リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
4 暴力の行使と、圧倒的な制圧
ルナリアから突きつけられた無慈悲な真実。
『泣き喚く、ただの迷子』。
その言葉は、グラクトの脳髄を金槌で打ち砕くほどの威力を持っていた。
『僕が、空っぽ……? 権威という衣を剥がれれば、中身には何もない、無価値な赤子だと……!?』
激しい自問自答が、恐ろしい寒気となって十三歳の全身を駆け巡る。
王家の血統、金髪金眼という設定、そして母の庇護。それらをすべて差し引いた『グラクト』という個人の魂には、目の前の異国の女を平伏させるだけの「本物の品性」など何一つ備わっていないのではないか。
『違う……! 違う、僕は……僕には……!』
恐怖を振り払うように、グラクトは無意識に自らの両手を強く握りしめた。
彼の手のひらには、近衛騎士セオリスとの厳しい訓練で出来た固い剣だこがあった。
そうだ。僕にはこれがある。血統や母上の権威だけではない。セオリスという本物の騎士が叩き込んでくれた、血と汗の結晶。剣術の力だ。これこそが、誰に与えられたものでもない、僕自身が血を吐くような努力で手に入れた『僕だけの力』ではないか!
「黙れ……黙れ黙れ黙れぇっ!!」
図星を突かれた絶望から逃げるように、グラクトの頭で何かが弾けた。
王族としての形式美も、神の子としての虚栄もすべてかなぐり捨て、彼は唯一のすがりどころである『暴力』へと逃避した。
「思い知れ、帝国の野蛮女!!」
グラクトは激昂し、セオリス直伝の鋭い踏み込みでルナリアとの距離を一気に詰める。そして、彼女の傲慢な頰を力任せに張り飛ばそうと、右手を大きく振り上げた。
彼の中では、十三歳なりに鍛え上げた必殺の一撃となるはずだった。
しかし、ルナリアは真正面からその力を受け止めなかった。
実力主義の帝国公爵家で彼女が修めたのは、女性の非力さを補うための実戦的な護身術――相手の力と闘気を流し、己の有利な円運動へと巻き込む『合気』の体術である。
グラクトの全力の踏み込みに対し、ルナリアは柳のようにふわりと半歩動き、射線を外す。そして、振り下ろされるグラクトの腕にそっと手を添え、彼自身の突進するエネルギーを一切殺さず、流れるような円の軌道へと誘導した。
「……え?」
グラクトの視界がブレる。力の行き場を失い、完全に重心を崩された彼の身体は、ルナリアの腕力ではなく、グラクト自身の突進する勢いと体重によって宙を舞った。
ドスッ、と鈍い音がサロンに響く。
天地が反転し、グラクトは無様に絨毯の上にうつ伏せに転がされていた。そのまま手首を極められ、床に縫い留められる。激痛が走り、身動き一つ取れない。
『な、なんだ……!? なぜ、僕が……セオリスと鍛えた、僕の力が……!』
ルナリアが用いたのは、相手が怒りに任せて大振りになり、かつ体重の軽い少年だからこそ美しく決まる「柔よく剛を制す」理であった。もしこれが、圧倒的な筋力と体質量を持つ大人の騎士の殺意であったなら、技術ごと力でねじ伏せられていただろう。
だが、温室育ちの少年の必死の努力は、大人の女性の「護身術」の前に、あまりにもあっけなくいなされてしまったのだ。
「……言葉で勝てねば、次は暴力ですか。本当に、手の焼ける『お子様』ですね」
絨毯に顔を押し付けられるグラクトを見下ろし、ルナリアは氷のように冷たく言い放つ。
「側近が横にいなければ、まともな拳一つ振るえないとは。呆れて言葉も出ませんわ」
己のアイデンティティをすべて否定され、最後にすがった「努力の証」すらも塵芥のように扱われる。
物理的な痛みよりも遥かに深い底無しの絶望が、グラクトの精神を完全に破壊し尽くした瞬間であった。