リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
2 静寂の破却(狂犬の侵入)
夕闇が完全に王都を包み込んだ頃。
王宮の最奥に位置する離宮は、まるで墓所のような異様な静寂に支配されていた。
第二王子リュートは東へ。クロムハルト令嬢ヴィオラは西へ。第一王女リーゼロッテと最強の護衛ルリカは、本宮の奥深くへ。さらに、第一側妃派閥の息がかかった近衛兵たちの手回しにより、離宮の内部に仕えていた数少ない使用人たちも「本宮での急な清掃作業」などの口実で、物理的に完全に遠ざけられていた。
ここに、誰の目も届かず、誰の助けも呼べない『完全なる密室』が完成したのである。
薄暗いランプの灯りだけが照らすサロンのソファで、ルナリアはただ一人、静かに帝国の魔導書をめくっていた。
研ぎ澄まされた武人としての直感が、外周の異常な空気と「何かが来る」という死の気配を告げていたが、彼女は逃げ隠れすることなく、氷のような静けさを保ってその場に座り続けていた。
その時だった。
――ドゴォォォォンッ!!
堅牢なオーク材で設えられたサロンの二枚扉が、凄まじい蹴撃によって蝶番ごと吹き飛ばされ、床に激突した。
土足のまま、土埃と濃密な殺気を纏って踏み込んできたのは、狂信の騎士、セオリス。
「……何の真似かしら、近衛騎士殿。ここは第二側妃の私室ですが」
ルナリアはゆっくりと本を閉じ、一切の動揺を見せることなく、紅蓮の瞳で侵入者を見据えた。
セオリスは血走った瞳でルナリアを睨み下ろし、狂気に満ちた、しかし彼自身にとっては「絶対的な正義」である宣告を口にする。
「グラクト殿下からの特命により。王国の品位を貶める野蛮なる帝国の女――第二側妃ルナリアに、『正しい身の程と教育』を施しに参りました」
「ふふっ。教育? 主人の威を借る狂犬の遠吠えの間違いではなくて?」
ルナリアが優雅に、しかし隙のない所作で立ち上がった瞬間。
セオリスが獣のような咆哮とともに、一気に距離を詰めて踏み込んだ。
「減らず口をッ!!」
王宮の第一級の武人による、純粋な殺意を込めた剛腕の突き。
ルナリアは逃げない。帝国の虎としての誇りが、背を向けることを許さなかった。彼女はセオリスの圧倒的な膂力を真正面から受けず、突き出された丸太のような腕に自らの腕を絡め、関節の死角を突いて重心を崩す『合気』の体術を放った。
――だが。
彼女の技術は完璧であったが、相手が悪すぎた。
「小賢しいわッ!!」
武門ゼノビア家の最高傑作と謳われるセオリスの純粋な『暴力(フィジカル)』は、技術の理を力ずくでねじ伏せた。
崩れかけたはずの体勢から、セオリスは関節への負荷など一切無視して、強引に剛腕を振り抜く。技をかけていたルナリアの身体が、枯葉のように宙に浮いた。
「……っ!?」
続く、鋼鉄の槌のような重く速い蹴りが、宙に浮いたルナリアの腹部を無慈悲に捉える。
「が、はっ……!」
肺から空気が弾け飛び、ルナリアの華奢な身体は数メートル吹き飛ばされ、サロンの分厚い大理石の壁に激しく叩きつけられた。壁に飾られていた重厚な絵画が落下し、額縁のガラスが粉々に砕け散る。
「……あ、ぐ……っ」
床に崩れ落ちたルナリアの口から、鮮血がボタボタと絨毯に滴り落ちる。
どれほど優れた体術を持っていようと、圧倒的な質量と筋力の差という物理法則の前には無力であった。
「王国に泥を塗る不完全な獣め。貴様がグラクト殿下の前に平伏し、許しを乞うまで、その身に王家の『品位』というものを徹底的に叩き込んでやる」
セオリスは腰の剣に手をかけ、血を吐いてうずくまるルナリアを見下ろして冷酷に宣告した。
王宮のルールすら届かない完全な密室で、理屈の通じない絶対的な暴力が、ついにその牙を彼女の喉元に突き立てたのである。