リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

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第10話『静かなる宣戦布告2』

2 近衛騎士団の乱入と、一触即発の膠着

 

 ――アァァァァァァァッ!!

 静寂に包まれていた夜の王宮に、人間が発する限界を超えた絶叫が響き渡った。

 それは、堅牢なオーク材の扉が吹き飛ばされた爆音に続いて、離宮の方角から木霊したものであった。

 

 王宮の外周や本宮の連絡通路を巡回していた近衛騎士団の間に、一瞬の緊張が走る。中でも、北の武門「ゼノビア公爵家」の息がかかった派閥の騎士たちの顔色は、一様に土気色へと変わっていた。

 

「……今のは、セオリス様の声ではないか!?」

「馬鹿な。ゼノビア家の最高傑作であるあのお方が、悲鳴を上げるなど……」

 

「だが、あのお方は第一王子殿下の命を受け、一人で離宮へ向かわれたはずだ。急げ!!」

 次期当主の身に万が一のことがあれば、ゼノビア派閥に属する自分たちの王宮における地位も根底から覆りかねない。

 

 数十名の近衛騎士たちは血相を変え、松明を掲げながら、重い甲冑の足音を響かせて暗闇の庭園を駆け抜けた。彼らは、外周で血の海に倒れ伏している離宮の警備隊員たちを足蹴にしながら、崩れ落ちたサロンの入り口へと雪崩れ込んだ。

 

 しかし、彼らがそこで目にしたのは、想定し得るいかなる悪夢よりも凄惨で、理解を絶する光景であった。

 

「……な、なんだ、これは……」

 むせ返るような鉄錆の匂いが充満するサロン。

 壁際では、第二側妃ルナリアが全身を切り刻まれ、血だまりの中に崩れ落ちている。

 

 そして、部屋の中央。王宮最強の武力を誇るはずの次期当主セオリスが、右腕の腱と右膝の関節を完全に粉砕され、己の流した血の海で無様に這いつくばっていた。

 

 その傍らには、泥にまみれた第二王子リュートと、逆手に握った凶刃から血を滴らせ、セオリスの首を刎ね落とそうと見下ろす灰髪のメイド――ルリカの姿があった。

 

「き、貴様ァ! セオリス様に何をしている!! 剣を捨てろッ!!」

 近衛の小隊長が怒号を上げ、三十名近い騎士たちが一斉に抜刀する。

 

 チャキッ、と無数の鋼が抜かれる冷たい音がサロンに響き、彼らはルリカとリュートを完全に包囲した。多勢に無勢。常識で考えれば、武装した騎士団に囲まれた時点でメイド一人の命など塵芥に等しい。

 

 だが、ルリカは振り上げた短剣を下ろすどころか、その灰色の瞳からさらに深く光を消し去った。

 

「……退きなさい、王宮の犬共」

 地獄の底から響くような、極限の殺気を孕んだ声。

 

「退かないというのなら……お前たち全員を肉片に変えてでも、このゴミの首は私が獲る」

 三十本の剣先を突きつけられながらも、ルリカは一歩も引かなかった。彼女の全身から立ち昇る絶対的な殺気は、実戦を経験したことのない王宮の飾り物の騎士たちを、本能的な恐怖で萎縮させるのに十分であった。

 

 一方、その凄惨な盤面の中央に立つリュートの視界は、どす黒い赤に染まり切っていた。

 前世から培ってきた法曹としての冷徹な計算。王家を縛るための法整備。そんな未来の理想など、もはやどうでもよかった。

 

 目の前で母をボロボロにした狂犬と、それを大義名分を盾に庇おうとする王宮のシステムそのものが、どうしようもなく醜悪で、許しがたい悪にしか見えなかった。

 

『……殺す。こいつら全員、ここで……僕が、八つ裂きにしてやる……!』

 リュートの身体の奥底で、かつてないほどの巨大で暴力的な力が渦を巻き始める。

 

 己の命の危険など微塵も感じていない修羅と化した主従と、派閥の利益を守るために武器を構える騎士団。互いの殺意と敵意が極限まで膨れ上がり、サロンの空気は今にも火花が散りそうなほどに張り詰めていた。

 

 誰かが一歩を踏み出せば、その瞬間に血みどろの斬り合いが始まる。誰もがそう確信した、一触即発の膠着状態。

 

