リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

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第3話『真なる優秀さ5』

5 駆けつける白金

 

 静寂を取り戻しかけていた離宮の石造りの廊下の奥から、慌ただしく床を蹴る複数の足音が響いてきた。

 

「――っ」

 その音に弾かれたように、リュートはルナリアのシーツに沈めていた顔を跳ね上げた。

 近づいてくるのはルリカと、そして間違いなくリーゼロッテの足音だ。

 

 リュートは反射的に、自身の最高級の衣服の袖で、乱暴に両目の周辺を擦った。どれほど己の狭量さを恥じ、母の言葉に打ちのめされたとしても、妹の前で「感情を制御できずに泣きじゃくる無様な兄」の姿を晒すわけにはいかない。

 

 自分は、彼女を導き、盤面を支配する冷徹な指導者(為政者)でなければならない。そして何より、彼女が安心して背中を預けられる『強くて頼れる兄』でなければならないのだ。

 

 ギリッと奥歯を噛み締め、必死に涙腺を引き締めようとする。震える呼吸を無理やり腹の底へと押し込み、ひどく赤く腫れ上がった目元をごまかすように、もう一度、冷徹な理屈の鎧を急造で纏い直そうとした。

 

 バンッ――!

 その無駄な抵抗をへし折るように、重厚な扉が勢いよく開け放たれた。

 息を乱したルリカに先導され、寝室に飛び込んできたのは、プラチナブロンドの髪を乱し、華やかなドレスの裾を少し汚したリーゼロッテだった。

 

 走ってきたせいで肩で息をしている。だが、リュートがハッとして息を呑んだのは、彼女のその『表情』だった。

 先ほど冷たい廊下へ突き飛ばした時の、絶望と恐怖に顔を歪めていた怯える小鳥は、そこにはいなかった。

 

 金色の瞳には、実の母と兄を「盤上の敵」と認定し、己の意志で家族(ルナリアたち)を選ぶという、揺るぎない覚悟と理知の炎がはっきりと宿っていた。

 

「……リーゼ。僕は……」

 無理に取り繕った冷たい声で、リュートは先ほどの追放を取り消すための、何か尤もらしい『理屈』を並べようとした。

 

 だが、真っ直ぐに自分を見つめてくる妹の透き通るような瞳を前に、頭の中で組み立てた弁明は、音を立てて崩れ去った。

 

 彼女には、すべて見透かされていた。リュートの強張った表情も、赤く腫れた目元も、不自然に震える声も。冷徹な修羅を気取っていた兄が、本当は母を失うことに誰よりも怯え、ただ必死に虚勢を張っているだけの脆い子供に過ぎないということを。

 

「……お兄様」

 リーゼは何も問わなかった。リュートの理不尽な追放を責めることもなく、彼が無理に作った冷酷な仮面を剝がすこともなかった。

 

 ただ、静かに、しかし迷いのない足取りで血塗れの石床を踏み越え、リュートのすぐ隣へと歩み寄る。

 そして、己のドレスが血で汚れることも一切厭わず、彼の隣に力強く跪いた。その後ろには、静かに付き従うルリカが控えている。

 

 ただ庇護されるだけだった妹が、対等な共犯者として、共に修羅の道を歩む決意をもって隣に並び立った瞬間だった。

 自らを追い出そうとした兄の弱さを許容し、その背中を支えるために戻ってきた妹の姿。それこそが、ルナリアが説いた「相手の心に寄り添う寛容さ」の何よりの証明であった。

 

 落日の赤い光が完全に薄れ、夜の濃い群青が窓の外を支配し始める。

 死の淵にある母を囲み、一度はすれ違い、壊れかけた家族が、かつてないほど強靭な絆で再び一つに結びついていた。

 

「……みんな。よく、戻ってきてくれたわ……」

 かすれた、けれどどこまでも優しい声が響く。

 

 ベッドに横たわるルナリアの顔には、凄惨な拷問の痛みなど微塵も感じさせない、この世のすべての罪を許すような、神々しいまでの慈愛の微笑みが浮かんでいた。

 

 息を呑む三人を前に、死に行く聖母は、最期にして最大の「祈り」を紡ぎ出そうとしていた。

 

 

 

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