リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

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第3話『異才の芽生3』

3 「ルナリア出陣」

 

 離宮の朝は、いつもより少し重かった。

 朝食の後、侍従が王宮からの書状を携えてやってきた。

 封蝋にはローゼンタリア王家の紋章が押され、厚手の羊皮紙がわずかに震えている。

 

 ルナリアは書状を開き、静かに読み下ろした。

 参内命令。宛名は第二側妃ルナリア・ネイア・ローゼンタリア。内容は簡潔だった。

『王宮書庫使用の嘆願を聞き入れるため、即刻参内せよ』

 ルナリアは書状を畳み、リュートの方を見た。

 六歳の息子は、窓辺で古い絵本を広げていたが、母の視線に気づいて顔を上げた。

 

「お母様……王宮からですか?」

 ルナリアは優しく微笑み、リュートの頭を撫でた。

 

「ええ。書庫の使用権をお願いしてくるわ。リュートが知りたいと言ってくれたこと、ちゃんと叶えてあげるからね」

 リュートは小さく頷いたが、瞳の奥にわずかな不安がよぎった。

 

「ルリカに預けて、一人で行くの?」

「そうよ。今日はお母様だけで大丈夫。ルリカと一緒に、いい子でお留守番しててね」

 ルリカがそっとリュートの肩に手を置いた。七歳からルナリアに仕える少女は、今や十三歳。静かだが、確かな忠誠を湛えた瞳でルナリアを見上げた。

 

「ルナリア様、お気をつけて……」

 ルナリアはルリカの頰に軽く触れ、リュートを抱き寄せて額にキスをした。

 

「すぐ帰ってくるわ。約束よ」

 馬車が離宮の門を出るまで、リュートは窓から母の背中を見送っていた。

 

 ◇

 

 王宮の謁見の間は、冷たく広かった。

 金色の柱が立ち並び、天井から吊るされたシャンデリアが燭台の炎を映して揺れる。しかし、側妃には椅子が与えられない。ルナリアは中央に立ち、背筋を伸ばしたまま待った。

 やがて、扉が開き、王妃マルガレーテ・エルザ・ローゼンタリアが入室した。その後ろに、国王ゼノン・アウバ・ローゼンタリアが続いた。

 王妃は玉座に腰を下ろし、国王は傍らの椅子に座った。

 

「第二側妃ルナリア。書庫使用の嘆願を聞き入れるために参内させた」

 王妃の声は、氷のように澄んでいた。

 ルナリアは深く頭を下げた。

 

「王妃陛下、国王陛下。お時間をいただき、恐縮に存じます。このローゼンタリア王国で生きていくために、王国の歴史と常識を深く学びたいと存じます。離宮に籠もる身ゆえ、知識に乏しく、不安がございます。どうか、王宮書庫の使用をお許しください」

 王妃の瞳が細められた。

 

「側妃が書庫を望む理由が、よく分からないわ。なぜ今なのか。子どものためなら、離宮で教えることもできるはずでしょう?」

 ルナリアは目を伏せ、静かに答えた。

 

「離宮で教えられる範囲は限られております。帝国から参った私には、王国の古い慣習や法の細部が不足しております。この国で、母として、側妃として、きちんと生きていくために……どうか、お許しください」

 王妃は指を軽く叩きながら、追及を続けた。

 

「子ども……リュート王子のため、ということ?」

 ルナリアは曖昧に微笑んだ。リュートの異才を、決して口にしない。

 

「王子はまだ幼く、王家の血を引く者として、母である私がきちんと知っておくべきことが多いと存じます。王家の安泰のためにも……」

 王妃はしばらく沈黙した後、口を開いた。

 

「許可はしましょう。ただし、条件を付けます。書物の持ち出しは一切禁止。使用は一日に二時間まで。毎月、読んだ書物と内容の報告書を提出。問題が発生した場合、即座に使用権を剥奪します」

 ルナリアは内心で焦りを覚えた。「一日に二時間」では短すぎる。法や歴史の書物を読み解くには、一度にまとまった時間が必要だった。

 ルナリアは恭しく頭を下げたまま、口を開いた。

 

「持ち出し禁止は、承知いたしました。ただ……一日に二時間では、歴史や法を深く読み解く前に時間が来てしまいます。王子を立派に育て上げるためにも、どうか、一日の時間制限を完全に撤廃し、毎日自由に通わせることをお許しくださいませ」

