リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

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第8話『剥がされた最後の盾5』

5 ルリカの視点(誇らしさと、完成した密室)

 

 翌日。本宮の奥深くにある会議室の扉が、重々しい音を立てて開かれた。

 室内で待ち構えていたセラフィナ侯爵と息子のリーデルは、入室してきた第一王女リーゼロッテの背後に、ピタリと寄り添う「異物」の存在に目を剝いた。

 

 灰色の髪を一つに束ね、帝国特有の機能的な騎士服を身に纏った凄腕の侍女――シルファ伯爵家養女、ルリカ。彼女はリーゼロッテの斜め後ろに影のように立ち、その極寒の双眸で室内の脅威を隙なく査定していた。

 

「……王女殿下。実務の場に、護衛の者を同席させるのは慣例に反しますぞ」

 セラフィナ侯爵が不快げに眉をひそめ、牽制に出る。

 

 だが、ルリカは氷のような表情を崩さず、リーゼロッテに代わって一歩前に出た。

 

「お言葉ですが、侯爵閣下。私は帝国系貴族シルファ家の出身。近く訪れる帝国の使節団に対する『文化と作法の正確な助言役』として、ルナリア妃より正式に遣わされました。国益を損なわぬための同席、何卒ご容赦を」

 血統と国益という「王国の正論」を完璧な盾にしたルリカの口上に、侯爵は舌打ちを噛み殺して沈黙するしかなかった。

 

 その横で、昨日の屈辱と痛みを引きずっていたリーデルが、歪んだ自尊心を取り戻そうと、苛立たしげにリーゼロッテへと歩み寄った。

 

「殿下。昨日は随分な態度でしたね。少し、お話を――」

 リーデルが、無意識にリーゼロッテの肩を掴もうと手を伸ばした、その瞬間。

 

 ――ピシャァァンッ!!

 

 空気を切り裂くような破裂音が会議室に響き渡った。

 ルリカが手にした護身用の鉄扇が、リーデルの伸びた手首を容赦なく叩き落とした音であった。

 

「あ、ぎっ……!?」

「――次期魔導卿ともあろうお方が、王女殿下の御身に気安く触れようなどと。万死に値する不敬と存じますが?」

 手首を押さえてうずくまるリーデルを見下ろすルリカの顔には、完璧なメイドの微笑みが貼り付いていた。だが、その灰色の瞳の奥からは、一歩でもリーゼロッテのパーソナルスペースに踏み込めば即座に喉笛を掻き切るという、帝国騎士としての、一切の躊躇もない絶対的な『殺気』が放たれていた。

 

「ひっ……!」

 リーデルは顔面を蒼白にさせ、恐怖で腰を抜かしそうになりながら後ずさる。侯爵もまた、ルリカの放つ本物の暴力の気配に圧倒され、手出しを完全に諦めるしかなかった。

 

『……これでいい。安全(物理的防壁)は、私が完全に構築した』

 ルリカは再び影のようにリーゼロッテの背後に下がり、静かに見守る態勢に入った。

 

 己の身の安全が完璧に保障された絶対の領域。その盤上で、リーゼロッテの「圧倒的な知性」は水を得た魚のように躍動し始めた。

 

「侯爵。昨日提出された予算案ですが、帝国の重装騎士団に対する兵站費の計上が、我が国の基準で計算されていますわ。彼らの魔導鎧の消費カロリーを考慮すれば、肉と香辛料の予算を二・五倍に引き上げる必要があります」

「なっ、それでは予算が……」

 

「無駄な宮廷楽団の追加編成を削れば捻出できます。帝国の武人は、軟弱な音楽より上質な酒と肉を重んじます。彼らの胃袋と喉を満たすことこそが、最も費用対効果の高い外交ですわ」

 十一歳の少女が、国家の予算と外交の力学を、老獪な侯爵を相手に一歩も引かず、対等以上の論理で完全に制圧していく。

 

 ルリカはその後ろ姿を見つめながら、内心で深い喜びと、誇らしさに胸を熱くしていた。

 

『……あんなに小さくて、大人の顔色を窺って怯えていたリーゼ様が。今や立派な王女として、気高く盤面を支配していらっしゃる』

 ルリカの脳裏に、東の地で同じように戦っているであろう、もう一人の家族の顔が浮かぶ。

 

『……リュート様。私たちの可愛い妹は、こんなに強く、立派になりましたよ』

 それは、護衛として、そして姉としての、至上の喜びに満ちた時間であった。

 明るい陽光が差し込む本宮の会議室は、彼女たちの完全な勝利に彩られていた。

 

   ◇

 

 ――だが、視点(カメラ)は残酷なまでに静かに、その光り輝く本宮から引き離されていく。

 喧騒と熱気に満ちた本宮の会議室から、遠く、遠く離れた王宮の最奥。

 静まり返った『離宮』。

 

 第二王子リュートは、論理的な最適解を求めて東へ。

 クロムハルト令嬢ヴィオラは、王妃の恩命という罠にかかり西へ。

 

 第一王女リーゼロッテと、最強の護衛ルリカは、実務と自衛のために本宮の奥へ。

 現在、離宮の外周を守っているのは、カイル隊長を欠いた王国の一般近衛兵たちのみ。彼らは、王家の権威(印璽)を盾に正面から踏み込んでくる本宮の権力者を、法的に制止する権限を持たないただの案山子である。

 

 薄暗い離宮のサロン。

 分厚いカーテンが引かれた静寂の中で、ルナリアはただ一人、冷めた紅茶のカップを手に、静かに目を閉じていた。

 

 第一側妃ヒルデガードが、自らの手など一切汚さずに撒き散らした『反論不可能な正論』。

 セラフィナ侯爵の『醜悪な権力欲と暴力』。

 そして、ルナリア自身の『海よりも深い母の愛』と、リュートの『合理主義ゆえの死角』。

 

 為政者たちの思惑と、個人の感情。そのすべてが悪魔的なピタゴラスイッチのように完璧に噛み合った結果。

 

 ついにルナリアは、誰の目も届かず、誰の助けも呼べない『完全なる孤立無援(絶対の密室)』状態に置かれてしまった。

 静寂に包まれた離宮の廊下に、カツン、カツンと、理屈の通じない絶対的な暴力の足音が、確かな死の気配を纏って近づきつつあった。

 

 誰も予想しえなかった、凄惨な血の宴の幕が、今まさに上がろうとしていた。

 

 

 

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