リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
2 圧倒的な知性と、崩れ去る虚栄(密室の延期)
本宮の奥深く、重厚な扉に閉ざされた会議室。
巨大なマホガニーの円卓には、帝国使節団の接待に関する膨大な資料と予算案が山積みになっていた。
第一王女リーゼロッテが定刻通りに入室すると、担当官であるセラフィナ侯爵は、恭しい足取りで出迎えた。そして、その後ろには不自然にも、息子のリーデル・ソリュ・セラフィナが付き従っていた。
「リーゼロッテ王女殿下。本日は事前の許可なく愚息を同席させる無礼、どうかお許しいただきたい」
侯爵は優雅に頭を下げ、非の打ち所のない「正論」を口にする。
「このリーデルは次期魔導卿となる身。彼に国家間の高度な外交実務を学ばせるとともに……何より、殿下の類まれなる優秀さを間近で拝見させ、同年代として大いに切磋琢磨させたいと考えたのです。どうか、未来の王国のための同席をお許し願えませんでしょうか」
『……嘘だわ』
リーゼロッテは、完璧な「王女の微笑み」を貼り付けたまま、内心で冷徹に分析した。
かつての東屋の茶会で、彼女の語る未来の魔導を「女に知性など不要」と嘲笑し、心の底までへし折ろうとしたこの男が、今さら自分と切磋琢磨など望むはずがない。これには必ず、自分を精神的に追い詰めるか、何らかの隙を突く狙いがある。
だが、侯爵の挙げた理由は、王宮の論理において完全に「美徳」とされるものであった。ここで拒否すれば、王女としての度量と品位を疑われる。
「ええ、構いませんわ。セラフィナ家の叡智、実務の場でも大いに期待しております」
リーゼロッテは一切の動揺を見せず、毅然と着席した。
「ふん……。お手柔らかにお願いしますよ、王女殿下」
リーデルは、かつて彼女を論破し(たと思い込んでき)た優越感を胸に、ニヤリと歪んだ笑みを浮かべて向かいの席に座った。彼は今日、父が席を外した隙にこの生意気な王女を組み伏せ、物理的に「己の下」であることをわからせてやるという、醜悪な野心で頭がいっぱいだった。
しかし。
いざ実務の会議が始まった瞬間、リーデルの薄っぺらな優越感は、根底から粉砕されることとなる。
「侯爵。事前にご用意いただいた帝国の使節団名簿ですが、これでは不十分ですわ」
リーゼロッテは、侯爵家の文官たちが徹夜でまとめた資料を一瞥しただけで、容赦なく欠陥を指摘した。
「実力主義の帝国において、伝統的な血統順の席次など侮辱に等しい行為です。筆頭であるヴァルター将軍は先月の東部戦役で実戦魔導部隊を指揮し、多大な武勲を挙げています。彼の席次は血筋ではなく、その『武勲と現在の魔導階級』を最優先した上座に再配置してください」
「は、はっ。……しかし殿下、それでは国内の保守派貴族が……」
「国内の顔色を窺って帝国の虎の尾を踏めば、関税交渉のテーブルにつく前にすべてが終わります。責任は全権を持つ私が負いますので、直ちに修正を。……それから、饗応の場に供される酒ですが、我が国の甘口のワインではなく、帝国北部の気候に合わせた度数の高い蒸留酒をベースに手配してください。彼らは装飾過多な甘さより、実質的な『熱』を好みます」
流れるような指示。膨大な情報を瞬時に処理し、帝国の文化と政治的背景を完璧にリンクさせた、隙のない論理構築。
それは、離宮の薄暗い書斎で、第二王子リュートから直々に叩き込まれた「為政者としての冷徹な盤面把握」そのものであった。十一歳の少女は、今や完全に大人たちを凌駕する実務家として君臨していたのである。
「な……っ、なんだ、それは……」
向かいの席に座っていたリーデルは、顔面を蒼白にさせ、口をパクパクと金魚のように動かすことしかできなかった。
彼がセラフィナ家で誇りにしていた「知性」とは、三百年前の魔導史や、過去の接待の慣例を暗記していることに過ぎない。リーゼロッテが次々と繰り出す、最新の国際情勢、リアルタイムの軍事情報、そして数手先を読んだ予算配分の組み替えなど、彼には何一つ理解できず、口を挟む余地すら一ミリも存在しなかった。
『ば、馬鹿な。女の分際で……僕より、賢い……? いや、僕の知らないことを、どうしてこんなスラスラと……っ!』
リーデルの額から、滝のような冷や汗が吹き出す。
書類を持つ手はガタガタと震え、リーゼロッテのその黄金の瞳に見据えられるたび、自分がひどく矮小で、無知な子供であるという「事実」を暴力的に叩きつけられているような感覚に陥った。
「……リーデル様? 先ほどから沈黙されておりますが、この関税の代替案について、次期魔導卿として何か別の知見がおありですか?」
リーゼロッテが、小首を傾げて静かに問いかける。その瞳には、かつて彼に向けたような怯えなど微塵もなく、ただ冷徹な「実務者としての査定」の光があった。
「あ……、いや……その……。伝統的な、手法を……守るべきで……」
リーデルは蚊の鳴くような声で呟いたきり、完全に萎縮し、座席に縮こまってしまった。彼の中の歪んだ特権意識は、圧倒的な「実力」の前に情けなくも完全にひれ伏してしまったのである。
その息子の無様な有様を横目で見ていたセラフィナ侯爵は、内心で舌打ちをした。
『……駄目だ。使い物にならん。この圧倒されるような王女の気迫を前にして、今の怯えきったリーデルだけをこの密室に残したところで、到底手出しなどできまい。逆に王女の理詰めで返り討ちに遭い、我が家の品位を落するだけだ』
侯爵は極めて論理的で冷酷な判断を下した。
今日のところは、物理的な密室を作る(自分が席を外す)策は破棄する。まずはこの膨大な実務の山で王女の体力を徹底的に削り、疲労でその冷徹な思考が鈍った隙を突かなければ、この「至宝」を落とすことはできない、と。
「……王女殿下。実に見事な采配です。本日の打ち合わせは、一旦ここまでといたしましょう」
「ええ。引き続き、名簿の修正を手配してくださいませ」
侯爵の言葉に、リーゼロッテは優雅に頷いた。
その日、本宮の会議室という密室において、リーゼロッテは自らが磨き上げた「圧倒的な知性」という武器によって、迫り来る暴力の危機を無自覚のうちに一度退けたのである。
しかし、セラフィナ侯爵の野心が潰えたわけではない。
彼らは戦術を「強行突破」から「疲労困憊による隙の誘発」へと切り替えただけであり、本当の地獄(物理的な危機)は、リーゼロッテの体力が限界を迎える数日後に、静かに持ち越されただけであった。