リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
4 新しい国の礎(自由と責任の真理)
ルリカの主従の鎖を解き放った後、ルナリアは、ベッドの傍らで固く握り合わされているリュート、リーゼロッテ、そしてルリカの三人の手の上に、氷のように冷たくなった自分の両手をそっと重ねた。
それは、権力闘争という理不尽な暴力によって一度は壊れかけた縁を、もう一度、王家の血よりも重く強靭な絆として結び直す、神聖な儀式だった。
「……リーゼ。私が逝った後、何が起きても……意地を張らずに、リュートを頼りなさい」
「……はい……っ」
「……そして、リュート」
ルナリアの漆黒の瞳が、涙で濡れた息子の赤い瞳を真っ直ぐに射抜く。
「家族の縁を、自分の理屈だけで……簡単に切るなんて、二度と言わないで。……完璧な人間などいないの。欠け落ちた不器用な心を、三人で……支え合って生きて」
リュートは、先ほど自らの手で冷たい廊下へ突き放しかけたリーゼロッテの細い手を、そしてルリカの震える手を、両手で確かな力を込めて握り締めた。
「……はい、母上。約束します……絶対に、手放さない」
己の愚かさを恥じ、二度と家族を盤上の駒として切り捨てないという血を吐くような誓い。
その誓いを聞き届けた瞬間、死の淵にあるルナリアの瞳に、これまでで最も鋭く、最も気高い『知性』の光が宿った。
それは、修羅の道を歩もうとするリュートの魂を、最後の最後で地獄の底から引き摺り上げる、圧倒的な母の教えだった。
「……リュート。貴方の心の中にはまだ、私をこんな目に遭わせた者たちへの、どす黒い殺意が渦巻いているわね」
「――っ」
「……でも、聞いて。もし貴方が、憎悪に任せてあの女(ヒルデガード)を惨殺し、復讐を成し遂げたとしても……私の願いは、絶対に叶わないわ」
リュートは息を呑んだ。
復讐を果たすことこそが、無惨に命を奪われる母への唯一の供養だと信じていた。だが、ルナリアはそれを明確に否定したのだ。
「……なぜなら、個人の首をすげ替えても、この国を支配する『血統と品位』という残酷なシステムが残る限り、第二、第三のヒルデガードが必ず生まれるからよ。……ただ殺し、ただ奪うだけの復讐は、あの初代王が血塗られた粛清で玉座を奪ったのと同じ……狂った歴史の反復に過ぎない」
ルナリアは、痛む胸を押さえながら、最後の命の炎を燃やし尽くすように三人の手を強く握った。
「私が貴方たちに望むのは、そんな血みどろの玉座じゃない。誰かの屍の上に建つ、かりそめの安寧でもない。……私の願いはただ一つ」
月光の下、聖母であり、帝国の虎であった女が、愛する子供たちへ遺す、絶対の真理。
「三人とも……自由に、生きなさい」
その言葉は、冷たい石造りの部屋に、静かに、けれど雷鳴のように響き渡った。
「王家も、血筋も、貴方たちを縛る鎖にはさせない。……何者にも縛られず、自分の意志で、自分の生きる道を選びなさい。……けれど、忘れないで」
ルナリアの瞳から、一筋の美しい涙がこぼれ落ちた。
「自由には、必ず『責任』が伴うということを。……自分の意志で選び、その報いをすべて引き受ける。……他人のせいにも、血筋のせいにもしない。……それこそが、人を人たらしめる、唯一の誇りなのよ」
――自由と、責任。
その言葉を聞いた瞬間、リュートの脳内で、前世から持ち越した「法曹」としての膨大な知識が、凄まじい熱量を持って劇的に結合した。
『……そうだ。法律とは、人を縛るための鎖じゃない……っ!』
権力者の恣意的な暴力(人治)を縛り、何人たりとも侵せない明文化されたルール(成文法)を敷くこと。それはなぜか。
すべての民が「自由」に生きる権利を保障し、同時に、自らの行いに「責任」を持たせるためだ。
それこそが、前世の歴史の中で人類が血を流して獲得してきた、近代法治国家の絶対的な理念ではないか。
『……ヒルデガードを殺すだけじゃダメだ。そんな小さな復讐じゃ、母上の願いは叶わない……!』
母が最期の瞬間に、身を削るような激痛の中でリュートに伝えたかったこと。
それは、「私怨に囚われた単なる暗殺者(修羅)」になるなという痛切な叫びだ。
家族が本当に自由に、幸せに生きられる場所を作るためには、この血統主義という狂った古いシステムそのものを完全に破壊し、自由と責任を担保する『新しい理(法)』を創設しなければならないのだ。
リュートの目から、修羅のどす黒い憎悪が完全に消え去った。
代わりに宿ったのは、母の遺志を継ぎ、己のすべてを懸けて新しい国家を創り上げるという、壮絶で、どこまでも気高い『為政者の覚悟』だった。
「……分かりました。母上……」
リュートは、リーゼロッテとルリカの手を握ったまま、涙で視界を滲ませながら、しかし決して揺るがない声で誓った。
「僕はもう、復讐のためだけに生きたいとは思いません。……母上が残してくれたこの家族と、自由に生きていくために……僕が、責任を負う。……この国を根底から作り変え、僕たちのための新しい秩序を、必ず創り上げてみせます……!」
それは、破壊から創設へと至る、三人にとっての永遠のイデオロギー(思想)が誕生した瞬間だった。
その力強い誓いを聞き届け、ルナリアは「……ええ、貴方ならできるわ……」と、心底安堵したように、微かに頰を綻ばせた。