば、求められるものも変わる。

 

 私は言われた通り、余計なことは考えないようにして、用意された水差しを持った。

 

 廊下を進み、客室の前で一度呼吸を整える。

 

 大丈夫。

 ただ運ぶだけ。

 

 そう言い聞かせて、扉をノックした。

 

「入っていいわよ」

 

 中から女の声がして、私は扉を開けた。

 

 部屋の中には、前に見たのとは違う客がいた。

 

 若い男だった。二十代前半くらいだろうか。身なりは整っているが、どこか落ち着きがない。視線が忙しなく動いている。

 

 その向かいには、館の女が座っていた。落ち着いた笑顔で話をしているが、その目はしっかりと相手を見ている。

 

 私は視線を下げ、静かに机へ向かう。

 

「水、置きます」

 

 声が震えないように注意しながら、ゆっくりと動く。

 

 そのときだった。

 

「……あれ?」

 

 客の男が、ぽつりと声を上げた。

 

 心臓が一瞬だけ強く跳ねる。

 

 何かまずいことをしただろうか。

 

「どうかしました?」

 

 女が柔らかく問いかける。

 

「いや……この子、なんか……」

 

 男の視線が、こちらに向く。

 

 私は反射的に肩を固くする。

 

 見られること自体は珍しくない。

 でも、その「見方」が分からないときが、一番怖い。

 

「……普通だなって」

 

「は?」

 

 思わず顔を上げそうになって、慌ててこらえる。

 

 普通。

 

 それは、どういう意味だろう。

 

 侮辱ではなさそうだった。

 けれど、褒め言葉とも少し違う。

 

 女はくすりと笑った。

 

「それ、どういう意味?」

 

「いや、その……」

 

 男は少し言葉を探してから、続ける。

 

「なんか、こういうとこって、もっと……作ってる感じがするっていうか」

 

「作ってる?」

 

「うん。媚びてるっていうか、無理に笑ってるっていうか」

 

 その言葉に、私は一瞬だけ息を止めた。

 

 それは、前世の私がずっとやってきたことだった。

 

 媚びること。

 作ること。

 無理に笑うこと。

 

 それをやらなければ、生きていけなかった。

 

「でも、この子、そういうのがない」

 

 男はそう言った。

 

「ただ、普通にいる感じ」

 

 その言葉を聞いて、私は何も言えなかった。

 

 普通。

 

 そんなふうに言われたのは、初めてだった。

 

 前世では、異常だった。

 壊れていた。

 おかしいと言われ続けた。

 

 ここに来てからも、自分が普通だとは思っていなかった。ただ、目立たないように、問題を起こさないようにしていただけだ。

 

 それなのに。

 

「……変?」

 

 思わず、小さく声が漏れた。

 

 しまった、と思ったときにはもう遅い。

 

 部屋の空気が一瞬止まる。

 

 男は驚いた顔をして、こちらを見た。

 

「いや、変じゃない。むしろ……」

 

 少し考えてから、言葉を選ぶ。

 

「いいと思う」

 

 その一言に、胸の奥がじんわりと熱くなった。

 

 いい。

 

 ただ、それだけの言葉なのに。

 

「……ありがとうございます」

 

 自然とそう返していた。

 

 作った声ではない。

 無理に整えた笑顔でもない。

 

 ただ、少しだけ嬉しかったから。

 

 ミレイに「余計なことはするな」と言われていたのを思い出し、私はすぐに一礼して部屋を出た。

 

 廊下に出ると、さっきまでの緊張が一気に抜ける。

 

 壁に手をつき、静かに息を吐いた。

 

(普通……)

 

 その言葉が、頭の中で何度も繰り返される。

 

 普通。

 

 それは、前世の私が一番遠いと思っていたものだった。

 

 特別でなくていい。

 優れていなくていい。

 ただ、普通に存在していい。

 

 それだけのことが、あのときの私には許されていなかった。

 

 台所に戻ると、ミレイがちらりとこちらを見た。

 

「遅かったわね」

 

「……少しだけ」

 

「何かあった?」

 

 少し迷ってから、私は答えた。

 

「……普通って言われました」

 

「は?」

 

 ミレイが怪訝な顔をする。

 

「どういう意味で?」

 

「分かりません。でも……悪い意味じゃなかったです」

 

 そう言うと、ミレイは少し考えてから、ふっと笑った。

 

「ならいいじゃない」

 

「……はい」

 

「この仕事で“普通”って言われるのは、むしろ得よ。安心するってことだから」

 

 その言葉に、私は小さくうなずいた。

 

 安心。

 

 その感覚も、まだ完全には理解できていない。

 

 でも。

 

 少なくとも、さっきのあの瞬間、私は少しだけ安心していた。

 

 夜、部屋に戻ってから、私は何度もその言葉を思い返していた。

 

 普通。

 

 いい。

 

 安心する。

 

 どれも、前世ではほとんど縁のなかった言葉だ。

 

 それが今、自分に向けられている。

 

 それは、ほんの小さな変化かもしれない。

 

 でも。

 

 確かに、何かが変わり始めている。

 

 館の中だけじゃない。

 外から見ても、何かが違うと感じられるようになっている。

 

 そのことが、少しだけ怖くて。

 

 でも、それ以上に――

 

(嬉しい)

 

 そう思っている自分がいた。

 

 私は目を閉じて、ゆっくりと息を吐いた。

 

 この変化が、どこまで続くのかは分からない。

 

 でも。

 

 もう少し、このまま進んでみたい。

 

 そう思えるくらいには、私は前に進み始めていた。

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