リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
3 謁見と冒頭陳述(リュートの真骨頂 vs 司法権の重み)
宰相の執務室を強行突破した余波も冷めやらぬ早朝。
急遽開かれた玉座の間には、想定外の事態に眉間を揉みほぐす国王ゼノンと、北のアイギス公爵家出身たる王妃マルガレーテが、威儀を正して座していた。
彼らの眼前に進み出たリュートは、傍らにカイルを控えさせ、一切の私情を交えない検察官のような冷徹なトーンで「冒頭陳述」を開始した。
「陛下、王妃様。昨晩、ゼノビア侯爵家子息セオリスが、一切の令状を持たずに離宮の警備網を物理的に突破し、第二側妃ルナリアに対し、致命的な拷問と暴行を加えました。これは離宮警備隊による客観的な目撃証言によって確定しています」
「……何だと? ゼノビアの倅が、ルナリアに……?」
国王ゼノンが驚愕に目を見開く。その動揺を一切無視し、リュートは証拠となる事実を冷酷に積み上げる。
「現場には、王家の宝物庫でしか管理されていない最上級回復薬の空き瓶が散乱していました。一介の騎士が私有できる代物ではありません。さらに、セオリスは暴行に及びながら明確にこう叫んでおります。『これはグラクト様の命であり、グラクト様の品位を守るための正当な教育である』と。これも離宮の侍女たちの証言が一致しております」
玉座の間に、重く冷たい沈黙が落ちた。
リュートはそこに、練り上げてきた「点と線」の推論を突き刺す。
「陛下。先日、クロムハルト公爵令嬢の帰省、私の東部物流網の監査、そしてリーゼロッテの接待役抜擢……これらが同日同時刻に重なりました。結果として、離宮からは戦力と目玉が完全に削ぎ落とされ、母上は絶対的な孤立状態に置かれたのです」
「待て、リュート。それらの手配は余と王妃が、正当な国益と理由に基づいて許可を下したものだ。貴様、余らがルナリアを害そうとしたとでも言うのか!」
「いいえ、陛下の手続きに瑕疵は一切ありません」
リュートは即座に否定し、真の狙いを口にする。
「問題は、これら個別の正当な命令の『隙間』を縫い、第一側妃殿下が王家の権力を私物化して、政敵を排除するための猟奇的な密室を作り上げたという『疑い』です。……もしこの恐るべき疑惑と、第一王子殿下の狂信的な監督責任の欠如が、貴族院や民衆の間に『噂』として流布すれば、王家が最も重んじる『品位』は地に堕ちるでしょう」
それは、王権の威光という急所を的確に狙い澄ました、冷徹極まりない政治的脅迫であった。
国王ゼノンの顔から血の気が引く。個々の正当な王命が、全体として第一側妃の陰謀の線引きに利用されていた。その全体像に気づかされていなかった己の失態と、突きつけられた「噂」の恐ろしさに、絶対権力者が言葉を失った。
リュートの法理論と政治的揺さぶりが、完全に盤面を制圧したかと思われた。
しかし――。
「リュート殿下。貴方の怒りと、提示された事態の深刻さは、十分に理解しました」
氷のように冷たく、一切の感情を読ませない無表情のまま、王妃マルガレーテが静かに口を開いた。北の最前線で血と泥の現実を支配するアイギスの血脈。彼女の威厳は、リュートの脅迫的な陳述を前にしても微塵も揺らいでいなかった。
「離宮が凄惨な状況にあることは事実なのでしょう。……しかし、です」
マルガレーテの鋭い視線が、リュートを真っ直ぐに射抜く。
「そなたが今提示した証拠と証言は、すべて『離宮側の人間』による一方的なものです。セオリスの事情や、背後に第一側妃殿下がいるという推測について、我々はまだ、告発された側の弁明を一切聞いておりません」
「……現行犯であり、状況証拠は完全に揃っています」
「だとしても、です。リュート殿下」
王妃の声が、玉座の間に重々しく響き渡る。
「この国の司法権の頂点に立つのは王家です。いかなる凄惨な事件であろうと、告発者の一方的な証言と証拠のみで、近衛騎士団長家系たる次期侯爵を即座に断罪することは許されない。それは、王家が『公正なる最終審判者』であるという大前提を自ら放棄する行為であり、それこそが王家の品位を根底から破壊するのです」
――ガツン、と。
リュートの脳天を、見えない巨大な鉄槌が殴りつけた。
『……反対尋問を経ていない証拠には、証拠能力が認められない……!!』
前世の法廷において、最も基礎的で、最も絶対的なルール。
被告人には、提示された証拠に対して反論し、証人を尋問する権利がある。それを経ていない証拠のみで刑を確定させることは、法治国家において絶対に許されない「異端審問」に他ならない。
『僕は……侮っていた』
リュートは奥歯を強く噛み締めた。
この国を「血統と品位による人治国家」だと見下し、前世の法曹知識をもってすれば簡単に論破できると驕っていた。
だが、現実は違う。彼らは「王族としての品位」を維持するためにこそ、頂点に立つ裁定者としての「公平性の担保」という、法の本質的な構造を完璧に理解し、実践しているのだ。
王妃マルガレーテの主張は、冷酷なまでの「正論」であり、法の理そのものであった。ここで無理に断罪を迫れば、リュート自身が法の公平性を踏みにじる「私怨に狂った暴君」へと堕ちる。
数秒の、恐ろしいほどの沈黙。
やがてリュートは、自らの増長を恥じるように、静かに、そして深く頭を下げた。
「……王妃様のご指摘の通りです。私の、法を軽んじた増長でした」
感情を完全に制圧し、リュートは告発者としてのラインを引き直す。
「承知いたしました。王家として、告発された側への正式な調査と事実確認をお願いいたします。……猶予は、三日。それまで私は、正規の手続きを無視して強訴に及んだ責任を取り、離宮にて謹慎いたします」
自らの非を認め、期限を区切り、自らに罰を課すことで、この告発が決して有耶無耶にできない「公式な司法手続き」へと移行したことを確定させる。
リュートは無表情のまま踵を返し、玉座の間を後にした。背中には、王家の持つ「司法権」の恐るべき重みが、重圧となってのしかかっていた。