 わざと過大な要求を突きつけたルナリアに、王妃は冷たく笑った。

 

「あなたのような帝国出身者に、王宮を毎日自由にうろつかせる無制限の許可など、出せるはずがないでしょう」

 王妃の防衛ラインはそこだ。「毎日王宮をうろつかれること」を嫌がっている。

 ルナリアはすぐに頭を下げた。ここからが彼女の本命の要求だった。

 

「申し訳ありません。では、毎日通うことは諦めます。その代わり、育児の合間に週に数回だけ通うことをお許しください。一日の上限を『四時間』に延長していただければ、週あたり総計十四時間で収められます。そして、ご不安を払拭するため、報告書は『毎月』ではなく『毎週』詳細に提出いたします」

 王妃の指が止まった。

 

 毎日うろつかれるのは目障りだが、回数が減り、監視(報告書)の頻度が上がるのであれば、王妃にとって悪い条件ではない。

 

「王国の君臣の義に疎いままでは、リュートの教育が不十分になってしまいます。第一王子グラクト殿下を支える『影』として、リュートが立派に育たねばなりません。どうか、王妃陛下のご寛容にすがります」

 ダメ押しのように添えられた「グラクトを支える影」という言葉。

 王妃がそれにどう応えるか、ゆっくりと息を吸い込んだ――その時だった。

 

「……よかろう」

 冷たく、重い声が謁見の間に響き渡った。

 それまで玉座の傍らで沈黙を保っていた国王ゼノンが、初めて口を開いたのだ。王妃がわずかに肩を揺らし、国王を見上げた。

 

「陛下……?」

「『光』を支える『影』を自ら育て上げようというのだ。その忠義、無下にするのは王家の寛容に反するというもの」

 国王の眼差しは、ルナリアを感情のない彫像のように見下ろしていた。そこにあるのは、第二王子への親愛などではなく、国を回すための「有用な道具」に対する値踏みの光だけだった。

 

「……陛下が、そう仰るなら」

 国王の鶴の一声に、王妃は静かに引き下がった。そして、改めてルナリアに向き直る。

 

「条件は陛下のご意志の通りに。週あたり総計十四時間。一日の上限は四時間。毎週報告書提出。これ以上の交渉は認めません」

 ルナリアは深く頭を下げた。彼女が勝ち取りたかった「まとまった滞在時間」の確保に成功した瞬間だった。

 

「ありがとうございます、国王陛下、王妃陛下。王家の安泰のため……グラクト殿下を支えるため……このご恩は、決して忘れません」

 謁見が終わり、ルナリアが重い扉を背にして長い廊下を歩き出した時のことだった。

 背後から静かに近づく足音があった。国王ゼノンだ。

 彼はすれ違いざま、歩みを止めることなくルナリアの耳元で低く囁いた。

 

「――賢い女は嫌いではない。今夜、離宮に渡る。用意しておけ」

 先ほどの忠誠の言葉への対価を要求するかのような、絶対者の声。

 ルナリアは立ち止まり、静かに背中を向けて頷いた。

 

「……かしこまりました、陛下」

 国王の足音は、そのまま遠ざかっていった。

 離宮に戻ったのは、夕暮れ時だった。

 ルナリアは馬車から降りると、すぐにリュートの元へ駆け寄った。リュートは中庭でルリカと一緒に待っていた。

 

「お母様!」

「ただいま」

 ルナリアはリュートを抱き上げ、頰を寄せた。

「書庫の使用権、許可されたわ。週に合計十四時間、一日四時間までよ。お母様と一緒に、ちゃんと守っていきましょうね」

 リュートは母の胸に顔を埋め、小さく頷いた。

「はい、お母様」

 夜が訪れた。

 ルナリアはリュートを寝かしつけ、ルリカに隣室で守るよう指示した。

 

「ルリカ……今夜は、リュートを絶対に離さないで」

 ルリカは静かに頷いた。

「はい、ルナリア様」

 ルナリアは一人、寝室で待った。

 薄い寝衣を纏い、暖炉の火を背に、静かに座る。窓の外では、月が冷たく輝いていた。

 暖炉の火が、ぱちぱちと音を立てた。

 離宮の夜は、まだ深かった。

 

 

 

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