リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
1 王の強欲と、東への旅立ち
本宮の奥深く、国王ゼノンの執務室。
重厚なマホガニーの机越しに、ゼノンは第二王子リュートを見下ろしていた。その眼光には、一国の主としての威厳と、隠しきれない強欲な光が混じり合っている。
「リュートよ。お前が東のオルディナ公爵家と共に立ち上げた海運組合だが、上がってくる帳簿の数字は極めて順調であるようだな」
「はっ。すべては陛下の御威光と、王国の発展を願う臣民の努力の賜物にございます」
リュートは完璧な臣下の礼をとり、頭を垂れたまま澱みなく答えた。
王家の金庫を潤すその数字こそが、忌み子である彼がこの理不尽な王宮で生き残るために自らの手でもぎ取った最大の盾である。
「うむ。しかし……」
ゼノンは顎を撫で、探るような視線を落とした。
「現在、組合の利益の多くが西のクロムハルト家への研究援助に回されておる。書類上の数字は美しくとも、現場の末端で横領が行われていないとも限らん。王都から書類を眺めているだけでは、真の利益は計れぬ。そうであろう?」
『……なるほど。現場を直接締め上げ、さらに利益の純度を上げろということか。王の強欲を利用して僕を王都から遠ざけようとする者がいるようだが、悪くない話だ』
リュートは内心で盤面を読みながらも、表向きは忠義に満ちた声で応じた。
「御意にございます。現場の弛みは、長期的には王家の損失に直結いたします」
「よろしい。ならば、自らの目で現場を査察してこい。東のオルディナ領へ赴き、組合の物流と資金の動きを徹底的に洗い出すのだ。護衛には、お前が信頼を置く離宮の警備隊長カイルを伴うことを許す」
「はっ。身命を賭して、御期待に沿う成果を持ち帰ります」
絶対の王命が下った。
リュートにとっても、アイリスと共に構築した海運ルートを直接確認し、東の公爵家との連携を強化することは、今後の自陣営の経済的土台を固める上で渡りに船の展開であった。
◇
翌朝。離宮の正門前。
東への長旅に向けた荷積みが進む中、警備隊長カイルは、残留する副長を門の脇へ呼び寄せていた。
「いいか。俺と数名が殿下の護衛として東へ向かう間、離宮の外周防衛はお前たちに任せる。……昨日、第一王子が泣き喚いて敗走した件、本宮の連中が報復に出ない保証はどこにもない」
「分かっています、隊長。ですが、相手が王妃や側妃の権限という正論を盾に正面から乗り込んできた場合、我々の一存では……」
歴戦の副長の額に、脂汗が滲む。平民上がりの彼らが、本宮の権威に逆らうことは文字通り首が飛ぶことを意味する。
カイルは低い声で、しかし確固たる意志を込めて命じた。
「門は固く閉ざせ。国王陛下か王妃様の正式な書状と印璽を持たぬ者は、いかなる理由があろうと敷地内へ入れるな。もし強行突破しようとする輩がいれば、俺の独断の命令だと言って剣を抜け。……ルナリア様を、何としてもお守りしろ」
「……はっ! 命に代えましても」
副長が力強く頷くのを確認し、カイルは馬車の待つ広場へと戻った。
そこでは、リュートが出立の挨拶のため、母ルナリアの前に立っていた。
「母上、王命により、これより東のオルディナ領へ視察に向かいます。しばらくの間、離宮を空けることになりますが……」
「気をつけて行ってきなさい、リュート。東の公爵家には、くれぐれも失礼のないようにね」
ルナリアは優しく微笑み、リュートの黒髪を撫でた。その背後には、灰髪の騎士ルリカが静かに控えている。リュートはルリカに向き直り、真剣な眼差しで告げた。
「ルリカ。僕とカイル隊長が不在の間、お母様の護衛を頼む。……それと、リーゼのことも。今朝は見送りに来ていないようだが」
「はっ。リーゼロッテ様は昨夜からご自身のお部屋でお休みになられております。今日も朝から、王女としての教養の授業がおありだとか。……それと殿下、昨夜逃げ帰った第一王子について、本宮の協力者から報告が」
ルリカは声を潜め、無機質な声で告げた。
「第一王子はご自身の宮や実母である第一側妃様のもとへは戻らず、第三側妃ソフィア様の寝所へ逃げ込み、そのまま一夜を明かしたとのことです」
その報告を受け、リュートは昨晩母ルナリアから聞き出した襲撃の理由を重ね合わせ、冷徹な状況分析を走らせた。
『昨日、今まで離宮に寄り付きもしなかったグラクトが突然乗り込んできた理由。母上によれば、奴はあろうことか、王国特有の風習である「情交奉仕者」の役割を母上に要求してきたという。自分が神の子であるという絶対の特権意識から、父の側妃すら己の欲求を満たす道具だと錯覚した、極めて傲慢で幼稚な暴走だ。結果として、母上にそのちっぽけな万能感をへし折られ、現実から目を背けた奴は、自らを全肯定し甘やかしてくれるソフィアの肉体へ逃げ込んだ、というわけだ』
「王宮の人間は、己の利益と品位を最優先する」。その絶対のルールに基づき、リュートは本宮の勢力図を解体する。
『ヒルデガードにとって、手塩にかけた最高傑作が、政敵である第三側妃の肉欲に絡め取られることなど絶対に容認できない。彼女の次なる標的は離宮ではない。ソフィアからいかにして第一王子の支配権を奪い返すか、という本宮内部での熾烈な権力闘争に全精力を注ぐはずだ』
リュートの脳内で、盤面の脅威が完全に裏返る。
『第一側妃と第三側妃が第一王子を巡って潰し合いを始める以上、外部の離宮へちょっかいを出す余裕などなくなる。むしろ、第一の駒が不安定さを覗かせた今、帝国との外交の切り札であるリーゼの政治的価値は相対的に跳ね上がっている。いくら出来損ないと疎んでいようが、自らの重要な手駒である娘を無意味に傷つけるような真似はしない』
リュートは推論を重ね、自らの防衛網を確認する。それは、王宮の人間が「合理的な政治闘争を行う」という大前提に立った計算であった。
『本宮が内輪揉めで自滅している間は安全だ。それでも、再び予測不能なイレギュラーが起きる可能性に備え、カイルを通じて残留する副長たち外周警備には「王の印璽なき者はすべて斬り捨てろ」という絶対防衛の命令を出した。王宮のルールに縛られている限り、これで物理的にも法的にも手出しはできない』
リュートは計算を終え、微かに息を吐いた。
『僕が東でさらに莫大な利益を上げ、王を黙らせる実利を作ってくる間、お母様はルリカと警備隊のいる離宮の奥に、リーゼは本宮の奥にいれば安全だ』
リュートは踵を返し、待機していたカイルと共に東へ向かう馬車へと乗り込んだ。
ここから数週間、彼が王都を物理的に離れるというこの絶対的な空白。それが、ルナリアを未曾有の危機へと陥れる引き金となることを、この時のリュートはまだ知る由もなかった。