 その臨界点に達した瞬間、リュートの中で限界を超えて圧縮された「怒り」が、理の枠を完全に突き破り、王国史上誰も見たことのない『暴威』となって顕現しようとしていた。

 

 

「……殺す」

 リュートの裡で限界まで圧縮された怒りと殺意が、ついに臨界点を突破した。

 それは、熱を伴う炎でも、鋭い風でもなかった。ただ純粋に、物理的な質量を持った『死の気配(高密度の魔力)』の奔流。

 

 黒い泥のように重く、息が詰まるほどの魔力が、リュートの身体から爆発的な衝撃波となって全方位へと叩きつけられた。

 

 ――ドゴォォォォォッ!!

 傍らにあった分厚い大理石のテーブルが、見えない巨大な鉄槌で殴りつけられたかのように、木端微塵に粉砕される。

 

 凄まじい爆音と衝撃波がサロンの空気を震わせ、ルリカを取り囲んでいた三十名の近衛騎士たちを、まるで紙切れのように吹き飛ばし、後退させた。

 

「な……っ!?」

「ひぃッ……!」

 粉塵が舞い散る中、爆音の後に訪れたのは、水を打ったような完全な『死の静寂』であった。

 

 そして、この凄まじい魔力の暴発こそが、リュートを吞み込んでいた赤黒い視界を強制的に晴らすこととなった。

 

『……僕は何を血迷っている。今、最優先すべきことは何だ』

 限界を超えて膨れ上がった殺意という名の毒を、莫大な魔力として体外へ排出したことで、彼の裡でショートしていた「法曹としての冷徹な思考回路」が急速に再起動する。

 

 ここで怒りに任せて近衛騎士たちを皆殺しにして、溜飲を下げることか? 違う。それは単なる獣の暴力だ。今この瞬間にただ一つ優先すべき絶対事項は、血の海に沈む最愛の母の『命を繋ぐこと』以外にあり得ない。

 

 少年の肉体から放たれたとは到底信じがたい異常な魔力量と、空間そのものを制圧する冷酷な重圧の前に、その場にいた全員が息を呑んで硬直していた。騎士たちも、這いつくばるセオリスも、そして極限の殺意に吞まれていたルリカでさえも。

 

 誰もが身動き一つ取れない、ひび割れた氷のような静寂。

 その中心で、完全に冷静さを取り戻したリュートは、一切の感情を排した絶対的な支配者としての冷徹な命令口調で言い放った。

 

「ルリカ。剣を収めろ」

「……ッ!?」

 セオリスの首を刎ねる寸前だったルリカが、信じられないものを見るように主君を振り返る。

 

「直ちに母上の止血と手当てを行え。一秒でも早く、母上をこの血の海から救い出せ。……優先順位を間違えるな」

「……っ、は、はいッ!」

 主の圧倒的な威圧と、あまりにも正しく冷徹な言葉に、ルリカは我に返った。彼女は即座に血塗れの短剣を鞘に納めると、満身創痍で壁際にもたれかかるルナリアの元へと駆け寄る。

 

 そしてリュートは、氷のように冷たい、血の色の瞳を、周囲で硬直している近衛騎士たちへと向けた。

 

「お前たちは、そのゴミを連れて今は帰れ」

 その声に、声を荒らげるような熱はない。ただ「次に剣を抜けば、空間ごと捻り潰す」という揺るぎない事実だけが、確かな死の重さを持って彼らの喉元に突きつけられていた。

 

「…………ッ!!」

 本能的な恐怖に完全に支配され、戦意の欠片すら残っていない騎士たちに、その絶対的な命令に逆らうことなどできるはずがなかった。権力者の威光を笠に着ていた彼らは、本物の『怪物』を前にしてガチガチと甲冑を鳴らして震え上がり、床で呻くセオリスの両脇を慌てて抱え上げる。そして、這々の体で、互いに押し合うようにして離宮から退去していった。

 

 逃げ去る足音が完全に遠ざかり、再び離宮に夜の静寂が降りる。

 怒りを暴走させたことで奇跡的に理性を繋ぎ止めたリュートの冷徹な判断により、無意味な斬り合いは回避され、ルナリアの命を救うための時間が確保されたのである。

 

 

 

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