リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
2 テオ目線のイチャイチャ
第二王子リュートを乗せた馬車は、王都の喧騒から遠く離れた東のオルディナ公爵領へと到着した。
広大な敷地を持つ公爵邸の庭園には、初夏の陽光が降り注ぎ、色とりどりの薔薇が甘い香りを漂わせている。
その庭園の入り口で、長旅を終えたリュートを出迎えたのは、東の公爵家の至宝――アイリス・ルーナ・オルディナであった。
十三歳となり、少女から大人の女性へと差し掛かる彼女は、公爵令嬢にふさわしい上質なドレスを身に纏い、論理の女神のような気品と美しさを兼ね備えていた。
「よくぞお越しくださいました、リュート殿下。……お待ちしておりましたわ」
アイリスは完璧な淑女の礼(カーテシー)をとり、華やかな笑顔を向ける。リュートもまた、王族としての洗練された所作で彼女の薄い手を取り、その甲に軽く唇を落とした。
「出迎え感謝する、アイリス。君の顔を見られて嬉しいよ」
二人は自然な動作で腕を組み、親しげに顔を寄せ合いながら、薔薇の咲き乱れる庭園の奥へと歩き出した。その姿は、誰の目から見ても「互いに惹かれ合う、麗しき王侯貴族の少年少女」の美しい一枚の絵画であった。
――ただ一人、庭園の茂みの陰から、血走った目でその光景を睨みつけている少年を除いては。
『く、くそっ……! あの忌々しい黒髪王子め!』
アイリスの二歳下の弟、テオドールは、ギリギリと奥歯を鳴らしながら茂みの葉を握り潰していた。
重度のシスコンである彼にとって、姉のアイリスは絶対的な女神である。かつてリュートが姉に近づいた際、木剣を持って乱入したこともある彼だが、今は公爵家の子息としての立場上、表立って王族に斬りかかるわけにもいかない。
『あんなに至近距離で姉上に身を寄せて……! 今頃、甘ったるい愛の言葉でも囁いて、純真な姉上をたぶらかしているに違いない! 許さん、絶対に許さんぞ!』
テオドールの目には、薔薇のアーチの下で微笑み合う二人の姿が、ロマンチックな逢瀬の只中にあるようにしか見えていなかった。
しかし、現実は彼の想像をはるかに、そして致命的に裏切るものであった。
腕を組み、周囲から見れば甘い吐息を交わしているように見える距離で、リュートとアイリスは極めて冷徹な声で言葉を交わしていた。
「アイリス。さっそくだが、今期の海運組合の純利益の推移は?」
「ふふっ。殿下の設計通り、見事な右肩上がりですわ。王都の貴族たちから集めた資本は完全に市場を支配しつつあります」
アイリスは妖艶な笑みを浮かべたまま、数字の羅列を澱みなく諳んじる。
「ただ、一つ懸念が。帝国との極秘貿易ですが……現在の魔導船の積載量では、燃費がギリギリですの。魔力石の高騰もあり、このままでは利益率に一・五パーセントほどのブレが生じる可能性がありますわ」
「なるほど。なら、余裕を持って次期航海からは積載量を二十パーセント減らそう。その分、船体のスピードを上げ、往復の回転率でカバーするんだ。全体の利益は落ちないし、海竜との遭遇リスクも物理的に減らせる」
「……! 素晴らしいわ、殿下!」
アイリスの金色の瞳が、感嘆と知的な興奮に大きく見開かれた。
「積載量を減らせば船体の損耗率も下がり、長期的なドックでの修繕費(運用コスト)がさらに圧縮できますね。目先の利益に囚われず、回転率とリスクヘッジで総利回りを叩き出す……ええ、完璧な計算ですわ」
かつて王都の迷宮庭園で、特権状という毒を盛り込んだ悪魔的な密約を交わした二人の「同類」。彼らにとっての愛の囁きとは、詩的な美辞麗句などではない。血も涙もない資本主義の論理と、冷徹な利益の最大化を語り合うことこそが、互いの魂を最も共鳴させる行為であった。
「君の現場での運用管理があってこそだ。背中を預けられる最高のパートナーだよ」
「ふふ。殿下にお褒めいただき、光栄の極みですわ」
二人は互いの冷徹な知性を讃え合い、心底楽しそうに微笑み合った。
その、論理と思想が完璧に合致した者同士にしか出せない「極上の笑顔」を遠目から見たテオドールは、いよいよ白目を剥いて卒倒寸前となっていた。
『あ、ああっ……! 姉上が、あんなにとろけるような顔で黒髪王子を見つめている! 完全に骨抜きにされているじゃないか! ぐぬぬぬ……ッ!!』
庭園の美しい風景の中、実利と数字を貪る「資本主義の怪物たち」の密談と、それを純愛だと致命的な勘違いをしてハンカチを噛みちぎる少年の構図は、極めてシュールな喜劇を生み出していた。
だが、この和やかな(?)休息の時間は長くは続かない。
東の公爵家という強大な後ろ盾を得るための、次なる盤面――夜の晩餐会が、彼らを待ち受けていたのである。