リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
1 落日の目覚め
分厚いオーク材の扉の向こうにリーゼロッテを締め出し、重い閂を下ろした直後だった。
濃密な血の臭いが充満する寝室に、窓から沈みゆく落日の赤い光が長く伸びていた。
その赤光が、ベッドに横たわるルナリアの蒼白な頰を照らした時。不自然なほど深く沈み込んでいた彼女の胸が、わずかに、しかし確かに動いた。
「……ぅ……」
掠れた、微かな呼気。
虚ろな目で床を見つめていたルリカが弾かれたように顔を上げ、リュートは瞬時に母の枕元へと歩み寄った。
重く閉ざされていたルナリアの瞼が、ゆっくりと持ち上がる。焦点の定まらなかった漆黒の瞳が、数度の瞬きの後、はっきりとリュートの顔を捉えた。
「……リュ、ト……」
「母上、喋らないでください。すぐに止血と回復の処置を――」
だが、リュートのその言葉は、他ならぬ彼自身の極めて冷徹な理知によって即座に否定された。
脈は触れるか触れないかというほどに弱く、失われた血の量はすでに致死量をとうに超えている。自白剤という名の劇薬による副作用で内臓も破壊され尽くしており、現代の医療技術や魔術の及ぶ次元ではなかった。
意識が戻ったのは、奇跡などではない。命の灯火が完全に燃え尽きる直前、肉体が最後に放つ一瞬の輝きだ。
『……これが、最期の時間だ』
前世の知識と目の前の客観的現実が、残酷な終焉をリュートに宣告する。ルナリア自身もまた、己の肉体がすでに死の淵を越えていることを、その研ぎ澄まされた感覚で完全に悟っていた。
彼女は痛む喉を微かに震わせ、静かに視線を巡らせた。血塗れの甲冑姿で泣き崩れそうになるルリカを確認し、そして、そこにいるはずのもう一人の姿がないことに気づく。
「……リーゼは……どこ……?」
掠れた、しかし確かな意思を持った問い。
その言葉に対し、修羅と化したリュートは目を伏せ、一切の感情を交えずに冷淡な事実のみを告げた。
「……彼女は、離宮から追放しました」
「……え……?」
「この惨劇を仕組んだ主導者は、第一側妃ヒルデガードです。僕はこれから、あの女と第一王子陣営を社会的に抹殺し、最終的に命を絶つための権力闘争を始めます」
リュートの声は、恐ろしいほどに平坦で、論理的だった。
「リーゼロッテは、あの女の実の娘です。実の家族を滅ぼすという僕の闘争に加担できるか問うたところ、彼女は躊躇しました。……熾烈な政治闘争において、血縁の情による迷いは致命的なリスク因子です。敵になる可能性が万に一つでもある以上、不確定要素として盤面から切り捨てるのが最も合理的だと判断しました」
為政者として、実務家として、それは一切の瑕疵がない完璧なリスク管理のはずだった。
だが。
その極めて理路整然とした冷たい報告を聞いた瞬間、死の淵にあり、今にも消え入りそうだったルナリアの瞳に、かつて「帝国の虎」と恐れられた猛烈な光が宿った。
「ル、リカ……ッ!」
残された命を削るような、強い命令の声だった。
「は、はいっ……!」
「今すぐ……扉を開けて、リーゼをここへ連れてきなさい……! 今すぐに、です……ッ!」
「お、お連れします! すぐに!」
ルリカは涙を拭うのも忘れ、弾かれたように立ち上がり、重い閂を下ろしたばかりの離宮の扉へと全力で駆け出していった。
あとに残されたリュートは、自らの合理的判断を真っ向から否定されたことに僅かに目を見開き、ただ無言で母の凄絶な眼差しを受け止めていた。