リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
4 修羅の涙と反省(救われていた過去)
「……リーゼは、あなたの妹ではないのですか?」
ルナリアのその静かで悲痛な問いかけが、リュートが全身に纏っていた『冷徹な理屈』という名の鎧を完全に打ち砕いた。
呼吸が止まり、視界がぐらりと揺れる。
自分の計算通りに動かない者を切り捨てるのは、傷つくことを恐れているだけの傲慢な逃避。母の指摘は、法曹を気取り、盤面を支配していると錯覚していたリュートの急所を、これ以上ないほど残酷に、そして正確に貫いていた。
『……僕は、何てことを……』
リュートの脳裏に、これまでの離宮での日々が濁流のように逆流する。
自分は前世の知識を持ち、彼女に政治の裏側と論理を教え、出来損ない扱いされていた彼女を「庇護してやっている」つもりでいた。不確定なリスクから彼女を遠ざけ、自分が影で盤面を操作しているのだと、思い上がっていた。
だが、現実はどうだったか。
例えば以前、西の公爵令嬢ヴィオラが理不尽な王家の婚約に巻き込まれそうになった時。盤面を読み違え、完全に後手に回ってしまった自分に代わって、本宮の「お茶会」という実力行使の場へ自ら飛び込んでいったのは誰だったか。
自分が教えた「品位という規範」を武器として完璧に使いこなし、本宮の古狸たちの目を誤魔化しながら、ヴィオラに生き残る道を示したのは、他でもないリーゼロッテだった。
自分が立ち入れない本宮の奥深くで、彼女は「無害な王女」の仮面を被り、常にリュートたちのカモフラージュとして機能してくれていた。彼女が本宮の視線を一身に集め、油断を誘ってくれていたからこそ、リュートは安全な影の中から盤面を動かすことができていたのだ。
政治的な実利だけではない。
どれほど王宮の毒を暴き、人間の醜さを解剖して心がすり減っても、離宮へ帰れば彼女が「お兄様」と無邪気に笑いかけてくれた。その温もりがあったからこそ、リュートは前世から持ち越した冷酷な法曹の論理に魂を食い殺されず、「人間」としての正気を保ち続けることができていた。
『……救われていたのは……僕の方じゃないか』
最初から、ずっと彼女に助けられていた。彼女がいなければ、自分はとうの昔に、ただ理屈で他人を切り刻むだけの血の通わない怪物に成り果てていたはずだ。
それなのに。母が凄惨な拷問にかけられ、その命が今まさに失われようとしているという、巨大すぎる喪失の恐怖から逃げるために。自分は実務家としての冷徹さを装い、最も愛すべき妹の心に寄り添うことすら放棄して、一方的な理屈で彼女を暗い廊下へ突き飛ばした。
自分の狭量さと、取り返しのつかない過ちに気づいた瞬間。
リュートの両膝が、力なく石床に崩れ落ちた。
「……あ……ぅ……」
喉の奥から、彼自身のものとは思えない、ひどく掠れた、子供のような嗚咽が漏れた。
リュートは、ベッドに横たわるルナリアの冷たい手を両手で包み込み、自らの額に強く押し当てた。
どれほど完璧な法学の知識を振りかざしても、盤面を支配する理屈を並べ立てても、己の心の弱さから逃げることはできない。その事実を突きつけられ、修羅の仮面が剝がれ落ちた少年の赤い瞳から、大粒の涙がボロボロと溢れ出し、ルナリアのシーツを黒く濡らしていく。
「……僕が……間違っていました……っ」
それは、為政者としての冷徹な宣告でもなく、法曹としての弁明でもない。
ただ母の愛を失うことに怯え、妹を傷つけてしまった己の愚かさを悔いる、十三歳の子供の、心からの謝罪だった。
「母上……ごめんなさい……僕が、間違って……っ」
しゃくり上げながら、母の手を握り締めて泣き崩れるリュート。
ルナリアは、そんな息子のつむじに、愛おしそうに、赦しを与えるように、そっと自らの頰をすり寄せた。