リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
1 蜘蛛の巣への逃避と、甘美なる毒の簒奪
離宮のサロンで己の無力さを思い知らされ、完全なる敗北を喫した第一王子グラクトは、息も絶え絶えに本宮の最奥――第三側妃ソフィアの私室へと逃げ込んでいた。
「ソ、フィア……っ、義母上……!」
重厚な扉にすがりつくようにして倒れ込んだ十三歳の少年の顔は、涙と鼻水、そして恐怖と屈辱で無残に歪んでいた。王家の威厳も、神の子としての品位もかなぐり捨て、ただ怯えるだけの等身大の子供がそこにいた。
「まあ、グラクト殿下。……一体どうなさいましたの。そのようなお痛ましいお姿で」
魔導卿の血を引く第三側妃ソフィアは、驚いたように目を丸くしながらも、衣擦れの音すら立てずに滑るように歩み寄り、床に這いつくばるグラクトをその豊かな胸へと抱きとめた。
春の陽だまりのように甘く、そして頭の芯を麻痺させるような媚薬めいた香りが、パニックに陥っていたグラクトの鼻腔を満たす。
「あの女が……! 帝国の野蛮女が、僕を……僕を力で床に叩き伏せて……っ! 僕は神の子なのに、あいつは僕を、ただの赤子だと……っ!」
グラクトはソフィアの最高級のドレスを固く握りしめ、わあわあと声を上げて泣きじゃくった。ルナリアから突きつけられた氷のような正論と、絶対的な実力差。そのすべてがグラクトの自我を破壊し尽くしていた。
『……ああ。ヒルデガード様が手塩にかけた見事な操り人形は、ひび割れるとこれほどまでに脆く、無様なものなのですね』
ソフィアの内心は、極めて冷酷で透徹した計算に満ちていた。
王妃の承認を得て『情交奉仕者』の任を得た彼女にとって、グラクトが実母ではなく自分の元へ泣きついてきたこの瞬間こそが、王国の未来の権力を完全に簒奪する「チェックメイト」であった。
「ああ、可哀想に。あの恐ろしい女に、乱暴されたのですね……」
ソフィアは、グラクトの言葉の矛盾や弱さを一切指摘しない。ルナリアが彼に与えようとした「現実を受け止めるための愛の鞭」を、彼女は最も甘く、最も致死性の高い毒をもって上書きしていく。
「もう大丈夫ですよ、私の愛しい光。……殿下は何も悪くありません。悪いのは、殿下の気高き御心を理解できず、暴力に訴えたあの野蛮な獣なのです」
「ほんとう、に……? 僕は、空っぽなんかじゃ……」
「ええ。殿下は神に選ばれた、絶対の光。貴方を否定する言葉など、すべて狂人の戯言に過ぎません。……さあ、その傷ついた御心を、私がすべて癒やして差し上げますわ」
ソフィアは、泣き濡れた少年の頰を優しく撫で上げ、そのまま蠱惑的な紫水晶の瞳で彼を射抜いた。
情交奉仕者としての彼女の役割は、王子の性的な欲求を満たし、王族としての余裕と支配を教え込むことにある。ソフィアは自らに与えられたその「合法的な特権」を最大限に利用し、グラクトの恐怖と屈辱を、底無しの快楽によって物理的に塗り潰す行動に出た。
寝室の重い天蓋が下ろされ、濃密な香が焚き染められる。
ソフィアの白く滑らかな指先が、少年の強張った身体から衣服を剥ぎ取り、ルナリアへの恐怖を脳髄から溶かし出すように、執拗で甘美な奉仕を繰り広げた。
それは真の愛情などではない。グラクトという精神的支柱を失った少年を、自分なしでは息もできないほどの依存状態へと叩き落とすための、極めて理知的で残酷な「調教」であった。
グラクトは甘い声で己を全肯定し続けるソフィアの肉体にすがりつき、溺れるように快楽の底へと沈んでいった。
◇
翌朝。
豪奢な天蓋ベッドの中で、グラクトはまどろみから目を覚ました。
隣には、美しい裸体にシーツを巻きつけたソフィアが、慈愛に満ちた笑みを浮かべて彼を見つめていた。
「おはようございます、殿下。……昨夜の殿下は、大変男らしく、立派でございましたよ」
その甘い囁きを聞いた瞬間、グラクトの脳内で、昨日の離宮での惨めな記憶が「都合の良い形」へと完全に書き換えられた。
『そうだ……僕は神の子だ。神の子である僕の身体が、これほどの熱と力を持っている。ソフィアも僕を王として讃え、平伏しているではないか』
ルナリアが静かな赤眼で見下ろしながら放った『これからは、その等身大のご自分を受け止め、歩いてください』という、真の王になるための残酷で尊い導きの言葉。
それは、ソフィアという情交奉仕者が与えた「極上の快楽」と「無条件の全肯定」という猛毒によって、彼の心から洗い流されていた。
『僕は間違っていない。僕を認めないあの帝国の女が、狂っている異常者なのだ……!』
等身大の己の弱さを直視する恐怖から逃れ、グラクトの精神は完全に甘い毒に溶かされていく。自らの意思で、現実から完全に目を背けたのだ。
王国特有の「情交奉仕者」という腐敗したシステムが、彼から自立の芽を摘み取った瞬間であった。
「……ありがとう、ソフィア。君だけが、僕の正しい理解者だ」
ソフィアの肩を抱き寄せる十三歳の少年の瞳には、もはや未来を切り拓く王としての光はない。あるのは、甘い毒に脳を侵され、自分を肯定する者にしか価値を見出せなくなった、傲慢で空虚な傀儡の暗い熱だけであった。