前世が最悪だった私、転生したら娼婦で成り上がり、戦士との幸せな結婚生活を送る   作:ひまんちゅ

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第八話 条件と選択

 「買いたい」と言われたあと、しばらく言葉が出なかった。

 

 部屋の空気は静かで、重苦しさはない。けれど、私の中だけがざわついていた。胸の奥が落ち着かず、息の仕方を忘れたみたいになる。

 

 買われる。

 

 その言葉の意味は分かる。この館では、それは「外に出る」ことを意味する場合もあるし、別の場所へ移されることでもある。良いことなのか、悪いことなのかは、相手と条件次第だ。

 

 だからこそ、簡単には頷けない。

 

「……どんな、旅ですか」

 

 ようやく絞り出した声に、レイナは少しだけ目を細めた。

 

「依頼を受けて動く。魔物退治、護衛、探索。場所は定まらない」

 

「……危険、ですか」

 

「ある」

 

 即答だった。

 

 誤魔化しは一切ない。

 

 私はその答えに、逆に少しだけ安心した。

 

 前世では、「大丈夫」と言われるほど危険だった。優しい言葉の裏に、何が隠れているのか分からなかった。だからこそ、最初から危険だと言われたほうが、まだ信じられる。

 

「お前に前線は求めない。最初は雑用だ。だが、学ぶ気があるなら、剣も魔法も教える」

 

「……」

 

 剣と魔法。

 

 その言葉に、胸の奥がわずかに揺れる。

 

 この世界に来てから、そういう存在が現実だと知った。でも、それはあくまで遠いものだった。私には関係のない世界だと思っていた。

 

 それが、今。

 

 手を伸ばせば届くかもしれない距離にある。

 

「嫌なら断っていい」

 

 レイナは淡々と言った。

 

「ここに残るのも一つの選択だ」

 

 その言葉に、私は少しだけ驚いた。

 

 断っていい。

 

 その前提があることに。

 

 前世では、選択肢などなかった。

 与えられたものを受け入れるか、壊れるか。

 

 でも今は、選べると言われている。

 

「……少し、考えてもいいですか」

 

「ああ」

 

 レイナはうなずいた。

 

「急がない。ただ、長くは待たない」

 

「……はい」

 

 それで十分だった。

 

 私は一礼して、部屋を出た。

 

 廊下に出た瞬間、足の力が少し抜ける。

 

 壁に手をついて、静かに息を吐いた。

 

(どうしよう)

 

 頭の中で、同じ言葉が何度も繰り返される。

 

 残るか。

 出るか。

 

 どちらが正しいのか、分からない。

 

 台所に戻ると、ミレイが腕を組んで待っていた。

 

「どうだった」

 

「……買いたい、と」

 

「でしょうね」

 

 予想通り、といった顔だった。

 

「どうするの」

 

「……まだ、分かりません」

 

 正直に答える。

 

 ミレイは少しだけ目を細めた。

 

「まあ、簡単に決められる話じゃないわね」

 

「……はい」

 

「でも、あの人は悪い相手じゃない」

 

 意外な言葉だった。

 

「知ってるんですか」

 

「昔、一度だけ依頼で関わったことがある」

 

 ミレイは肩をすくめる。

 

「無駄に喋らないし、嘘もつかない。腕も確か。……少なくとも、ここで客として来る連中よりは、よっぽど信用できるわ」

 

 その評価は、かなり高いものに聞こえた。

 

「ただし」

 

 ミレイは少しだけ声を落とす。

 

「楽じゃないわよ」

 

「……はい」

 

「外は外で、別の厳しさがある。怪我もするし、死ぬこともある」

 

 その言葉に、私は小さくうなずいた。

 

 分かっている。

 

 ここが安全な場所ではないように、外もまた安全ではない。

 

 違うだけだ。

 

 危険の種類が。

 

「ここにいれば、少なくともすぐに死ぬことはない」

 

「……」

 

「でも、ずっとここにいるなら、それはそれで別の意味で終わる」

 

 ミレイはそう言った。

 

 その言葉は、静かに胸に落ちてきた。

 

 終わる。

 

 前世の私も、そうやって終わった。

 

 変わらない場所で、変えられないまま、少しずつ削れていく。

 

「……考えます」

 

「そうしな」

 

 ミレイはそれ以上何も言わなかった。

 

 その距離感がありがたかった。

 

 夕方、洗濯場に行くと、エナがすぐに気づいた。

 

「なんかあったでしょ」

 

「……うん」

 

「顔に出てる」

 

 エナは笑いながら、隣に座るように促す。

 

 私は少し迷ってから、レイナの話をした。

 

 全部ではないが、大まかに。

 

「へえ……」

 

 エナは興味深そうに聞いていた。

 

「どうするの?」

 

「……分からない」

 

「そっか」

 

 エナはそれ以上無理に聞こうとはしなかった。

 

 少しだけ考えてから、ぽつりと言う。

 

「でもさ」

 

「うん?」

 

「あんた、ここで終わる感じしないんだよね」

 

 その言葉に、私は驚いた。

 

「……どういう意味?」

 

「なんとなく。ずっとここにいる人って、最初からそういう空気あるけど、あんた違う」

 

 エナは肩をすくめる。

 

「外に出る人のほうに見える」

 

 外に出る人。

 

 その言葉が、妙に現実味を持って響く。

 

「……怖くないの?」

 

「怖いよ」

 

 エナはあっさり言った。

 

「でも、怖いだけでやめてたら、何も変わらないし」

 

「……」

 

「まあ、私が決めることじゃないけどね」

 

 そう言って、笑う。

 

「ただ、どっち選んでも、あんたならなんとかすると思う」

 

 その言葉に、私は何も言えなかった。

 

 信じられている。

 そう感じたのは、初めてかもしれない。

 

 夜、部屋に戻って、私は一人で考えた。

 

 ここに残るか。

 外に出るか。

 

 どちらも、正解ではない。

 

 どちらも、間違いではない。

 

 ただ。

 

 選ばなければならない。

 

 それが、今の私に与えられたものだ。

 

 前世では、選べなかった。

 

 でも今は違う。

 

 怖い。

 不安もある。

 

 でも。

 

(……どうしたい?)

 

 自分に問いかける。

 

 誰かのためじゃない。

 怒られないためでもない。

 

 自分のために。

 

 しばらくして、私はゆっくりと目を閉じた。

 

 答えは、まだ完全には形になっていない。

 

 でも。

 

 ほんの少しだけ、心は決まり始めていた。

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