リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
5 離宮への帰還と、待ち受ける者
本宮の狂った常識と、第一王子という欠陥だらけの神輿を背に受けながら、リュートはカイルと共に離宮へと帰還した。
自らに課した三日間の謹慎。それは王家の調査という名の「隠蔽工作」を待つ時間であると同時に、リュート自身が次なる「断頭台」を完璧に組み上げるための猶予でもあった。
重い足取りで、破壊された離宮の扉をくぐる。
急ごしらえで清掃されたとはいえ、石造りの床には拭いきれない赤黒い染みが残り、むせ返るような血と鉄の匂いが空気に滞留していた。
その凄惨なエントランスの中央に、場違いなほど豪奢なドレスに身を包んだ小柄な影が、幽鬼のように立ち尽くしていた。
「……お兄、様……?」
第一王女、リーゼロッテ・ソレイユ・ローゼンタリア。
本宮での帝国使節団の接待という異例の抜擢を受け、完璧な「無害で優雅な王女」の仮面を被って大役をこなしていたはずの彼女が、血相を変えて飛び込んできたのであろう。美しく結い上げられていたプラチナブロンドの髪は乱れ、その金色の瞳は、破壊された調度品と、奥の寝室から漂う濃厚な死の気配に完全に焦点が合っていなかった。
出来損ないの王女と蔑まれ、自己肯定感を奪われていた彼女に、生きるための「論理」と処世の「仮面」を与えたのはリュートだった。そして何より、そんな理不尽な世界で凍えていた彼女を「ありのままでいい」と抱きしめ、真の母親としての無条件の愛を与えたのは、他ならぬルナリアである。
その、彼女が自らの意志で選び取った「本当の家族」と「安息の地」が、無惨に蹂躙され、物理的に破壊され尽くしている。
「お母、様は……? ルナリア、お母様は……無事、なのですよね……? 血が、いっぱい……どうして……っ」
カタカタと歯の根を鳴らし、すがるような目でリュートを見つめる少女。
だが、リュートは、彼女の怯える瞳を極めて冷徹に見下ろした。
彼の中に、かつての「無害な兄」としての温かな感情は微塵も残っていない。今の彼は、王宮のシステムを相手に生き残るための「実践者」であり、やがて来る「創設(破壊)」に向けて、手元の駒が本当に使い物になるかを見極める冷徹な盤面の支配者だった。
『……見事な手際だ、ヒルデガード』
リュートは、泣き震えるリーゼロッテの姿を見て、改めて第一側妃の盤面構築能力を冷酷に評価した。
リーゼロッテという「離宮最大の防壁」を本宮の接待という大舞台に縛り付けることで、ルナリアを完全に孤立させた。本宮の華やかな虚飾の世界でリーゼが己の有能さを証明しようと足掻いているその裏で、彼女の実母と実の兄が、彼女の「真の母」を血だまりに沈めていたのだ。
「……遅かったな、リーゼ」
氷のように冷たい、感情を一切排した声が、離宮の冷たい空気に響いた。
「お前の実の母と兄が放った狂犬によって、離宮は蹂躙された。母上は致死量の血を流し、今も生死の境を彷徨っている」
その事実の宣告は、リーゼロッテが必死に保とうとしていた精神の均衡を、容赦なく粉砕する一撃だった。
血の気を失い、言葉を紡ぐことすらできず、ただ愕然とリュートを見上げるリーゼロッテ。
リュートの赤い瞳は、微塵の同情も、家族としての温もりも宿していない。そこに在るのは、彼女がこの残酷な世界でどちら側の人間として生きるのかを試す、絶対的な『踏み絵』の予兆であった。