リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
1 「書庫の灯り」
王宮書庫の奥まった一角は、静寂に満ちていた。
高い天井から吊るされた燭台の灯りが、古い革装本の背をぼんやりと照らし、埃の粒子がゆらゆらと舞っている。
母は私の小さな手を握り、静かに歩みを進めていた。
今日は、書庫使用権が正式に許可されてから初めての訪問だった。王妃マルガレーテから課された条件は『週あたり総計十四時間。一日の上限四時間。毎週報告書提出』という厳しいものだ。
同伴義務は交渉で外れたはずだが、母は私が初めてこの場所に足を踏み入れる瞬間を見届けたいと言って、今日だけは一緒に来ることを選んだ。
「リュート……ここが王宮書庫よ。大切に扱ってね」
母の声は優しく、しかしどこか緊張を帯びていた。
私は小さく頷き、棚の前に立った。六歳の体には大きすぎる革装本を、母がそっと取り出して机の上に置く。
「これが……『ローゼンタリア王国統治紀要』ね。王家の公式史書よ。ゆっくり読んでごらんなさい」
私は椅子に座り、本を開いた。
蝋燭の灯りがページを照らし、古いインクの匂いが鼻をくすぐる。母の教えで文字を覚えた今、私は熱心に記録を追い始めた。
(……この国は、昔、どんな姿だったんだろう)
記録によれば、建国初期のローゼンタリアは、地方貴族が私兵を蓄え、王命を容易に無視する軍事分権状態にあった。主要街道は戦乱の場と化し、王権は地方にほとんど及んでいなかった。
それを一変させたのは、当時の王――「地図を睨む王」と呼ばれる男だ。
彼は広げた地図を睨み、「兵糧を握れ」と命じたという。
王は主要街道の結節点(流通のハブ)と穀倉地帯を王領として徹底管理した。通行税を独占し、地方への物資供給を厳格に制限する。結果、大規模な領地ほど干上がり、私兵を養う兵糧が枯渇していく。一方で、四公爵家のような強大な家系には最低限の自給自足を許しつつも、軍事遠征を起こすための「余剰生産」は持たせない。物理的に王に逆らう力を奪う、見事な兵糧攻めだ。
干上がった貴族には『貴族院』という利権を与え、中央で飼い殺す。
(見事な『物理的支配』の完成形だ。……いや、それだけじゃない)
私はページをめくり、さらに驚くべき制度設計を目にした。王は「衆議院」を設置し、富裕層とはいえ平民の代表に「貴族の爵位剥奪発議権」を与えていたのだ。
貴族と平民を意図的に対立させ、王だけがその上の「絶対的な調停者」として司法権を握る。制度上、これ以上ないほど完璧に王が頂点に立つ仕組みだ。
(だが、待てよ……おかしいぞ)
私は眉をひそめた。前世の知識と照らし合わせても、この制度の成立過程には重大な矛盾がある。
いくら兵糧攻めにされたとはいえ、誇り高き特権階級である貴族たちが、平民への権力移譲にすんなり納得するはずがない。しかも平民から『爵位剥奪の発議』をされること自体、貴族にとっては耐え難い「品位の失墜」を意味するはずだ。
前世の歴史を見ても、貴族から平民への権力移行は常に血みどろの革命や内戦を伴った。それを、どうやって一人の王が「無血」で飲ませたというのか。
(いくら合理的な制度でも、これを人間が受け入れるには強烈な『触媒』が必要なはずだ。この歴史書には、その一番重要なピースが欠けている)
母は私の隣に座り、静かに髪を撫でた。
「よくがんばったわ。お母様、誇らしいわよ」
私は疑問を胸に抱えたまま母の温もりに寄り添い、静かに本を棚に戻した。この時点ではまだ、私はこの国の統治システムの「本当の恐ろしさ」の入り口に立ったに過ぎなかった。