リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
1 窓辺の傍観者(歪んだ愛の解釈と退廃への逃避)
逢魔が時。
王宮の尖塔が、血のように赤い夕焼けに染まり始めていた。
本宮の奥深く、第一王子グラクトの豪奢な自室。
十三歳の少年は、分厚いビロードのカーテンの隙間から、窓の下に広がる王宮の庭園をじっと見下ろしていた。
彼の視線の先には、近衛騎士団長(武門)の血を引く近衛騎士――セオリス・デイル・ゼノビアの姿があった。屈強な体躯を持つ狂信的な騎士は、ただ一人、帯剣したまま真っ直ぐに、あの忌まわしい『離宮』の方角へと足早に向かっていく。
『……行くんだな、セオリス』
グラクトの胸の内で、甘い高揚感と、ひどく冷たい無責任さが渦巻いていた。
彼は知っていた。実母である第一側妃ヒルデガードが、表向きは「王女の実務」や「視察」という正論を振りかざして離宮から手足をもぎ取り、その上で同郷の狂犬の耳元で「息子の尊厳が傷つけられた」と囁き、扇動した事実を。
だが、グラクトの心に罪悪感は一欠片も存在しなかった。
かつてルナリアに力で床に叩き伏せられ、泣き喚いて逃げ出した己の惨めな姿。その等身大の弱さを直視することを放棄した彼にとって、ルナリアの存在自体が己の「神の子」としてのアイデンティティを脅かす『絶対悪』となっていたのだ。
『母上は、僕のためにあそこまで盤面を整えてくれた。僕の傷ついた王としての尊厳を守るために、あの野蛮な帝国の女に「王国における正しい身の程」を教え込むよう手配してくれたんだ』
窓ガラスに映る己の顔はひどく青白く、だが口の端は醜く歪んで吊り上がっていた。彼の思考は、もはや正常な因果関係を完全に放棄していた。
『あれは、母上の僕に対する深い愛の証明だ。僕は愛され、守られている、絶対の存在なんだ。だから……あの女がセオリスに何をされようと、それは僕のせいじゃない。思い上がった女が自業自得の罰を受けるだけだ』
自らの手を汚すことも、自らの目で現実の血を直視することもなく。ただ他者の暴力と権力にタダ乗りして自尊心を満たそうとする、極めて醜悪な自己正当化。
「……ふふっ」
グラクトは、これから離宮で女一人が屈強な騎士にどんな理不尽な暴力を振るわれるのか、その凄惨な結果を想像して薄暗い優越感に浸りながら、震える手で窓のカーテンをそっと閉ざした。
しかし。
視界から現実の景色を遮断し、完全な密室の静寂に取り残された瞬間。彼の胸の奥底に、微かな怖気――王としての責任と現実から逃げ出したという無自覚な罪悪感が、冷たい泥のように首をもたげかけた。
『……ソフィア。ソフィアのところへ行こう』
グラクトはその微かな震えと不安を完全に塗り潰すため、足早に自室の扉を開けた。
己の身勝手な優越感を無条件で肯定し、甘い快楽で頭の芯まで麻痺させてくれる、あの第三側妃の寝所へと向かうために。
未来の国王となるべき少年が、現実の凄惨な闘争から完全に目を背け、自らの意思で底なしの退廃へと沈んでいく、完全なる「傍観者」への転落であった。