リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

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第1話『王家の天秤2』

2 強訴への出立(殺意の主から、冷徹な告発者へ)

 

 東の空が白み始め、冷え切った離宮の石造りの床に薄ぼんやりとした光が差し込む。

 

 一睡もせず告発状を組み上げたリュートが、血走った目に酷薄な理性の光を宿して立ち上がった。その瞬間、部屋の隅で影のように控えていたルリカが、音もなく歩み出た。

 

 彼女の黒曜の瞳には、未だ凍てつくような殺意の残滓が燻っている。完全武装のまま、血の匂いを纏った彼女は、主君の背中を守る絶対的な「盾」として、当然のように付き従おうとした。本宮は、最愛の主であるルナリアを無惨に引き裂いた敵の巣窟である。

 

「……待て、ルリカ」

 だが、リュートの低く、一切の感情を排した声が彼女の足を止めた。

 

「お前はここに残れ。母上の側を、片時も離れるな」

「……ッ、しかし! 本宮には近衛が――」

「本宮の連中が、事実の隠蔽のために『口封じの暗殺者』を差し向けてこない保証はない。今の母上を守り抜けるのは、この離宮でお前だけだ。僕の護衛よりも、母上の命を最優先しろ。……これは、命令だ」

 理を詰めた冷徹な宣告。それが、復讐の情動ではなく、最悪の盤面を想定した極めて合理的な配置であることを理解し、ルリカは血が滲むほど強く唇を噛み締めた。

 

「……御意に。この命に代えましても」

 深く頭を下げたルリカの震える背中を一瞥し、リュートは踵を返した。

 廊下に出たリュートを待っていたのは、離宮警備隊長たるカイル・ド・グラムであった。

 

 泥と部下の血に塗れた甲冑もそのままに、直立不動で待機していた歴戦の騎士に対し、リュートは静かに、だが圧倒的な重圧を伴って告げた。

 

「カイル。お前だけを連れて、これより本宮へ向かう。……手続きは一切踏まない。正規の奏上経路を無視した『強訴』を行う」

 その言葉の意味する重さに、カイルは僅かに息を呑んだ。

 

 強訴。それは、厳格な階級と手続き(品位)を重んじる王家において、秩序を乱す反逆行為に等しい。いかに王子であろうと重い処罰は免れず、付き従う騎士に至っては、せっかく賜った騎士爵の剝奪はおろか、最悪の場合は首が飛ぶ大罪である。

 

「カイル。お前は平民から身を起こし、実直さゆえに本宮から疎まれ、この離宮へ追いやられた。そして昨夜、お前の部下たちは法的な権限を持たないまま、僕たちを守るためにゼノビア家の凶刃の前に立ちはだかった」

 リュートは、血走った赤い瞳で真っ直ぐにカイルを見据えた。そこに在ったのは、野心のない無害な王子の仮面ではない。王国の腐敗した理を根底から破壊し、新たな法を創設せんとする「真の支配者」の顔であった。

 

「この強訴に付き従えば、お前の築き上げたグラム騎士爵家は終わるかもしれない。本宮の理不尽な泥を被り、破滅する道だ。……それでも、僕に命を預ける覚悟はあるか」

 沈黙は、一秒にも満たなかった。

 

 カイルはガシャンと重々しい音を立ててその場に片膝をつき、自らの剣の柄に手を当てて深く頭を垂れた。

 

「……私の部下たちは、王宮の腐敗した権力ではなく、この離宮にこそ『真の王国の未来』があると信じて散りました。彼らの流した血を無駄にするような真似をすれば、私は二度と剣を握れません」

 叩き上げの騎士は、顔を上げ、歴戦の気配を漂わせる実直な瞳で主君を見上げた。

 

「私の剣と命は、とうにリュート殿下に捧げております。破滅の道であろうと、地獄の底であろうと、御前をお守りし、共に道を切り拓くのがグラム家の本懐。……どうか、このカイルをお使い潰しください」

 身分や血統という虚飾を捨て、互いの「実力」と「信念」のみで結ばれた、鉄の血の匂いがする主従の誓い。

 

「……見事だ。お前の忠義、確かに引き受けた」

 リュートは短く応え、二人は夜明けの冷気を切り裂くように、本宮への道を歩み始めた。

 

   ◇

 

 本宮の行政棟。

 国の政治・行政のトップたるヴァルメイユ侯爵(新宰相)の執務室は、早朝にもかかわらず重苦しい空気に包まれていた。第一側妃ヒルデガードの罠(媚薬と色仕掛け)に落ち、完全な傀儡と成り果てた新宰相は、激務と精神的重圧で泥のように疲弊し、書類の山に埋もれていた。

 そこへ、正規の面会手続きも、事前の通達も一切なく。

 

 ――バァァンッ!!

 

 堅牢な執務室の扉が、カイルの蹴り破らんばかりの力によって乱暴に開け放たれた。

 

「な、何事だ……!? ここを宰相の執務室と知っての――」

 血相を変えて立ち上がった文官たちと、隈の消えない目で呆然とする新宰相の前に、血と泥の匂を纏った十三歳の第二王子が、死神のような冷徹さで踏み込んだ。

 

「第二王子、リュート・セシル・ローゼンタリアである」

 氷点下の声が、執務室の空気を完全に凍結させた。

 王族としての品位や礼節など欠片もない、ただ純粋な「暴力の気配」と「法理の刃」を携えた修羅の姿に、宰相すらも声を出せずに硬直する。

 

「王宮内の正式な手続きなど踏んでいる猶予はない。宰相閣下。王族に対する反逆、および第一王子殿下の品位を著しく汚した現行犯について――これより、国王陛下へ直接奏上(強訴)する。今すぐ、玉座の間を開けよ」

 それは要請ではない。自らの首を天秤に乗せ、王家が絶対に無視できない『事実』という名の爆弾を起爆させるための、冷酷にして絶対的な宣戦布告であった。

 

 

 

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