前世が最悪だった私、転生したら娼婦で成り上がり、戦士との幸せな結婚生活を送る 作:ひまんちゅ
その日の客は、いつもとは少し違っていた。
夕方に差しかかる頃、館の入口が珍しくざわついた。昼間の客とは違い、夜に来る客はそれなりに身なりを整え、目的もはっきりしている者が多い。けれど、その日の空気はどこか緊張が混じっていた。
私はちょうど水の補充を終えて、廊下を戻る途中だった。
入口の方をちらりと見ると、一人の女性が立っていた。
――女。
それだけで、ほんの少しだけ違和感があった。
この館に来る客のほとんどは男だ。女が来ることがないわけではないが、珍しい。しかも、その女性は「普通の客」とは明らかに雰囲気が違っていた。
背が高い。
肩幅が広く、立ち姿がまっすぐで、無駄がない。
動きに迷いがなく、周囲を一度で把握しているような視線。
腰には剣。
それも飾りではなく、使い込まれたものだと一目で分かった。
(……戦う人だ)
直感だった。
私は思わず足を止め、少しだけ様子を見てしまう。
女性は入口で軽く周囲を見回したあと、迷うことなくミレイのほうへ歩いていった。
「話をしたい」
低く、落ち着いた声だった。
ミレイは一瞬だけ相手を見て、表情を変えた。
普段の気だるげな雰囲気が少しだけ引き締まる。
「内容によるわね」
「中でいいか」
短いやり取りだったが、それだけで分かる。
この人は、普通の客ではない。
ミレイは少し考えたあと、うなずいた。
「いいわ。ついてきて」
二人は奥の部屋へと消えていく。
私はその場に立ったまま、しばらく動けなかった。
なんだろう、今の感じ。
怖いわけではない。
でも、目を離してはいけないものを見た気がする。
そのとき、背後から声がした。
「リナ、何ぼーっとしてるの」
エナだった。
「……あの人」
「見た? なんかすごいよね」
エナも少し興奮した様子で入口の方を見る。
「ああいうの、たまに来るよ。冒険者とか、傭兵とか」
「……冒険者」
「うん。依頼受けて魔物倒したりする人たち。あの人、かなり強そう」
そう言われて、私はもう一度さっきの女性の姿を思い出す。
無駄のない動き。
迷いのない視線。
立っているだけで分かる、あの「強さ」。
前世では、ああいう人間を見たことがなかった。
いや、もしかしたらいたのかもしれないが、私の世界とは交わらなかった。
ここでは、ああいう人が普通に存在している。
その事実に、少しだけ現実感が揺らぐ。
「……関係あるのかな」
「ん?」
「この館に来た理由」
「さあね。普通に遊びに来ただけかもしれないし、別の用事かもしれないし」
エナは肩をすくめた。
「まあ、ああいう人は長居しないことが多いよ」
「……そうなんだ」
なぜか、少しだけほっとした。
あの人が長くここにいる姿が、うまく想像できなかったからだ。
それからしばらくして、ミレイに呼ばれた。
「リナ、ちょっと来な」
声はいつも通りだが、どこか少しだけ硬い。
私は小さくうなずいて、奥の部屋へ向かった。
扉の前で一度深呼吸をする。
嫌な予感はしない。
でも、何かが変わる気がする。
ノックをして、中に入る。
部屋の中には、ミレイと、さっきの女性がいた。
改めて近くで見ると、その存在感はさらに強かった。
無駄のない筋肉。
傷跡がいくつか見える腕。
そして、真っ直ぐにこちらを見る視線。
私は思わず目を逸らしそうになるのをこらえた。
「この子がリナ」
ミレイが言う。
女性は無言で私を見た。
上から下まで、ゆっくりと。
値踏み、というよりは、確認に近い視線だった。
「……なるほど」
小さく、そう呟く。
何が「なるほど」なのかは分からない。
「少し話をさせてくれ」
女性が言う。
ミレイは一瞬だけ私を見る。
その視線には、「無理なら断っていい」という意図が含まれていた。
私はほんの少しだけ考えて、うなずいた。
「……はい」
ミレイはそれを見て、軽く肩をすくめる。
「じゃあ、私は外にいるわ」
そう言って、部屋を出ていった。
扉が閉まる。
部屋に残るのは、私と、その女性だけ。
静かだった。
重い沈黙ではない。
ただ、無駄な音がないだけの静けさ。
「怖いか」
女性が、ふと聞いた。
私は少しだけ考えてから答える。
「……少しだけ」
嘘ではない。
でも、それだけでもない。
女性はうなずいた。
「正直でいい」
それから、椅子に腰を下ろし、私にも座るように促した。
私は少し迷ったが、言われた通りにした。
「名前はリナ、だったか」
「はい」
「私はレイナ」
短い自己紹介。
それだけで十分だった。
「お前のことを聞いた」
「……誰からですか」
「ここに来た連中からだ」
レイナは淡々と言う。
「気が利く。場を整える。無理に作らない」
それは、ここ数日で言われてきたことと同じだった。
「……大したことはしていません」
「そういうものは、やろうとしてできるものじゃない」
即座に返される。
私は言葉を失った。
「環境を読む力。人の流れを見る目。それは才能だ」
才能。
その言葉に、違和感が走る。
前世の私に、そんなものがあったとは思えない。
ただ、生き延びるために身につけただけだ。
「……それは」
言いかけて、言葉が止まる。
否定しようとして、でも、うまく言えなかった。
レイナはそれ以上追及しなかった。
「単刀直入に言う」
少しだけ前に身を乗り出す。
「お前を買いたい」
その言葉に、時間が止まった。
買う。
それは、この場所では特別な意味を持つ言葉だ。
私は息をするのを忘れたように、レイナを見た。
「……なぜ、ですか」
ようやく出た言葉は、それだけだった。
レイナは一瞬だけ考えてから答える。
「必要だからだ」
「……何に」
「旅に」
短い答えだった。
「私のパーティに来い。雑用でもいい。だが、それ以上の価値があると判断した」
私は何も言えなかった。
頭の中が、うまく整理できない。
買われる。
それは、ここでは「選ばれる」ということでもある。
でも、それがどういう意味なのか、まだ分からない。
ただ一つだけ、はっきりしていることがあった。
――何かが、大きく動こうとしている。
私は膝の上で手を握りしめた。
怖い。
でも、それだけじゃない。
ほんの少しだけ。
期待している自分が、いた。