リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
4 感情という名の信念(思考の飛躍と決醒)
石床に落ちた涙の冷たさが、リーゼロッテの脳内で、これまでにリュートから叩き込まれた膨大な知識の断片を劇的に結合させていく。
なぜ、自分だけが生き残るという生存の最適解が、これほどまでに悍ましく思えるのか。
それは、人が命を懸けて国家規模の闘争に身を投じる時、その根源にあるのは決して冷徹な理屈や計算ではないからだ。理屈とはあくまで、世界を捉え、政治を動かすための「枠組み」に過ぎない。
その枠組みを生み出し、圧倒的な熱量で駆動させるための核。それこそが、客観的な正しさなど微塵もない、心の奥底からの主観的で強烈な意志――『感情』という名の『信念』なのだ。
ならば、私の信念とは何か。
『自分に無条件の愛と居場所をくれた家族を、絶対に失いたくない』
『その温もりを無惨に踏みにじった実の血族を、絶対に許さない』
それは、ただの利己的な愛憎であり、政治的な正当性など欠片もない生々しい感情だ。
だが、その強烈な信念の種が己の中で明確に定まった瞬間、リュートから学んだ「政治」と「論理」という客観的な思想が、強靭な土壌となって彼女の思考を劇的に加速させた。
熱を帯びた感情が、冷たい政治的論理に明確な殺意と方向性を与える。
一方で、精緻な論理が、感情の暴走を自制させ、実の親を社会的に抹殺し命を絶つという極めて冷徹な「確信」へと鍛え上げる。
主観の極みである信念と、客観的体系である思想。二つの車輪が凄まじい勢いで循環し始め、泣きじゃくっていた十歳の少女の脆弱な精神を、鋼のように冷たく、刃のように鋭い『為政者』のそれへと完全に書き換えていく。
リーゼロッテは、ゆっくりと立ち上がった。
最高級の絹の袖で乱暴に涙を拭い去る。その金色の瞳からは、先ほどまでの子供じみた怯えも、実の親を手にかけることへの倫理的な迷いも、完全に消え失せていた。
ブレない信念と、それを実行する冷徹な思想の完全な循環。
己の意志で実の母と兄を「敵」と認定し、彼らを地獄へ突き落とすための権力闘争に自ら喜んで加担する。それこそが、第一王女リーゼロッテの揺るぎない『決醒』であった。
彼女は静かに、固く閉ざされた離宮の重厚な扉に向き直る。
今はまだ、この扉の向こう側で、リュートが理屈と怒りだけで暴走し、不要なリスクとして自分を切り捨てている。
だが、それは違う。
己の感情を自覚した今の彼女には分かる。リュートが示したあの氷のような冷徹さは、破綻しかけた精神をどうにか繋ぎ止めるための、悲痛な自己防衛に過ぎないのだと。
だからこそ、自分が隣に立たなければならない。
ただ彼の背中に隠れて守られるのではなく。彼が理屈と憎悪だけで暴走し、自らを破滅させる道を歩もうとするならば、自分が信念と論理をもって正面から彼を正すために。